埋もれた強磁性層からのスピン分解電子状態の検出に成功 −スピントロニクスデバイス評価と新規材料設計への応用に期待−(プレスリリース)
- 公開日
- 2014年04月02日
- BL15XU(広エネルギー帯域先端材料解析)
2014年4月2日
独立行政法人 物質・材料研究機構
国立大学法人 東北大学
独立行政法人 物質・材料研究機構(理事長:潮田資勝、以下「NIMS」)と国立大学法人 東北大学(総長:里見進)は共同で、従来のスピン分解光電子分光法1)では検出が困難であった埋もれた強磁性層からのスピン分解電子状態の検出に成功しました。 (論文) |
研究の背景
光電効果4)を利用した光電子分光は、一般に真空紫外光や軟X線を光源に用いて行われてきました。これらの光源を用いて、光電子のエネルギーと数の分布から電子状態の詳細を調べることができる一方で、固体内部とは異なる表面の電子状態も観測してしまうこともあるため、しばしば得られた電子状態が、本当に知りたい物質内部の電子状態と異なってしまうことがありました。近年の放射光利用技術の発展により、大型放射光施設SPring-85)の強力な高輝度硬X線を利用した硬X線光電子分光6)を使うことで、固体内部の電子状態を調べることができるようになったのは、2003年以降になってのことでした。この手法では、従来に比べて光電子の脱出深さが数倍以上長くなり、固体表面の影響が極めて少ないことが特徴で、固体内部や実際のデバイス構造の中に埋もれた物質の電子状態を観測できるようになりました。
近年の電子材料デバイスでは、電子の持つスピン7)の機能を用いた材料(スピントロニクス8))の利用、研究が積極的に行われるようになっています。スピンの機能を利用したデバイスの構造は、強磁性体/絶縁体/強磁性体のようなサンドイッチ構造を持っています。また、デバイスの性能は、強磁性体と絶縁体の界面近傍のスピン電子状態によって左右されると考えられていますが、真空紫外光や軟X線を用いた従来のスピン分解光電子分光では、埋もれた強磁性体層からの情報を得ることができません。そのため、硬X線を用いたスピン分解光電子分光の開発が期待されていました。
図1(a)に示すように、近年用いられている光電子アナライザーは検出効率を高めるために、光電子のエネルギーと放出角度分布を同時に測定可能な2次元検出器が用いられています。一方、スピン分解光電子分光では、図1(b)のように出口スリットを通過した光電子のみをスピン検出器によってスピンの向きを選別する方法がとられています。スピン検出器の検出効率は一般的に低く、2次元検出器を用いることが難しいためスピン分解光電子分光測定は効率が極めて低く、光電子の放出確率が低くなる硬X線領域でのスピン分解光電子分光測定は非常に難しい実験であると考えられていました。
(a)近年用いられている典型的な2次元検出器を用いた光電子分光実験の概略図。X線を試料に照射した際に発生する光電子の角度情報(X軸)とエネルギー情報(Y軸)を同時に測定できるため、検出効率が高くなります。
(b) 典型的なスピン分解光電子分光実験の概略図。光電子アナライザーの出口スリットを通過した光電子のみスピン検出器へ導入されます。通常スピン分解光電子分光では2次元検出器が利用できません。
成果の内容
研究グループは、従来のスピン検出器の原理にまで立ち戻って、これまでとは異なる視点で新しいスピン検出方法を考案しました。図2はAu(金)をターゲットに用いた場合のモット散乱9)による電子のスピンの向きに対する散乱強度の非対称性を示しています。非対称性が正(負)の場合は、上向き(下向き)スピンが散乱される確率が高くなります。通常のモット型のスピン検出器では、散乱角が120度(後方散乱)付近の下に凸になっている方向で使用されています。ただし、実際の検出器ではこの非対称性の値は1/3未満になってしまいます。一方、散乱角が65度(前方散乱)付近ではこの非対称性は上に凸の形を示しているのが分かります。我々はこれまで注目されることのなかった前方散乱に着目しました。図3に示すように、強磁性体中で励起された光電子がAuキャップ層内でモット散乱を受けて散乱角65度(表面からの脱出角は25度)で出てくる光電子を検出することでスピン分解を行い、モット散乱を受けずに表面へ進む光電子がAuキャップ層内で減衰する条件を満たす試料構造であれば、従来のスピン検出器を用いることなく、図1(a)に示した高効率な2次元検出器も利用できると考えました。
