大型放射光施設 SPring-8

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生物の活性酸素を除去する新たなしくみを発見 - 原始生命の抗酸化システムに学ぶ -(プレスリリース)

公開日
2008年04月22日
  • BL41XU(構造生物学I)
 独立行政法人 産業技術総合研究所 セルエンジニアリング研究部門 細胞分子機能研究グループ 中村 努 主任研究員と国立大学法人 大阪大学大学院工学研究科 井上 豪 教授らのグループは共同で、原始的な微生物において活性酸素を除去するタンパク質の反応を解析し、その新しいしくみを発見した。従来のメカニズムとは異なり、これまで天然物からは発見されていなかった超原子価化合物が重要な役割を果たしていることが確認された。

2008年4月22日
独立行政法人 産業技術総合研究所

本研究のポイント
○ タンパク質の酸化反応の新しいメカニズム
○ 人工物でしか知られていなかった超原子価化合物を天然物から初めて発見
○ 生物に学ぶ新規化学合成法のためのヒント

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)セルエンジニアリング研究部門【研究部門長 三宅 淳】細胞分子機能研究グループ【研究グループ長 三宅 淳(兼務)】中村 努 主任研究員と国立大学法人 大阪大学大学院工学研究科 井上 豪 教授らのグループは共同で、原始的な微生物において活性酸素※1を除去するタンパク質の反応を解析し、その新しいしくみを発見した。従来のメカニズムとは異なり、これまで天然物からは発見されていなかった超原子価化合物※2が重要な役割を果たしていることが確認された。
 この発見は、タンパク質の酸化反応の新たなメカニズムであり、酸化ストレスに関する医療技術への応用が期待されるとともに、有機合成化学において新たな手法の開発にも寄与する。
 本研究成果は、平成20年4月24日(米国東部時間)に、米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)電子版に掲載された。また、平成20年4月29日(米国東部時間)に印刷版が発行された。

(論文)
"Oxidation of archaeal peroxiredoxin involves a hypervalent sulfur intermediate"
Tsutomu Nakamura, Takahiko Yamamoto, Manabu Abe, Hiroyoshi Matsumura, Yoshihisa Hagihara, Tadashi Goto, Takafumi Yamaguchi, and Tsuyoshi Inoue
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 105, 6238-6242 (2008)
Published 29 April 2008

抗酸化タンパク質(エアロパイラム・ペルニクス(Aeropyrum pernix)由来ペルオキシレドキシン(Peroxiredoxin))の立体構造 抗酸化タンパク質(エアロパイラム・ペルニクス(Aeropyrum pernix)由来ペルオキシレドキシン(Peroxiredoxin))の立体構造
赤丸は過酸化水素で酸化されるシステイン残基を示す。

 

研究開発の社会的背景
 酸素は呼吸などの生命活動に必須のものであるが、紫外線照射や酸素呼吸の副反応により、活性酸素という強力な酸化作用をもった物質にもなる。活性酸素による細胞へのダメージは酸化ストレスと呼ばれ、ガン、糖尿病、動脈硬化、アルツハイマー病などの疾患や老化にかかわるといわれている。酸化ストレスを防御するための医療技術の開発には、あらゆる医療技術がそうであるように、実際に生命がどのように防御しているかに学ぶことが重要である。生命は活性酸素による酸化ストレスから細胞を防御するために、さまざまな抗酸化タンパク質を備えるように進化してきた。これら抗酸化タンパク質※3がどのように進化してきたのか、どのようなメカニズムで活性酸素を除去するのかという問題は、医療技術の発展を考える上で本質的かつ重要なテーマである。
 地球上に生命が誕生したとき、地球大気に酸素は蓄積していなかった。しかし大気に酸素が蓄積してくると、活性酸素による障害の除去が生存のための必須の条件となった。原始生命が活性酸素除去という生理機能を獲得したとき、その生理機能はどのようなメカニズムで作用していたのかという問題に取り組むためには、古細菌※4の抗酸化タンパク質はたいへん有効な研究材料である。なぜならば、古細菌と大きく分類される生物群は、遺伝子研究から、現存の生物では生命の起源に最も近いと考えられているからである。

研究の経緯
 産総研では、耐熱性タンパク質※5の産業利用を目指して、温度90℃以上で生育する超好熱性古細菌※4由来のタンパク質の研究を行ってきた。古細菌は一般に嫌気性のものが多いが、例外的に好気性のものがあり、活性酸素による酸化ストレスから自身を防御するシステムを持っていると期待される。好気性超好熱性古細菌 エアロパイラム・ペルニクス(Aeropyrum pernix※6がそれで、産総研では地球上最古の抗酸化システムにせまるため、この古細菌内での抗酸化システムの解析を行ってきた。一方、大阪大学では薬剤開発を目的としたタンパク質の立体構造解析の研究を行ってきた。
 両者は共同でこれらの研究をベースにして、この古細菌の抗酸化システムにおいて活性酸素の一種である過酸化水素を除去するタンパク質の立体構造を明らかにし、除去反応(タンパク質の酸化反応)にともなう立体構造の変化に着目した。
 本研究は、文部科学省 タンパク3000プロジェクト 代謝系グループ「結晶化の研究」(平成17~18年度)および文部科学省 科学研究費補助金 特定領域研究「生体超分子の構造形成と機能制御の原子機構」(平成18~19年度)の支援を受けて行ったものである。結晶構造解析のためのX線源には、財団法人 高輝度光科学研究センターによる研究課題採択のもと、大型放射光施設SPring-8構造生物学IビームラインBL41XUの放射光を利用した。

