フェムト秒で起こるX線損傷過程の観測に成功 ―X線1分子構造解析法の進展へ大きな一歩―(プレスリリース)
- 公開日
- 2016年01月26日
- SACLA
2016年1月26日
国立大学法人東京大学
国立研究開発法人理化学研究所
公益財団法人高輝度光科学研究センター
発表のポイント
◆時間差をつけた2つのX線パルスを照射して、最初のX線パルスで生じるX線損傷を、次のX線パルスで測定する「X線ポンプ・X線プローブ法」を開発した。
◆高強度X線を照射しても20フェムト秒(100兆分の2秒)の間は、X線損傷が顕在化しないことが観測された。
◆X線ポンプ・X線プローブ法を利用して高強度X線を使いこなすための知見を得ることで、試料の結晶化を必要としないX線1分子構造解析法の進展が期待される。
東京大学(五神真 総長)、理化学研究所(理研、松本紘 理事長)と高輝度光科学研究センター(土肥義治 理事長)は、フェムト秒(1000兆分の1秒)の時間スケールで起こるX線損傷過程を捉えるための新しい実験計測手法「X線ポンプ・X線プローブ法」を考案し、理研のX線自由電子レーザー(XFEL、注1)施設SACLA(さくら、注2)においてその実証実験に成功しました。これは、東京大学大学院新領域創成科学研究科の井上伊知郎大学院生、雨宮慶幸教授、理研放射光科学総合研究センターの矢橋牧名グループディレクター、高輝度光科学研究センターの犬伏雄一研究員らの研究チームによる成果です。 発表雑誌: |
【背景】
1895年のレントゲンによるX線の発見以来、科学者たちはより明るい、高強度なX線を求めてさまざまな光源開発を行なってきました。X線光源の歴史の中で大きな転機になったのが、約60年前の放射光(注6)のX線光源としての利用の始まりです。それまでのX線光源と比較して格段に高い強度を持つ放射光によってX線計測の質が劇的に向上し、蛋白質やウイルスといった複雑な構造体であってもその原子レベルの構造を明らかにすることが可能になっていきました。
放射光の登場がX線科学の発展を加速させた一方で、光源の高強度化は試料へのX線損傷という問題を顕在化させました。高強度のX線が試料に照射されると、試料中の原子がイオン化され反応性が高いラジカル(不対電子を持つ原子やイオン)が大量に生成されます。そして、このラジカルが原子間の化学結合を破壊することによって試料の変質が起こります。このようなX線損傷を避けるためには、試料へのX線照射量を限定する必要があります。そのため、X線を使ってどこまで分解能よく試料の構造情報を決定できるか、という計測の限界は、このX線照射量の上限によって決まっていました。
フェムト秒の短い時間幅のパルス光を出射するXFELは、X線計測の長年の課題であったX線損傷による計測限界を解消する可能性を秘めています。これは、ラジカルによって化学結合が切れて構造が変わるのに要する時間(ピコ秒(1兆分の1秒)からマイクロ秒(100万分の1秒)程度)よりも、X線レーザーのパルス幅が十分に短く、構造が変化する前に計測を終えることができる可能性があるためです。しかし、XFELを利用する場合には、従来のX線損傷とは異なるメカニズムのX線損傷が起こります。X線レーザーが試料に照射されると、試料中の原子がほとんど同時にイオン化されます。すると、イオン化された原子間のクーロン反発力などのために原子の位置が変化してしまいます。このようなXFELならではの損傷過程を理解することは、高強度なX線を使いこなすために必要不可欠な研究課題です。
【研究手法と成果】
本研究チームは、XFELを利用した際のX線損傷過程を捉えるための「X線ポンプ・X線プローブ法」という新しい実験計測手法をSACLAにおいて開発しました。この方法では、まず、電子ビームからX線レーザーを発振させるアンジュレータ(注7)を図1で示すように上流・下流の2つのユニットに分けてそれぞれ独立にX線パルスを発生させます。このときアンジュレータの磁石列の間隔を上流・下流のユニットで異なる値にすることによって、異なった波長のX線レーザーを発振させます(上流のユニットからの光の波長: 2.03 Å(1Åは100億分の1メートル)、下流のユニットからの光の波長: 2.10Å)。さらに、ユニット間に設置した磁場シケインと呼ばれる装置によって電子ビームを迂回させることで、2つのX線パルスの時間間隔を制御します。さらに、それぞれのパルスをX線集光ミラーによって測定試料の位置に集光することで現在の世界最高強度にまでX線強度を高めます。2つのパルスのうち上流のユニットで発振したパルスを試料にダメージを与える光(ポンプ光)、時間差をつけて下流のユニットで発振したパルスをX線損傷の程度を調べる光(プローブ光)として用いるのが、X線ポンプ・X線プローブ法です。2つのパルス(ダブルパルス)の時間差をさまざまに変えることでX線損傷の進行の様子を調べることが可能になります。
本研究チームは、本測定法をダイヤモンド結晶に応用してそのX線損傷過程を調べました。ダブルパルスの集光点にダイヤモンドの多結晶試料を設置し、プローブ光によるダイヤモンドの2つの異なる結晶面(111面と220面)からのブラッグ反射の様子をダブルパルスの時間差を0.3フェムト秒から80フェムト秒まで変えながら測定することで、ダイヤモンドにおけるX線損傷過程を調べました(図2)。その結果、ダブルパルスの時間間隔を長くするにつれてプローブ光の反射強度が減少していく様子が観測されました(図3)。ブラッグ反射の強度は、原子が間隔を揃えて並んでいるほど強くなります。そのため実験で観測されたプローブ光の反射強度の減少は、ポンプ光の照射によって原子の位置が変化して、結晶構造が乱れていることを意味しています。実験データを詳細に解析した結果、ポンプ光照射後の原子位置の変位の大きさ(原子位置の結晶格子点からの変位量)の時間変化は図4のようになることが分かりました。図中の点線は、X線が当たっていない場合(X線ダメージがない場合)のダイヤモンド中の炭素原子の変位の大きさを表しています。図から分かるように、ポンプ光照射後20フェムト秒までは原子位置の結晶格子点からの変位量はほぼ一定で、さらにX線ダメージがない場合の変位量とほとんど一致しています。一方で、20フェムト秒以降は原子の変位量が時間とともに増加し、X線ダメージなしの場合の変位量よりも大きな値をとっています。これらの実験結果から、X線による試料の損傷はX線照射後20フェムト秒から顕在化していくことが明らかになりました。このことは、現在のX線強度のもとでは、20フェムト秒以下のパルス幅を用いるとX線による損傷を無視して実験ができることを意味しています。
