水銀に隠されていたもうひとつのゆらぎ - 天才物理学者L.D.ランダウの予言を実証 - (プレスリリース)
- 公開日
- 2007年05月08日
- BL04B2(高エネルギーX線回折)
平成19年5月8日
国立大学法人京都大学
国立大学法人広島大学
独立行政法人理化学研究所
財団法人高輝度光科学研究センター
国立大学法人京都大学(総長 尾池和夫)、国立大学法人広島大学(学長 牟田泰三)と独立行政法人理化学研究所(理事長 野依良治)は、財団法人高輝度光科学研究センター(理事長 吉良爽)と共同で、これまで知られていなかった流体水銀の特異なゆらぎを世界で初めて観測することに成功した。ロシアの物理学者L.D.ランダウは、半世紀以上も前に流体水銀に着目し、これを膨張させてゆくと金属から絶縁体への転移が起き、同時に体積の不連続な跳び(一次相転移)が生じるであろうと予言した。しかし、これまでの実験(電気伝導度の測定など)はいずれも、金属から絶縁体への緩慢な変化しか観測することができず、一次相転移を支持する結果は得られなかった。今回我々は、通常の密度(13.6 gcm-3)の水銀を、高温高圧技術を用いて体積が5倍以上になるまで徐々に膨張させながら、SPring-8の放射光によるX線小角散乱測定を行うことに初めて成功した。その結果、まさに金属から絶縁体への転移が起きる密度(9 gcm-3)で、明瞭なX線小角散乱の増大を観測した。この小角散乱強度の増大は、約1ナノメートルのスケールの密な金属領域と疎な絶縁体領域が金属−絶縁体転移領域に出現し、これらが交互にゆらいでいることを示している。このゆらぎは、臨界密度(5.8 gcm-3)で現れる液体-気体臨界散乱によるものとは全く異なるもので、金属‐絶縁体転移に特有の新しいタイプのゆらぎである。金属−絶縁体転移に伴うミクロ構造のゆらぎは、この転移が一次相転移であることを証拠づけるものであり、ランダウの考えが基本において正しかったことを示す。今回の成果は、基礎物理学への大きな貢献であると同時に、金属−絶縁体転移と深い関わりをもつ高温超伝導体など新材料開発のための指針となる。本研究成果は、京都大学の田村剛三郎教授、松田和博助教、広島大学の乾雅祝准教授、理化学研究所の石川大介協力研究員、高輝度光科学研究センターの大石泰生主幹研究員らのグループの共同研究によるもので、米国の科学雑誌「Physical Review Letters」オンライン版(5月4日付)に掲載された。 (論文) |
研究の背景
20世紀前半、金属と絶縁体の違いが、新しく誕生した量子力学に基づくエネルギーバンドという考え方により理解された。孤立原子の中の電子はある決まったエネルギー状態を占めるが、原子が凝集するとエネルギー状態に分布ができバンド(帯)を形成する。全部の価電子(原子の中で一番エネルギーの高い電子)が詰まってもバンドに空きがあるときは金属(図1(a))、バンドがすべて価電子で占められて次のエネルギーバンドの間に電子が占めることができないエネルギーの隙間があるときは絶縁体(図1(b))になる。水銀のように1原子当たり2個の価電子がある場合は、空いたp軌道のバンド(pバンド)がs軌道のバンド(sバンド)と交叉して1つのバンドを形成するときに金属になる(図1(c))。逆に体積を膨張させ凝集している原子を引き離していくと、エネルギーバンドが狭まって、sバンドとpバンドの交叉がなくなり、2価金属は金属から絶縁体へ連続的に変化する。残念なことに、金属結晶では物質そのものを大きく膨張させることが困難であるために、金属から絶縁体へ移り変わる様子を詳しく観察することができない。一方、金属流体では、水に圧力をかけると沸騰を抑えることができるのと同様に、金属液体に圧力をかけながら温度を上げてゆくと、沸騰させることなく、融点から液体とも気体とも区別のつかない超臨界領域を経て、さらに希薄な気体に至るまで密度を連続的かつ大幅に減少させることが可能になる(図2)。
1940年代の初め、ロシアの理論物理学者L.D.ランダウ(1962年にノーベル物理学賞を受賞)は2価の流体水銀に着目し、これを膨張させてゆくと金属から絶縁体への転移が起きること、しかも、電子間の相互作用によってこの転移が体積の不連続な跳びを伴う一次相転移であることを予言した。これに触発され、その後、流体水銀の金属−絶縁体転移に関する実験的研究が数多く行われてきた。しかしながら、いずれの実験も金属から絶縁体への緩慢な変化しか観測することができず、現在に至るまで流体水銀の金属−絶縁体転移が一次相転移であるという確証を得ることができなかった。
