セリウム元素に由来する動きが鈍い電子の直接観測に世界で初めて成功 -新奇な超伝導に対する理解に向けて進展-(プレスリリース)
- 公開日
- 2011年03月28日
- BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
2011年3月28日
兵庫県立大学
日本大学
財団法人高輝度光科学研究センター
兵庫県立大学(学長 清原正義)、日本大学(総長 酒井健夫)、高輝度光科学研究センター(以下「JASRI」、理事長 白川哲久)は、大型放射光施設SPring-8※1の高強度・高エネルギー放射光X線を用いた「コンプトン散乱実験」※2により、これまで観測できなかった「動きが鈍い電子」の局在(一定の場所に留まる)状態から遍歴(自由に動く)状態への変化を可視化することに世界で初めて成功しました。 通常の金属における電気伝導などの性質は電子が担っており、金属中を自由に動き回っています。ところが、セリウム(Ce)のような希土類元素やウラン(U)のようなアクチノイド元素を含む化合物(重い電子系化合物)には、温度、磁場、圧力、試料組成などによって電気的、磁気的性質が大きく変化する現象や従来の考え方では説明のつかない新奇な超伝導を示す物質が見つかっています。このような新奇現象を解明するためには、これらの金属に含まれる「動きが鈍い電子」の振る舞いを明らかにすることが必要となっています。しかしながら、これまでの研究では「動きが鈍い電子」の状態変化の可視化は、セリウムのような重い元素によるX線の吸収が大きく、測定強度が弱くなるため、十分な精度で解析を行うためのデータを得難いという理由から容易ではありませんでした。SPring-8の高強度・高エネルギー放射光X線を利用できるようになったことで、これが可能となりました。 今回解析に成功した、物質中の電子状態を解析する「コンプトン散乱実験」には、温度や磁場、圧力、試料の純度といった実験条件に対する制約がないなどの利点があります。同実験手法により、「動きが鈍い電子」を有するセリウムやウラン等の化合物の系統的な研究が可能になり、磁石としての特徴をあわせ持つ新奇な超伝導に対する理解が大きく進展するものと期待されます。さらに、将来的には鈍い電子の新奇な性質を利用することにより、高密度なメモリーデバイスの開発にもつながるものと期待されます。 今回の研究成果は、兵庫県立大学の小泉昭久 准教授、本山 岳 助教、日本大学の久保康則 教授、田中斗志貴 大学院生、JASRIの伊藤真義 副主幹研究員、櫻井吉晴 副主席研究員の共同研究によるもので、2011年3月28日に米国物理学会誌「Physical Review Letters」のオンライン版に掲載されます。 (論文) |
1.研究の背景
金属中には、原子核の周りに強く束縛されていて動き回ることのできない、即ち、局在性の強い(一定の場所にとどまる)電子と、金属中を自由に動き回って電気伝導に寄与している遍歴性をもった(自由に動く)伝導電子の2種類が存在します。本研究の対象である重い電子系化合物には、f 電子※3と呼ばれる局在性の強い電子が含まれています。高い温度領域では、f 電子は局在しており、そのときの電気伝導はf 電子以外の伝導電子が担っていますが、試料を冷却していくと、ある特性温度(近藤温度)※4以下で、f 電子と伝導電子の間に結合が生じて、f 電子も遍歴性を帯びて電気伝導に寄与するようになります。(図1)これをf 電子の観点からみると、温度によって、f 電子が局在状態から遍歴状態に変化したと捉えることができます。このような性質を示す物質において比熱の測定を行うと、f 電子が伝導電子と一体となった状態の電子の重さは、通常の金属中の伝導電子に比べて、見かけ上10〜1000倍も重くなったように観測されます。そのため、通常の伝導電子に比べて、非常に“動きが鈍い電子”になっていると考えられます。このような電子が形成されることによって、重い電子系化合物は、電気伝導性や磁気的性質において特異な振る舞いを示します。また、低温で超伝導を示す物質も見つかっており、数多くの研究が行われています。重い電子系化合物が示す興味深い性質を理解するためには、f 電子が持つ二面性(局在・遍歴状態)の挙動を電子状態レベルで明らかにすることが重要だと考えられます。これまでの研究では、f 電子を含む化合物とf 電子を含まない関連化合物の測定結果が比較されていました。f 電子を含む化合物においてf 電子が局在している状態は、f 電子を含まない化合物の状態と同じだと見なされているからです。しかし、本当の意味で、f 電子の局在・遍歴の変化を検証するためには、同じ化合物試料で、同じ方法を用いた実験が必要です。そこで、本研究では、高いエネルギーをもつ放射光X線を利用したコンプトン散乱測定という方法を用いて、重い電子系化合物の温度変化測定を行いました。
