大型放射光施設 SPring-8

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新しいスピン分極率評価法を開発 - スピントロ二クス材料評価に新たな手法 - (プレスリリース)

公開日
2009年11月20日
  • BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
高輝度光科学研究センターは、ブリストル大学、ラザフォード・アップルトン研究所、ワーリック大学、ミネソタ大学と共同で、大型放射光施設SPring-8を用いて、次世代情報産業を支えるスピントロニクス材料のスピン分極率を評価する新しい方法を開発しました。

平成21年11月20日
財団法人高輝度光科学研究センター

 高輝度光科学研究センター(以下「JASRI」、理事長 白川哲久)は、ブリストル大学(英国)、ラザフォード・アップルトン研究所(英国)、ワーリック大学(英国)、ミネソタ大学(米国)と共同で、大型放射光施設SPring-8※1を用いて、次世代情報産業を支えるスピントロニクス※2材料のスピン分極率※3を評価する新しい方法を開発しました。この方法は、SPring-8の安定した、高強度高エネルギーのX線を利用した高精度の磁気コンプトン散乱※4図1)実験により実現したものです。
 今回開発したスピン分極率評価法は、高エネルギーX線を用いているため、物質の表面状態の影響を受けることなく、これまでの測定では困難とされていた物質内部のスピン分極率を評価できます。本研究では、スピントロニクス材料候補の一つであるCo1-xFexS2において、Fe濃度を変えた磁気コンプトン散乱実験を行い、スピン分極率のFe濃度依存性を決定しました。
 本手法の開発によりスピントロニクス材料の評価や設計に貢献するだけではなく、電気伝導現象に電子スピンが強く関与する巨大磁気抵抗効果※5の、より精度の高いモデル構築の基礎研究にも応用されると期待されます。
 今回の研究成果は、JASRIの伊藤真義副主幹研究員、櫻井吉晴副主席研究員と海外の研究機関との共同によるもので、2009年11月25日発行の米国科学雑誌「Physical Review Letters」のオンライン版に掲載されます。

(論文)
"A new approach to determine bulk spin polarization applied to Co(1-x)FexS2"
(日本語訳:Co(1-x)FexS2に応用した新しいバルク・スピン分極率の評価方法)
C. Utfeld, S. R. Giblin, J. W. Taylor, J. A. Duffy, C. Shenton-Taylor, J. Laverock, S. B. Dugdale, M. Manno, C. Leighton, M. Itou and Y. Sakurai
Physical Review Letters 103, 226403 (2009), published online 25 November 2009.

1.研究の背景
 超高密度メモリーや量子コンピュータ素子などの実現に向けて、スピントロ二クス技術の開発が進められています。従来のエレクトロニクス技術では電子が持つ電荷の性質しか利用していませんが、スピントロ二クス技術では、電荷と同時に、電子が持つスピン(極微小磁石)の性質も利用します。例えば、スピントロニクス素子では、電流が電子スピンの向きによって異なるという性質を利用し、電子スピンの向きで電流を制御したり、逆に電流で電子スピンを揃えたり反転したりします。
 スピントロニクス技術を支える材料として、ハーフメタル※6と呼ばれる物質群が注目されています(図2)。ハーフメタルは、自由に移動できる電子すなわち電流を作る電子のスピンが完全に同じ向きに揃っている状態(例えば、上向きに揃っている)にある金属です。実際には、完全に電子スピンの向きが揃っている物質はなく、移動する電子の中には下向きのスピンの電子も混ざっています。この下向きのスピンを持った電子は、スピントロニクス・デバイスの性能を劣化させる原因になりますので、ハーフメタル材料の内部を正確に測定する技術が、スピントロニクス技術において重要になります。
 スピントロニクス材料として注目されるハーフメタル的な物質の例として、CrO2、La0.7Sr0.3MnO3、Co2MnAl1-xSnx、Co1-xFexS2などがあります。本研究では、今回開発した手法を用いてCo1-xFexS2のスピン分極率を評価しました。Co1-xFexS2はハーフメタルであることが理論計算により予想されています。また、同物質では、スピン分極度がFeの濃度によって制御できることが期待され、スピントロニクス材料として有望視されています。
 今回開発したスピン分極率評価法は高精度の磁気コンプトン散乱実験のデータを有効に利用します。磁気コンプトン散乱はスピン分極した電子運動量密度※7分布を定量的に測定するユニークな実験手法です。電子運動量密度分布は物質中の電子状態によってその拡がりと方向依存性が異なるため、スピン分極率の変化により電子状態が変化すると電子運動量密度分布もそれに応じて変化します。