このような中で、京都大、広島大、理研とJASRI/SPring-8の研究チームは、独自に開発した高圧容器を用いSPring-8の放射光を利用することにより、流体水銀の構造(X線回折測定により短・中距離構造、X線小角散乱測定により長距離構造、非弾性X線散乱測定により動的構造)研究を行ってきた。この研究は、文科省科研費・特別推進研究(2)「放射光を用いた超臨界金属流体の静的・動的構造の解明」ならびにSPring-8長期(旧第一回特定)利用課題の一貫として進められた。
研究成果の内容
流体水銀の体積を大きく膨張させながら、X線小角散乱測定をSPring-8の高エネルギーX線回折ビームラインBL04B2において実施した。その結果、金属−絶縁体転移領域(9 gcm-3)で明瞭な小角散乱強度の増大を観測し、密度のゆらぎによる不均一構造を捉えることに初めて成功した。我々は、液体−気体臨界点(5.8 gcm-3)近傍で観測される臨界散乱に適用されるオルンシュタイン−ゼルニケの理論を用いて、金属−絶縁体転移領域の不均一構造を評価した。小角散乱スペクトルから密度ゆらぎの大きさS(0)と密度ゆらぎの相関距離ξを算出し、密度に対してプロットした(図3(a)、(b))。図から明らかなように、S(0)とξは、臨界点近傍で明瞭な圧力依存性を示し、圧力が高くなり臨界点から遠ざかるにつれて小さくなる。この振る舞いは、臨界点近傍のゆらぎによく見られる変化である。これとは全く対照的に、金属−絶縁体転移領域(9 gcm-3付近)では、S(0)とξは全く圧力依存性を示さない。このことは金属−絶縁体領域のゆらぎが、臨界点近傍のゆらぎとは異なる起源をもつことを暗示する。実際、密度ゆらぎの大きさと密度ゆらぎの相関距離から短距離相関距離Rを導出することによってこのことを明瞭に示すことができる(図3(c))。図から明らかなように、臨界点近傍では、臨界散乱が大きいにもかかわらず、Rは密度に対してスムーズに変化し、臨界密度で特段変わったことは起きていない。一方、金属−絶縁体転移領域に近づくとRは徐々に大きくなりちょうど9 gcm-3付近で極大を示す。この対照的な振る舞いから、金属−絶縁体領域のゆらぎが臨界点近傍のゆらぎとは全く別起源のものであること、さらに、転移領域の Rの値が大きいことから、このゆらぎが一次相転移に基づくものであることが結論できる。詳しく解析した結果、金属−絶縁体転移に伴うゆらぎは、約1ナノメートル(nm)の広がりをもつ密な領域と疎な領域が現れ、それらが時々刻々と変化することによって生じたものであり、しかも、密な領域は金属的、疎な領域は絶縁体的であることが判明した。このことは、不連続な変化を伴う一次相転移が、ナノスケールのゆらぎとして流体水銀中に起きていることを意味する(図4(a))。一方、大きな臨界散乱が観測される液体−気体臨界点近傍では、同様に密な領域と疎な領域が現れるものの、密な領域の密度も9 gcm-3以下で、ほぼ一様に絶縁体的な不均一な構造である(図4(b))。このように、膨張する流体水銀の中で起きる金属−絶縁体転移は、ランダウが予言したように一次相転移であること、さらに転移領域では特異なゆらぎ構造が出現していることが本研究によって初めて明らかになった。
今後の展開
流体水銀の金属−絶縁体転移は、原子間距離の一様な増大に伴うバンド交叉型の連続的な転移(図1(c))であるとこれまで一般的に考えられてきた。しかし今回の精密な放射光実験によって、この現象はそのように単純なものではなく、これまで知られていなかったゆらぎを伴うものであることが明らかになった。このゆらぎの背後にはさらに豊かな内容が隠されていると思われる。そこでは、電子の役割すなわち電子系の密度が大きく減少したことによる電子間相互作用の重要性が格段に増しており、金属−絶縁体転移の際には、電子とイオンの相互作用を通して何らかの構造不安定性が生じているものと予想される。実験的・理論的研究をさら深めることによって、現象の奥に潜む思いがけない姿が浮かび上がってくる可能性がある。
