1本の筋原繊維からのX線回折像撮影に成功(プレスリリース)
- 公開日
- 2002年08月06日
- BL45XU(理研 構造生物学I)
平成14年8月6日
(財)高輝度光科学研究センター
(財)高輝度光科学研究センター・放射光研究所の岩本裕之主幹研究員らの研究グループは、SPring-8の理研構造生物学IビームラインBL45XUを用い、理化学研究所・構造生物化学研究室の藤澤哲郎先任研究員らの協力を得て、筋肉細胞内にある直径わずか2マイクロメートルの筋原繊維1本からX線回折像を記録し、その中の収縮蛋白の格子構造を直接可視化することに成功した。 (論文) |
骨格筋(横紋筋)は、径50-100マイクロメートルの筋細胞(筋線維)が多数集まってできている(図1a)。1本の筋細胞の中には更に径1-2マイクロメートルの筋原繊維が多数あり(図1b)、これは筋収縮の最小構造単位である筋節(サルコメア、長さ約2マイクロメートル)が直列に並んだものである(図1c)。筋節の中で、収縮蛋白のアクチン、ミオシンからできたフィラメントが六角格子の形に規則的に配列している(図1d)。このため、X線を筋肉に照射すると六角格子に由来する回折像が得られる。回折像を解析すると、収縮蛋白の構造に関する種々の情報を得ることができる。
従来、X線回折に用いられた筋肉試料の最小のものは単一筋細胞であった。この中に多数ある筋原繊維中の六角格子の方向は全くランダムなので、異なった格子面に由来する反射が全て重なった「回転平均」された回折像しか得ることができなかった(図2b,c)。異なった格子面に由来する反射を分離して記録するには1本の筋原繊維から回折像を撮影する必要があった。
今回、収縮蛋白の配列の規則性が特に高い昆虫飛翔筋(マルハナバチ、図2a)の単一筋原繊維から回折像を撮影し、単一六角格子の異なる格子面からの反射を分離して記録することができた(図3b,c)。この成功により、体積にして従来の最小ものの約1/1000の試料から回折像が得られたことになる。
今回の成功には以下のような技術的背景がある。
(1) 直径2マイクロメートルのピンホールにより生成した微小なX線ビーム(マイクロビーム)の使用。従来、毛髪やその他の乾燥した生体高分子にX線マイクロビームを当てて回折像を記録した例はあるが、これらより遥かに照射損傷に弱い細胞内の水和した蛋白集合体から回折像が得られたのは初めてである。露光時間は僅か5秒であった。このような短時間で露光できたのは第三世代放射光施設からの高輝度・高指向性のX線と高感度の検出器によるところが大きい。また、更に輝度の高いX線を発生可能なビームライン(BL40XU)も完成しており、これを用いれば格子の中で収縮蛋白が機能する様子をリアルタイムで観察することも夢ではない。
(2) エンドオン回折。繊維状の物体からX線回折像を記録するときにはX線を繊維の軸に直角に当てるのが普通である。しかしこの方法で単一筋原繊維から回折像を記録するには、筋原繊維を単離し、鶏の丸焼きのように回転させながら撮影しないと全ての格子面から反射を記録することはできない。この問題を回避するため、通常と異なりX線を繊維の軸にそって照射した(エンドオン照射、図2c,d)。これにより単一筋原繊維を筋細胞から単離することなく、筋細胞中の筋原繊維の1本を狙い撃ちすることにより(これも技術的にかなり困難ではあるが)、単一筋原繊維からの回折像(エンドオン回折像)を記録することができる。1回の露光で全ての格子面からの反射を同時に記録できるのもこの方法の利点である。
記録された回折像(図3b,c)では、各格子面からの反射はスポット状に見えている。これはX線の軸に沿った試料の長さが約3ミリメートルあることを考えると驚くべきことである。というのは、反射がスポット状になるためには3ミリメートルの間に1000個程度ある筋節の格子面が完全に揃っていなければならないからである(隣り合った筋節間で格子面に0.1度でもねじれがあれば、反射は図2cのような同心円状に広がってしまう)。3ミリメートルというのは飛翔筋の全長に近い。すなわち、マルハナバチの筋原繊維は全体が生体内で成長してできる1個の巨大単結晶ということができる。
