細胞の中を3次元観察できる新タイプのX線顕微鏡を開発 - ヒト染色体のX線CT撮影に世界で初めて成功 -(プレスリリース)
- 公開日
- 2008年12月24日
- BL29XU(理研 物理科学I)
2008年12月24日
独立行政法人理化学研究所
本研究成果のポイント
○細胞の中を高いコントラストで3次元観察するX線イメージング技術が登場
○ヒト染色体内部の軸状構造を、特定のタンパク質を標識することなく初観察
○X線自由電子レーザーを使った医学応用への期待
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、細胞の内部構造を高いコントラストで丸ごと3次元観察することのできる新しいタイプのX線顕微鏡※1を世界で初めて開発し、ヒト染色体の内部構造を観察することに成功しました。これは、理研放射光科学総合研究センター(石川哲也センター長)石川X線干渉光学研究室の西野吉則専任研究員、高橋幸生客員研究員(大阪大学特任講師)、石川哲也主任研究員、および理研基幹研究所(玉尾皓平所長)今本細胞核機能研究室の前島一博専任研究員、今本尚子主任研究員の研究成果です。 (論文) |
1.背 景
細胞や細胞小器官を顕微鏡で観察するとき、それらを構成する特定のタンパク質を標識または染色し、観察しやすくする方法がしばしば用いられます。しかし、この方法では、標識や染色をされた構造は、コントラストが強調されて可視化することができますが、それ以外の構造を見ることは困難です。すべての構造を高いコントラストで丸ごと観察する手法は、細胞の機能と深いかかわりを持つタンパク質などの高次構造の解明に重要で、その実現が待ち望まれていました。
細胞は、可視光をほとんどすべて透過する透明な物体であるため、光の透過の度合いを可視化して内部構造を観察する通常の光学顕微鏡では観察が困難です。オランダの物理学者フリッツ・ゼルニケ(Fritz Zernike)は、位相差顕微鏡※9という透明な物体の内部構造を観察することができる顕微鏡を開発して、1953年にノーベル物理学賞を受賞しました。今日、位相差顕微鏡は透明な生物試料の観察に広く用いられていますが、分解能は可視光の波長領域の下限である数百ナノメートル(nm:10億分の1メートル)が限界となっています。一方、透過電子顕微鏡は、分子レベルでの高い分解能を持つため、生物試料観察にも有力です。しかし、電子線を透過させて測定するためには、試料が数百ナノメートル以下の薄い切片でなければならず、厚みのある細胞や細胞小器官を3次元で丸ごと観察することは困難です。
一方、X線は、透過性に優れ、厚みのある試料を3次元で観察することに適しています。しかし、X線を活用した通常の顕微鏡は、X線の透過の度合いを可視化するレントゲン写真技術の延長に過ぎないため、X線をほとんどすべて透過し、X線に対して透明な細胞や細胞小器官の内部構造を観察することは困難でした。このため、X線に対し透明な物体を、高いコントラストで観察できる高分解能のX線位相差顕微鏡が実現すると、細胞小器官の高次構造の解明に大きく貢献し、細胞生物学に大きなインパクトを与えることになります。
研究グループでは、ヒト染色体の構造に特に焦点をあてて研究を行ってきました。染色体は、細胞が分裂する際、複製されたゲノムの遺伝情報を2つの娘細胞に正確に分配するために必須な構造です。長さが合計2メートルにもおよぶヒトゲノムDNAは、細胞周期の分裂期に入ると短時間のうちに、23対の数マイクロメートルの大きさを持つ染色体に束ねられます。染色体の構造(高次構造)や、その束ねられるメカニズムはいまだよく分かっておらず、これらを解明することは生物学上の大きなテーマの1つとなっています。研究グループは、独自の技術を駆使して染色体を丸ごと観察し、その高次構造を解明することを目指しました。
2.研究手法
