水素の高速核スピン変換のメカニズムを実験的に立証 ~効率的な水素利用に向けた量子力学的アプローチ~(プレスリリース)
- 公開日
- 2015年07月30日
- BL44B2(理研 物質科学)
2015年7月30日
国立大学法人 筑波大学
国立大学法人 京都大学
国立大学法人 九州大学
国立大学法人 東北大学
公立大学法人 大阪府立大学
国立研究開発法人 理化学研究所
- 多孔性配位高分子注1)に吸蔵された水素分子の配列変化とそれに伴う核スピン状態の変化を世界で初めて観測しました。
- 細孔内の電場勾配注2)を実験から求め、電場勾配が核スピン状態の変換を促進していることを示しました。
- 多孔性物質の細孔内部の電場を利用した新機能の開拓が期待されます。
国立大学法人筑波大学数理物質系 西堀英治教授と国立研究開発法人産業技術総合研究所再生可能エネルギー研究センター 小曽根崇産総研特別研究員、国立大学法人京都大学物質-細胞統合システム拠点 堀彰宏研究員、国立大学法人九州大学大学院理学研究院 大場正昭教授、国立大学法人東北大学多元物質科学研究所 高田昌樹教授らの研究グループは、国立研究開発法人理化学研究所放射光科学総合研究センター(以下:理研RSC)、公立大学法人大阪府立大学大学院理学系研究科 久保田佳基教授、島根大学、スペインの研究グループと共同で、多孔性配位高分子の中に水素分子を吸着させ温度を制御すると、水素分子の細孔内での配列が変化することを、大型放射光施設SPring-8の理研物質科学ビームラインBL44B2を用いて観測しました。また、水素分子はオルトとパラの二つの核スピン状態注3)を取り通常は両者が混在した状態で存在しますが、細孔内での水素分子の配列変化に伴い、ほとんどのオルト水素が数百秒以下でパラ水素に転換されることを、ガス吸着下ラマン散乱その場観測注4)により明らかにしました。さらに、この高速なオルト―パラ転換の機構を解明するため、X線回折で求めた電子密度、静電ポテンシャル分布から細孔内の電場勾配を求めた結果、細孔内には場所によって~1022V/m2の電場の勾配が存在し、配列変化に伴い、電場勾配を受けた水素分子の核スピンが高速に転換することがわかりました。 掲載論文 |
研究の背景
水素分子は、二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー源として実用研究が活発に行われるとともに、2個の陽子と2個の電子からなる立体構造および電子構造の明快さから、基礎科学の分野でも長年にわたって研究が行われています。中でも、水素の核スピン状態に関する量子力学的な研究は、水素を燃料としてより効率的に利用する上でも重要です。例えば、宇宙ロケットの燃料などに用いられる液化水素は、冷却貯蔵下で蒸発する「ボイルオフ」という現象により損失するという問題があります。
ボイルオフは、貯蔵技術だけでなく、水素の核スピンの状態に由来します。2つの電子と2つの原子核からなる水素には、2つの核スピンの向きが両方とも同じ方向のオルト水素と互いに逆方向のパラ水素の2種類の核スピン異性体があります(図1)。室温、常圧下の水素気体では、オルトとパラの存在比は3:1です。オルト状態とパラ状態の間の遷移は、外部との相互作用がなければ容易に生じない禁制遷移であり、冷却してもこの比率は保持されます。タンクに貯蔵した場合、タンク内壁との相互作用や水素分子間の相互作用により、エネルギーの高いオルト状態からパラ状態への転換が起こります。この転換の際に、オルト状態とパラ状態のエネルギー差分の熱が放出され、この熱によって液体水素の蒸発が起こります。これがボイルオフです。ボイルオフを避けるには、予めオルト水素をパラ水素に転換しておくことが有効で、そのための触媒の研究が盛んに行われており、水酸化第二鉄や酸化クロムの利用などが実用化されています。
しかしながら、固体表面での反応を利用したオルトーパラ転換の機構については表面で接触時のみに起こる反応であるため、数十年をこえる研究の歴史があるものの未だ観測されていませんでした。
研究内容と成果