2.研究内容と成果
 当研究グループは、磁気コンプトン散乱実験で得られる実験データにLMTO法というバンド理論計算※8で求めた理論データを合わせることにより物質のスピン分極率を決定する方法を考案し、スピントロニクス材料として注目されるCo1-xFexS2に応用しました。従来の手法では測定結果が試料表面の状態に大きく左右される場合がありましたが、今回開発した手法は物質透過能の高い100keV以上のX線を利用しますので、試料の表面状態に左右されずに、物質内部のスピン分極率を決めることができるという利点があります。
 磁気コンプトン散乱実験は、大型放射光施設SPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)に設置された磁気コンプトン散乱測定装置を用いて行われました。入射X線は175keVの高エネルギー円偏光※9X線を用いています。測定した試料は単結晶のCoS2とCo0.9Fe0.1S2で、温度10K※10の条件で測定しました。
 バンド理論計算はLMTO法という方法を用い、電子のスピン状態を考慮した高信頼・高精度の計算をしています(図3)。
 本研究により、CoS2のスピン分極率は-72%±6%、Co0.9Fe0.1S2は18±7%であることが判明しました(図4)。

3.今後の展開
 
本研究により、磁気コンプトン散乱とバンド理論計算を組みわせた新しいスピン分極率の評価法を提案し、この手法をCo1-xFexS2に応用し、その有用性を実証しました。本研究を契機にハーフメタルの電子構造と電子スピンに依存した電気伝導機構に関する研究が進展し、次世代情報産業を支えるスピントロニクス技術関連の材料設計に有意義な指針を与えると期待されます。
 また、今回利用した磁気コンプトン散乱実験は、磁場、圧力、温度、ガス雰囲気などあらゆる環境下で実施でき、また高い透過性能の高エネルギーX線を用いているため容器内にある試料の観察も可能です。これらの特徴を活かして、今後は、ハーフメタルや巨大磁気抵抗効果などに限らず、スピン分極した電子状態が引き起こすあらゆる物理現象の研究に応用されると期待されます。


《参考資料》

 

図1 コンプトン散乱の概念図。

図1 コンプトン散乱の概念図。
コンプトン散乱は電子とX線光子の間のビリアード衝突のような弾性衝突後に散乱する現象
のことです。衝突後にX線光子のエネルギーを測定することで、衝突前の電子の運動量(す
なわち速度)を測定できます。コンプトン散乱の一手法である磁気コンプトン散乱では、
偏光
※9した入射X線を用い、かつ電子のスピン(極微小磁石)の向きを超伝導電磁石などの
磁場で揃えながら計測することで、スピン分極している電子の運動量を測定できます。

 


 

図2 ハーフメタルの概念図。

図2 ハーフメタルの概念図。
図に示した電子状態では、フェルミ準位には上向きスピンをもつ電子が存在しますが、下
向きスピンをもつ電子は存在しません。すなわち、上向きスピンの電子のみが電気伝導に
寄与し、下向きスピンの電子は電気伝導に寄与しないのでハーフメタルと言います。

 


 

図3 LMTOバンド理論計算で得たCoS2の上向きスピンと下向きスピンの状態密度。

図3 LMTOバンド理論計算で得たCoS2の上向きスピンと下向きスピンの状態密度。
上向きスピン電子、下向きスピン電子ともにフェルミ準位に状態密度があり、下向きスピ
ンの状態密度が多いので負のスピン分極率になります。Co原子をFe原子で置換すると、状
態密度分布(青または赤く塗潰されている部分)の位置はそのままで、フェルミ準位(縦
の破線の位置)が低エネルギー側(左側)に移動するので、フェルミ準位の位置での上向
きと下向きのスピン電子の状態密度が変化します。その結果、上向きスピン電子の状態密
度が下向きスピン電子の状態密度より大きくなりますので、Co0.9Fe0.1S2では正のスピン
分極率になります。

