鉄プラチナ薄膜、原子レベルの薄さでも室温垂直磁化を保持 - SPring-8の円偏光軟X線で世界で初めて解明 - (プレスリリース)
- 公開日
- 2007年03月15日
- BL25SU(軟X線固体分光)
平成19年3月15日
国立大学法人 大阪大学
国立大学法人 東北大学
財団法人 高輝度光科学研究センター
大阪大学(総長 宮原秀夫)と東北大学(総長 井上明久)は、財団法人高輝度光科学研究センター(理事長 吉良爽 以下「JASRI」という。)と共同で、磁気ストレージ材料として期待されている鉄プラチナ(FePt)規則合金薄膜が、原子レベルの薄い極限でどのような性質を示すかを、大型放射光施設(SPring-8)の円偏光軟X線を利用することによって世界で初めて解明しました。 (論文) |
研究の背景について
磁気を用いて情報を格納(記録または記憶)するデバイス、すなわち「磁気ストレージデバイス」は、ハードディスクやミニディスク(MD)がこれまでに広く普及しています。今後の技術開発の焦点は、ハードディスクの記録密度・記録速度の飛躍的向上と、磁気ランダムアクセスメモリー(MRAM)に代表される新しい原理に基づく記憶デバイスの開発といえます。
磁気ストレージにおいて、情報は、膜を細かい微小領域に分けて、各領域に磁気をもたせることによって格納されるので、大きく分けて次の2通りの方式のいずれかが用いられます。
• 水平(面内)磁気ストレージ:棒磁石を水平面内に寝かせた形で、「N極が右か左か」によって情報を格納する。
• 垂直磁気ストレージ:棒磁石を膜面に垂直に立たせた形で、「N極が上か下か」によって情報を格納する。
情報を格納できる密度は、一般に垂直磁気ストレージの方が高くなります。このような理由から、垂直磁気ストレージが注目され、基礎から応用まで幅広い研究が行われています。
垂直磁気ストレージ材料の候補として、「鉄プラチナ(FePt)規則合金」(以下、単に「FePt」)が精力的に研究されています。FePtは、鉄(Fe)原子の層とプラチナ(Pt)原子の層とが、1枚ずつ交互に積み重なった規則的な結晶構造(図1参照)を取り、原子層面に垂直な磁化(用語1)が極めて安定なこと大きな特徴です。言い換えるなら、結晶構造に由来した顕著な垂直磁気異方性を持つわけです。記録密度増大のためにサイズを小さくしても磁化が熱的に安定で、記録された情報が保持されると期待され、垂直磁気ストレージ材料の候補として注目されています。FePtに関する論文は、2006年以降だけで米国の応用物理学誌Applied Physics Lettersに 20件、Journal of Applied Physicsに47件にのぼり、注目度が高いことが分かります。
研究の目的について
磁気ストレージ素子の「サイズを小さくする」ためには通常、膜厚も薄くすることが必要です。しかし、極限まで薄い状態でFePt規則合金がどのような性質を示すかは、これまで十分に理解されていませんでした。そのおもな理由は、極限まで薄い磁性層の磁気測定が非常に困難だということです。薄膜の磁気測定に通常用いられる超伝導磁束量子干渉計(SQUID)などの手法を用いても、磁性層が極限まで薄い場合、基板からの大きな信号の上に磁性層からの微小な信号が乗ることになるので、精度の良い測定がきわめて困難になるからです。
本研究では、「原子レベルの薄さのFePt規則合金についてその磁気的性質を解明すること」を目的とし、それを実現するための磁気測定手法として、SPring-8から発生する円偏光軟X線を用いた「軟X線磁気円偏光二色性分光法」が最適であると考えました。
研究手法について
1.試料作製
原子レベルの薄さのFePt規則合金薄膜は、東北大学金属材料研究所の高梨教授らが開発した次の手法で作製しました。まず、表面全体にわたって原子の並び方がそろい、しかも表面の凹凸が原子レベルでほとんどないPt基板を作製します。その上に、Fe原子が表面全体にちょうど1層敷きつめられる量だけ、Feを真空蒸着します。この際、基板の温度を調節して、蒸着されたFe原子が一箇所に固まったり、基板にもぐりこんだりせずに、平らにかつ規則正しく並ぶようにします(図2左)。次に同様にしてPtを原子1層分だけ敷きつめます。これを交互に何回か繰り返すことで、原子レベルの薄さのFePt規則合金薄膜が出来上がります。今回作製した試料では、Fe原子層とPt原子層の組を1 〜 10回積層しました。最後に、空気中に取り出しても酸化しないように、表面保護膜としてPtを蒸着します。
2.SPring-8を用いた軟X線磁気円偏光二色性(XMCD)測定
SPring-8の軟X線固体分光ビームラインBL25SUでは、2連のアンジュレータ(用語2)を用いて、同一軸上で左右の円偏光軟X線を1ヘルツ以上の高速で切り替える「円偏光スイッチング」を世界で初めて実用化しました。高輝度光科学研究センター(JASRI)の室隆桂之副主幹研究員らは、この円偏光スイッチングと計測器を同期させることで高精度のXMCD測定を実現する「円偏光スイッチングXMCD計測システム」(図3)を構築しました。本研究では、試料に磁場を加えた後、磁場ゼロの状態で測定するために、同システムを用いることが必須でした。また、外部からの磁場に対する磁化の耐力(保磁力)も調べましたが、このためには磁場強度を変化させた測定が不可欠で、この測定のためにJASRIの中村哲也主幹研究員らが開発した「電磁石XMCD測定システム」が必須でした。
研究成果について
1.原子レベルに薄いFePt薄膜の垂直磁化の測定に成功しました。SPring-8の円偏光軟X線を用いた磁気円偏光二色性分光の有用性が改めて示されたことになります。
