ゲノムに変化をもたらす新たなDNA組換えの抑制機構を解明 -進化をもたらす遺伝情報の多様化と現状維持の分岐を制御- (プレスリリース)
- 公開日
- 2008年11月18日
- BL26B2(理研 構造ゲノムII)
2008年11月18日
独立行政法人理化学研究所
本研究成果のポイント
○ DNA組換えを抑制する新規 DNA切断酵素「MutS2」を同定、構造と機能を解析
○ 組換え反応の初期に中間体の切断でDNA組換えを抑制
○ 生命の進化や病気のリスク回避など、生命の重要な選択を解く鍵を得る
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、85℃という高温で生育し、進化の起源に近いと考えられる高度好熱菌サーマス・サーモフィラス※1を利用して、生命現象の根幹であるDNA組換え反応※2の初期の中間体構造を好んで切断する酵素を同定し、新規のDNA組換え抑制機構を明らかにしました。この機構は、ゲノム情報(遺伝情報)の安定化に寄与するもので、進化か危機回避かの生命の重要な選択を制御すると考えられます。これは、理研放射光科学総合研究センター(石川哲也センター長)放射光システム生物学研究グループの福井健二研究員、北村吉章リサーチアシスタント、倉光成紀グループディレクターらが「高度好熱菌丸ごと一匹プロジェクト※3」で行った研究成果です。 (論文) |
1.背 景
研究グループは、タンパク質をはじめとする生体分子の立体構造と機能に基づいて、1つの細胞におけるすべての生命現象を、システム全体として理解しようと研究を展開しています。1999年には「高度好熱菌丸ごと一匹プロジェクト」を立ち上げ、(1)遺伝子数が約2,200と少ない(ヒトは約23,000個、大腸菌は約4,500個)(2)厳しい環境に生きているためタンパク質が丈夫(3)遺伝子を操作する方法が確立されている、などの特徴から、モデル生物として、85℃という極限環境で生育できる高度好熱菌サーマス・サーモフィラスHB8株を選びました。サーマス・サーモフィラスHB8株は、あらゆる生物に共通して存在しいまだに役割がわからない約500種類のタンパク質を持っています。従って、これらのタンパク質の機能を明らかにすることは、サーマス・サーモフィラスHB8株細胞内のすべての生命現象をシステム全体として理解するために欠かせないだけでなく、ヒト由来タンパク質のように、解析が困難なタンパク質の機能の理解につながることになります。
生命の遺伝情報はDNAに書き込まれており、これが書き換えられることは進化の原動力となる一方で、細胞死や老化、がん化の危険性を伴います。従って、細胞内のDNAは、さまざまな要因により絶えず書き換えの機会を得ると同時に、書き換えを防ぐ多様な機構を備えています。遺伝情報の書き換えの要因の1つは、一方のDNAの情報と他方のDNAの情報を入れ換える「DNA組換え」と呼ばれる反応です。この反応は、細菌においては外来DNAの取り込みによる新しい薬剤耐性遺伝子の獲得、ヒトにおいては減数分裂期(精子や卵などの生殖細胞ができるときに起きる細胞の分裂期)の相同染色体(2個ずつ対になっている同形同大の染色体)の入れ換えなど、遺伝情報の多様化になくてはならないものですが、同時に、細胞死やがん化の危険性を伴うため、厳密に制御される必要があります。
研究グループは、サーマス・サーモフィラスHB8株の機能未知のタンパク質に注目し、X線結晶構造解析および生化学的手法を用いて、DNA組換え制御機構の解析を行いました。
2.研究手法と成果
(1)新たなDNA組換え抑制酵素「MutS2タンパク質」を同定
細菌が、組換え反応により外来のDNAを自身のゲノムに取り込むと、薬剤に対する耐性を獲得します。従って、薬剤耐性株の出現率を調べると、DNA組換え反応の効率がわかります。研究グループは、この方法を用いて、サーマス・サーモフィラスHB8株由来のmutS2遺伝子欠損株と、野生株の組換え反応の効率を比較しました。mutS2遺伝子欠損株は、野生株より高い組換え効率を示し、機能未知のタンパク質MutS2が細胞内でDNA組換えを抑制していることが明らかになりました(図1)。このタンパク質は、それまで知られていたDNA組換え抑制酵素が持つアミノ酸配列と似ていなかったため、新たな組換え抑制機構の酵素として働くと考えました。
(2)原子レベルの分解能でMutS2タンパク質をイメージング
大型放射光施設SPring-8の理研構造ゲノムII ビームラインBL26B2を用いて、MutS2タンパク質のX線結晶構造を解析しました。その結果、MutS2タンパク質の部分構造は、既知のDNA/RNA切断酵素と非常によく似ていることが判明しました(図2)。さらに、生化学的な手法を用いてMutS2タンパク質によるDNAの切断活性を調べたところ、MutS2タンパク質は、2本鎖DNA、特にDNA組換え反応における初期の中間体構造を好んで切断しました(図3)。これらの結果から、MutS2タンパク質が、反応の中間体を切断するという、これまで知られていなかった直接的で新規な組換え抑制機構(図4)を見いだしたことになりました。
DNA組換えによってもたらされるゲノムの変化は、進化の原動力となりますが、それは同時に細胞死やがん化など生命の危機を伴うものです。DNAを組換えて新たな遺伝情報を獲得して進化するのか、それとも現状を維持して生き延びるのか、生命にとって重要な選択をコントロールするのがMutS2タンパク質といえます。