最近、電子相関が重要な役割を担う固体の金属−絶縁体転移において、転移点近くの金属状態がもつ異常な性質と高温超伝導体との強い関連性が指摘されており、転移点近くの金属状態には予想もできない多様性が隠されているという認識が多くの研究者の中にある。固体であれ流体であれ、金属−絶縁体転移という現象を様々な角度から探求しそのメカニズムを徹底的に解明することは、これまでにない新しい概念・指針の創出、新たな高温超電導体の開発など物質・材料科学の大きな発展を促すことになる。
<参考資料>
矢印のように温度と圧力を変えてゆくと、液体から超臨界点を回り、気体まで密度を連続的にかつ大幅に変えることができる。○は液体-気体臨界点。黒い実線は、横に示された密度の温度、圧力点を結んだ等密度線。金属-絶縁体転移が起きる等密度線は赤い実線で示されている。
(a) 金属-絶縁体転移領域のある瞬間の原子分布。正面は縦横それぞれ5ナノメートル、奥行きは1ナノメートル。赤紫色は局所密度が高い金属的な原子、水色は絶縁体的な原子を表す。中央付近に直径約1ナノメートルの黄色い破線で囲まれた金属的な領域が、やや離れたところに白い破線で囲まれた絶縁体的な領域が存在している様子がわかる。
(b) 液体-気体臨界点近傍のある瞬間の原子分布。直径約1ナノメートルの白い破線で囲まれた密な領域もほとんど絶縁体的な原子から構成されている。
<用語解説>
◆ 量子力学
原子や電子などのミクロな物質が従う運動法則を記述した力学。ニュートンらによって確立された力学では、原子や電子などのミクロな物質の運動を記述できないことが19世紀末から明らかになってきて、20世紀前半にシュレディンガー、ディラック、ハンゼンベルグらにより確立された。
◆ L.D.ランダウ
旧ソビエト連邦(現ロシア)の理論物理学者。多くの顕著な業績の中でも、ヘリウムの超流動の研究やフェルミ液体理論は有名。1962年ノーベル物理学賞受賞。研究業績に加えて、ランダウとリフシッツにより執筆された理論物理学教程は、物理学者のバイブルと言われている。
◆ 一次相転移
固体の融解や液体の気化のように不連続な体積変化を伴う状態変化を一次相転移という。
◆ X線小角散乱
X線を物質に照射し、その散乱されるX線のうち、散乱角が比較的小さい領域測定する手法をX線小角散乱法という。例えば、超臨界流体のような系では、その中・長距離構造を、粗密な領域からなる不均一構造(密度ゆらぎ)や、密度ゆらぎの相関距離といった構造パラメータにより定量的に評価することが可能である。
◆ 臨界散乱
液体−気体の臨界点近傍の大きなスケールの不均一構造により発生する強い散乱。可視光を照射すると強い散乱により透明だった液体が白濁して見える現象(臨界白濁)が、X線を照射すると小角散乱強度の急激な増大が観測される。
◆ オルンシュタイン−ゼルニケの理論
流体中の原子間に働く力が、ある注目する原子対の間に働いている力が、原子対の間に直接働く力と、3番目の原子を介して間接的に働く力に分けて考えられることを提唱した理論。この理論では、原子対に直接働く力は短距離にしか及ばないと仮定して、3番目の原子を介した間接相互作用が増大するために液体−気体の臨界点近傍で原子間の相互作用が発散的に大きくなると考える。
◆ 密度ゆらぎの大きさ
流体中にある微小な領域を考えたとき、その微小領域の密度が流体全体の平均密度からどれくらいずれているかを表す指標。平均密度に対する微小領域の密度の差の2乗を平均密度で規格化して表される。密度ゆらぎの結果、時々刻々変化する不均一構造が出現する。
◆ 密度ゆらぎの相関距離
ある微小領域の密度が変動したとき、その影響がおよぶ距離。液体−気体臨界点近傍では、ある地点の密度変化の影響が非常に遠くまで及ぶ。
◆ 短距離相関距離
オルンシュタイン−ゼルニケの理論によれば、液体−気体臨界点近傍では、密度ゆらぎの大きさと密度ゆらぎの相関距離は発散的に大きくなるが、密度ゆらぎの相関距離を密度ゆらぎの大きさの平方根で割って得られる短距離相関距離は大きな密度変化を示さない。これは原子対に直接働く力が短距離にしか及ばないというオルンシュタイン−ゼルニケの仮説を反映したものである。
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