研究の内容
 本研究では、タンパク質のX線結晶解析および量子化学計算の手法を用い、古細菌エアロパイラム・ペルニクス(Aeropyrum pernix)で過酸化水素(活性酸素の一種)を除去する抗酸化タンパク質ペルオキシレドキシン(Peroxiredoxin)※7(以下「Prx」という、図1)の化学構造の変化を追跡した。Prxによる過酸化水素の除去は、Prx自身の一部であるシステイン残基(図1(c)の赤丸で示す)が過酸化水素で酸化されることによって進行する。
 これまでの常識的メカニズムでは、タンパク質のシステイン残基の酸化はシステインスルフェン酸※8を中間体として起こると考えられていた(図2(a))。しかしPrxでは今まで考えられていなかったメカニズムで酸化反応が起こっており、システイン残基と近傍にあるヒスチジン残基により形成されるスルフラン※9誘導体を反応中間体とすることを発見した(図2(b))。これは酸化反応中間体のX線結晶解析により、スルフラン誘導体と合致する分子構造が観測されたことにより結論づけられたものである(図3)。
 スルフランとは超原子価化合物の一種である。超原子価化合物は、反応化学・合成化学の分野でさまざまな用途に使われる有用な化合物である。これまでに確認された超原子価化合物はすべて化学合成によって得られたもので、天然物から見つかったことはなかった。この発見は、今まで人工物としてのみ認識され利用されてきた超原子価化合物が、実は生物によっても利用されていたことを初めて示すものである。
 通常、化学反応の中間体は不安定で、X線結晶解析によってその姿が捉えられることは極めて稀である。本研究において反応中間体の構造を明らかにできたのは、特殊な方法を用いたことによる。その方法とは、タンパク質結晶を過酸化水素含有の母液に浸し引き上げた後、冷却窒素ガス(約 -190℃)で凍結し、SPring-8の放射光を用いてX線結晶解析を行ったというものである。溶液中の反応とは違い、結晶内の反応では、結晶を母液から除くことで容易に反応を停止できるため、過度の反応を防止することができる。さらに、反応停止後ただちに冷却することで不安定な反応中間体を固定することができ、不安定な反応中間体の構造を観測することができた。
 本発見は、抗酸化タンパク質による活性酸素除去の従来知られていなかった新しいメカニズムを明らかにしたものであり、酸化ストレスに対する医療技術を開発する上で大きな知見を加えるものである。タンパク質の酸化反応は活性酸素除去にとどまらず生物界において頻繁に見られる現象である。本発見はそのような一般的な現象についても新しいモデルを提唱している。
 また超原子価化合物の合成という面に着目すると、今回明らかになった反応経路(スルフラン類を中間体とする硫黄原子の酸化反応)は、硫黄原子を含む医薬品開発や有機工業化学の分野で新規合成法を開発するヒントとなり、有機化学の分野でも「原始生命に学ぶ」ことができるということを示したといえる。
 本研究では、地球大気に酸素が蓄積し始めた初期の原始的な抗酸化システムの姿を知るために、好気性超好熱性古細菌由来のタンパク質の反応を解析した。その原始的な系で新たな活性酸素除去のしくみが発見されたことは興味深い。

今後の予定
 本研究によって発見された新たな活性酸素除去のしくみは、酸化ストレスによるガン化や老化をターゲットとした医療技術への応用が期待できる。また、硫黄原子の酸化反応に新たな手法を与えることによって新規合成法の開発にも寄与すると考える。今後は、これらの医療・産業応用についてさらに研究を進めていく。


<参考資料>

図1 抗酸化タンパク質(Aeroyrum pernix由来ペルオキシレドキシン)の立体構造 図1 抗酸化タンパク質(Aeroyrum pernix由来ペルオキシレドキシン)の立体構造
(a) 250個のアミノ酸で分子を構成 (b) 2分子が会合して二量体を構成 (c) 二量体5個が会合してリング状の十量体を構成
図2 タンパク質(システイン残基)の酸化のしくみ 図2 タンパク質(システイン残基)の酸化のしくみ
(a)は従来の酸化反応モデルで、システイン残基はシステインスルフェン酸に酸化される。このとき硫黄原子Sは8個の原子価電子を有する。(b)は本研究により発見された新たなモデルで、システインは近傍のヒスチジン残基が関与する酸化反応により、中間体として硫黄原子Sは10個の原子価電子を有するスルフラン誘導体という化合物になる。(a) (b)いずれの反応中間体も、さらにシステインスルフィン酸に酸化されるか、ジスルフィド結合※10を形成する経路へと進む。ジスルフィド結合は同一のタンパク質分子内で形成されることもありうるが、ここでは異なるタンパク質との分子間ジスルフィド結合を図示した。
図3 新たな酸化反応中間体(スルフラン誘導体)の構造 図3 新たな酸化反応中間体(スルフラン誘導体)の構造
X線結晶解析によって得られた酸化反応中間体の構造。システイン残基(C50)とヒスチジン残基(H42)が近傍に配置した結合(N-S結合)が見られる。球は原子を表し、それぞれの種類は以下の通りである。紫:炭素C、青:窒素N、黄:硫黄S、赤:酸素O

