金属内部の変形を非破壊で観察する顕微鏡法を開発(プレスリリース)
- 公開日
- 2015年07月29日
- BL33XU(豊田)
株式会社豊田中央研究所は、放射光を用いた新しい観察手法を開発しました。金属材料内部の3次元結晶方位マップが作成できる「走査型3次元X線回折顕微鏡法」と呼ばれる手法です。対象にできる試料は鉄系で最大1mmΦ程度ですが、充分、表面緩和現象の効果を伴わないマップが作成できます。さらに試料位置で引張り試験を行いながらその場観察を行う技術も構築しました。これにより、金属加工のシミュレーションに対応させることのできる実験データの取得が可能となり、精密なシミュレーション技術への足がかりを与えることができると期待されます。 論文情報: |
研究の背景
金属を曲げたり延ばしたりする金属加工のプロセスは工業的にも非常に広く使われています。では、曲げたり伸ばしたりされた金属の内部はどのようになっているのでしょうか?通常に使用されている金属材料は多くの結晶粒注1)の集合体で構成されています。金属を加工することで、結晶粒を構成している金属結晶の中で「すべり」という隣接する原子が相対的にずれていく現象が生じるとともに、転位や積層欠陥と呼ばれる結晶欠陥注2)が導入されます。この結晶欠陥やすべり現象については透過電子顕微鏡注3)の発達もあって1960年代から膨大な量の研究が積み上げられています。個々の結晶粒はすべり現象を介して結晶欠陥の生成も伴いながら僅かにその結晶方位を傾けていき、それらの結晶の集合体として金属は変形しているのです(図1)。ところが、この多くの結晶粒が結晶方位を傾けていく全体の様子を観察、解析しようとする研究は結晶欠陥やすべり現象の研究に比べてはるかに遅れています。最近の計算機シミュレーション手法の発達により、計算機の中では様々な近似のもとに金属を変形させることが可能になって来ています。このようなシミュレーションは金属加工を工業的に利用する上でも非常に重要です。しかしながらこれらのシミュレーションを実際の金属内部の様子と照らし合わせるための実試料の観察手法がほとんどないのです。豊田中央研究所では、この実試料の観察を目的として走査型3次元X線回折顕微鏡法という手法の開発に取り組んできました。
多数の結晶粒の結晶方位を観察する手法としては、走査電子顕微鏡注4)を用いた電子線後方散乱回折法注5)というすでに確立された手法がありますが、観察できるのは試料表面に限られます。金属の変形(塑性変形や弾性変形)を考えた場合、緩和現象の伴う表面は非常に特殊な部分でしかありません。バルクとしての連続性を保つ試料内部の3次元結晶方位マップの作成を試みた先駆的な研究としては、Poulsenらの研究があります。しかしながら彼らの場合、原理的な制約から、通常の結集粒サイズを有する鉄系の実材料であれば試料直径を0.1~0.2 mm程度の非常に小さなものに加工する必要があります。工業的にも有用な観察を行おうとするとき、これではどうしても不足になります。豊田中央研究所が開発を試みた走査型3次元X線回折顕微鏡法は、この欠点を克服しようとしたものです。
研究の内容
多くの結晶粒を含んだ金属材料の内部を表面緩和現象の影響を受けないバルクのまま詳細に観察するためには、透過能が優れ且つ空間分解能が充分期待できるプローブがどうしても必要になってきます。このプローブこそが放射光です。このような研究が結晶欠陥の研究に比べて大きく立ち遅れていた理由は、放射光の利用技術の発達を待つ必要があったからと言う事ができます。
Poulsenたちの研究も、豊田中央研究所での研究も放射光が試料を透過する際の回折現象注6)を利用して結晶情報を得ようとしていることは共通しています。3次元X線回折顕微鏡法と呼ばれるPoulsenらの手法は、横長の板状の放射光の中に試料の外形がほぼすべて収まるような形に実験系を組み上げ、試料後方の遠近に配置されたふたつの2次元検出器により試料からの回折点を検知し、試料内部の結晶情報を得ようとするものです。この解析を観察する試料の高さ位置を変えながら繰り返すことで3次元情報を得ています。この場合放射光を照射される結晶の外形があまりに大きくなると、解析の対象となる結晶粒の数が多くなりすぎ、検出器に入る回折点に重なりが生じて解析できなくなってしまいます。
豊田中央研究所が開発を試みている走査型3次元X線回折顕微鏡法の実験系は、横長の放射光を使う替わりに、照射する放射光を直径1 µm程度のマイクロビームにして試料上を水平方向に走査することで試料の広い面積部分の情報を得ることを目指しています(図2)。Poulsenらの場合と異なり、走査型3次元X線回折顕微鏡法では試料近傍に検出器を設置する必要がないため、試料台周りに大きな自由度があります。試料台上に試料をセットした引張試験機を設置し、引張り試験過程における試料内部の結晶の変化をその場観察するようなことも可能です。
