電子の奇妙な軌道回転を放射光X線で観測(プレスリリース)
- 公開日
- 2009年03月06日
- BL19LXU(理研 物理科学II)
- BL29XU(理研 物理科学I)
2009年3月6日
国立大学法人東京大学
独立行政法人理化学研究所
国立大学法人東京大学(小宮山宏総長)、独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、イリジウムの複合酸化物の電子が奇妙な軌道回転をしていることを、X線の回折を利用して世界に先駆けて観測しました。 発表者: (論文) |
[背景]
原子内の電子の運動のもっとも単純なイメージは、自転しながら原子核の周りを回転するといったものです。前者はスピン、後者は軌道運動と呼ばれます。いずれも小さな磁石の働きを持っています。孤立した原子では、自転に対応するスピンと公転に対応する軌道運動の回転方向に関連があることが古くから知られています。一方、固体中では原子の最外殻電子(最も外側にある電子)が隣の原子の影響を受けて、反対向きに回転する二つの軌道運動がほぼ等しい確率で出現する状態となり、軌道運動の効果はほとんど消し去られています。
1986年の高温超伝導体の発見以来、盛んに研究されてきた3d遷移元素(チタン、マンガン、鉄、銅など)の酸化物では、このように軌道運動の効果を失った遷移元素の最外殻電子が電気伝導や磁性を担っています。この物質群が示す高温超伝導や超巨大磁気抵抗などの新しい機能性は、電子が隣の原子に飛び移るかどうかのぎりぎりの状態にあることに関係しています。
元素周期表で、3d遷移元素の下には4d遷移元素と呼ばれる元素群が、さらにその下には5d遷移元素と呼ばれる元素群があります。これまでの常識では、4d、5dと原子番号が大きくなるにつれて、最外殻の電子が隣に飛び移りやすくなり、3d遷移元素の酸化物で見られたような機能性は失われやすいと考えられてきました。ところが、最近、このような見方があらわに破れる場合が強く認識されるようになってきています。例えば、今回の研究対象としたSr2IrO4は電気を流しにくい物質(絶縁体)ですが、Irを周期表でその真上に位置するRhやCoで置き換えた物質は同じ結晶構造を持ちながらいずれも金属です。一番電子が動きやすいはずの5d遷移元素の一つであるイリジウム(Ir)を含むSr2IrO4がなぜ絶縁体となるのかという疑問が生じていました。
そこで、提案されたのが、軌道回転運動の復活です。スピンの回転方向と軌道運動の回転方向の関連(スピン-軌道相互作用)は、原子番号が大きくなるほど強くなることが知られています。そこで、イリジウム酸化物では、隣の元素の影響をしのぐほどスピン-軌道相互作用が大きくなっていて軌道回転が復活する可能性が指摘されました。電子がある原子核の周りを回転する状態と電子が固体中をまっすぐ動く状態とは、限られた条件のもとでしか両立しませんので、回転運動が復活すると電子が伝わりにくくなるのです。しかし、最外殻電子の軌道運動が復活しているかどうかを実験的に検証するのは困難でした。
[研究手法と成果]
Ir酸化物(Sr2IrO4)の伝導や磁性を担う電子の原子核周りの軌道運動を調べるために、本研究チームが発案したのは、X線回折を利用する新手法です。従来から、最外殻電子のスピンが揃った固体、すなわち磁石では、X線円二色性と呼ばれる方法で軌道運動をある程度調べることができていました。しかし、Sr2IrO4の持つ磁石としての性質は大変弱いものでした。そこで、研究チームはまずこの物質中のスピンの配列を決定することから行いました。スピンの配列は一般的に中性子を使って決められるのですが、Ir原子は中性子を吸ってしまうというやっかいな性質を持っていて、この方法が使えませんでした。そこで、まず本研究チームは、X線を用いることでスピンの配列の決定を行うことを考えつきました。このようなX線のみを用いたスピン配列の決定は大変難しく、これまで成功例がありません。そこで、放射光施設を利用することで、IrのスピンによるX線の回折信号を増強できるような波長を選んで実験を行い、スピン配列の決定に成功しました。X線回折は、中性子と比べて、大きな試料を必要としないと言うメリットがあります。中性子と相補的な手法として、磁気構造(スピン配列)決定での放射光X線の活躍の場が拡がることが期待されます。
