大型放射光施設 SPring-8

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垂直磁気異方性と化学結合の形の関係を世界で初めて観測-高密度磁気記録開発の新たな指針-(プレスリリース)

公開日
2010年04月12日
  • BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
国立大学法人群馬大学と財団法人高輝度光科学研究センターは、兵庫県立大学と共同で、大型放射光施設SPring-8を用いて、Co/Pt、Co/Pd人工格子(ナノ多層膜;本文参照)の垂直磁気異方性と「化学結合の形」(波動関数の対称性)との関係を世界で初めて明らかにしました。

平成22年4月12日
財団法人 高輝度光科学研究センター
国立大学法人 群馬大学
兵庫県立大学

 国立大学法人群馬大学(高田邦昭学長)と財団法人高輝度光科学研究センター(白川哲久理事長)は、兵庫県立大学(清原正義学長)と共同で、大型放射光施設SPring-8※1を用いて、Co/Pt、Co/Pd人工格子※2(ナノ多層膜;本文参照)の垂直磁気異方性と「化学結合の形」(波動関数※3の対称性)との関係を世界で初めて明らかにしました。この結果は、SPring-8の高強度高エネルギーX線を利用した高精度の磁気コンプトン散乱実験※4により得たものです。
 垂直磁気異方性を利用した垂直磁化膜は、ハードディスクの磁気記録メディアとして2005年に実用化され、すでに広く利用されていますが、その起源は明らかではありません。
今回の結果は、大容量・高速転送をめざしたIT機器のデバイス材料設計に貢献するものと大いに期待されます。
 今回の研究成果は群馬大学大学院 櫻井浩教授、JASRIの伊藤真義副主幹研究員、櫻井吉晴副主席研究員、兵庫県立大学大学院 小泉昭久准教授らの共同によるもので、2010年4月12日に米国科学雑誌「Applied Physics Letters」のオンライン版に掲載されました。

(論文)
"Perpendicular magnetic anisotropy in Co/Pt multilayers studied from a view point of anisotropy of magnetic Compton profiles"
(日本語訳:磁気コンプトンプロファイルの異方性からみたCo/Pt多層膜の垂直磁気異方性)
M. Ota, M. Itou, Y. Sakurai, A. Koizumi and H. Sakurai
Applied Physics Letters, Vol.96 152505 (2010), published online 15 April 2010


1.研究の背景
 近年、超高密度記録媒体としてのハードディスク記録容量が飛躍的に増加しました。現在はパソコンなどのIT機器だけでなく長時間録画テレビなどの家電、カーナビなどにも広く利用されています。この技術的進歩を牽引した新素材が2005年に実用化された垂直磁化膜です。
 通常の棒磁石は両端がN極、S極があり、棒磁石の裏表にN極、S極をつくることはありません(図1参照)。これは形状磁気異方性と呼ばれ、電磁気学から導かれます。しかし、「棒磁石の裏表がN極、S極になるような材料」が1977年に東北大学の岩崎俊一教授によって提案されました。棒磁石の裏表(実際には薄膜の裏表)がN極、S極になるような性質を垂直磁気異方性といい、垂直磁気異方性をもつ薄膜が垂直磁化膜(図1参照)です。
 磁気記録の記録密度は、単位面積に棒磁石が何個並べられるかで決まります。従来のハードディスクなどでの磁気記録方式は、棒磁石を横にならべて記録する方式で、棒磁石の長さ分だけ場所が必要です。一方、垂直磁化膜を利用した垂直磁気記録では、棒磁石をたてに並べて記録する方式で、同じ面積でもたくさんの棒磁石を並べることができます。(図2参照)。この技術開発のおかげで記録密度は飛躍的に増大しました。しかしながら、実用的な研究が先行する一方、電磁気学と矛盾する「棒磁石の裏表がN極、S極になるような現象」がなぜ起きるのか、その起源は良く分かっていません。

2.研究の内容と成果
 当研究グループは、Co/Pt、Co/Pd人工格子(ナノ多層膜)(図3参照)に着目しました。Co/Pt、Co/Pd人工格子はCo層の厚さを数原子分(0.8nm程度以下)に固定し、PtまたはPd層の厚さを10原子程度以上(2nm程度以上)に厚くすると垂直磁化膜になることが知られています。
 大型放射光施設SPring-8の高強度、高エネルギー、楕円偏光X線を利用した高精度の磁気コンプトン散乱の測定をCo/Pt、Co/Pd人工格子について行いました。垂直磁化膜である場合とそうでない場合をPtまたはPd層の厚さをかえて制御し比較しました。その結果、垂直磁気異方性は、Coの3d電子の「化学結合の形」(波動関数の対称性)で決められることを見つけました。詳細な解析の結果、磁気量子数※5|m|=2の「化学結合の形」(図3参照)が垂直磁気異方性に大きく影響することがわかりました。さらに、垂直磁化膜と面内磁化膜の境界では磁気量子数|m|=1の「化学結合の形」(図3)が影響していることがわかりました。
 コンプトン散乱実験は大型放射光施設SPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)に設置された磁気コンプトン散乱測定装置を用いて行われました。入射X線は174keVの円偏光を用いています。測定した試料はCo(0.8nm)/Pt(xnm)、Co(0.8nm)/Pd(xnm)人工格子(x=0.8-4.0)です。印加磁場(±2.5 テスラ、印加磁場と散乱ベクトルは平行)が人工格子薄膜の膜面垂直な場合と膜面平行な場合で磁気コンプトン散乱を測定し、その差から「化学結合の形」(波動関数の対称性)を測定しました。
 コンプトン散乱は電子運動量密度分布※6測定することで「化学結合の形」(波動関数の対称性)を定量的に測定できるユニークな実験手法です。Co(0.8nm)/Pt(xnm)、Co(0.8nm)/Pd(xnm)人工格子(x=0.8-4.0)のPt層またはPd層の厚さを変えると、Co層の格子定数が変化し垂直磁化膜(図4:単位面積当たりの垂直磁気異方性エネルギーがプラスであれば垂直磁化、マイナスであれば面内磁化である)に成ります。Co層の格子定数の変化に応じて「化学結合の形」(波動関数の対称性:磁気量子数の割合)が変化することを見出しました(図5)。
 磁気量子数|m|=2の「化学結合の形」によって垂直磁気異方性が形状磁気異方性を凌駕する効果があることは10年以上前に理論的に予測されていましたが※7、今回初めて実験的な検証に成功しました。さらに、垂直磁化膜と面内磁化膜の境界では磁気量子数|m|=1の「化学結合の形」も影響することも新に発見されました。