また、MutS2タンパク質のDNA/RNA 切断酵素と似た領域に相当するタンパク質は、細菌からヒトまでほとんどすべての生物に保存されていますが、そのすべてが機能未知のタンパク質です。今回の解析結果は、それらのタンパク質の細胞内での役割についても手がかりを与えるものとなりました。
3.今後の期待
ヒトでは、MutS2タンパク質部分構造とアミノ酸配列が、非常に似た部分構造を持ったタンパク質「BCL3 - 結合タンパク質」が存在します。BCL3タンパク質は、ヒトの乳がんやマウスの皮膚がんなど、がん化した細胞において発現量が増加していることが知られており、BCL3 - 結合タンパク質のゲノム安定性維持機構への関与が疑われています。アミノ酸配列の高い相同性は、同じ機能を持つことを示唆するため、ヒトなどの高等生物においても、高度好熱菌と同様の反応機構がゲノム情報の維持を担っている可能性が考えられます。
高度好熱菌に存在する約500種類の「あらゆる生物に共通して存在しながら機能のわかっていないタンパク質」の機能を明らかにすることは、細胞内のあらゆる生命現象をシステムとして理解することに必須であり、それは同時に、ヒトを含めた高等生物における生命現象の理解にもつながると期待されます。
<参考資料>
細菌は、細胞外のDNAを、相同組換えにより自身のゲノムに取り込む。そのため、薬剤耐性遺伝子を含むDNAを細菌に与えると、相同組換えの効率に応じて、薬剤に対する耐性を示す細菌が出現する。この図では、与えた薬剤耐性遺伝子のDNA量に対する薬剤耐性菌の出現数を縦軸に示した。サーマス・サーモフィラスHB8野生株(赤)に比べて、mutS2遺伝子破壊株(青)は、高い薬剤耐性菌出現率を示した。このことから、MutS2タンパク質が相同組換えの効率を下げる働きをしていることが示唆された。
(左)MutS2タンパク質の部分構造。(中)大腸菌のRNA分解酵素 RNase Eの部分構造。(右)ウシのDNA分解酵素DNase Iの触媒ドメイン。3者はよく似た構造を持っていた。
MutS2タンパク質を、通常のDNAである直鎖状DNA、または相同組換え反応の途中で生じる分岐した構造を持つDNAと反応させた。MutS2タンパク質は、直鎖状DNAをほとんど切断しなかったが、分岐DNAを強く切断した。
DNA組換え反応の開始により、青いDNA鎖が赤いDNA鎖にもぐり込み、分岐したDNA構造が形成される。MutS2タンパク質は、分岐DNA構造に結合し、DNA鎖を切断することで組換え反応の進行を阻害する。
<用語解説>
※1 高度好熱菌サーマス・サーモフィラス
静岡県伊豆半島にある峰温泉から発見された、85℃という極限環境で生育できる細菌(バクテリア)。熱水中で生きている細菌(好熱菌)は全生物の共通祖先に近い位置にあり、原始生命の基本的特徴が凝縮されているといわれている。好熱菌の細胞内の生命現象を理解することは、ヒトを含めたあらゆる生物の基本を理解することにつながると考えられている。
※2 DNA組換え反応
DNAの交換反応のことで、相同なDNA配列間で起こる組換えは相同組換えと呼ばれる。相同組換えはDNA修復にも用いられるが、ヒトの配偶子形成時の対合した染色体(減数分裂で相同染色体が平行に並び互いに接合して二価染色体を形成すること)間でのDNAの交換、細菌の外来DNAの取り込みによる薬剤耐性能の獲得など、遺伝情報の多様化にも必須の反応である。
※3 高度好熱菌丸ごと一匹プロジェクト
高度好熱菌サーマス・サーモフィラスHB8株を地球上のあらゆる生物の代表(モデル生物)とし、DNA、タンパク質、糖質、脂質、そのほかの低分子の構造と機能に基づいて、1つの細胞におけるあらゆる生命現象をシステムとして理解する学問基盤の構築を目指すプロジェクト。このプロジェクトは以下の4段階で進行すると想定しており、SPring-8においてはイメージングに関連した研究を行う。
第1段階:タンパク質など細胞を構成する分子の、1つの細胞全体の立体構造解析
第2段階:タンパク質など細胞を構成する分子の、1つの細胞全体の機能解析
第3段階:細胞内のそれぞれのシステム(複数分子のネットワーク関係)の解析
第4段階:細胞全体のシミュレーション
※4 大型放射光施設 SPring-8(スプリングエイト)
理研が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の大型放射光施設。SPring-8 の名前は Super Photon ring-8 GeV に由来する。放射光(シンクロトロン放射)とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する、細く強力な電磁波のことである。SPring-8では、遠赤外から可視光線、軟X線を経て硬X線に至る幅広い波長域で放射光を得ることができるため、原子核の研究からナノテクノロジー、バイオテクノロジー、産業利用や科学捜査まで幅広い研究が行われている。SPring-8は日本の先端科学・技術を支える高度先端科学施設として、日本国内外の大学・研究所・企業からの年間1万4,000人以上の研究者によって利用されている。
(問い合わせ先) システム生物学統合研究チーム 播磨研究所 研究推進部 企画課 (報道担当) (SPring-8に関すること) |
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