5d遷移元素ではスピン軌道相互作用が強いはずですから、軌道回転が右回りであるIr原子と左回りであるIr原子の配列は、スピンの配列と同じパターンを取ると考えられます。ここで、本研究チームはスピンと軌道回転が同じ周期で並んだ場合には、スピンによる回折されるX線の波と軌道回転によって回折されるX線の波が、X線の波長によって強めあったり弱め合ったりすることに気づきました(図1)。SPring-8に代表される大型軌道放射光施設では、極めて強度が高く、エネルギー(波長)可変のX線を利用することが出来ます。
実際に実験を行うと、L3端と呼ばれる波長では極めて大きな共鳴増大が観測されるのに対して、L2端と呼ばれる波長ではほとんど共鳴が観測されないことがわかりました。(図2:ただし、ここでは波長に代えてX線のエネルギーで表示してあります)
これは共鳴の際の電子の軌道運動の波の干渉効果を反映しています。さらに詳しい理論解析の結果から、Irの最外殻の電子は、スピンの回転方向と軌道回転方向が一致した状態を確率およそ2/3で取り、残りの確率でスピンが反転して軌道回転が止まっているという状態(図3)にあることが分かりました。これは孤立原子では見られない奇妙なスピンと軌道の結合状態です。Sr2IrO4は、最外殻電子が奇妙なスピン・軌道結合ゆえに隣への飛び移りを止めているという新しいタイプの絶縁体だという結論が得られたことになります。
[今後の期待]
これまで物質科学における物性・機能開拓の主な舞台の一つは、原子番号の小さいマンガン(Mn)、鉄(Fe)、銅(Cu)などの酸化物(3d遷移金属酸化物)でした。本成果に代表される最近の研究は桁違いに強いスピンと軌道相互作用が、3d遷移金属酸化物にはない革新的物性・機能を、5d遷移金属酸化物に創り出すことを実証しつつあります。
このような遷移金属酸化物の科学の新しいパラダイムに期待される明らかな展開の一つはスピントロニクス機能です。「電荷」の代わりに「スピン」を操るスピントロニクス素子は革新的低消費デバイスとして期待されています。例えば、スピン情報の電気による読み出しは巨大磁気抵抗効果として実用化されておりハードディスクの大容量化に大きな役割を果たし、2007年のノーベル物理学賞の受賞理由となりました。一方、電気によるスピンの操作はまだ試行段階です。その基本原理の一つが、まさに電子のスピンと軌道の相互作用です。すなわち、スピンと軌道回転運動の結合が強ければ強いほど、スピンの情報の電気あるいは光による操作や読み出しが容易になります。5d遷移金属元素酸化物には、革新的なアプローチによるスピンの操作を可能にする大きな可能性が秘められています。同時に、量子力学的な波の位相効果に根ざした新しい量子凝縮相の発見が基礎科学の立場から期待されています。
〈参考資料〉
回折は個々の原子からの散乱の重ね合わせによって生じる。個々の原子の散乱において、
入射X線のエネルギーが、原子内の電子励起のエネルギーに等しいと、X線のエネルギー
の吸収放出との共鳴がおき、散乱が増強される。したがって回折強度も増加する。共鳴の
際、電子の波動関数に明確な位相項が存在すると、干渉交換によって、共鳴の打消しが起
きることがある。
X線吸収の立ち上がりの所が電子遷移に対応し、そこで回折強度の共鳴増大が起きていることが
わかる。L3端(2P3/2->5d)では見事な増大が起きるのに対してL2端(2P1/2->5d)ではほ
とんど増大が起こらない。横軸はX線の波長を光子エネルギーという単位で書いてある。波長と
の関係は、およそ
波長(ナノメートル)× 光子エネルギー(keV)=1.24
である。ナノメートルは10億分の1メートル。
2/3程度の確率で自転と同じ向きで軌道回転している。一方、残りの確率では
自転の向きが反転するとともに軌道回転が止まる。なお、この隣のIr原子では、
スピンも軌道回転もすべて逆にした状態となっている。
(問い合わせ先) (SPring-8に関すること) |
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