ヒト染色体の内部構造の観察には、コヒーレントX線回折を利用しました(図1)。実験では、試料にコヒーレントX線を照射して、散乱されたX線の分布(コヒーレントX線回折パターン)を測定します。細胞や細胞小器官によるコヒーレントX線回折パターンは、スペックルと呼ばれる斑点状に分布します。このスペックルは、試料中のさまざまな位置で散乱されたX線の波が重ね合わさり、強め合ったり弱め合ったりする干渉効果によるものです。このコヒーレントX線回折を用いることにより、試料に照射されたX線の波が試料中の各位置でどのようにゆがめられるか(位相差)を高感度で検出できます。この性質を利用することにより、透明な試料の内部構造を高コントラストで観察することができます。コヒーレントX線回折は、レンズを必要としないため、レンズによるコントラストの低下がまったくなく、理想的なX線位相差顕微鏡といえます。
実験で得たコヒーレントX線回折パターンを計算機で処理することにより、試料像を再構成します。この計算機の処理が、通常の顕微鏡におけるレンズの役割を担います。1つの入射角度で測定したコヒーレントX線回折パターンからは、試料の2次元の投影画像が得られます。また、さまざまな入射角度で測定した多数のコヒーレントX線回折パターンを用いることにより、試料の3次元画像が得られます。X線は透過性が高いため、観察した3次元画像からは、試料の表面のみならず、内部構造に関する詳細な情報を得ることができます。
染色体のようなマイクロメートルサイズの試料からのX線散乱強度は弱く、コヒーレントX線回折実験は容易ではありません。今回の測定には、2つの重要な先端的技術要素が貢献しました。1つは、大型放射光施設SPring-8の理研物理科学 I ビームラインBL29XULのアンジュレーター※10から得られる波面のそろった干渉性の優れたコヒーレントX線です。近年、世界各地で放射光施設の建設ラッシュが続いていますが、大型放射光施設SPring-8のアンジュレーター放射光は質・強度ともに世界をリードしており、これが高精度測定の基盤となりました。もう1つの技術要素は、研究グループが独自に開発したノイズの少ないコヒーレントX線回折装置です。この装置では、ピンホールなどのX線光学素子からの散乱ノイズを極力抑えるよう工夫しています。これらの技術により、世界最高クラスの精度でのコヒーレントX線回折実験が実現しました。
3.研究成果
ヒト染色体に対してコヒーレントX線を照射することで、散乱強度を増強するための染色処理をほどこすことなく、コヒーレントX線回折パターンを高精度で測定することに成功しました(図2)。
コヒーレントX線回折パターンからのヒト染色体試料像の再構成では、研究グループの西野と石川らがこれまでに開発していた「反復的位相回復法(波の山や谷の位置を決定する方法)」を用いました。この方法により、ヒト染色体試料の2次元投影像のみならず(図3)、3次元画像の再構成にも成功しました(図4)。このように波長が短くエネルギーの高いX線を用いて、細胞小器官を丸ごと高いコントラストで3次元観察することに成功したのは世界で初めてです。病院で行う人体のX線CT撮影のように、試料を切ることなくヒト染色体を輪切りにして観察することも可能です(図4)。
研究によって得たヒト染色体像からは、興味深い内部構造が分かりました。染色体は、2つの染色分体から構成されますが、染色分体どうしが接合するセントロメアと呼ばれる領域でもっとも電子密度が高いことを見いだしました(図4)。また、染色体の軸付近に電子密度の高い構造が広がっていることが分かりました(図3、4)。このような軸状構造は、これまで、特定のタンパク質を標識し、蛍光顕微鏡や電子顕微鏡を用いて観察してきましたが、標識せずに観察したのは今回が初めてです。標識や染色処理をすることなく染色体を丸ごと観察することは、染色体のすべての構造を解明する上で大きな一歩となります。さらに、今回の研究で得たヒト染色体の2次元投影像で、染色体の軸状の構造がほぼ規則的に曲がりくねっている様子が観察できましたが(図3)、これは蛍光顕微鏡を用いてこれまで観察されていた、らせん状の軸構造との類似性を示しています。