2.研究内容と成果
コンプトン散乱測定は大型放射光施設SPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)に設置された高分解能コンプトン・プロファイル測定装置を用いて行われました。入射X線として115 keVの高エネルギー直線偏光X線を用いていますので、試料表面の影響を受けることなく、固体内部の電子状態を観測することが可能です。試料は代表的な重い電子系化合物であるCeRu2Si2の単結晶で、その[100]結晶軸と[110]結晶軸の間で5方位のコンプトン・プロファイルを、室温 および 近藤温度より低温の5Kにおいて測定しました。得られたコンプトン・プロファイルに対して、二次元再構成解析※5およびLock-Crisp-West (LCW)法※6による解析を施すことによって、図2のような二次元電子占有数密度※6が得られます。この図中に表れた構造には遍歴的な電子のみが寄与しており、局在した電子の寄与は含まれていません。一方、バンド計算で求めた理論的な電子占有数密度から、f 電子の寄与が図中のどの部分に現れるのかを検証してみたところ、f 電子が遍歴している場合には、図中の赤丸で囲んだ部分に強く現れることが分かりました。従って、赤丸で囲んだ部分にみられる違いから、f 電子が局在状態から遍歴状態へ変化したことが分かります。また、黒線で示した等高線にも違いがみられることから、f 電子の局在・遍歴の変化に伴い、他の部分でも電子状態が変化していることがうかがえます。
3.今後の展開
Ceのような希土類元素やUのようなアクチノイド元素を含む化合物には、温度だけでなく磁場や圧力、あるいは試料の組成を少し変化させることによって、磁気的性質や電気的性質が大きく変化する量子相転移※7や、従来の考え方では説明のつかない新奇な超伝導を示す物質も見つかっています。このような現象のメカニズムを解明するためには、f 電子状態の振る舞いを明らかにすることが必要不可欠です。コンプトン散乱実験には、温度や磁場、圧力、試料の純度といった実験条件に対する制約がなく、電子分布を直接的に観測できる利点があります。これを用いれば、同一の手法による重い電子系化合物の系統的な研究が可能になり、重い電子系に見られる特異な現象に対する理解が大きく進展するものと期待されます。さらに、将来的にはこのメカニズムを利用することにより、高密度なメモリーデバイスなどの開発につながるものと期待されます。
ここで紹介した研究は、日本学術振興会(No.18340111)による科学研究費の助成を受けてSPring-8の利用研究課題として行われ、また、一部は「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」(NEXT; 2009, S0901022)のもとに行われました。
4.掲載論文
題名:Contribution of f electron to the change of electronic structure in CeRu2Si2 with temperature: A Compton scattering study
日本語訳:CeRu2Si2における電子構造の温度変化に対するf 電子の寄与:コンプトン散乱による研究
著者:A. Koizumi, G. Motoyama, Y. Kubo, T. Tanaka, M. Itou, Y. Sakurai
ジャーナル名: Physical Review Letters
発行日:2011年3月28日
《参考資料》
電子には磁性のもとになるスピンという性質があります。図中では、スピンを矢印で示しています。近藤温度より高温では、f 電子(スピン)は局在しており、伝導電子との間に相互作用がある場合には、磁気的に秩序した状態になります。一方、近藤温度より低温では、f 電子と伝導電子が互いのスピンを打ち消すように結合して重い電子状態を形成し、電気伝導に寄与するようになります。
2次元再構成解析とLCW解析を行うことによって得られた電子占有数密度を示しています。f 電子を伝導電子として扱ったバンド計算から理論的に電子占有数密度を求めてみると、第15バンドにおいて図中の赤丸の位置に遍歴的なf 電子の寄与が強く現れます。LCW解析の性質から、伝導電子のみが電子占有数密度の構造に寄与しており、局在した原子軌道の電子や完全に占有されている電子バンドが寄与することはありません。従って、(a)室温(>近藤温度)の図には局在したf 電子の寄与は現われておらず、f 電子以外の伝導電子による構造と考えられます。一方、(b)5K(<近藤温度)の図の赤丸部分にみられる強度は、f 電子が伝導電子と一体となって重い電子状態になったことを示しています。