2.Fe原子層とPt原子層の組を3回積層した試料は、室温で垂直磁化を保持するのに対し、それより薄い試料は、室温では垂直磁化を保持しないことが分かりました。即ち、室温でFePt薄膜の垂直磁化が保持される最も薄い限界が1ナノメートルであることが分かったことになります。
3.積層回数が3回より薄い試料も、より低温にすれば、垂直磁化を保持することが分かりました。究極の薄さ、すなわち1枚のFe原子層の上下をPtではさんだ薄膜にいたるまで、磁気的性質の解明に成功し、マイナス110度以下では垂直磁化を保持し、マイナス250度では0.1テスラの保磁力を持つことが明らかになりました。
4.垂直磁化の元となるFePt領域の電子の状態は、Feが1原子層の場合にいたるまで、積層回数の大小によってほとんど変化しないことがわかりました。このことが、積層回数を極限まで薄くしても垂直磁化の特性を持っていることの起源であると考えられます。
今後の発展について
室温で垂直磁化が保持される最も薄い限界が明らかになったことは、今後FePt規則合金をHDDの媒体をはじめとして広く磁気ストレージデバイスに応用する際に必須の情報であり、きわめて重要な意義があります。
FePt規則合金は、次世代の垂直磁気記録方式HDDの媒体材料の有力な候補の一つです。また、磁気ランダムアクセスメモリー(MRAM)や、スピントロニクス(電子のスピンを使って情報処理を行う技術)のデバイス材料に応用される可能性もあります。
磁気ストレージデバイスに応用する際、高密度化、高速化のためには一般に、記録素子のサイズを「小さく、薄く」する必要が生ずると予想されます。また、FePt規則合金の場合は、貴重な貴金属資源を有効活用するために、「薄く」することがPtの消費量を抑えるために役立つと期待されます。
FePt規則合金を用いた垂直磁化素子の最も薄い限界は、今回明らかになった薄さを下回ることはないといえます。この意味で、今回の成果は極めて重要な意義があります。一方、単一素子面積がある程度以上小さくなると、厚さ1 nmまで薄くする前に垂直磁化が保持されなくなるとの予測が成り立つので、今後の研究が必要です。
<参考資料>
鉄原子(青色の球)と、プラチナ原子(銀色の球)が一層ずつ交互に積み重なった規則的な構造になっている。鉄層とプラチナ層の一組分の厚さはおよそ0.4 ナノメートルなので、家庭用アルミホイル程度の厚さでは約3万回積層していることになる。
平坦なPt基板上に真空蒸着でFe原子を1層敷きつめ(左図)、次にPt原子を敷きつめる。これを数回繰り返して原子レベルの薄さのFePt規則合金薄膜を得たのち、最後に表面酸化防止のためにPt保護層を蒸着する(右図)。図は、Fe層とPt層の組を3回積層した場合で、FePt層の厚さは1ナノメートルになる。
左右の円偏光を発生するアンジュレータを連ねて配置し、例えば左回り円偏光を得たいときは、SPring-8の蓄積電子の軌道を、右回り円偏光発生部だけを迂回軌道として右回り円偏光を廃棄する(上図)。上図と下図の状態を時間的に交互に切り替える「円偏光スイッチング」に、計測器を同期させることで、左右の円偏光に対して試料が出す信号の差を検出する。
《参考文献》
SPring-8 BL25SUの軟X線円偏光スイッチングについては、
T. Hara, K. Shirasawa, M. Takeuchi, T. Seike, Y. Saitoh, T. Muro, H. Kitamura, Nucl. Instr. and Meth. A 498 (2003) 496.
SPring-8 BL25SUの円偏光スイッチングXMCD計測システムについては、
T. Muro, Y. Saitoh, H. Kimura, T. Matsushita, T. Nakatani, M. Takeuchi, T. Hirono, T. Kudo, T. Nakamura, T. Wakita, K. Kobayashi, T. Hara, K. Shirasawa, H. Kitamura, AIP Conference Proceedings 705, American Institute of Physics, Melville, NY, 2004, p. 1051.
SPring-8 BL25SUの電磁石XMCD測定システムについては、
T.Nakamura, T. Muro, F. Z. Guo, T. Matsushita, T. Wakita, T. Hirono, Y. Takeuchi and K. Kobayashi, J. Elecron. Spectrosc. and Relat Phenom. 144-147 (2005), p. 1035.
XMCD分光法の原理などについては、
今田真, 菅滋正, 宮原恒, 日本物理学会誌, 55 (2000) 20.
<用語解説>
(用語1) 磁化
(1)磁石になること。磁石になっているものは「磁化している」といいます。(2)磁気を発生させる能力、またその大きさ。すなわち磁石などの磁気を発生させる物質は、「磁化を持っている」といいます。また、その物質が発生させる磁気の大きさを示す量をその物質の「磁化」とよびます。
(用語2) アンジュレータ
高輝度の放射光を発生させるための磁石を並べた装置。放射光を発生する電子蓄積リングで用いられ、磁石列から発生する周期的な磁場が、光速に近い速さで運動する電子に作用することで、高輝度かつ偏光のそろった放射光(X線や軟X線)が発生する。
<本件に関する問い合わせ先> (研究に関すること) (実験手法に関すること) 財団法人高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 <SPring-8についての問い合わせ先> 財団法人高輝度光科学研究センター 広報室 |
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