SACLAを用いた固体の光電子スペクトルの時間分解計測に成功 -界面の電荷移動現象や動作中の半導体の電子状態の観察が可能に- (プレスリリース)
- 公開日
- 2014年12月24日
- SACLA
2014年12月24日
独立行政法人理化学研究所
キール大学
自然科学研究機構分子科学研究所
公益財団法人高輝度光科学研究センター
理化学研究所(理研)放射光科学総合研究センター軟X線分光利用システム開発ユニットの大浦正樹ユニットリーダー、アシシ・チャイナニ専任研究員と、キール大学(ドイツ)のカイ・ロスナゲル博士、自然科学研究機構分子科学研究所の松波雅治助教、高輝度光科学研究センターの富樫格研究員らの共同研究グループ※は、X線自由電子レーザー(XFEL)施設「SACLA」[1]から得られる硬X線とフェムト秒光学レーザーを用いたポンプ・プローブ型[2]の硬X線光電子分光法により、固体試料構成元素の内殻[3]光電子スペクトルの時間分解計測に成功しました。 論文情報: |
背景
近年のレーザー科学の発展は著しく、10年ほど前からは、近赤外のフェムト秒レーザー(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)と非線形結晶[6]などを組み合わせた、ポンプ・プローブ型の時間分解光電子分光(trPES:time-resolved PhotoElectron Spectroscopy)実験による物質科学の研究が、世界の大学や研究機関で盛んに行なわれています。trPESでは、プローブ光として波長が200~350ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)の深紫外領域から波長が6~124nmの軟X線領域の高次高調波[7]が用いられています。
光電子分光法は、測定対象の物質に一定エネルギーの電磁波をあて、光電効果により外に飛び出してきた電子(光電子)の運動エネルギーを測定し、物質の電子状態を調べる手法です。
測定対象の物質にポンプ光照射などによって外部から刺激を与えると、物質内には、その物質固有の時間で緩和する非平衡状態が誘起されることがあります。ポンプ・プローブ型のtrPESは、この非平衡状態と平衡[8]あるいは準安定な状態との間で遷移する際の電子状態の動的な変化をプローブ光で直接観察します。電子状態の変化は、一般的にフェムト秒からピコ秒(1ピコ秒は1兆分の1秒)という極めて短い時間で起こる超高速現象です。trPESは、光誘起相転移現象[9]など、固体物性研究における超高速現象の観察に貢献しています。
しかし、これまでに行われてきた実験の多くは、プローブ光の波長が200nmと長く、観察できる電子が最外殻の価電子に限られ、しかも元素選択性にも乏しいという問題がありました。
共同研究グループは、X線自由電子レーザー(XFEL)施設「SACLA」からの超短パルス硬X線(波長:1.55nm以下)を物質内の過渡的な超高速現象の観察に有効活用するための技術を確立し、硬X線とフェムト秒光学レーザーを組み合わせたポンプ・プローブ型の硬X線光電子分光法(HAXPES:HArd X-ray PhotoElectron Spectroscopy)によって、この問題の解決に取り組んできました。しかし、これまで自由電子レーザー光は光電子分光法には不向きであると考えられてきました。なぜなら、自由電子レーザー光はパルス幅が極めて短く強度が大きいため、測定対象物質から短時間のうちに放出される膨大な数の光電子群が空間電荷効果をもたらし、光電子スペクトルに、ピーク値のずれやピーク幅の増大などの悪影響を及ぼすからです。
共同研究グループは今回、探査深度の大きな硬X線をプローブ光としたHAXPESが、固体の深い層の電子状態の観察に威力を発揮すること、また硬X線はほとんどの内殻電子を励起できるため、構成元素を選択的に調べることができることに着目し、SACLAから得られる超短パルス硬X線をプローブ光として利用したポンプ・プローブ型の時間分解硬X線光電子分光法(trHAXPES:time-resolved HAXPES)の実現を目指しました。
