X線からの超微弱な圧力を検出 - ブラックホールに関わる現象をナノでキャッチ -(プレスリリース)
- 公開日
- 2006年07月20日
- BL44B2(理研 物質科学)
平成18年7月20日
独立行政法人科学技術振興機構(JST)
財団法人高輝度光科学研究センター
JST(理事長 沖村憲樹)と財団法人高輝度光科学研究センター(理事長 吉良爽)は、生体高分子に標識となるナノ結晶1個をつけることにより、生体高分子1個のブラウン運動を詳細に計測できるX線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking: DXT)を用いて、生体高分子のブラウン運動を通常からわずかにずらすような外力がかかっていることを検出しました。定量的解析の結果、この現象はX線がタンパク質分子に当たったときに発生する圧力(X線放射圧)である事が判明しました。X線放射圧を実際に計測したのは世界で初めてです。 (論文) |
【研究の背景】
イオンを細胞内に取り込んだり、分子を運んだり分解したりというような機能性生体高分子の機能がどのように発現しているかを詳細に理解するためには、その分子内部の運動を実時間で、それも1個の分子に対して極めて高い位置決定精度で計測しなければなりません。それを実現できる1つの方法にX線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking: DXT)があります。DXT法は標的となる分子に非常に結晶性の良いナノ結晶(直径15 nm(ナノメートル=10-9メートル))1個を反射鏡代わりに標識し、そこにSPring-8から得られる強力なX線(放射光)を照射して得られるX線回折注2斑点を解析することで、標的とする分子の動きをピコメートル精度で実時間計測するという本研究グループが考案し実現した1分子計測法です。今まで、DNA分子、可溶性タンパク質分子、機能性膜タンパク質分子など多くの1分子動的挙動計測に成功してきました。今までの測定結果から、このDXT法は分子全体のブラウン運動の計測だけではなく、1分子内部にある原子のブラウン運動も計測可能であることがわかってきました。
ブラウン運動は1827年にイギリスの植物学者ロバート ブラウンによって水中における花粉の顕微鏡観察で発見されました。その後この現象は、当時注目されていたアインシュタインの分子運動論を証明することに利用されました。このように、本研究において注目しているブラウン運動は、花粉のような身近な微粒子から1分子に至るまで共通の極めて重要な物理現象であることがわかります。このブラウン運動を詳細に解析することは、機能性生体高分子の動的挙動を理解する上でも同様に重要です。そのような研究姿勢で多くの生体高分子に対して実験を行ったところ、多くの分子上で起こり得る極めて微小な運動現象を確認するに至りました。
【研究成果の内容】
本研究グループでは、タンパク質1分子の動的挙動を研究対象にしています。DXT法により個々の分子内運動を詳細に計測できるということは、生体分子間の相互作用を物理的に検討する場合の重要な指標である生体1分子の相対的な一分子硬さ測定という比較実験も、可能になることを意味します。そこで、まず分子が硬くなったり、軟らかくなったりすることがすでに他の実験で確認されている生体分子系において、本X線1分子追跡法を用いて、一分子硬さ測定できるかの確認実験を進めることにしました。
ここで用いられた:DXT法の原理図を図1に示します。本法の特徴は、1分子内の構造変化及び分子内揺らぎを実時間で、かつpm(ピコメートル、ナノメートルの1000分の1)の精度で計測できる点にあります。直径数十nm程度のナノ結晶を生体分子にその機能を損なわないように特定の部位に標識し、そのナノ結晶にX線を放射することにより出来る回折斑点を指標に、着目した生体分子の動きを時分割トレースします。DXT法において、検出しているのは1分子内の計測したい部位に標識された1つのナノ結晶の運動です。直接分子の運動を見ている訳ではありません。しかし、水溶液のような高粘性条件下では、この標識したナノ結晶と標識されている生体分子の末端部位の運動はほぼ同様の運動であることが分かっています。
本実験で利用したのは、筋肉系の分子であるアクチン繊維注3(図2)です。アクチン繊維を選んだ理由はいくつかあります。例えば、その分子自身がGアクチンという単分子体が対称性の極めて高い繊維状態の多分子体になっており、測定基板に固定する場合にその方向性を考える必要がないことが上げられます。また基板と反応性の高いシステイン基を繊維体の外側に持っているので、比較的簡単に基板に化学固定できます。
アクチン繊維は、Caイオンを含んだ水溶液中とMgイオンを含んだ水溶液中とで硬さが異なることが知られています。また、ファロイジンという蛍光分子がアクチン繊維に標識されると、分子が硬くなることも知られていました。この蛍光分子はアクチン繊維を可視領域の光学顕微鏡で観察するためによく使われる標識分子です。ここでは主にCaイオン含有水溶液中でファロイジン分子を標識した場合としない場合の分子の硬さについて比較することにしました。
上記実験は、大型放射光施設(SPring-8)の 理研構造生物学 II ビームライン(BL44B2)で行ないました。検出器は、X線イメージインテンシファイヤー(蛍光増倍管)を使用し、数ミリ秒のX線パルスを用いて、1秒間で30 m秒積算の30回連続計測をおこないました。測定温度は5℃に設定してすべての実験を行ないました。最初の実験結果を図3に示します。
