世界で初めて超強力磁場中の軟X線分光実験を実現 - レアアースを低減した高性能磁石開発を加速 -(プレスリリース)
- 公開日
- 2011年05月30日
- BL25SU(軟X線固体分光)
平成23年5月30日
財団法人 高輝度光科学研究センター
国立大学法人 東北大学
国立大学法人 東京大学 物性研究所
高輝度光科学研究センター(以下「JASRI」、理事長 白川 哲久)は、東北大学(総長 井上 明久)、東京大学物性研究所(所長 家 泰弘)などと共同で、大型放射光施設SPring-8※1の軟X線※2固体分光ビームライン(BL25SU)において、21テスラ(=21万ガウス)の超強力磁場を用いた軟X線分光実験に世界で初めて成功し、強力なネオジム磁石を含むほぼ全ての実用磁気材料について軟X線磁気円二色性(MCD)※3による磁気分析を可能にしました。 (論文) |
《研究の背景》
磁性体のなかではN極とS極をもつ磁気モーメントが規則的に並んでいるか、または、方向が定まらずに絶えず揺らいでいるなどの状況が生じています。外部から磁場を印加すると磁気モーメントの並び方に変化を生じますが、このときの磁場の強さと磁気モーメントの変化量(主に方向)の対応から、その物質が材料としてどのような用途に適しているのかが分かります。また、このような磁気モーメントと印加磁場の相関は、磁性体の性質を物理的に解明するための最も基本的かつ重要な情報でもあります。
磁気モーメントと印加磁場の相関を調べるための実験は、従来、試料全体の性質を測定した結果からミクロな磁気モーメントの振る舞いを予測するものでした。しかし、ほとんどの磁気材料は複数の元素を含有しており、成分元素の各磁気モーメントを試料全体の磁気的振る舞いから予測して解明することは容易ではありません。特に近年では、磁気記録媒体やハイブリッド自動車のモーターなど今日の生活に欠くことのできない様々な磁気材料において、材料機能を追求する開発の結果として含有元素の種類や構成も複雑化しています。そのため、材料のなかで添加した元素がどのような性質をもって磁石全体の特性に寄与しているのかを調べることも以前に比べて更に難しくなっています。このように、元素毎に磁気的な性質を調べることは従来の実験では大変難しいことでしたが、放射光軟X線を用いた磁気円二色性(MCD)実験を利用すると磁気材料に含まれる元素ごとに磁気情報を得ることができるので、軟X線MCDは複雑な磁気材料を解析するための非常に強力な手段となっています。
一方、いくら磁気モーメントと印加磁場の相関を調べようとしても、磁場の強さが不十分だと物質によっては磁気モーメントに有意な変化が生じないため、軟X線MCDではより強い磁場を利用できることが求められています。特に、高性能な希土類磁石の研究や磁気冷凍材料の原理として重要なメタ磁性物質には、非常に強い磁場が必要とされています。しかし、軟X線MCDの実験で利用できる最大の磁場はこれまで10テスラにとどまり、10年間以上にわたり更新されませんでした。一方で、SPring-8では軟X線に先行して硬X線※2を用いた実験が行われ、近年、東京大学物性研究所の松田康弘准教授らによって超強磁場下(40テスラ)でのMCD実験技術が確立しています[2009年にプレスリリース]。しかし、このように硬X線MCDが成功している状況にあっても、強磁場を用いた軟X線MCD実験を開発することには大きな意義があります。その理由は、軟X線MCDには磁性の起源となる電子(電子軌道)を狙って観測できる特徴があるからです。原子のもつ磁性の起源は、鉄(Fe)、ニッケル(Ni)、コバルト(Co)が属する遷移金属元素の3d電子軌道や、ネオジム(Nd)、ガドリニウム(Gd)、ジスプロシウム(Dy)などが属するレアアース元素の4f電子軌道における不対電子※5スピンであることが知られています。軟X線を用いると原子の内殻軌道から励起される電子を、丁度、これらの電子軌道に遷移させることができます。つまり、軟X線MCDで得られる情報は磁性に直接的なものとなり、従来の磁気測定との比較がより有意義なものとなります。このように、硬X線MCDでの超強磁場中の実験成功をきっかけに、超強磁場中での軟X線MCDの実現を目指して開発が始まりました。
《研究内容と成果》
これまで軟X線MCD実験用の強磁場発生装置には、超伝導磁石が用いられてきました。超伝導磁石には安定した磁場が得られる利点がありますが、この先、超伝導磁石を用いた装置を開発しても現状で約20テスラが限界となります。そこで研究グループでは、将来40テスラ以上での実験の実現も視野に入れ、硬X線MCDと同様のパルス磁場方式を採用しました。パルス磁場は、電源装置に蓄えた電気を磁場発生コイルに一気に流し込むことによって発生します。磁場の持続時間は短時間(0.001~0.1秒)ですが強烈な磁場が得られる特徴があります。