3.今後の展開
 本研究の結果、垂直磁化膜は「化学結合の形」(波動関数の対称性)に起因することが明らかになりました。本研究によって材料設計の指針が明確になり、大容量・高速転送をめざしたIT機器のデバイス材料設計に貢献するものと大いに期待されます。
 また、今回利用した磁気コンプトン散乱実験は「化学結合の形」(波動関数の対称性)を調べることができるユニークな評価技術であり、今回の垂直磁気異方性のように「化学結合の形」(波動関数の対称性)が関連する磁性薄膜の特性を評価する技術として有効であることが実証されました。現在、薄膜の高精度な磁気コンプトン散乱の実験ができるのは、世界でも高強度、高エネルギー、楕円偏光X線が利用できるSPring-8だけです。スピントロニクス※8の中心的役割を果たしている磁気トンネル接合デバイス※9も「化学結合の形」(波動関数の対称性)が特性に大きな影響を与えることがわかっており、磁気コンプトン散乱実験による評価が有効と考えられます。


《参考資料》

図1


図1


図2


図2


図3


図3


図4


図4


図5


図5


《用語解説》

※1 大型放射光施設SPring-8
 兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その管理運営は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。

※2 人工格子
 異種類の原子を数nm(1nmは10億分の1m)で交互に積層した薄膜。数nmは数個から十数個の原子を並べた大きさに相当する。

※3 波動関数
 量子力学では、物質中の電子(定常状態)の場所を点として決めることはできず、その場所に存在する確率で表現する。その確率を数式で表現すると、場所の関数となり波動を表す数式と同一なので、波動関数と呼ばれる。数式ではΨ(r)と表現することが多い。電子の電荷密度分布は|Ψ(r)|2で表される。「化学結合の形」は化学結合に関与する電子の電荷密度分布の形を表していると考えてよい。

※4 磁気コンプトン散乱実験
 電子とX線光子のビリヤード衝突のような弾性衝突で、衝突後に散乱したX線光子のエネルギーを測定することで、衝突前の電子の運動量(すなわち速度)を計測できる。このような現象をコンプトン散とよぶ。X線光子が円偏光していると物質中の電子のスピンと相互作用し、磁性に関与する電子の運動量を計測することができる。このような現象を磁気コンプトン散乱とよぶ。

※5 磁気量子数
 物質中の電子の状態は主量子数n、方位量子数l、磁気量子数l、スピン量子数msで決まる。存在確率を表す波動関数の対称性はこれらの量子数で決まる。波動関数の絶対値の2乗は電子の存在の存在確率の分布(電荷密度分布)を表しているので、波動関数の対称性は化学結合に関与する電子の電荷密度分布、すなわち化学結合の形を表していると考えてよい。

※6 電子運動量密度分布
 結晶中の電子は、量子力学により、運動量(すなわち速度)で分類される。コンプトン散乱実験で得られた電子運動量密度分布の解析から、電子軌道やフェルミ面形状を決定することができる。

※7 10年以上前に予想
K. Kyuno, J.-G. Ha, and R, Yamamoto, Phys. Rev. B 54, 1092 (1996),
K. Kyuno, J.-G. Ha, R. Yamamoto, and S. Asano, J. Phys. Condens. Matter 8, 3297 (1996),
K. Kyuno, J.-G. Ha, R. Yamamoto, and S. Asano, Solid State Communications 98, 327 (1996)

※8 スピントロニクス
 電流や光などで電子スピン(電子が持つ磁石)の向きを反転させたりする新しい技術で、現在、超高密度メモリーなどの実現に向けて技術開発が活発に進められている。

※9 磁気トンネル接合デバイス
 2つの強磁性金属層の間に、膜厚1~2nmの絶縁体層をはさみこんだ構造をつくり、この膜面に対して垂直に電圧をかけるとトンネル効果により絶縁体層に電流が流れる。強磁性体中の伝導電子はスピン偏極しているが、2つの強磁性金属層に外部から磁場を加え、それぞれの偏極の仕方を変えることで、トンネル電流を変化させることが出来る。このような現象をトンネル磁気抵抗効果、このような現象を利用したデバイスが磁気トンネル接合デバイスである。



《問い合わせ先》
 櫻井 浩(さくらい ひろし)
 群馬大学大学院 工学研究科生産システム工学専攻 教授
 〒373-0057 群馬県太田市本町29-1
  Tel:0277-30-1714 Fax:0277-30-1707
  E-mail:mail

 櫻井 吉晴(さくらい よしはる)
 財団法人高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 副主席研究員
 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
  Tel:0791-58-0802 内線3803 Fax:0791-58-0830
  E-mail:mail

(SPring-8に関すること)
 財団法人高輝度光科学研究センター 広報室
  Tel:0791-58-2785、Fax:0791-58-2786
  E-mail:kouhou@spring8.or.jp