この研究により、コヒーレントX線回折を利用した手法が、X線にとって透明な細胞や細胞小器官の内部構造を高コントラストで観察するのに優れ、従来の顕微鏡では見ることができなかった構造を明らかにすることを実験的に示しました。コヒーレントX線回折による丸ごと観察で3次元可視化した情報は、電子密度マップです。これは、生物体を構成するタンパク質の原子レベルの構造決定に用いられるX線結晶構造解析で得られる情報とまったく同じです。このため、将来的に、コヒーレントX線回折とX線結晶構造解析で得られる情報を継ぎ目なくつなぎ合わすことができると、細胞を原子レベルから理解できるようになります。
4.今後の期待
コヒーレントX線回折を利用した新技術は、今後さまざまな細胞や細胞小器官の内部構造を解明していくと期待できます。さらに、理研が現在、財団法人高輝度光科学研究センターと協力して開発・建設を進めている次世代X線源のX線自由電子レーザーを利用することにより、飛躍的な発展が期待できます。今回の研究で使った大型放射光施設SPring-8は、現在、世界最高レベルの干渉性を持つX線を発生しますが、それでも干渉性のよい部分は全体の0.1%程度に過ぎません。X線自由電子レーザーでは、ほぼ100%の干渉性を持つX線が得られると期待され、コヒーレントX線回折実験に最適なX線源といえます。また、X線自由電子レーザーは、100フェムト秒※11以下という短いパルス幅※12を持っているのも大きな特徴です。この超短パルス性能を利用すると、生物試料が壊れる前にコヒーレントX線回折測定を行うことが原理的に可能となります。生物試料の顕微鏡観察では、試料の放射線損傷が分解能を制限する主要因となるので、試料が壊れる前の測定が可能になると、従来の限界を大きく凌駕する分解能が得られると期待されます。これにより、創薬の鍵を握る膜タンパク質の構造解析など、医学上重要な応用への道も開かれます。
《参考資料》
干渉性の優れたコヒーレントX線を試料に照射して、前方方向に弾性散乱するX線の分布(コヒーレントX線回折パターン)を測定する。コヒーレントX線回折パターンを計算機処理して、試料構造を再構成する。3次元画像の再構成には、さまざまな入射角におけるコヒーレントX線回折パターンを用いる。
ヒト染色体に対して散乱強度を増強する染色をほどこすことなく、コヒーレントX線回折パターンを高精度で測定することに成功した。コヒーレントX線回折パターンは、スペックルと呼ばれる斑点状に分布する。スペックルは、弾性散乱されたX線の波の干渉によって起こる。測定されたスペックルはコントラストが高く、測定に用いたX線が干渉性に優れていることを示している。
再構成したヒト染色体の2次元投影像には、軸状に伸びる構造が観察された。拡大図が示すように、軸状構造はほぼ規則的に曲がりくねっている。これは蛍光顕微鏡で観察された、らせん状の軸構造との類似性を示している。
3次元画像は、試料を回転させて異なる入射角度で測定した38枚のコヒーレントX線回折パターンから再構成した。表面のみならず、染色体の内部構造も詳細に観察できる。水平・垂直断面図の白い矢印は、セントロメア付近の最も電子密度が高い場所を示す。図3の2次元投影像と同様に、断面図においても軸状構造が観察された。再構成した3次元画像からは、任意の位置での輪切り像を得ることができる。図の色は実際のものではなく、画像処理による。
《用語解説》
※1 X線顕微鏡
可視光に比べて波長の短いX線を使って物体を観察する顕微鏡。X線は波長が短いため、高い空間分解能が可能となる。厚みのある物体の内部構造の観察に有利である。これまで、X線レンズを用いた顕微鏡が主に使われてきたが、性能のよいX線レンズの作製は技術的に難しく、空間分解能の高度化の制限となっていた。近年になり、コヒーレントX線を用いたレンズを必要としないX線顕微鏡が実現し、レンズ性能による制限を打破するX線顕微鏡として、世界的な注目を集めている。