本研究グループは、オルトーパラ変換の触媒として、高度に構造を制御可能な多孔性配位高分子を用い、その気体吸着特性を利用して水素を吸着させる研究を進めてきました。そして、三次元ホフマン型類似配位高分子注5){Fe(pyrazine)[Pd(CN)4]} (図2)a)が1つの細孔あたり65Kで約2.7 分子、35Kで約3.3分子の水素を吸着できることを見出しました。温度によって細孔あたりの吸着量が変化することから、細孔内での水素原子の配置を大型放射光施設SPring-8を用いた放射光ガス吸着下温度変化その場X線回折実験注6)により観測しました。その結果、65Kと35Kでは、図2に緑で示されたサイトI、青で示されたサイトII、赤で示されたサイトIIIの三種類の水素位置があることがわかりました。65Kでは主にサイトIとIIの二種類の位置を占め、35KではサイトIIIの一種類の位置を占めており分子の配列構造が異なっていることがわかりました。また、配列変化に伴う、水素の核スピンの状態を水素吸着下ラマン散乱により調べ、温度低下に伴いオルト水素が数百秒の時間スケールでパラ水素に変換されることがわかりました。これは、金属表面を用いたオルト―パラ変換での理論的に予測される速度より10倍以上高速です。さらに、配列構造とオルト―パラの関係を調べたところ、サイトIはオルト/パラ水素が混在、サイト-II, IIIではほぼパラ水素のみが存在することも明らかになりました。
そこで、配列変化に伴うオルト―パラ変換の機構について考察するため、X線回折データから電子密度分布、静電ポテンシャル分布b)、電場勾配b)を求めました。オルトとパラの水素が混在するサイトIは、細孔の中心に位置します。この位置は、物質の対称中心でありこの位置での電場は対称性により0 V/mです。一方、パラ水素のみが存在するサイト-II, IIIは、1011 V/mの電場が存在しました。このことは、サイトIの水素が温度変化によりサイトIIIに移動する際に1022 V/m2の電場勾配を受けることを意味します。
2011年に非晶質の水分子ネットワークが作る細孔内で数百秒のタイムスケールでの高速なオルト―パラ変換が報告され、物質内部の電場勾配による高速変換が提案されていますc)。この報告以後、物質内電場下でのオルト―パラ変換に関する研究が活性化してきており、複数の理論的研究が報告されていますd,,e)。本研究は、細孔内電場による数百秒タイムスケールのオルト―パラ高速変換を、X線構造解析、ラマン散乱、電子密度、静電ポテンシャル解析などの実験的手法により観測し、その機構を解明しました。
今後の展開
本研究によって、高度にその構造制御が可能な多孔性配位高分子の細孔内における内部電場勾配が、オルト―パラ変換の触媒作用を促進することが示されました。水素の液化貯蔵のボイルオフに対する新しいアプローチでの解決の糸口が示されたことになります。多孔性配位高分子は、分子設計により細孔のサイズのみならず電場勾配も含めてデザイン可能な物質群であることから吸着量を増加させつつ、内部電場も含めて物質設計することで、多量の水素をすべてパラ状態で貯蔵することができるようになります。また、電場勾配下における物質の新たな量子相の探索など基礎科学的にも新分野の開拓が期待されます。また、放射光X線回折に基づく電子密度、静電ポテンシャル、電場勾配の実験的観測はこうした物質や新現象、新機能探索のツールとして発展していくことが期待できます。
参考図
パラ水素では2つの核のスピンが反平行、オルト水素では2つの核スピンが平行となる。この核スピン異性体のエネギーは異なり、J =0のパラ水素が最も低い。
(a)は65K (b) は35Kを示す。65Kでは、水素分子は緑色のサイトIと青色のサイトIIを主に占める。35Kでは赤色のサイトIIIを主に占めるようになる。
《用語解説》
注1)多孔性配位高分子:
有機化合物が金属イオンに配位結合した化合物を、金属錯体と呼ぶ。金属イオンと多様な有機化合物との組み合わせは無数にあり、さまざまな構造を作ることが可能。このうち、多くの微細な孔を形成した構造を持つ物質は多孔性金属錯体と呼ばれ、空孔にさまざまな分子を吸着することに加えて、分離、貯蔵、反応などの機能を示す。
注2)電場勾配:
電場に沿う単位長さあたりの勾配。
注3)オルト水素とパラ水素:
水素分子は、2つの水素原子核の核スピンの配向により、互いのスピンの向きが平行のオルト水素とスピンの向きが反平行のパラ水素の二種類の異性体が存在する。この2つの異性体は内部エネルギーが異なり、パラ水素側が低い。この二つの異性体間のエネルギー差は小さく、燃料として使用した場合の性能はほぼ変わらない。