一方、軟X線では物質の透過能が0.1ミクロン程度しかなく、硬X線実験のように透過したX線を測定するような吸収分光実験が難しいため、一般的には、試料による軟X線吸収量に比例して試料表面から飛び出してくる光電子※6の量を計測して吸収分光実験を行っています。このとき、光電子の量は、電流に換算すると、約10億分の1アンペアという極めて微弱な値に相当します。つまり、20テスラ以上のパルス磁場中で軟X線MCDの実験を行うためには、雷のようにパルス的に発生させる大電流と強磁場の近傍で、約10億分の1アンペアの電気信号を精度良く測定する必要があるのです。この課題をクリアするために、パルス磁場発生技術のエキスパートである東北大学金属材料研究所と東京大学物性研究所のグループは、パルス磁場としては長時間の100分の5秒を実現することで、急激な電流変化や磁場変化によるノイズ発生を低減し、SPring-8ではこれまでの軟X線MCD測定技術で得た経験を活かして信号ケーブルや検出方法の徹底したノイズ対策を行いました。こうして開発した実験装置が図1に示したパルス磁場軟X線MCD測定装置です。
超強磁場中の軟X線MCDの開発と実験は、SPring-8の軟X線ビームラインであるBL25SUで実施しました。今回、測定した物質はハードディスクの読みとりヘッド用に用いられているCoFe/MnIr薄膜※7です。この試料については、これまでに多くの軟X線MCD測定の実績があり、測定法の開発を目指した本研究にとって最適の試料です。図2は今回得られた最大21テスラの磁場中における軟X線MCD実験の結果です。CoFe/MnIr薄膜のうちコバルト(Co)だけの磁性を選択的に取り出すことのできる軟X線エネルギー(780電子ボルト)にセットして測定を行いました。図2の横軸は磁場を発生しはじめてからの経過時間で、黒線で示した磁場強度は0ミリ秒で急激に増加して、約3.3ミリ秒で最大の21テスラに到達した後、約50ミリ秒かけて緩やかに減衰していく様子が分かります。図2の赤線で示した左回り円偏光軟X線に対する吸収量と、青線で示した右回り円偏光軟X線に対する吸収量は、磁場を発生した後に青線と赤線の挙動に差が生じ、磁場発生前の値を基準にして上下対称になるように変化を生じています。軟X線MCDは赤線と青線の差分(緑線)で表されるので、図2において明瞭な軟X線MCDが観測され、測定に成功していることが分かります。磁場の強さに応じて軟X線MCDの強度が変化していますので、図2の結果から横軸を磁場の強さ、縦軸を軟X線MCD強度に焼き直すと、図3が得られます。図3の曲線から、CoFe/MnIr中のCo原子が2テスラ以上で飽和に達する強磁性であることが確認できました。図2とあわせ、図3の結果も今回開発した実験技術が確かなものであることを証明しています。また、図2と同様の測定を軟X線のエネルギーを変化させながら繰り返し行うことで、軟X線MCDスペクトルの磁場依存性のグラフ(図4)が得られることも示すことができました。
《今後の展開》
本研究で示したCoFe/MnIr薄膜はハードディスクの読み取りヘッド素子材料として利用されていますが、MnIr合金は外部磁場に応答しにくい反強磁性体と呼ばれる磁性を持っています。最近まで、反強磁性体は磁性研究の基礎的な興味対象であっても、材料として利用されることはありませんでした。しかし、現在ではかつて誰も予想もしなかったほど反強磁性体が磁気デバイスの機能に重要な役割を担っています。超強磁場を用いると反強磁性体に有効な変化を与えられるので、今回開発した測定技術は磁気デバイスに用いられる反強磁性体の磁性解明により大きく貢献していくものと考えられます。
また、ハードディスクの読み取りヘッド材料だけでなく、測定に強い磁場が必要とされるレアアース磁石の研究にも新しい切り口を与えることが期待されます。例えば、ハイブリッド自動車用のモーターに使用されるネオジム磁石には高温環境でも性能を維持できるようにジスプロシウム(Dy)が多量に使用されています。しかし、近年はDyの価格高騰が社会問題にまで発展し、Dyの使用量を低減することが急務となっています。軟X線MCDを用いると、Dyが磁石中でどのような磁性を持っているかを詳細に調べることができますので、その情報から、Dyを代替する安価な元素(ユビキタス元素)を見出す研究の進展が期待されます。
《掲載論文》
題名:Soft X-ray Magnetic Circular Dichroism of a CoFe/MnIr Exchange Bias Film under Pulsed High Magnetic Field
日本語訳:CoFe/MnIr 交換結合膜におけるパルス強磁場下の軟X線磁気円二色性
著者: 中村哲也1, 鳴海康雄2, 広野等子1, 林美咲2, 児玉謙司1, 角田匡清3, 磯上慎二3, 高橋宏和3, 木下豊彦1, 金道浩一4, 野尻浩之2.