細胞内には、分裂装置や鞭毛・繊毛、細胞膜裏打ち構造など、機能性蛋白質集合体が多種存在する。しかしこれらは筋肉の収縮装置と比べて遥かに小さいので(マイクロメートル程度)、従来X線回折法の対象にならなかった。しかし今回の成功はこれらの試料にもX線回折による構造解析の道を拓くことになる。ポストゲノム時代には蛋白分子集合体中での蛋白機能・構造解析が重要性を増すと予想されるが、本研究で用いられた技術はその際に強力な研究手段として役立つであろう。
本研究は、先端的共同利用施設利用促進事業(科学技術振興事業団)の一環として行われた。また、ビームラインを用いた実験では、理化学研究所・構造生物化学研究室藤澤哲郎先任研究員らの協力を得た。
<用語解説>
アクチン・ミオシン
筋肉内の主要な収縮蛋白で、それぞれが重合してフィラメントを形成している。筋収縮は、アクチンとミオシンのフィラメントが互いに滑り合うことで起こる。アクチンは球状の蛋白質で、ミオシンは球状の頭部と、繊維状の尾部からなる。頭部にはアクチンと、収縮のエネルギー源であるATPに対する結合部位があり、収縮の原動力を発生する。尾部には重合能があり、フィラメントの形成に関与する。
水和
乾燥状態でなく、生きた細胞内と同様に蛋白質が溶媒(水)中で水分子と強く相互作用し、酵素であれば酵素反応が可能な状態。
細胞膜裏打ち構造
細胞膜の直下にある構造蛋白の集合体で、細胞の形態を保つのに役立つ。代表的な構成蛋白にアクチンやスペクトリンがある。
《参考資料》
a:全筋。多数の筋細胞(筋線維)が集まってできている。
b:筋細胞。直径50 - 100マイクロメートル。直径1 - 2マイクロメートルの筋原繊維が多数集まってできている。
c:筋原繊維の拡大図。長さ2 - 2.5マイクロメートルの筋節(サルコメア)が多数直列に並んでいる。この中で収縮蛋白ミオシンとアクチンのフィラメントが六角格子状に配列している (d)。1個の筋節中では格子の向きは揃っている(単結晶)。d 中の数字(1,0,1,1)は特定の格子面を表わす指数。
a:マルハナバチ。
b:従来の方法によるX線回折像記録(赤道反射。X線を筋細胞の軸と直角に照射する)。筋細胞に多数含まれる筋原繊維中の六角格子の向きはランダムなので全ての格子面に由来する反射が同時に記録されるが、格子面の向きに関する情報は失われ、間隔の近い格子面に由来する反射は重なってしまう。
c:エンドオン回折像記録。X線を筋細胞の軸に沿って照射する。この場合も、X線の径が大きい場合は多数の筋原繊維にX線が照射されるため、回折像は同心円状になり、格子面の向きに関する情報はやはり失われる。
d:X線マイクロビームにより筋原繊維1本からエンドオン回折像を記録した場合。必ずしも図のように1本の筋原繊維を単離する必要はなく、筋細胞中の筋原繊維の1本にビームを照射するだけでよい。光路中に単一の6角格子しか含まれないので、各格子面に由来する反射がスポットとして分離して記録される(但しこのような像が記録されるのは異なる筋節間で格子面が揃っている場合に限る)。なお、従来法により筋原繊維にマイクロビームを直角に照射した場合は、各格子面に対して特定の角度で照射しないと反射を生じないため、全ての反射を同時に記録することはできない。
【H. Iwamoto et al., Biophys. J., 83:1074-81, Fig. 2より改変】
a:50マイクロメートル径(筋細胞の太さ)のX線ビームで記録したエンドオン回折像。図2cに相当し、多数の筋原繊維が含まれるため同心円状の反射がみられる。
b,c:2マイクロメートル径(筋原繊維の太さ)のX線マイクロビームで記録したエンドオン回折像。単一の6角格子に由来する反射がスポット状に見える。筋原繊維の長さは3ミリメートル程度あるため、格子の向きが筋節約1000個分の距離にわたってほぼ完全に揃っていることを意味する。回折像の中央が暗くなっているのは直接光から検出器を保護するためのビームストップの陰影。
(注意)本文書で用いられている図には版権が設定されていますので、無断掲載・転載はお断りいたします。
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