研究手法と成果
共同研究グループは、ストロンチウム(Sr)とチタン(Ti)の複合酸化物であるチタン酸ストロンチウム(SrTiO3、以下STO)と二酸化バナジウム(VO2)の薄膜を試料とし、ポンプ・プローブ型のtrHAXPES実験によって、試料の構成元素であるチタンとバナジウム(V)の内殻光電子スペクトルを観察しました。実験は、SACLAから得られる硬X線をプローブ光として、フェムト秒光学レーザーをポンプ光として用いました。計測系の模式図を図1に、SACLAの実験ハッチに設置したHAXPES装置を図2に示します。
まず、プローブ光である硬X線のみで実験を行い、超短パルス硬X線に起因する空間電荷効果を調べました。図3にSTO試料からのチタンの内殻光電子スペクトルを示します。減衰板を厚くし、硬X線の強度を徐々に下げたところ、減衰板なし(100%)の場合のスペクトル(赤線)から硬X線の強度を約5.7%まで減衰させた場合のスペクトル(黒線)まで、ピークエネルギーが、空間電荷効果の緩和により4エレクトロンボルト(eV)[10]も低運動エネルギー側にシフトし、空間電荷効果の影響がほとんどない場合のスペクトル(大型放射光施設「SPring-8」で得られる光電子スペクトルと同水準のもの)が得られることが分かりました。また、この図からは分かりにくいのですが、ピークの幅も硬X線の強度が下がるに従って、空間電荷効果の影響が緩和されて狭くなっています。プローブ光に起因する空間電荷効果が気にならない程度にするには硬X線の強度を1/10程度まで下げる必要があるため、この後の測定では、硬X線の強度が約1/10になるような減衰板の条件で行いました。
次に、ポンプ光であるフェムト秒光学レーザーに起因する空間電荷効果を調べました。ポンプ光の強度もプローブ光と同様に極めて強いため、莫大な数の光電子が放出されます。これらはプローブ光によって放出される光電子に対して電荷の雲のように振る舞い、空間電荷効果としてピーク値のずれやエネルギー幅の増大に関与します。図4はポンプ光強度とピークシフト量の関係を示しています。空間電荷効果のない条件(ポンプ光強度 ~ 0 µJ / パルス)に比べ、ポンプ光強度の強いところでは約1eVのピークシフトがあることが分かります。
最後に、ポンプ光とプローブ光それぞれの照射のタイミングをずらし、照射間の遅延時間を変えながら、STO試料からのチタンの内殻光電子スペクトルの時間分解計測(図5a)を行うとともに、空間電荷効果の現れ方の変化を観察(図5b)しました。図5(a)はSTO試料からのチタンの内殻光電子スペクトルのピークシフトの遅延時間依存性を示しており、内殻光電子スペクトルの時間分解計測に成功したことが分かります。図5(b)中の丸印は実測値で、曲線群は電荷雲の運動を分かりやすく説明する解析モデルによる計算値です。この解析モデルは、ポンプ光のみを照射した場合に得られる電子スペクトルの実測値をモデル計算に組み込むという、新たな試みを導入しています。また、実験値と計算値を比べることで、図5(b)のエネルギーシフトの遅延時間依存性の極大値からポンプ光とプローブ光の同時照射時刻を高精度で見いだせることを突き止めました。これにより、同時照射時刻からのスペクトルなどの変化を調べることで、測定対象物質の外部刺激に対する応答性などの性質を知ることができるようになります。これは空間電荷効果の時間分解観察であり、trHAXPES実験の最初の応用例といえます。
今後の期待
物質の機能を決定づける電子状態を直接観察できる光電子分光法によって、固体電子物性を調べることは、物質科学の研究を進める上でとても重要です。HAXPES実験は“バルク敏感[11]”という言葉をキーワードにこの10年で大きく発展してきました。今日では、HAXPESに色々な測定手法、例えば角度分解測定[12]、偏光依存測定[13]、雰囲気制御測定[14]などを組み合わせた実験が行われるようになっています。今回、新たに加わった時間分解測定は、超高速で起こる電子状態の変化をピコ秒以下の時間分解能で追跡する能力を秘めており、光誘起相転移現象、物質の界面における電荷移動現象[15]や、動作中の半導体デバイスの電子状態を観察するオペランド計測[16]など、広い応用が期待できます。原理的には、上述の角度分解測定・偏光依存測定・雰囲気制御測定に時間分解測定を組み合わせることも可能と考えられます。今回の成果は、物質科学の基礎研究に貢献すると期待できます。