著者所属:
1 高輝度光科学研究センター
2 東北大学金属材料研究所
3 東北大学大学院工学研究科
4 東京大学物性研究所
ジャーナル名:Applied Physics Express (APEX)
巻・ページ・発行年:4巻・066602ページ・2011年
掲載日:平成23年5月24日
《参考資料》
測定チャンバーの断面模式図(右)。
磁場発生時にコイルが熱をもつため、常に液体窒素で冷却している。試料は磁場発生コイルを貫く真空パイプのなかにセットされており、軟X線の吸収量に比例して放出される光電子と同じ電荷に相当する電流が、電流アンプを通って補充される。すなわち、電流アンプを通過した電流量が軟X線吸収量に比例する。
における軟X線MCD測定結果。
説明は本文参照。
黒線は測定データを直接プロットしたもので、赤丸は精度を上げるために0.25テスラごとに生データを平均化した値のプロット。
繰り返し行うことで得た軟X線MCDスペクトルの磁場依存性。
《用語解説》
※1 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、高輝度光科学研究センターが運転管理を行っています。放射光とは、光速に近い速度で加速した電子の進行方向を電磁石で変えたときに発生する、強力な電磁波(X線)のこと。SPring-8の名前は、Super Photon ring-8Gevに由来します。放射光は、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する細く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
※2 軟X線/硬X線
軟X線と硬X線の区別に明確な定義はありませんが、本研究では軟X線は約800電子ボルト(波長で約1ナノメートル)程度のX線、硬X線は軟X線に比べてエネルギーが10倍程度のX線としています。
※3 磁気円二色性(MCD)
磁性体に円偏光したX線を照射すると円偏光の向きが右回りか左回りかによって吸収される軟X線の量が変化します。この変化量はその物質の磁気的性質を反映することから、軟X線を用いた磁気測定法として利用されています。軟X線のエネルギーを特定の値に調整することで調べたい元素毎に軟X線磁気円二色性が得られますので、元素を特定した分析が可能です。MCDはMagnetic Circular Dichroismの略称。
※4 磁気モーメント
原子がもつ磁石としての強さと向き(S極からN極に向かう方向)を表すベクトル量。
※5 不対電子
電子は電子軌道に入るときに通常は上向きスピンと下向きスピンがペアを形成します。しかし、鉄(Fe)の3d電子軌道などではペアをつくらない電子が存在します。このペアになっていない電子を不対電子と呼び、これが磁性の起源となります。
※6 光電子
原子や分子に属する電子が、X線などの光から十分なエネルギーを得ると電子軌道の束縛から解放され原子や分子の外部に放出されます(光電効果)。この電子を光電子と呼びます。
※7 CoFe/MnIr薄膜
コバルト(Co)と鉄(Fe)の合金薄膜層が、マンガン(Mn)とイリジウム(Ir)の合金薄膜層の上に積層された2層構造の薄膜。実際の試料では、酸化シリコン(SiO2)の基板上に数種類の純金属(タンタル(Ta)やルテニウム(Ru)など)とともに蒸着された多層構造を形成しています。CoFe合金は強磁性、MnIr合金は反強磁性の性質を持ち、2つの異なる性質の磁性体を積層することで、ハードディスクの読み取りヘッドに必要な磁性を持たせています。
《問い合わせ先》 鳴海 康雄(なるみ やすお) (報道担当) 東北大学金属材料研究所 総務課庶務係 |
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