注4)ガス吸着下ラマン散乱その場観測:
試料にレイザー光を照射すると、分子の振動・回転状態を反映して、入射光と異なった波長をもつ光(ラマン散乱光)が観測される。ラマン散乱光を調べることにより、分子の振動・回転状態を調べることができる。本研究で用いたそ装置は、理研RSC 量子秩序グループ(グループリーダー:高田昌樹)、空間秩序チーム(チームリーダー:北川進)で開発したもので、試料部をクライオによる温度制御下ガス雰囲気にし、ラマン散乱を観測し、試料に吸着した分子の振動・回転状態を調べることができる。
注5)三次元ホフマン型類似配位高分子:
ホフマン型配位高分子とは、シアノ基(-CN-)によって金属イオン同士を結合させることで二次元シート状の高分子構造を形成し、このシートが積層した結晶構造を持つ物質群の総称である。この二次元シートの垂直方向に様々な有機分子を配位結合させることで、シート間の細孔を形成した三次元ホフマン型構造に拡張することが可能である。この細孔にはさまざまな分子を吸着させることができる。本研究では、2001年にRealらによって報告された、ピラジン分子でシート間を結合した {Fe(pyrazine)[Pd(CN)4]}を用いて水素分子を吸着させた。
注6)放射光ガス吸着下その場X線回折:
試料をガス雰囲気に保ち、試料温度と吸着ガス圧力を制御しながらX線回折デー タの測定を行う。本研究では吸着特性測定装置を基に作成したガス・蒸気圧力制 御システム(GVPC)を用いてガス雰囲気の精密制御を行った。
参考文献
a) | M. Ohba, K. Yoneda, G. Agustí, M. C. Muñoz, A. B. Gaspar, J. A. Real, M. Yamasaki, H. Ando, Y. Nakao, S. Sakaki and S. Kitagawa, 2009, Bidirectional Chemo-switching of Spin State in a Microporous Framework. Angew. Chem. Int. Ed., 48, 4767. (doi: 10.1002/anie.200806039) |
b) | H. Tanaka, Y. Kuroiwa, and M. Takata, 2006, Electrostatic potential of ferroelectric PbTiO3: Visualized electron polarization of Pb ion. Phys. Rev. B 74, 172105.(doi:10.1103/PhysRevB.74.172105) |
c) | T. Sugimoto, K. Fukutani, 2011, Electric-field-induced nuclear-spin flips mediated by enhanced spin–orbit coupling. Nature Physics 7, 307-310. (doi: 10.1038/nphys1883) |
d) | E. Ilisca, 2013, Hydrogen conversion on non-magnetic insulating surfaces. Eur. Phys. Lett. 104, 18001 (doi: 10.1209/0295-5075/104/18001) |
e) | E. Ilisca, F. Ghiglieno, 2014, Electron exchanges in nuclear spin conversion of hydrogen physisorbed on diamagnetic insulators. Eur. Phys. J. B. 87,235 (doi: 10.1140/epjb/e2014-50282-2) |
《問い合わせ先》 堀 彰宏(ほり あきひろ) 大場 正昭(おおば まさあき) 高田 昌樹(たかた まさき) 久保田 佳基(くぼた よしき) 理化学研究所 広報室 報道担当 (SPring-8に関すること) |
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