《参考図》
装置の上流側にフェムト秒光学レーザーの輸送システム(黒いシールドボックスの中)がある。
(a) STO試料からのチタンの内殻光電子スペクトルのピークシフトの遅延時間依存性。光電子スペクトルを幾つか抜粋して示す。
(b)エネルギーシフトの実測値(丸印)と解析モデルによる計算値(曲線群)を示す。
《補足説明》
[1]X線自由電子レーザー(XFEL)施設「SACLA」
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。科学技術基本計画における5つの国家基幹技術の1つで、2006年度から5年間の計画で建設・整備された。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAser の頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から供用運転が開始され、利用実験が始まっている。
[2]ポンプ・プローブ型
ポンプ・プローブ法は時間分解分光法の中で最も広く使われている手法。ポンプ光とプローブ光の2種類の短パルス光を利用して、ポンプ光の照射によって誘起される物質内の過渡的な(超)高速現象をプローブ光で観察する。ポンプ光の照射からプローブ光の照射までの時間差(遅延時間)を変化させ、さまざまな遅延時間で試料の状態を観察することで、(超)高速現象の時間発展を調べることが可能。パルス光の幅が短ければ短いほど超高速な現象を追うことができる。
[3]内殻
中性原子の原子核の周りには、その原子番号に等しい数の電子がある。これらの電子は“ある規則に従って”いくつかの層(電子殻)に分布している。原子核にごく近い電子殻を内殻といい、そこにある電子を内殻電子と呼ぶ。一方、外側の電子殻にある電子は外殻電子といい、最も外側の電子殻にある電子は価電子と呼ばれる。普通の環境の下では、化学反応には価電子が関わっており、物質の化学的な性質や物理的な性質を決定づける。
[4]空間電荷効果
光電子分光法における空間電荷効果は、プローブ光となる電磁波によって単位時間・単位体積当たりに放出される電子群がその各々の負電荷によって反発し合い、運動エネルギースペクトルにおいて、ピーク位置のシフトやピーク幅の増大として、悪影響を及ぼす効果のことをいう。超短パルス高輝度光を代表する自由電子レーザー光のように単位時間当たりの光強度が強い光源ほど空間電荷効果は顕著に表れる。この効果は、プローブ光のみならず、ポンプ・プローブ法で使われるポンプ光によっても起こりうる。
[5]大型放射光施設「SPring-8」
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高レベルの放射光を生み出す施設。理化学研究所が所有し、その運転管理と利用者支援は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuperPhotonring 8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ同じ速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する強力な電磁波。SPring-8では、この放射光を用いて基礎科学から産業利用までの幅広い研究が行われている。
[6]非線形結晶
レーザーのような強い光に対する物質の非線形応答を利用して、光の周波数変換などに使用する光学結晶のこと。第2高調波や第3高調波を発生させることが容易にできる。LBO結晶(LiB3O5)、BBO結晶(β-BaB2O4)、KTP結晶(KTiOPO4)などが代表的な非線形結晶で、用途によって使い分けられている。
[7]高調波
