タンパク質の折り畳み運動の特徴を理論に基づき実証(プレスリリース)
- 公開日
- 2006年02月27日
- BL45XU(理研 構造生物学I)
平成18年2月27日
独立行政法人理化学研究所
本研究成果のポイント
・アミノ酸残基数が263と大きい「ヘムオキシゲナーゼ」の折り畳み過程をリアルタイムで観察
・タンパク質の折り畳み初期運動は、「コイル・グロビュール転移」であることを世界で初めて実験的に裏づけ
・タンパク質の構造予測に新たな手がかり
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、放射光を使った観察結果を用い、タンパク質の折り畳み運動が、高分子で一般的に見られる現象と同じ規則性を有していることを示しました。すなわち、タンパク質に成立するスケール則※1を確定し、「コイル・グロビュール転移※2」と呼ばれる理論を実験的に証明しました。理研播磨研究所放射光科学総合研究センター前田構造生物化学研究室の高橋聡客員研究員(大阪大学蛋白質研究所助教授)、鵜澤尊規研修生(京都大学工学研究科)、藤澤哲郎先任研究員らによる研究成果です。 (論文) |
1.背景
タンパク質は、アミノ酸が一次元的に並んだ高分子鎖であり、アミノ酸配列に応じて特定の立体構造に折り畳むことで機能を発揮します。あるアミノ酸配列が、どのような構造のタンパク質に対応するのかを推定する問題を「タンパク質の折り畳み問題」と呼びます。この問題を解くことは、薬剤のターゲットやバイオナノマシン※6といった有用なタンパク質を人工的に設計するなど、多くの応用につながると期待されますが、タンパク質の構造予測は未だに困難です。特にアミノ酸残基数が100よりも大きいタンパク質の正確な構造予測は、現在のところほぼ不可能だと言われています。
研究グループは、折り畳まれていない状態(変性状態)のタンパク質が、折り畳み構造に自発的に変化する過程を観察する実験に着目しました。特に、大型放射光施設(SPring-8)の理研構造生物学IビームラインBL45XU-SAXSを用いた「時分割X線小角散乱法」という手法を開発し、タンパク質の折り畳み過程で起こる構造変化をリアルタイムで観察する実験を続けてきました。研究グループによるこれまでの研究から、タンパク質は、最初の1ミリ秒以内に比較的コンパクトな状態に収縮し、その後、数百ミリ秒から数秒の時間をかけて折り畳み構造へと変化していくことが解明されました(図1)。しかし、折り畳み初期に観察される収縮運動が、どのように引き起こされるのかは明らかにされていませんでした。
研究グループは、タンパク質の初期の収縮運動は、「コイル・グロビュール転移」と呼ばれる高分子では一般的に見られる現象によって引き起こされるのではないかと考えました。コイル・グロビュール転移とは、高分子の構造が、ランダムに広がったコイル状態からコンパクトな球状に収縮したグロビュール状態に転移する現象で、1974年にノーベル化学賞を受賞したP. J. フローリーにより、理論的に予想されました。しかし、タンパク質に関しては、変性状態のときはコイル状態であることのみが知られているに過ぎませんでした。
2.研究手法
フローリーの理論によれば、タンパク質が収縮しているグロビュール状態のとき、回転半径(Rg)とアミノ酸残基数(N)との間に
Rg = a Nν (1)
の関係が成立し、スケール指数と呼ばれるν値が0.33になります。また、広がったコイル状態の場合にはν値が0.60になります。
研究グループは、N値の異なるタンパク質について、初期収縮状態のRg値のデータを集め、N値との関係を調べ、ν値を算出することで、初期収縮状態がグロビュール状態かどうかを判断できると考えました。これまでに、94から153残基までのタンパク質についてのRg値は観察結果から導かれていましたが、N値が200を超す大きなタンパク質の折り畳み現象の研究は、タンパク質の凝集などに左右されやすく、大変難しいことが知られています。
研究グループは、アミノ酸残基数が263のヘムオキシゲナーゼというタンパク質を対象として実験を行いました。ヘムオキシゲナーゼは、図2に示すようにらせん状の構造を多く持つタンパク質です。研究グループでは、はじめにヘムオキシゲナーゼが凝集せずに折り畳む条件を検索し、さらに、ヘムオキシゲナーゼの複雑な折り畳み経路を解明する実験を丁寧に行ないました。約三年にわたる努力の後に、ヘムオキシゲナーゼが折り畳む過程の時間分解X線小角散乱の観測に成功しました。
3.研究成果