ブラウン運動の評価は、平均二乗変位量(Mean-square Displacement:MSD)注4と計測時間との相関によってなされます。その相関が直線で結ばれる時は(図4)通常の単純ブラウン運動、飽和曲線になると、ある拘束力が加わったブラウン運動。そして、放物線の関係になれば、一方向からの外力がブラウン運動に加わっていることを示します。
図3の結果を見ると、ファロイジンが標識され硬くなったアクチン繊維は、確かにファロイジンが標識されていないアクチン繊維よりも運動量が小さく、DXT法でも1繊維の硬さ評価ができることが分かりました。しかし、ファロイジンが標識されている場合は直線関係で、標識されていない場合は放物曲線になっています。これは軟らかくなったために、一方向の外力の存在が明確になって、その外力によってブラウン運動が歪んだことを示しています。
この実験のようなナノ空間において発生する外力は、ファンデルワールス力注5や、カシミール効果注6に伴う引力、そしてX線放射圧が考えられます。これらの外力かどうかを検討するためには、計測している分子の大きさを制御すると区別できると考えました。
そのために次の実験として、分子の長さを制御できるβ2—ミクログロブリンというタンパク質分子を用いました(図5)。この分子は水溶液の条件を変化させることで分子の大きさを制御できます。他の計測方法で各条件下での分子の大きさはすでに計測済です。実験結果を図6に示します。今度はすべてが外力の存在を示す放物曲線になりました。また、分子の大きさが大きくなるにつれて、その外力も大きくなることが分かりました。この特徴はファンデルワールス力やカシミール効果に伴う引力には現れません。従って、この外力は、X線放射圧であることが判明しました(図8)。
これら4つの放物線からその外力の大きさを換算することができます。その計算結果を表1に示します。またX線の放射圧を計算して見ますと、0.13 - 0.63 aN(アットニュートン=10-18ニュートン)という力の大きさが算出されました。これは表1にある値とほぼ一致していることがわかりました。図7に力と現象の関係を示します。有名な原子間力顕微鏡(Atomic force Microscope:AFM)が取り扱う力がpN(ピコニュートン=10-12ニュートン)ですから、その6桁下というのは100万分の1の小ささの力場を計測したことになります。
X線の放射圧に関する議論は、天文学において中性子星やブラックホールの説明に今では無くてはならない物理現象です注7。また放射圧現象は、ミクロのスケールにおいても可視領域の光の放射圧を用いた光ピンセットやエバネセント減衰波注8内の放射圧として、多くの研究がなされてきており、先端技術の1つとして利用され始めています。しかし、ナノの世界でX線領域の放射圧の議論は全くされませんでした。今回の現象は、非常に高感度なX線1分子計測法を用いたことにより初めて確認された現象ですから、いかに高精度な計測方法かを示すことが出来たわけです。
【今後の展開】
測定された力の大きさは数aNです。この極めて小さい力を計測できた事は、このレベルの力場を利用できる可能性が出てきたことを示します。例えば、機能発現の活性を制御できる程度に分子をわずかにひっぱったり、タンパク質分子や高分子等の比較的軟らかい物質に対する新しい表面構造解析手法の原理に利用できたり、ソフトに分子を捕まえるトラッピング技術に使える等の可能性があります。aNレベルの力測定という意味では、1分子や1ナノ粒子の質量、分子間相互作用からくる質量変化等の1分子分析技術が水溶液中で可能となるでしょう。
次の実験としては、X線強度との相関等により、定量的な研究を進めなければなりません。表1を見ても分かりますように、まだ得られる数値のエラー幅が比較的大きくなっています。原因を追及してこの数値もできるだけ小さくしていきたいと考えています。また、X線放射圧現象を計測法に利用する場合には、計測できる領域幅や計測時間の高速化、ナノ結晶の形状の制御等も必要な技術となるでしょう。また、同様の現象を電子顕微鏡で確認することも現在研究展開を進めています。よりコンパクトな装置構成での微小圧力の計測法は、放射光施設利用とは別の研究展開が可能になります。
【研究領域等】
この研究テーマを実施した研究領域、研究期間は以下の通りである。
研究領域:たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム
(研究総括:大島泰郎(共和化工株式会社 環境微生物学研究所 所長))
研究課題:X線1分子計測からのin-vivo蛋白質動的構造/機能解析
研究代表者:佐々木裕次 (SPring-8/(財)高輝度光科学研究センター 主幹研究員)
研究期間:平成13年度〜平成18年度
<参考資料>
本計測法は、X線回折像(上の2つのパターン)を動画として初めて利用した1分子追跡法です。
分子の外側に活性なシステイン基があるので、基板表面とも簡単に反応させることが可能。
ファロイジンが標識されると平均二乗変位量(MSD)が小さくなりました。所謂、硬くなったと言えます。かつ、図にあるような直線関係は単純なブラウン運動をしていることを示しています。一方、ファロイジンが標識されない状態では、なにかの外力がアクチン繊維にかかっていることを示しています。この放物曲線の関係から外力の大きさも換算することができます。