図4は我々が考案した硬X線領域でのスピン分解光電子分光の実験配置を模式的に示したものです。光電子アナライザーには特別な改造を施す必要はなく、2次元検出器を利用できます。光電子のスピン方向は、試料の磁化を図4(a)に示すように方向を上向きと下向きの状態で光電子の強度を測定することで分離することができます。大型放射光施設SPring-8からの高輝度放射光X線と検出効率の高い2次元検出器を利用することによって、図5に示すようにAu薄膜層の下に埋もれたFeNi合金強磁性層からFe 2p内殻領域のスピン分解光電子スペクトルの取得に成功しました。図5の内挿図は、705から710電子ボルトの領域を拡大したもので、図中の矢印が示すように多数スピンと少数スピン状態7)のピーク位置が1.1電子ボルト離れていることが分かります。この値は、純粋なFeの場合(0.5電子ボルト)よりも大きく、FeNi合金中ではFeの磁気モーメントが大きくなることが分かります。
10キロ電子ボルトのエネルギーをもつ電子がAuの原子核によって散乱される場合のスピン依存散乱(モット散乱)の非対称性の散乱角依存性(一回散乱のみを考慮した理論計算。この非対称性がスピンの分解能力の指標に対応。)。非対称性が正(負)の場合は、上向き(下向き)スピンが散乱される確率が高くなります。通常のモット型スピン検出器では、散乱角120度付近(後方散乱)の下に凸の部分をスピン分解測定に用いていますが、多重散乱により、非対称性は1/3未満になってしまいます。一方、本研究では一回散乱のみを考慮すれば良い条件出しを行って、散乱角65度付近(前方散乱)の上に凸の部分をスピン分解測定に利用しています。
強磁性体中で励起された光電子がAuキャップ層内でモット散乱を受けて散乱角65度(表面からの脱出角は25度)で出てくる光電子を検出することでスピン分解を行います。また、モット散乱を受けずに表面へと進む光電子がAuキャップ層で減衰するようにAu層の厚さを決定しています。10キロ電子ボルトの光電子の場合には、膜厚を4ナノメートルにすると上記の条件が満たされます。
(a) 上から見た場合の実験配置。(b) X線入射方向から見た実験配置。本研究では、通常のスピン検出器を用いないので、図1(a)に示した2次元検出器を用いて高効率に測定を行うことができます。
少数スピン状態と多数スピン状態で明確なスペクトル形状の違いが観測されています。少数スピン状態は、多数スピン状態に比べてピーク形状が鋭く、低束縛エネルギー側へ重心が移動しているのが分かります。挿入図は705から710電子ボルトの領域の拡大図を示しています。図中の矢印は、少数スピン、多数スピン状態のピーク位置に対応します。純粋なFeの場合と比較するとピーク間のエネルギー差がFeNi合金中のFeでは約2倍となっており、FeNi合金中ではFeの磁気モーメントが大きくなることが分かります。
波及効果と今後の発展
1. スピントロニクスデバイスに取り入れられている強磁性体/絶縁体/強磁性体のような多層構造(例えばトンネル磁気抵抗素子10))において、強磁性体と絶縁体界面でのスピン分解電子状態とスピン偏極率がデバイス性能向上への情報の手がかりとなります。トンネル磁気抵抗素子の磁気抵抗比が高いほど、デバイス化した際の性能が高くなるためです。Au/絶縁体/強磁性体構造を作製し、絶縁体の厚さ依存性を本研究の手法を用いることで、強磁性体と絶縁体の界面近傍での強磁性体の性質を知ることができれば、トンネル磁気抵抗素子における磁気抵抗比を飛躍的に向上させるための指針が得られるものと期待されます。
2. スピントロニクス材料の中で特に注目されているハーフメタル11)の価電子帯におけるスピン分解電子状態とスピン偏極度の測定によって、実験的にハーフメタル電子状態が実現されているかどうかを明らかにすることができれば、デバイス作製のために有用な材料の選定と新規材料開発に極めて有用な知見を得られるようになります。スピン偏極度が高くなるほど、磁気抵抗比が大きくなることが期待されるためです。そのためには、今後、価電子帯のバルク敏感スピン分解光電子分光が可能となるように研究を推進する必要があります。
《用語解説》
1) スピン分解光電子分光
