遺伝子の転写を開始するメカニズムを世界で初めて解明― 原子レベル(2.6Å)でのX線結晶構造解析によって明らかに ―(プレスリリース)
- 公開日
- 2002年06月10日
- BL45XU(理研 構造生物学I)
平成14年6月10日
理化学研究所
理化学研究所(小林俊一理事長)は、遺伝子の転写開始にかかわるタンパク質の立体構造を原子レベルで決定し、そのメカニズムを解明することに世界で初めて成功しました。理研播磨研究所細胞情報伝達研究室の横山茂之主任研究員、Dmitry G. Vassylyev副主任研究員、関根俊一研究員らの研究グループによる成果です。 (論文) |
1.背景
DNAに塩基配列として刻まれた遺伝情報は、タンパク質のアミノ酸配列に変換されることによって初めておのおのの機能を発揮することができます。このタンパク質を合成するために細胞は、DNAを鋳型(いがた)にして同じ塩基配列を持ったRNAを合成し、RNAの情報をもとにタンパク質を作ります。このDNA、RNA、タンパク質という情報の流れはすべての生物において共通の遺伝メカニズムであり、生命活動の根幹をなすものです。
RNAを合成するステップは「転写」と呼ばれ、遺伝子が働き出すための最初の段階として重要です。転写をつかさどる酵素「RNAポリメラ-ゼ」は、中心となる「コア酵素」と、転写の各ステップによって異なるさまざまな転写因子とによって構成される巨大な複合体酵素です。その構造と機能は、バクテリアなどの原核生物から、ヒトを含めた高等真核生物にいたるまで普遍的に保存されています。近年、バクテリア(原核生物)や酵母(真核生物)由来のRNAポリメラ-ゼの結晶構造が報告され、転写メカニズムの構造レベルでの解明の可能性が示されました。しかしながら、いずれも中程度の分解能で解かれたものであり、かつ転写開始に不可欠な転写開始因子を含んでいないコア酵素のみの解析であったため、転写開始の詳細なメカニズムについては、ほとんど明らかになっていませんでした。
2.研究の手法
原核生物のRNAポリメラーゼのコア酵素は、α2ββ'ωの 5つのサブユニットからなるタンパク質の複合体です。これが 転写開始因子である「σ因子」と結合し、「ホロ酵素α2ββ'ωσ)」となることによってはじめて、遺伝子のプロモーター配列を認識して結合し、転写を開始します。今回、研究グループでは、RNAポリメラ-ゼの機能的構造を原子分解能レベルで解明するために、原核生物である高度好熱菌※3のRNAポリメラ-ゼホロ酵素の立体構造解析に取り組みました。
X線によって立体構造を決定するためには、ホロ酵素(タンパク質)の結晶を作成しなければなりません。そこで、高度好熱菌からホロ酵素のみを取り出して精製し、優れた結晶を再現性よく得ることに成功しました。構造決定にあたっては、大型放射光施設(SPring-8)の理研構造生物学ビームラインI(BL45XU)などを用い、結晶のX線回折データを収集しました。BL45XUには最近、タンパク質の立体構造を解くための多波長異常分散(MAD)法に最適化しているばかりでなく、最近開発された受像面積の大きい検出器(40cm×40cm)を装備しているため、RNAポリメラーゼの結晶のように格子長の大きい結晶の回折データ収集に適しています。
3.立体構造の解析結果から明らかになったこと
SPring-8の高輝度なシンクロトロン放射光を用いて、2.6Åという高分解能のX線回折データを得ることができました。精密に決定されたσ因子を含むRNAポリメラ-ゼの立体構造は、全体として「カニのはさみ」のような構造をとっていることが分かりました。さらに、得られた立体構造の解析結果から、ホロ酵素がDNAのプロモータ-配列に結合して転写を開始する以下のような一連のメカニズムが明らかになりました。
- 1)遺伝子のプロモーター※2配列を認識・結合するσ因子の2つのドメインは、プロモーター配列2ヶ所を認識して結合するのに都合が良いように酵素の表面に配置されていることが分かりました。σ因子には両末端にある「N末端側ドメイン」と「C末端側ドメイン」、およびそれらを結ぶ「リンカードメイン」から構成されています。N末端側ドメインとC末端側ドメインはそれぞれ、DNAのプロモーター配列2ヶ所を認識します。決定された構造結果においても、RNAポリメラーゼの表面に存在する両ドメインの間隔がプロモーター配列の間隔とほぼ一致していました。