豊田中央研究所では2008年から引張り試験のその場観察ができるような形での同方法の構想を温め始め、2010年から実験系の製作に着手してきました。現段階でこの走査型3次元X線顕微鏡法は、まだ完全に手法の構築を終わったわけではありませんが、このたびマイクロビームの替わりに、20 µm□にスリットで照射位置を制限した実験系で原理を検証するための実験に成功いたしました。大型放射光施設SPring-8注7)のビームラインBL33XU(豊田ビームライン)において、結晶粒を粗大化させた直径0.5 mmの純鉄のモデル試料(平均結晶粒径60 µm)を試料として走査型3次元X線回折顕微鏡法を用い内部の結晶方位マップを非破壊で得ることができました(図3)。さらに同じ試料を用いて引張り試験のその場観察を行いました。引張り試験前の実験結果があれば計算機の中に同じ試料を再現することができます。その上で金属の変形に関わる計算上のいくつかの条件を定めてやれば計算機の上で引張り試験を再現することができます。このようにして非破壊で得た金属材料内部の観察結果と計算機シミュレーションとが対比できるようになりました(図4、図5)。
本欄での詳細な記述は省略しますが、「走査型」にすることによる原理的なデメリットも明らかに存在します。結晶粒の形状や位置の再現性不良がその典型的なものです。ただ、工業的に有用な観察法にするためには、バルクとしての大きさを保った試料が観察できる「走査型」の手法から発展させていくことが最良の道だと考えられます。このような「バルク」の観察結果と計算機シミュレーションの結果との対比を積み重ねていくことにより、より高度な金属加工の制御手法が検討されていくものと思われます。
今後の展開
今後まず行う必要のあるのは入射X線を計画通り1 µm程度のマイクロビームにすることです。この実験系はすでに組みあがり、現在実験に着手しています。上述した、結晶粒の形状や位置の再現性が不良という欠点も、入射X線のサイズを小さくすることでかなり克服できることもすでに明らかになっています。豊田中央研究所では、今後、観察対象を粗大粒を有するモデル試料から通常の結晶粒サイズをもつ通常の試料へ、さらには実際の鋼の試料へと観察対象を実際のものに近づけていくこと、また引張り加工過程のその場観察だけでなく、疲労や破壊を生じた試料の静的な観察等にも挑戦し、走査型3次元X線顕微鏡法の有用性をより強固なものにしていきたいと考えています。
《参考図》
(a)は引張ひずみ(ε)が4%のときの試料内部の観察結果。(b)に示す一部の結晶粒を抽出して引張り過程における結晶方位変化を追跡した。
(a)は走査型3次元X線回折顕微鏡法による実試料の観察結果、(b)はそれに対応させた計算機シュミレーションの結果のひとつ。
《用語解説》
注1)結晶粒
金属の構造は、原子が3次元的にある規則性を持って周期的に並んだ結晶ですが、多くの場合ひとつの周期性が試料全体を支配しているわけではなく、数 µm~数十 µm程度の領域に限られています。このひとつの周期性を有する結晶の領域を「結晶粒」と呼びます。
注2)転移や積層欠陥と呼ばれる結晶欠陥
ある規則性を持って周期的に並んだ結晶に、ところどころその周期性や規則性が破れた部分が存在することがあります。これが「結晶欠陥」で、その規則性や周期性の破れ方の違いにより「転位」「積層欠陥」といった呼び方をします。
注3)透過電子顕微鏡
光の替わりに自由電子(原子内の電子軌道から外れて自由に振舞う電子)を高電界中で加速した電子線を用いて試料を観察する顕微鏡(電子顕微鏡)の一種です。試料を薄片化し、その試料に電子線を透過させて透過像を観察するタイプの電子顕微鏡です。
注4)走査電子顕微鏡
電子顕微鏡の一種です。電子線が照射された結果、試料から電子がたたき出されたり、照射された電子線が反射したりします。このような電子線を検知して観察を行う顕微鏡で、試料を薄片化する必要はありません。照射する電子線を細く絞って試料上を走査するのでこの名前があります。
注5)電子線後方散乱回折法
電子顕微鏡の試料が結晶である場合、観察条件を適切に調整すれば、その結晶の様子を反映した「菊池パターン」と呼ばれるイメージが得られます。走査電子顕微鏡の中でこの菊池パターンをもとに試料の結晶情報を得る方法をこのように呼びます。しばしば、英語名のElectron Back Scattered Diffraction Patternsを略して"EBSD"法と呼ばれます。
注6)回折現象
非常に広い領域で使われる用語ですが、ここでは、結晶である金属材料に一定の波長を有したX線(放射光)を照射したとき、そのX線が結晶の周期性を反映して特定の角度にのみ散乱される現象のことを指しています。
注7)大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す国立研究開発法人理化学研究所の施設で、その管理運営は公益財団法人高輝度光科学研究センターが行っています。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。「電磁波」という点で人間の目に見える光やX線と同じもので、波長の違いによって呼び方が変化します。また、「SPring-8」という名前はSuper Photon ring-8 GeVから来ています。
《問い合わせ先》 (SPring-8に関すること) |
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