※2 細胞小器官
細胞の内部で特に分化した形態や機能を持つ構造の総称。オルガネラとも呼ばれる。核、染色体、小胞体、ゴルジ体、エンドソーム、リソソーム、ミトコンドリア、葉緑体、ペルオキシソームなどがある。
※3 コヒーレントX線回折
干渉性の優れたX線(コヒーレントX線)を試料に照射した際に起こるX線の散乱現象。コヒーレントX線回折パターンは、試料の原子レベルでの構造の違いにも敏感であり、これを利用して試料構造を可視化することができる。SPring-8のような最先端の放射光施設の出現により、近年、実験が可能となった。コヒーレントとは、干渉性の優れた、位相のそろった波を意味する。
※4 大型放射光施設SPring-8
理研が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高輝度の放射光を生み出す施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来する。放射光(シンクロトロン放射光)とは、荷電粒子が磁場の中で曲がる際に放射される光の一種。SPring-8では、周回する電子群のサイズが小さいことや高い安定性のため、干渉性の優れたX線が得られる。
※5 干渉性の優れた高輝度のX線
X線は電磁波の一種で、山と谷をもつ。干渉性の優れた波とは、波の山と谷がそろった状態である。このような波が重ね合わさると、波が強め合ったり弱め合ったりして、きれいな干渉縞ができる。高輝度とは、干渉性のよいX線の強度が強いことを意味する。
※6 X線CT
さまざまな角度から撮影した試料のレントゲン写真から、試料の3次元画像を再構成する手法。X線コンピュータ断層撮影とも呼ばれる。病院での臨床検査や、産業界での非破壊検査に広く使われている。この技術を開発したイギリスのゴッドフリー・ハウンズフィールド(Godfrey N. Hounsfield)とアメリカのアラン・コーマック(Allan M. Cormack)は、1979年にノーベル医学生理学賞を受賞した。
※7 X線自由電子レーザー
完全な干渉性をもつ次世代のX線発生装置。日・米・欧で建設が進められている。日本では、理研が財団法人高輝度光科学研究センターと協力して、SPring-8キャンパス内に建設中である。国家基幹技術の1つに指定されている。
※8 膜タンパク質
細胞や細胞小器官の膜に関連したタンパク質。市販されている薬の60%以上が膜タンパク質に作用する物質であることから、膜タンパク質の解析が新薬開発の成否を握っている。しかし、多くの膜タンパク質は結晶化が困難であるため、構造や作用がよく分かっていないものが多い。
※9 位相差顕微鏡
試料中での波面のゆがみ(位相差)を見ることのできる顕微鏡。無染色の生物試料など透明な試料を観察することができる。光学顕微鏡で世界初の位相差顕微鏡を開発したオランダのフリッツ・ゼルニケ(Frits Zernike)は、1953年にノーベル物理学賞を受賞した。
※10 アンジュレーター
加速された荷電粒子の直線軌道上に沿って磁極を上下に配置して、その間を通り抜ける電子を周期的に小さく蛇行させて、明るい光を作り出す装置。SPring-8では、理研のX線自由電子レーザー計画推進本部 光源開発グループの北村英男グループディレクターらが開発した世界最高性能のアンジュレーターが使われている。
※11 フェムト秒
1,000兆分の1秒が1フェムト秒。1フェムト秒は、光の速さ(秒速約30万キロメートル)でも0.3マイクロメートルしか進むことができないほどの極短時間。
※12 パルス幅
一定の短い持続時間を持った波や信号。その持続時間をパルス幅という。
(問い合わせ先) 基幹研究所 今本細胞核機能研究室 播磨研究推進部 企画課 (SPring-8について) (報道担当) |
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