<用語解説>

※1 活性酸素
 化学的に活性になった酸素。過酸化水素やヒドロキシラジカルなどがある。核酸や脂質などの生体分子を酸化することによってダメージを与え、ガン化や老化にかかわるとされている。

※2 超原子価化合物
 hypervalent化合物とも呼ばれ、オクテット則を超えた原子価電子数を有する典型元素化合物の総称。脱水反応・エポキシ合成・ニトリル合成など、さまざまな有機合成反応に効果がある。リン原子を含む超原子価化合物に「ウィティッヒ試薬」が知られており、この発見にはノーベル化学賞(1979年)が授与された。硫黄原子を含む超原子価化合物に「スルフラン」がある。

※3 抗酸化タンパク質
 活性酸素を無毒化するタンパク質の総称。抗酸化タンパク質自身が活性酸素と反応してこれを除く、活性酸素の分解反応を触媒する、などのメカニズムではたらく。ペルオキシレドキシン以外に、カタラーゼやスーパーオキシドディスムターゼなどのタンパク質がある。

※4 古細菌、超好熱性古細菌
 地球上の生物は大きく3種類(古細菌・真核生物・真正細菌)に分類される。これらの中では古細菌が最も原始生命に近いとされている。古細菌の中には100℃程度の高温でも生育する種も多く、それらは超好熱性古細菌と呼ばれる。

※5 耐熱性タンパク質
 熱に対して耐性のあるタンパク質。通常のヒトや大腸菌などの産出するタンパク質は、高温になれば立体構造が壊れ、その機能を失う。しかし、高温環境で生育する生物が産出するタンパク質は、その生育温度でも機能を持つ。例えば100℃程度で生育する超好熱性古細菌のタンパク質は100℃という高温でも立体構造・機能を失わない。これらのタンパク質を耐熱性タンパク質という。

※6 エアロパイラム・ペルニクス(Aeropyrum pernix
 超好熱性古細菌に属する生物の一種。京都大学等によって鹿児島県小宝島の近海で採取され、ゲノム配列も明らかにされている。至適生育温度90~95℃で、超好熱性古細菌としては例外的に好気性であるため、抗酸化機構の研究に適した生物であり、地球最古の抗酸化システムに類似した機構を備えていると考えられる。

※7 ペルオキシレドキシン (Peroxiredoxin、 Prxと略される)
 抗酸化タンパク質の一種。このタンパク質を構成するアミノ酸の一種であるシステイン上で酸化還元反応が起こる。細胞内では、過酸化水素と反応することにより還元型→酸化型と変化し、その後チオレドキシンなどの還元剤と反応することにより酸化型→還元型と変化する。ほ乳類においては、シグナル伝達物質として作用する過酸化水素の濃度調節を担う機能も持つ。

※8 システインスルフェン酸 (Cysteine sulfenic acid)
 側鎖が-CH2-SOHのアミノ酸。システインが酸化して生成する。水中では容易に酸化され、システインスルフィン酸(-CH2-SO2H)を生成する。また、チオール基(-SH)と反応することによりジスルフィド結合を形成する。

※9 スルフラン
 硫黄を含む超原子価化合物のひとつ。ピラミッドを二つ重ねたような形をしている。ニトリル化反応や脱水反応など、いろいろな化学反応の反応剤として使用される。本研究における反応中間体はスルフラン誘導体で、その正式名称は(hydroxy-imidazolyl-λ4-sulfanyl)methaneである。

※10 ジスルフィド結合
 R1-S-S-R2で示される硫黄原子2個を含んだ共有結合。タンパク質では2個のシステイン残基がこの結合に関与して立体構造の安定性に寄与している。チオレドキシンなどのタンパク質では、ジスルフィド結合のon-offにより酸化還元状態のスイッチングが行われている。R1とR2が同じ分子である場合と異なる分子である場合がある。


<問い合わせ先>
(研究に関すること)
独立行政法人 産業技術総合研究所
セルエンジニアリング研究部門 細胞分子機能研究グループ
 主任研究員 中村 努
  TEL:072- 751-9272
  E-mail:メールアドレス1

(取材窓口)
独立行政法人 産業技術総合研究所
関西センター 関西産学官連携センター
 担当 巽 一、田中 隆裕
  TEL:072-751-9606 FAX:072-751-9621 
  E-mail:メールアドレス2

(SPring-8に関すること)
財団法人高輝度光科学研究センター 広報室
  TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
  E-mail: kouhou@spring8.or.jp