《用語解説》
1)大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その管理運営は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
2)コンプトン散乱
光(X線)は粒子としての性質を持ち、光子とも呼びます。X線光子と電子がビリヤードの球のように衝突したときに、光子は電子によって散乱され、電子も弾き飛ばされてしまいます。衝突後の光子のエネルギーは衝突前に比べて低くなって観測されます。このような散乱現象をコンプトン散乱と呼びます。多くの教科書的な書物において、コンプトン散乱は 静止した電子 と X線光子 との弾性衝突として説明されていますが、現実の物質中の電子は常に運動しています。そのため、コンプトン散乱されたX線光子は、電子の運動量を反映して(ドップラー効果)、エネルギー分布を示します。エネルギーに対するX線の散乱強度を測定したものをコンプトン・プロファイルと呼び、これが物質中の電子の運動量を反映していることを利用して、物質の電子状態が調べられています。
3)f 電子
原子は、中心に位置する原子核とその周りの軌道を回っている電子によって形づくられています。原子番号が増えるにつれて電子の数も増えていきますが、電子が入る軌道は、その形によってs 軌道、p 軌道、d 軌道、f 軌道・・・に分類されています。各軌道に入ることのできる電子の数は決まっており、周期律表の原子番号57〜71の元素や89〜103の元素は、それぞれランタノイド、アクチノイドと呼ばれ、f軌道に電子が入り始める元素の系列にあたります。f軌道に入っている電子のことをf 電子と呼んでいます。Ceのようなランタノイド系列のf 電子は原子軌道に留まる傾向が強いので、通常は、伝導電子のように自由に動き回ることはなく、原子位置に局在していると考えられています。しかし、化合物を形成した場合には、遍歴性と局在性の中間的な性質を示すことがあり、それが複雑で多様な物性を引き起こします。
4)特性温度(近藤温度)
磁性を持った極微量の不純物(局在性の強い価電子を持つ原子)が存在する金属では、温度を下げていくと、ある特性温度(近藤温度)以下で電気抵抗が上昇に転じる現象が観測されます。この現象は、1964年に電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の近藤淳博士が初めて理論的に解明したことから、近藤効果と呼ばれています。重い電子系の場合には図1の右に示すように、伝導電子と局在性の強いf 電子が結合して、スピンの自由度が打ち消される温度とみなすことができます。
5)再構成解析
物質中の電子は3次元的に運動していますが、コンプトン・プロファイル測定では、3次元の運動量密度を、観測している方向(1次元)に射影したものしか測定できません。しかし、CT(コンピュータ断層撮影)と同様に、試料の色々な方向で測定を行い、その結果をコンピューターで再構成解析することにより、本来の運動量密度分布を再現することが可能です。本研究では、1次元から2次元への再構成解析を行っていますので、観測面に垂直な方向の運動量成分については、この面に射影された形になっています。
6)LCW解析と電子占有数密度
再構成解析によって広い運動量領域にわたる運動量密度分布を求めることができますが、物質の金属的性質を担っている伝導電子は、ある周期性をもって運動量密度分布に寄与しています。その周期性は、運動量空間における基本単位ともいえるブリルアン・ゾーンによって決まっています。従って、運動量密度分布をブリルアン・ゾーンの大きさで分割して、その全てを一つに重ね合わせれば、伝導電子がブリルアン・ゾーンにおいて、どのように分布しているかを視覚的に表わすことができます。このような方法がLCW解析であり、得られた分布を電子占有数密度と呼びます。図・2は、2次元的にLCW解析を行った結果となっています。
7)量子相転移
水と氷の間にみられる状態の変化や、鉄が磁石の性質を持ったり失ったりする変化のように、物質の相(状態や性質)が変化することを相転移と呼びます。通常では、このような相転移は温度が変化することによって引き起こされます。
しかし、非常に低温においては、熱の効果ではなく、磁場や圧力によって引き起こされる相転移現象があり、量子相転移と呼ばれています
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