観測結果によると、変性状態では37.8Å(オングストローム=10-10 m)だったヘムオキシゲナーゼのRg値が、折り畳み開始後1ミリ秒以内に26.1Åにまで収縮することが明らかになりました。また、ヘムオキシゲナーゼについて得られた初期収縮状態のRg値とこれまでに観察された他のタンパク質のRg値について、N値との相関を調べたところ(図3)、スケール指数(ν)の値として0.35±0.11が得られました。この値は、フローリーの理論によりグロビュール状態と予想される0.33に近い値です。今回の観測は、タンパク質の折り畳み初期に観察される収縮運動がコイル・グロビュール転移であるという仮説を強く支持する、世界ではじめての実験データです。
4.今後の期待
タンパク質の初期収縮運動は、アミノ酸残基数が100よりも大きいタンパク質にのみ観察される現象です。一方、大きいタンパク質は構造予測が難しい傾向があります。そのため、この収縮運動がどのように起こるのかをさらに解析することで、タンパク質の構造予測に役立つ情報が得られると考えられます。また、薬剤やバイオナノマシンなど、有用な人工タンパク質の設計に貢献すると考えられます。
<参考資料>
変性したタンパク質(左)は、折り畳み反応開始後1ミリ秒以内に収縮し(中)、その後、数十ミリ秒から数秒の時間をかけてコンパクトな構造に折り畳む(右)。
SPring-8のBL25SUビームラインに設置された高分解能光電子分光測定装置
変性したタンパク質(+)、折り畳み過程初期に観察される収縮したタンパク質(□,△)、折り畳んだタンパク質(○)の回転半径(Rg)をアミノ酸残基数(N)に対してプロットした。ヘムオキシゲザーゼに関する今回の実験データは■で示した。実線は(1)式に従ったものであるが、実験データは実線近傍にプロットされ、RgとNの関係がスケール則で説明できることが分かる。変性状態のタンパク質の場合(赤実線)、実線からスケール指数(ν)としてコイル状態に対応する0.598±0.028が得られていた。一方で、初期収縮状態の場合には(青実線)、ν値として0.35±0.11が得られることがわかった。この値はグロビュール状態に対応する。
<用語解説>
※1 スケール則
スケールは物差しのこと。温度や大きさなどといった物理量の目盛りが違う現象の間に成り立つ法則をスケール則という。スケーリング則ともいい、自然界にはスケール則が成り立つ場合が多いことから、物理学、化学、地学などにおいて、現象を説明する際によく使われる。
※2 コイル・グロビュール転移
高分子が溶液中でランダムに広がった状態(コイル状態)から、コンパクトな球状に収縮した状態(グロビュール状態)に転移する現象をコイル・グロビュール転移という。タンパク質は、通常は高分子の鎖が折り畳まれた状態であるが、酸などによって折り畳みがほどけ、コイル状態になることが知られていた。
※3 大型放射光施設(SPring-8)
兵庫県にある大型共用施設。高速で進む高エネルギー状態の電子を加速すると電磁波が発生する。とくに、偏向電磁石の中では、電子は円軌道上を運動し、運動の接線方向に強い電磁波を放出する。これが「放射光(シンクロトロン放射)」と呼ばれるもの。特に大型放射光施設と呼ばれるものには、世界にSPring-8、APS(アメリカ)、ESRF(フランス)の3つがある。SPring-8(電子エネルギー:8GeV)の場合、遠赤外から真空紫外、軟X線、X線を経てガンマ線に至る幅広い波長域で放射光を得ることができ、国内外の研究者の共同利用施設として、物質科学・地球科学・生命科学・環境科学・産業利用などの分野で利用されている。
※4 時分割X線小角散乱法
X線小角散乱を、短い時間間隔に分割して測定する方法。タンパク質の“姿”の時間変化を調べることができる。X線小角散乱とは、ナノスケールの構造を反映した、数度程度の小さな散乱角に現れるX線の散乱のこと。
※5 アミノ酸残基
タンパク質はアミノ酸が直鎖状に繋がってできており、この直鎖にはもともとのアミノ酸の構造を示す小さな枝状の部分が存在する。この部分をアミノ酸残基という。
※6 バイオナノマシン
ナノマシンとは、ナノメートル(10-9 m)単位の機械装置を言い、生体物質がナノマシンのように振る舞うものをバイオナノマシンと呼ぶ。例えば、べん毛を形作るタンパク質は、タンパク質の集合がモーターのように働くことから、バイオナノマシンと言える。
<本研究に関する問い合わせ先> 独立行政法人理化学研究所播磨研究所 播磨研究推進部 猿木 重文 大阪大学蛋白質研究所 (報道担当) <SPring-8についての問い合わせ先> (財)高輝度光科学研究センター |
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