 


 

図4 Co1-xFexS2のスピン分極率のFe濃度による変化
図4 Co1-xFexS2のスピン分極率のFe濃度による変化

実験結果:今回の実験で得た結果
理論計算:LMTOバンド理論計算の結果

 


《用語解説》

※1 大型放射光施設 SPring-8
 兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その管理運営はJASRIが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。

※2 スピントロ二クス
 電子は電荷とスピン(電子が持つ極微小磁石)の両方の性質を持っています。従来のエレクトロニクスは電荷の性質のみを利用していましたが、スピントロニクスでは電荷とスピンの両方の性質を利用します。すなわち、スピントロニクスでは電流や光などで電子スピンの向きを反転させたり、逆に電子スピンの向きを磁場で揃えたりすることで電流を制御します。現在、超高密度メモリーや量子コンピュータ素子などの実現に向けて、スピントロニクス技術の開発が進められています。

※3 スピン分極率
 金属中の電子はエネルギーの低い状態から占有していき、最高の占有エネルギー準位をフェルミ準位と言います。電子は回転(スピン)することで極微小磁石になっており、フェルミ準位における電子の極微小磁石の向きは物質の磁気的、電気的な性質を決めています。スピン分極率は、フェルミ準位における上向きスピンの電子数(状態密度)と下向きスピンの電子数の差として定義されます。

※4 磁気コンプトン散乱
 コンプトン散乱は電子とX線光子のビリヤード衝突のような弾性衝突として理解されています。コンプトン散乱(ビリヤード衝突)後のX線光子のエネルギーを測定することで、コンプトン散乱前の電子の運動量(すなわち速度)を計測できます。コンプトン散乱の一手法である磁気コンプトン散乱では、円偏光した入射X線を用い、かつ電子のスピン(極微小磁石)の向きを超伝導電磁石などの磁場で揃えながら計測することで、スピン分極している電子の運動量を測定できます。

※5 巨大磁気抵抗効果
物質の電気抵抗率が磁場によって大きく変化する現象のことです。ハードディスクの磁気ヘッドなどの駆動原理に使われています。

※6 ハーフメタル
 フェルミ準位に、上向きスピン電子あるいは下向きスピン電子しか存在しない金属のことです。この場合、スピン分極率は100%あるいは-100%になります。

※7 電子運動量密度
 結晶中の電子は、量子力学により、運動量(すなわち速度)で分類されます。コンプトン散乱実験で得られた電子運動量密度分布の解析から、電子軌道やフェルミ面形状を決定することができます。

※8 LMTO法というバンド理論計算
 LMTOはLinear Muffin-Tin Orbitalの略。既存の実験データを用いずに、量子力学の原理のみから結晶中の電子状態を求める手法のひとつ。

※9 円偏光
 光やX線は、電場と磁場とが振動しながら進む横波です。電場や磁場が一周期進む間に、電場の向きが光の進行方向の軸の周りを一回転しながら進む光を円偏光と呼びます。自分に向かって進んでくる光に対して、その発生源の方向を見たときに、光の電場が時間の経過とともに時計回りに回るときを、右円偏光といいます。また、その逆回りを左円偏光といいます。

※10 温度10K
 絶対零度0K(ケルビン)を基準にした温度。-263℃に対応します。


 

 

(問い合わせ先)
 財団法人高輝度光科学研究センター
 住所:〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1

 伊藤 真義(イトウ マサヨシ)
 利用研究促進部門 副主幹研究員
  Tel:0791-58-0802 内線3908、Fax:0791-58-0830
  E-mail:メール

 櫻井 吉晴(サクライ ヨシハル)
 利用研究促進部門 副主席研究員
  Tel:0791-58-0802 内線3803、Fax:0791-58-0830
  E-mail:メール
  ※ 11月23日まで海外出張

(SPring-8に関すること)
 広報室
  Tel:0791-58-2785、Fax:0791-58-2786
  E-mail:kouhou@spring8.or.jp