生体中での分子の運動性の解明へ期待 -核共鳴散乱法による両親媒性液晶の小角および広角準弾性散乱測定-(プレスリリース)
- 公開日
- 2012年01月11日
- BL09XU(核共鳴散乱)
2012年1月11日
京都大学
高輝度光科学研究センター(JASRI)
科学技術振興機構(JST)
京都大学(京都大学総長 松本 紘)、高輝度光科学研究センター(以下JASRI、理事長 白川哲久)の研究グループは、高輝度放射光で共鳴励起した原子核から散乱されたガンマ(γ)線のユニークな特性を利用して、ソフトマター*1中で1000万分の1秒程度の時間で起こる分子レベルの運動を測定可能にする方法を新たに開発しました。そして、この方法を用いて液晶中の分子の運動状態(ダイナミクス)を調べ、分子間の結び付きの状態(会合状態)を世界で初めて明らかにしました。 (論文) |
1. 背景
ディスプレーなどに用いられる液晶の物性に対する基礎理解は、その応用上からも重要です。液晶分子の形成する重要な相状態の1つであるスメクティック相*3では、分子は運動性を有したまま図1で示されるような層状の秩序構造を作ります。層の中では液晶分子は比較的自由に拡散できますが、層間の移動は、ある程度、制限されることが知られています。一方、分子が会合するようにデザインされた両親媒性の液晶分子は、もしこの分子が微視的に会合するような層秩序構造を形成する場合は、層内では自由に動くことが可能ですが、層間の運動をした際には分子が隣の層内で安定な向きとは反対向きになるため、そのような運動はかなり起こりにくくなると考えられます。このような層内運動に比べて層間運動が起きにくくなるかどうか調べることで、分子の微視的な会合状態が起きているか知ることができます。このような会合する分子は生体中にも見られており、微視的運動性の理解は重要です。しかし、これまでこのような分子の微視的な運動性をミクロなレベルで比較的迅速に観測するには多くの制限がありました。
2.研究手法・成果
研究方法としては、原子核(57Fe)が励起状態から基底状態に崩壊するときに放出されるγ線を利用しています。第一励起状態にある57Fe原子核がその寿命(141 ns)程度で脱励起する際に放射されるγ線は、そのエネルギー(14.4 keV)に対して13桁も小さいエネルギー幅(4.6 ナノeV)となっています。SPring-8の高輝度放射光を用いることによって、このような単色性に加えて高い指向性と強度の強いγ線を生成することが可能となります。このγ線を試料に当てると、γ線は試料の中の運動している分子と衝突することによってエネルギーが変化します。通常の場合は様々な分子の運動によって、入射エネルギーを中心としたエネルギー拡がりが起こることになります。干渉現象を用いて、このエネルギー変化を、観測します。まず、(図1の核共鳴吸収体(B)からの)変化を受けていないγ線と、(図1の核共鳴吸収体(A)からの)僅かにエネルギーの異なったγ線とを干渉させたとすると、強度の時間変化でうなりが観測されます。これは互いに僅かに周波数の異なった2つの正確な音叉を同時に鳴らすとうなりが聞こえることに似た現象です。このとき、どちらか一方のγ線のエネルギーが試料の運動によって、その線幅である4.6 ナノeVよりも拡がった場合(準弾性散乱広がり)には、うなりがぼやけて観測されることになります。よって、このような干渉現象を利用して運動状態を観測することが可能となります。一方、この57Fe原子核の第一励起エネルギー14.4 keVは波長に換算すると0.086 ナノメートル(0.86 オングストローム)であるため、オングストロームオーダーの原子・分子スケールの構造をみるのに適しています。今回開発した方法は、このような原子・分子スケールでのナノ秒 から10マイクロ秒程度の拡散の様子を時間領域上で観測することのできる方法です。この測定装置の概念図を図1に示しました。試料はスメクティック相状態にある液晶分子を用いています。この液晶試料からの回折光を調べると、透過光に対する角度2θhighと2θlowにそれぞれ強い回折光が観測され、それらはそれぞれスメクティック層内と層間方向の分子の配置の相関を反映しています。まず検出器をそれぞれの角度に合わせることで、どのような分子スケールの構造において相関のゆらぎ(緩和)を調べたいかを決めることができます。この時、この得られた時間スペクトルのうなりの状態は、着目している構造の相関がどのような時間で緩和するのかを表しています。実験の結果、典型的な液晶と分子スケールで会合するようにデザインされた両親媒性液晶の系でその運動性が層内と層間でそれぞれ同程度であることが見出されました。その結果、両親媒性液晶の系では微視的に分子の会合が強く起きていないことが示唆されました。さらに、この研究により、実際に本方法がソフトマターに適用可能であることが実証されました。
3.波及効果
本方法では、原子・分子の微視的なスケール(0.1〜6 ナノメートル)でナノ秒から10マイクロ秒の時間スケールでの運動の測定が可能となっています。このような時間-空間スケールでの測定が有効な領域としては本研究で行った液晶をはじめ高分子等も含めたソフトマターに留まらず、ガラス転移機構解明を睨んだ過冷却状態の液体のダイナミクスも重要な研究ターゲットとして考えられます。このように、本方法では基礎的な領域から応用研究にまで適用可能であり、すでにイオン液体、分子液体や固体中での分子・イオンの拡散研究にも応用が行われはじめています。
本方法と同様の測定が可能な方法として、中性子スピンエコー法があります。この方法により多くのソフトマターに関する知見が明らかになってきました。本方法は、より小さな相関が遅く緩和する運動が見やすいなどの、いくつかの優れた性質を有しています。さらに、本方法の発展として、異なるエネルギーの核共鳴散乱を同時に用いることで、放射光を高効率に利用でき、測定時間の大幅な短縮が可能です。本方法の今後の広範な応用の可能性が期待されます。
図1:時間領域干渉計法の装置図と時間スペクトル
《用語解説》
*1 ソフトマター
ソフトマターは、固体に対比して柔らかな物質の総称です。例えば、今回調べられたような液晶や、界面活性剤、高分子などがソフトマターと呼ばれます。また、人体中に見られる細胞膜などの生体構造もソフトマターの一つです。ソフトマターは、階層的な秩序構造があることに加え、その内部での分子の比較的大きな運動性が特徴であり、それによって固体にはない特徴的な機能を持つことがあります。また、人体のメカニズムの理解へ向けても、ソフトマターは盛んに研究されています。
*2 大型放射光施設 SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その運転管理や利用促進業務はJASRIが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
*3 スメクティック相
スメクティック相は、棒状の液晶分子が2次元の層構造を形成し、それが積み重なった構造を持つ液晶相です。スメクティック層構造中で、液晶分子は特定の方向を向いており、分子は固体と比べて比較的大きな運動性を有しています。また、スメクティック層内での分子運動は、スメクティック層間の分子運動よりも比較的早いことが知られています。
《問い合わせ先》 (JSTの事業に関すること) (SPring-8に関すること) |
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