- 2)DNAに結合して転写を開始する際、RNAポリメラーゼはDNAの一本鎖だけに結合することが分かりました。今まで、転写が開始する時には、RNAポリメラーゼが結合しているDNAの一定領域(転写開始点から、12塩基上流までの間)でDNAの二重鎖が解離して一本鎖になる「転写バブル」と呼ばれる構造を形成すると考えられてきました。今回解析したRNAポリメラ-ゼホロ酵素はσ因子を結合しているため、DNA結合部位の溝が二重鎖DNAを結合するには狭く、解離した一本鎖DNAのみを結合できる構造になっており、従来の説を裏付ける結果となりました。
- 3)σ因子のリンカードメインは、合成されたRNAと鋳型DNAの二重鎖を不安定化させ、RNAの鎖を排出溝に向かわせる役割を果たしていると推測されます。明らかになった立体構造から、鋳型DNAと合成されたRNAの二重鎖は、σ因子のリンカードメインとコア酵素の間にある狭いチャネルを通ると考えられます。そして、この狭いチャネル内におけるσ因子のリンカードメインとRNAとの相互作用によって、RNAとDNAの二重鎖は不安定化され、RNAは一本鎖となって排出溝に向かうものと考えられます。
- 4)さらに、合成されるRNA鎖はσ因子の解離を促すことが推測されました。σ因子は遺伝子の転写を開始させる役割がありますが、RNAポリメラーゼがDNAに沿って進みながらRNAを合成する「伸長ステップ」に移行するにはσ因子を解離する必要があります。興味深いのは、σ因子のC末端側ドメインがRNAの排出溝の出口をふさいでいるという点です。合成されていくRNA鎖の末端が排出溝の出口に到達すると、RNA鎖に押されてσ因子はRNAポリメラーゼからもプロモーターからも解離を余儀なくされ、転写は伸長ステップへと移行するものと考えられます。
4.今後の展開
転写のプロセスは、遺伝子が発現して機能するための最初のステップとなるものです。従って、転写因子(σ因子)を結合したRNAポリメラーゼ、つまり転写に不可欠な最小単位の構造を原子レベルで解明したことは、今までヴェールに包まれていた転写開始のメカニズムを本当の意味で理解する道を開いたものといえます。今後研究グループでは、さらに、種類の異なる転写因子やDNA、RNAを結合したRNAポリメラーゼの立体構造解析を行い、転写のメカニズムの全ぼうを明らかにしていく予定です。
また、RNAポリメラーゼはすべての生物の生命活動に必須なタンパク質であるため、抗生物質のターゲットになります。本研究で明らかになった立体構造から得られる知見を生かして、真核生物と原核生物のRNAポリメラーゼ構造の微妙な差異に着目し、病原性細菌を含む原核生物のポリメラーゼにだけ特異的に結合する化合物を作ることで抗生物質として利用できる可能性があります。このような新たな抗生物質や活性制御物質の創製といった医療への応用を目指した研究も飛躍的に進展するものと期待されます。
《参考資料》
ND1, ND2: N末端側ドメイン LD: リンカードメイン CD: C末端側ドメイン
<補足説明>
※1 Å(オングストローム)
長さの単位。1 オングストロームは 1 x 10-10 メートル(= 0.1 ナノメートル)。
※2 プロモーター
遺伝子の上流に存在する特別なDNA塩基配列。転写開始因子が結合するとRNA合成の開始を指令する。原核生物では、合成開始点(+1)から、35残基(-35)と10残基(-10)上流にあるプロモーター領域2ヶ所に、RNAポリメラーゼのσ因子の2つのドメインが認識・結合する。
※3 高度好熱菌(Thermus thermophilus HB8)
大島泰郎博士によって日本の温泉から単離された細菌の一種。80°Cの高温でも生育するため、高度好熱菌を構成するタンパク質は非常に熱安定である。高度好熱菌由来の熱安定な酵素は、PCR法やDNA 塩基配列決定などに利用され、分子生物学の発展に大きく寄与した。また、高度好熱菌由来のタンパク質はその熱安定性のため結晶化しやすく、結晶化のターゲットとして利用されることも多い。
<本研究に関する問い合わせ先> 理化学研究所 播磨研究所 理化学研究所 広報室 <SPring-8についての問い合わせ先> |
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