金属-絶縁体転移に伴う酸素の電子の状態変化を世界で初めて観測- スピントロニクス関連物質開発に新たな視点 -(プレスリリース)
- 公開日
- 2009年05月19日
- BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
平成21年5月19日
財団法人高輝度光科学研究センター
兵庫県立大学
高輝度光科学研究センター(以下「JASRI」、理事長 吉良爽)と兵庫県立大学(学長 熊谷信昭)は、ノースイースタン大学(米国)、デルフト工科大学(オランダ)、大阪大学と共同で、大型放射光施設SPring-8※1を用いて、マンガン酸化物が電気を通さない絶縁体から電気をよく通す金属状態へ転移する際、マンガンの電子状態のみならず酸素の電子状態も変化することを世界で初めて明らかにしました。この結果は、SPring-8の高強度高エネルギーX線を利用した高精度のコンプトン散乱※2実験と高信頼の第一原理バンド理論計算※3を併用することにより得たものです。 (論文) |
1.研究の背景
現在、超高密度メモリーなどの実現に向けて、スピントロニクス技術の開発が活発に進められています。スピントロニクスでは電流などで電子スピン(超微小な磁石)の方向を制御するため、巨大磁気抵抗効果を示すマンガン酸化物が素子材料として注目されています。その理由は、マンガン酸化物の磁気的特性(電子スピンの方向)と電気伝導特性(電流の流れやすさ)が、その組成や温度によって複雑に変化し、電流と電子スピンが協調的な挙動を示すことがあるからです。
今回の研究対象であるマンガン酸化物(図1)は、室温では電子スピンの向きが揃っていない常磁性でかつ電流が流れない絶縁体ですが、低温に冷やしていくと125Kの温度※5で電子スピンの向きが揃った強磁性でかつ電流が流れる金属に転移します。125Kより高い温度では常磁性絶縁体ですが、磁場をかけて強制的に電子スピンの向きを揃えて強磁性にすると、巨大磁気抵抗効果により協調的に電流が流れる金属になります。スピントロニクスでは、この逆過程、すなわち電流で電子スピンを制御するわけですが、そのためには巨大磁気抵抗効果に関係した金属-絶縁体転移のメカニズムを正しく理解することが重要になります。
従来、巨大磁気抵抗効果に関係した金属-絶縁体転移はマンガンの3d電子の挙動で説明されてきました(図2)。すなわち、低温あるいは巨大磁気抵抗効果で現れる強磁性金属状態は、マンガン3d電子の一部が酸化物中を自由に動くことにより、残りのマンガン3d電子のスピンの向きが動いている電子のスピンと同じ向きに揃えられた状態と理解されています。このモデルでは強磁性金属状態を説明できますが、マンガン酸化物の組成や温度によって複雑に変化する磁気的特性や電気伝導特性を説明するに至っていません。これはマンガンの3d電子のみを金属-絶縁体転移によって電子状態を変えるプレイヤーとするモデルでは不十分であることを意味しています。このため、マンガン3d電子以外の電子状態に注目しました。マンガン酸化物の構造を調べるとマンガン原子の間に酸素原子があります(図2、図3)。酸素の2p電子もこの巨大磁気抵抗効果によって状態を変える可能性が指摘されていましたが、酸素の2p電子がプレイヤーかどうかに関して実験的な証拠はありませんでした。
2.研究内容と成果
当研究グループは、大型放射光施設SPring-8の高強度・高エネルギーX線を利用した高精度のコンプトン散乱実験と高信頼・高精度のバンド理論計算により、マンガン酸化物が常磁性絶縁体から強磁性金属に変化する際に、酸素の2p電子がイオン共有結合状態から金属的状態に変化することを発見しました。この結果は、酸素の2p電子もマンガン3d電子と同様に金属-絶縁体転移に関連したプレイヤーであることを示しています。
コンプトン散乱実験は、大型放射光施設SPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)に設置された高分解能コンプトン散乱測定装置を用いて行われました。入射X線は115keVの高エネルギーX線を用いています。測定した試料は単結晶のマンガン酸化物(La2-2xSr1+2xMn2O7, x=0.35)で、温度20K(強磁性金属)、温度131K(常磁性絶縁体)、磁場下の温度131K(巨大磁気抵抗効果で出現した強磁性金属)の条件で測定しました。
バンド理論計算では、今回研究したマンガン酸化物に適したKKR-CPA法※6を用い、全電子のスピン状態を考慮した高信頼・高精度の計算をしています。
コンプトン散乱は電子運動量密度※7分布を定量的に測定するユニークな実験手法です。電子運動量密度分布は、マンガン3d電子や酸素2p電子などの電子状態によってその拡がりと方向依存性が異なり、電子状態が変化すると電子運動量密度分布もそれに応じて変化します。本実験により、強磁性金属と常磁性絶縁体の間で電子運動量密度分布が異なり(図4)、バンド理論計算の結果(図4、図5)との比較から、酸素2p電子状態の変化によるものと判明しました。
3.今後の展開
本研究の結果、巨大磁気抵抗効果に関係した金属-絶縁体転移にはマンガン3d電子と酸素2p電子の両方がプレイヤーとして参加していることが明らかになりました。従来の標準的モデルではマンガン3d電子のみがプレイヤーと考えられていましたが、本研究を契機に新しいモデルの構築が進み、巨大磁気抵抗効果や金属‐絶縁体転移のみならず、マンガン酸化物において見られる複雑な磁気的、電気伝導特性の組成、温度依存性が説明され、さらに、次世代情報産業を支えるスピントロニクス技術関連の材料設計に有意義な指針を与えると期待されます。
また、今回利用したコンプトン散乱実験は、磁場、圧力、温度、ガス雰囲気などあらゆる環境下で実施でき、また高い透過性能の高エネルギーX線を用いているため試料セル内部の観察も可能です。これらの特徴を活かして、今後は、巨大磁気抵抗効果や金属絶縁体転移に限らず、あらゆる物理現象や化学反応における電子状態の研究に応用されると期待されます。
《参考資料》
コンプトン散乱は電子とX線光子の間のビリアード衝突のような弾性衝突後、散乱することです。衝突後にコンプトン散乱したX線光子のエネルギーを測定することで、衝突前の電子の運動量(すなわち速度)を計測できます。
《用語解説》
※1 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その管理運営は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
※2 コンプトン散乱
電子とX線光子のビリヤード衝突のような弾性衝突(図6)で、衝突後に散乱したX線光子のエネルギーを測定することで、衝突前の電子の運動量(すなわち速度)を計測できる。
※3 第一原理バンド理論計算
既存の実験データを用いずに(すなわち第一原理的に)、量子力学の原理のみから結晶中の電子状態を求める手法。
※4 スピントロ二クス
電流や光などで電子スピン(電子が持つ磁石)の向きを反転させたりする新しい技術で、現在、超高密度メモリーなどの実現に向けて技術開発が活発に進められている。
※5 125Kの温度
絶対零度0K(ケルビン)を基準にした温度。0Kは-273.15℃、125Kは-148.15℃に対応する。
※6 KKR-CPA法
第1原理バンド理論計算法のひとつで、合金の計算に適している。
※7 電子運動量密度
結晶中の電子は、量子力学により、運動量(すなわち速度)で分類されます。コンプトン散乱実験で得られた電子運動量密度分布の解析から、電子軌道やフェルミ面形状を決定することができます。
(問い合わせ先) 小泉 昭久(コイズミ アキヒサ) (SPring-8に関すること) |
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