【今後の期待】
X線の強度が高くなると、より小さな試料をより高い分解能で構造決定することが可能になります。例えば、X線の強度を現在より100倍程度高めることにより、蛋白質1分子を原子レベルでの分解能で構造決定する「X線1分子構造解析」の実現が期待されます。このX線1分子構造解析は、従来のX線構造解析において必須であった試料の結晶化のプロセスを必要としないため、構造生物学に飛躍的な発展をもたらし得る革新的な計測法です。
X線レーザーの強度はX線光学素子や光源技術の発展によって日進月歩で進化しています。高強度のX線をうまく使いこなすことは21世紀のX線科学にとって極めて重要なテーマです。本研究で開発したX線ポンプ・X線プローブ法は、X線損傷過程の観測と理解を通して、1分子構造解析のような高強度X線を利用する計測技術の発展に大きく貢献することが期待できます。
《参考図》
水平方向に散乱される111および220ブラッグ反射を2つの2次元検出器によって測定した。ポンプ光とプローブ光の波長の違いによってブラッグ反射が起こる散乱角が異なるため、111反射および220反射の散乱像においてポンプ光・プローブ光に対応した2つの線状の強度ピークが測定される。
図3: ダブルパルスの時間間隔が0.3, 6, 50, 80フェムト秒のときの、特定のポンプ光・プローブ光の強度(ポンプ光: 3.1±0.2 ×104 J cm-2, プローブ光: 6.0×104 J cm-2)のもとでの111反射の平均散乱像。それぞれの図において上側のピークがプローブ光のブラッグ反射、下側のピークがポンプ光のブラッグ反射に対応している。時間間隔が大きくなるにつれてプローブ光の散乱強度が減少していく様子を見て取ることができる。
図4: さまざまなポンプ光強度の条件のもとでの、原子位置の変位量(原子位置の結晶格子点からの変位量)の時間変化。赤印はダイヤモンド111面に垂直な方向、青印は220面に垂直な方向の原子位置の変位を表している。また、図中のÅは、X線ダメージが無い場合の結晶格子点からの原子の変位量を表している。いずれのポンプ光強度の場合でもポンプ光照射後20フェムト秒以降に原子位置の変位量が増加していく。
《用語解説》
注1 X線自由電子レーザー(XFEL:X-ray free-electron laser)
近年の加速器技術の発展によって実現したX線領域のパルスレーザー。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はない。SPring-8などの従来の放射光源と比較して、10億倍もの高輝度のX線がフェムト秒(1000兆分の1秒)の時間幅を持つパルス光として出射される。この高い輝度を活かしてナノメートルサイズの小さな結晶を用いた蛋白質の原子レベルでの分解能の構造解析やX線領域の非線形光学現象の解明などの用途に用いられている。
注2 SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。科学技術基本計画における5つの国家基幹技術の1つで、2006年度から5年間の計画で建設・整備された。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用を開始した。0.1ナノメートル以下という世界最短波長のX線レーザーを発振する能力を有する。
詳細はhttp://xfel.riken.jp/
注3 2013年 12月プレスリリース
2つのX線波長で同時レーザー発振に成功- 新しい実験手法を可能にする新光源 -
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2013/131204/
注4 2014年 4月プレスリリース
X線レーザーの集光強度を100倍以上向上- 4枚の超高精度ミラーを駆使し50 nm集光に成功 -
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2014/140428/
注5 SACLA大学院生研究支援プログラム
大学院生を実習生としてSACLAに一定期間受入れ、SACLAの先端利用を切り拓く研究実習活動を行いながら、研究者としての基礎力を養成するプログラム。詳細は(http://xfel.riken.jp/recruit/20131113.html)。
注6 放射光
相対論的な荷電粒子(電子や陽電子)が磁場で曲げられるとき、その進行方向に放射される電磁波。放射光は明るく、指向性が高く、また光の偏光特性を自由に変えられるなどの優れた特徴を持つ。
注7 アンジュレータ
NとSの極性を交互に反転させた永久磁石列を上下に並べた装置。電子ビームが上下の磁石列の間を通過するとき、アンジュレータの周期磁場によって電子ビーム軌道は左右にうねり放射光を発生する。XFELでは、さらにアンジュレータ内で放射光と電子ビームを相互作用させることにより電子と光の間のエネルギー交換が生まれ、放射光を増幅することでX線領域のレーザー光を得る。また上下の磁石列間のギャップ距離を変えると磁場が変化するため、レーザー光の波長を調整することができる。
《問い合わせ先》 国立研究開発法人理化学研究所 (SPring-8に関すること) |
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