飽和曲線(赤)関係は運動範囲が増加しない事から拘束力が働いている運動を示しています。最後の放物線(緑)関係は、一方向の外力が加わって、ブラウン運動が変形していることを示しています。
このタンパク質分子を変性させることで、分子の全体的な大きさ及び長さを調整することができます。
高分解能共鳴光電子スペクトル
すべての条件下で外力の存在が現れています。このタンパク質分子は、変性状態という分子の構造がほどけた状態がどの程度なのかよく理解されている分子なので、変性することで分子の大きさが制御できるのです。。
原子間力顕微鏡(AFM)が取り扱っていた力場の6桁下の現象を検出したことになります。従来の計測機器に比べ驚異的な検出感度です。
計測されているX線の方向が限定されているために、標識されている結晶の方向や標識されている結晶と生体分子の方向についても情報が得られることがあります。
表の中の図にあるように、各条件下で、運動の角運動量が分かれば、放射圧を計測することができます。
<用語解説>
注1:SPring-8(スプリング8)
世界に3台ある第3世代大型放射光施設のうち、日本の播磨にある大型放射光施設の略称(Super Photon Ring 8 GeV)。この施設が利用できるようになって、生命科学から物質科学の極めて多くの分野のサイエンスが進歩しました。特に、生命科学の分野では、生体分子の原子レベルの構造情報を決定することに数多く成功しています。次のターゲットは細胞内で働いているその場での構造情報の取得です。
注2:X線回折
X線は透過能が強く通常の散乱能、反射率は高くありません。しかし、散乱体の結晶構造体の周期性とX線の周期性が合うと高反射率になって、それが方向性に敏感なためにスポットとして現れます。
注3:アクチン繊維
筋肉の主要成分。アクチン繊維はGアクチンと呼ばれる単分子が重なり合って1本のFアクチン(繊維状分子集合体)を形成しています。構造もすでに分かっているので、多くの分野でその機能特性に関する研究が盛んに行われています。
注4:平均二乗変位量(Mean-square Displacement:MSD)
運動の大きさを表す統計処理指標の1つ。ある決まった時間幅の中での運動の始点と終点の距離の二乗(運動の方向性を無視する)の総和量。特に、ブラウン運動のような各時間内ではランダムな運動をしており、その総和的な解析でその特徴が現れる物理現象を取り扱う時に使われる解析因子です。
注5:ファンデルワールス力
原子、分子間などに働く力の一つ。その力は非常に弱いです。この力によって出来る結合を、ファンデルワールス結合と呼びます。この力は、主に中性で無極性な分子内の電子分布であっても常に対称で無極性ではなく、瞬間的には非対称な分布となる場合があり、これによって生じる電気双極子が、同様にして出来た周りの分子の電気双極子同士と相互作用することによって生じます。
注6:カシミール効果
1948年、オランダのフィリップス研究所の物理学者のヘンドリック・カシミールは、平行におかれた二つの無帯電状態の金属板の間に吸引力が働くことを予想しました。この効果による力は、二面間の原子間距離の数倍というふうに、距離が極めて近い場合にのみ計測できる大きさです。通常、fN(フェムトニュートン=10-15ニュートン)からaN(10-18ニュートン)の大きさと言われています。
注7:ブラックホールとX線放射圧
X線天文学の進展によりブラックホールの存在は明確なものになりました。宇宙の中で強いX線を発生しているのは、中性子星やブラックホールと言ったコンパクト星群が有名です。このような天体のエネルギー源は重力エネルギーで、天体の強い重力場によって落ち込んだガスが加熱されて高エネルギーのX線を放射しています。それがブラックホールが多くの物質を吸い込むというSF的な天体として有名になった現象の解釈です。この際、重力場の中心方向と逆向きにかかる力がX線放射圧であり、この力がブレーキの役割をすることで、ブラックホールは安定性を確保しているのです。通常のブラックホールの直径が数十kmと言われていますが、今回の研究対象であるナノ空間では10-12のスケールダウンした空間の現象を観察していることになります。その大きなスケールの違いがあるにも関わらず、全く同じ原因からの力場が確認されたのです。この結果は、全く異分野であったX線天文学と生命科学という研究領域において、その物理的共通性を再認識することになりました。近未来的な展開かもしれませんが、共同的な進展が可能になるかもしれません。このように、科学では共通認識を持つことが、次の新展開において、極めて重要なトリガーとなる場合があります。
注8:エバネセント減衰波
電磁波が物質界面で反射する際に、反射方向とは逆方向に波長の数倍程度のしみ出し効果が知られており、その減衰波を指します。多くは可視領域の波長における分光学的な応用に使われていますが、X線波長領域においてもその現象が確認されており、今後多くの応用展開が期待できる現象です。
<本件に関する問い合わせ先> 財団法人高輝度光科学研究センター 独立行政法人科学技術振興機構 研究推進部 研究第一課 <SPring-8についての問い合わせ先> 財団法人高輝度光科学研究センター |
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