物質に光を照射すると、その物質表面から電子が放出されます。この放出された電子のことを光電子と呼びます。光電子分光は、放出された光電子の個数とエネルギーの関係を調べることにより、物質の電子状態(固体中に束縛された電子がつくる状態)を調べる実験的手法です。広く物質の電子状態を測定するために利用されています。また、電子は自転に由来した磁石の性質を持ちます。これをスピンと呼びます。スピン分解光電子分光では、物質中の電子状態をスピンの向きを区別して測定する方法です。
2) 強磁性体
磁石としての性質を示す物質を強磁性体と呼びます。鉄、コバルト、ニッケルは、代表的な強磁性体として知られています。また、磁気的な性質を持たないものを非磁性体と呼びます。
3) X線
可視光は波長が400から800ナノメートルの電磁波であるのに対し、X線は波長が10から0.01ナノメートル程度の波長の電磁波です。0.3から10ナノメートル程度の波長の電磁波を軟X線、0.01から0.3ナノメートル程度の波長の電磁波のことを硬X線と呼びます。
4) 光電効果
1921年にアインシュタインがノーベル賞を受賞したことで知られる現象です。物質に光を照射すると、その物質表面から電子が放出される現象のことをいう。この放出された電子のことを光電子と呼びます。
5) 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高のX線放射光を生み出す施設。放射光は、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な電磁波です。赤外線からX線にわたる広い領域の光が得られます。
6) 硬X線光電子分光
硬X線光電子分光は、物質に硬X線を入射し、そこから放出される光電子の個数とエネルギーの関係を調べることにより、物質内部の電子状態を調べる実験的手法です。従来の真空紫外光や軟X線を用いた光電子分光は表面近傍の情報しか得られませんでしたが、硬X線で励起することにより、固体内部の電子構造を調べることが可能になりました
7) スピン
電子の自転に由来した磁石の性質のことをスピンと呼びます。自転の方向に対応して、電子には上向きスピンと下向きスピンの2種類の状態があります。上向きスピンと下向きスピンの数が異なること、物質は磁石としての性質を示すようになります。上向きスピンを多数スピン、下向きスピンを少数スピンと呼びます。
8) スピントロニクス
物質中の電子(電荷)の自由度を利用するエレクトロニクスとスピンが持つ自由度を組み合わせた分野を、スピンとエレクトロニクスを合わせた造語でスピントロニクスと呼びます。
9) モット散乱
負の電荷を持つ電子が正の電荷を持つ原子核によって散乱される(進行方向を曲げられる)ときに、特定の散乱角度での電子の散乱確率は、電子のスピンの方向に依存します。このような電荷とスピンによる電子の散乱をモット散乱と呼びます。また、この現象を利用したスピン検出器をモット型スピン検出器と呼びます。モット型スピン検出器では、後方散乱(散乱角120度近傍)での電子強度を測定することによってスピンの向きを知ることができます。
10) トンネル磁気抵抗素子
2枚の強磁性層の間に1ナノメートル程度の絶縁体を挿入した構造をトンネル磁気抵抗素子と呼びます。2枚の強磁性層の磁化方向が平行の場合には抵抗が低くなり、反平行の場合には抵抗が高くなります。磁化が平行の場合と反平行の場合の抵抗の差を平行の場合の抵抗で割ったものを磁気抵抗比と呼びます。この磁気抵抗比が素子の性能の指標になり、磁気抵抗比が高いほど素子としての性能が高いことを意味します。
11) ハーフメタル
強磁性体中の多数スピンの電子の振る舞いが金属で、少数スピンの電子の振る舞いが半導体あるいは絶縁体となっているものをハーフメタルと呼びます。多数スピンの電子のみが電気伝導に関わるため、スピントロニクス分野にとってハーフメタルは非常に重要な材料のひとつです。
《問い合わせ先》 国立大学法人 東北大学 金属材料研究所 総務係 国立大学法人 東北大学 電気通信研究所 総務係 (研究内容に関すること) 国立大学法人 東北大学 国立大学法人 東北大学 (SPring-8に関すること) |
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