ある周波数成分を持つ電磁波などの波動に対して、その整数倍の高次の周波数成分のこと。元々の周波数を基本波、その2倍の周波数(1/2の波長)を持つものを第2高調波、n倍の周波数(1/nの波長)を持つものを第n高調波などと呼ぶ。
[8]平衡と非平衡状態
平衡とは物が釣り合って安定していることをいう。化学反応においては、可逆反応における順方向の反応と逆方向の反応の速度が釣り合って、マクロ的に反応物と生成物の組成比が変化しないことをいう。また熱力学の分野では、異なる系の間の熱の移動がない状態のことをいい、物理化学の分野では、複数の物質相から構成される系において、相間の物質の出入りが相等しい状態のことをいう。一方、非平衡状態とは、当に平衡でない状態のことをいい、物質内部でなんらかの物理量の散逸が起きている状態のことをいう。例えば、熱伝導や電気伝導などの輸送現象が非平衡状態に起こる現象として挙げられる。
[9]光誘起相転移現象
物理的状態および化学的組成などが均一な系を“相”という。物質を例にとると、固体・液体・気体はそれぞれ異なった相である。固体の中でも、金属相や絶縁体相などがあり、ある系の相が別の相へ変ることを相転移という。光誘起相転移とは、物質に電磁波照射などの外部刺激を与えた場合、物質内の電子は、その電磁波の波長に対応する電子遷移が誘起されて、励起状態となる。この状態から緩和する際、励起前の状態とは異なる準安定状態を経て、物質固有の時間スケールを持って緩和することがある。これが光誘起相転移現象であるが、これによって生成される準安定状態は、励起前とは異なる物性を持っており、結晶構造が違ったり、電気伝導度や磁気的な特性が違うこともある。
[10]エレクトロンボルト
エネルギーを表す単位の1つで、電子ボルトと呼ばれることもある。1エレクトロンボルトとは、自由空間内で1つの電子が1ボルトの電圧で加速された時のエネルギーのことで、1eVと記す。1エレクトロンボルトは1.6×10-19ジュールに相当する。
[11]バルク敏感
バルクとは、表面や界面などと接しない、物質内部のことを意味する。表面や界面とバルクは物理的にも化学的にも異なる性質を持つため、同じ物質でも分けて考える必要性がある。プローブの探査深度によって、物質内部に大きな感度がある場合をバルク敏感といい、表面に感度がある場合を表面敏感という。
[12]角度分解測定
単結晶などの試料表面から放出される光電子を、試料表面法線からの角度と試料表面内の角度の関数としてエネルギー分析する手法。結晶のバンド構造やフェルミ面の形状などを実験的に描くことができる。
[13]偏光依存測定
光の偏波特性を利用した測定法のことで、水平偏光・垂直偏光を利用した直線偏光制御や、右円偏光・左円偏光を利用した円偏光制御などがある。プローブ光によって、放出される電子が物質内でどのような対称性を持っていたか、といった知見が得られる。
[14]雰囲気制御測定
通常の光電子分光測定は真空中で行う場合がほとんどだが、雰囲気制御測定は、測定対象となる試料が実際に置かれる環境に近い条件下(大気圧下など)で行う。
[15]電荷移動現象
界面で起こる現象で、電子を放出しやすい分子と電子を受容しやすい分子の間で相互作用が起こった場合、新たな結合や新たな分子が形成される。この結合の過程では一方の分子から他方の分子に電子が流れ込むことになる。このように電子が一方から他方に移動する現象のことを電荷移動という。
[16]オペランド計測
オペランドは、電流印加などの動作下(デバイスの実環境下)の意味。動作中の半導体デバイスの電子状態などを観察する手法のことをオペランド計測という。
《問い合わせ先》 キール大学 Institute of Experimental and Applied Physics 分子科学研究所 極端紫外光研究施設(UVSOR) 高輝度光科学研究センター XFEL利用研究推進室 先端光源利用研究グループ (機関窓口) 自然科学研究機構分子科学研究所 広報室 (SPring-8に関すること) |
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