アフリカ睡眠病治療薬の候補化合物と標的タンパク質との複合体構造の解明(プレスリリース)
- 公開日
- 2013年03月05日
- BL41XU(構造生物学I)
- BL44XU(生体超分子複合体構造解析)
2013年3月5日
東京大学
京都工芸繊維大学
東京大学大学院医学系研究科の北潔教授、京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科の原田繁春教授らの研究グループは、アフリカ睡眠病の治療薬標的タンパク質(TAO)や治療薬候補化合物との複合体構造を、フォトンファクトリー(PF)およびSPring-8の放射光実験施設を利用して解明しました。感染したヤギやマウスを完全に治癒できるこの化合物をリード化合物に、今回得られたタンパク質立体構造情報に基づいて、さらに優れた治療薬の設計が加速され、科学先進国である日本の基礎研究の成果を開発途上国の発展に結実させることができます。 (論文) |
研究の背景
アフリカ睡眠病は、トリパノソーマ科の寄生性原虫Trypanosoma brucei(アフリカトリパノソーマ)の感染によって発症し、毎年3~5万人の患者が新たに発生している感染症です。アフリカトリパノソーマは、ツェツェバエによって媒介され、感染初期は宿主の血流中で増殖します。慢性期になると中枢神経系が侵されて、最終的には昏睡状態に陥って死に至ることから「アフリカ睡眠病」あるいは「眠り病」と呼ばれています。アフリカトリパノソーマは家畜にも感染し、ナガナ病と呼ばれる感染症を引き起こします。その結果、人々のタンパク源として重要なウシが年間数十万頭も死に至り、大きな経済的被害を与えています。このように、アフリカトリパノソーマはアフリカ諸国の人々、特に貧困に苦しむ人々の健康だけでなく経済発展の大きな妨げになっています。しかし、マラリアとは対照的に、アフリカ睡眠病は「顧みられない熱帯病」(注1)と呼ばれ、先進諸国は治療薬の開発に積極的ではありませんでした。そのため、毒性や重い副作用のある治療薬が今も使われているのが現状で、より安全でかつ効果の高い治療薬の開発が急務になっています。
アフリカトリパノソーマは、ツェツェバエの中にいる時と宿主哺乳類の血液中にいる時とでは、全く異なった代謝経路でエネルギーを産み出しています。哺乳類血液中では、ミトコンドリア(注3)中に存在するシアン耐性酸化酵素(Trypanosome Alternative Oxidase、TAO)がエネルギー代謝の末端酸化酵素として働き、アミノ酸配列の解析から酵素反応に関わる触媒部位に2核鉄が結合している膜表在型のタンパク質であると予想されていました。また、宿主哺乳類の血液中にいるアフリカトリパノソーマの生存に不可欠で、しかも哺乳類には存在しないTAOは、アフリカ睡眠病治療薬を開発する上で格好の標的になると考えられてきました。実際、研究グループは糸状菌から単離したプレニルフェノール化合物であるアスコフラノン(注2)がTAOの酵素活性を非常に強力に阻害し、アフリカトリパノソーマに感染させたマウスやヤギを完全に治癒させることを報告しています。しかし、TAOの立体構造が分からない状況ではアスコフラノンの阻害機構を解明し、タンパク質の立体構造情報に基づく治療薬の設計は不可能でした。
研究内容
本研究では、大腸菌で大量発現したTAOを高純度に精製して結晶化し、X線結晶構造解析によって膜表在型の2核鉄タンパク質として初めての立体構造を明らかにしました。研究には、SPring-8のBL41XUおよびBL44XUが利用されました。TAOは、逆平行に並んだ6本の長いヘリックスからできており、そのうちの4本が束ねられてできた構造の中に酵素反応の中心的役割を担う2核鉄が独特の配位様式で結合していました(図1)。また、二量体の形成やそれが膜に結合している様式も明らかにできました(図2)。
さらに、アスコフラノン誘導体との複合体構造も決定し、その阻害機構を詳細に明らかにしました。アスコフラノン誘導体は、二核鉄の近くにある疎水性ポケットに結合して、TAOのアミノ酸残基と水素結合やファン・デル・ワールス相互作用を形成してTAOに結合していました(図3)。
今後の展開
わが国では戦後、公衆衛生の発達によってほとんどの寄生虫感染症は制圧されました。しかし、世界に目を向けると多くの発展途上国、特に熱帯地域の国々では様々な寄生虫感染症に苦しんでいます。本研究で着目したアフリカ睡眠病や中南米のシャーガス病は、トリパノソーマ類によって引き起こされる感染症で、「顧みられない熱帯病」としてようやくWHOなどがその制圧に力を入れはじめました。
研究グループは、日本で発見された抗生物質アスコフラノンやその誘導体化合物がTAOに対する強力な阻害剤であり、ヤギやマウスを使った動物実験で治癒効果のあることを既に確かめています。本研究で明らかにしたTAOやTAOにアスコフラノン誘導体が結合した複合体構造は、アフリカの流行地でも使いやすい、優れた睡眠病治療薬のドラッグデザインを加速させ、科学先進国である日本の基礎研究の成果を開発途上国の発展に結実させることができます。
《参考図》
赤色は疎水性が高い領域を示している。
阻害剤は、二核鉄の近くの疎水的なポケットに結合している。
《用語解説》
注1 顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases 、NTDs)
顧みられない熱帯病(アフリカ睡眠病やシャーガス病)には、現在、世界で約10億人が感染し、毎年50万人が死亡している。身体に長期間にわたる重大な障害を起こすため、労働力低下を起こし、その国の経済発展を妨げている。途上国の貧困層を中心に感染が広がっているにもかかわらず、新たな治療薬の開発が行われていないために「顧みられない熱帯病」と呼ばれている。この感染症の制圧に向け、世界の製薬大手13社と米英政府、世界保健機関(WHO)などが2012年1月末、治療薬の提供や新薬開発で協力し合うことで合意した。
注2 アスコフラノン
糸状菌から単離されたプレニルフェノール化合物であり、抗腫瘍および抗ウイルス活性を示すことから見いだされた。アフリカ睡眠病やナガナ病を引き起こすトリパノソーマに対する薬剤開発のリード化合物である。この化合物はin vitroの培養原虫を極めて短時間で殺滅し、感染マウスおよびヤギに高い治療効果を示す。
注3 ミトコンドリア
ほとんど全ての真核生物の細胞に含まれる細胞内小器官である。食物(糖)を酸化してエネルギーを取り出し、生体内の唯一のエネルギー源であるアデノシン三リン酸(ATP)を合成する場である。「細胞のエネルギー工場」とも呼ばれる。
《問い合わせ先》 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科 応用生物学部門 構造生物工学研究室
(SPring-8に関すること) |
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