カーボンナノチューブに閉じ込められた不思議な水の状態を解明(プレスリリース)
- 公開日
- 2016年11月22日
- BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
2016年11月22日
公益財団法人 高輝度光科学研究センター
高輝度光科学研究センター(JASRI)は、米国のヒューストン大学、ミシガン大学、オークリッジ国立研究所と共同で、大型放射光施設SPring-8(※1)の高輝度・高エネルギー放射光X線を用いて、カーボンナノチューブ中の異常な水の状態を解明しました。 カーボンナノチューブは、飲料水の入手が困難な地域で利用される携帯型浄水器の高性能吸着剤として注目されています。カーボンナノチューブ吸着剤には再利用可能という優れた特徴がある一方で、カーボンナノチューブ中の水にはいくつかの不思議な現象が知られています。例えば、水はカーボンナノチューブの中に自発的に流れ込んだり、水はカーボンナノチューブ中ではポアズイユの法則(※2)から導かれる流速より60倍も速く流れたりします。この不思議な現象は、従来の水の構造モデルに基づく知識では理解できません。 本研究グループは、この不思議な水の状態を解明するために、SPring-8の高輝度・高エネルギー放射光X線を利用した「コンプトン散乱(※3)」と呼ばれる実験手法を用いて、カーボンナノチューブ中の水分子の電子の速度分布を精密に測定しました。水分子は2個の水素原子と1個の酸素原子からできています。今回の実験結果を以前に実施した中性子コンプトン散乱実験の結果と比較することにより、水素原子を構成する電子と陽子の両方が同時に異常な振る舞いをすることが明らかになりました。これは、カーボンナノチューブ中の水では、水素原子を構成する電子と陽子がそれぞれ独立して水全体に広がった波のような状態になっていることを示しています。本研究の成果は、高性能携帯型浄水器の開発に必要なカーボンナノチューブ材料の開発に役立つだけでなく、ナノ領域に閉じ込められた水の挙動が重要になる燃料電池次世代発電システムや医療分野の発展にも結び付くものと期待されます。 今回の研究成果は、伊藤真義 副主幹研究員、櫻井吉晴 主席研究員をはじめ、ヒューストン大学(米国)のReiter教授、ミシガン大学(米国)のDeb准教授、オークリッジ国立研究所(米国)のKolesnikov教授のグループとの国際共同研究によるもので、米国化学会(ACS)の「The Journal of Physical Chemistry Letters」に、ACS Editors Choiceの論文として、2016年10月17日にオンライン掲載されました。 論文情報 |
研究の背景
カーボンナノチューブは炭素原子が蜂の巣のような六角格子を組んでできた平面シートを丸めて円筒状にした構造をしています。この円筒の直径は数ナノメートル(※4)と小さく、これらの構造的特長に加えて独特な機械的・電気的性質を持っていることから、最先端の電子製品の素材から医療用製剤に至る幅広い分野で研究が進められています。このような幅広い応用の可能性の一つとして、この円筒の内側には分子を貯蔵できる空間があり、さらに円筒の直径は作成方法によって制御できることから、高性能吸着剤として注目されています。特に、カーボンナノチューブ吸着剤は塩に対する極めて高い吸着能力と生体分子や金属微粒子を除去する能力を備えているため、飲料水の供給が困難な地域で使用される再利用可能な小型浄水装置の吸着剤として期待されています。
浄水装置の吸着剤として優れた特徴を持っているカーボンナノチューブですが、この円筒の内部にある水の状態はよく解っていません。例えば、内部が空のカーボンナノチューブと水を一緒にすると水が自発的にカーボンナノチューブの中に流れ込みます。また、カーボンナノチューブの中で、水はポアズイユの法則(※2)から見積もられる速さよりも60倍もの超高速で流れることが知られています。水分子は負に帯電した酸素原子1個と正に帯電した水素原子2個からなり、水分子どうしは異なる水分子の酸素と水素の間に働く静電気力で弱く結合してネットワーク構造をつくると考えられています。この弱結合分子モデルはコップの中の水(バルク水)の状態をうまく説明できますが、カーボンナノチューブ中の水が示す不思議な現象を説明することはできません。カーボンナノチューブの浄水化メカニズムを正しく理解するには、カーボンナノチューブの内部の水の状態を解明する必要があります。
研究内容と成果 本研究では、円筒の直径が異なる2つのカーボンナノチューブを用意し、これらのカーボンナノチューブに水を吸収させた試料を作成し、それぞれの試料について温度を変えて測定しました。円筒内側の直径が1.4ナノメートルの単層カーボンナノチューブ(SWNT)と同直径が1.6ナノメートルの二層カーボンナノチューブ(DWNT)を用意し、これらの中にある水の電子の速度分布の温度変化をコンプトン散乱という手法を用いて精密に測定しました。電子の速度分布は電子状態を表す指標のひとつとして用いられています。
コンプトン散乱実験では100 keVを超える高エネルギーX線が必要であり、SPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)を用いました。180 keVの高エネルギーX線を試料に照射し、水からのコンプトン散乱X線をゲルマニウム半導体X線検出器(※5)で検出しました。測定温度は10 K(ケルビン)(※6), 170K,300K(室温)の3点です。コンプトン散乱X線のエネルギー分布から水の電子の速度分布をもとめ、温度によって速度分布がどのように変化するかを見るために、2つの測定温度の間で差をとりました。図3に単層カーボンナノチューブ中の水の温度変化を示します。黒丸で示した10Kと170Kの温度間では電子の速度分布に変化は観測されていませんが、赤丸で示した170Kと300Kの温度間では大きな変化が観測されています。原点近傍で正、1-3近傍で負になっており、この変化は、温度が上がると高速で動く電子の数が増えていることを示しています。このような大きな変化は、従来の弱結合分子モデルでは説明できません。図3には従来の弱結合分子モデルで計算した2つの理論モデルを示しましたが、実験結果はこの理論モデルより約30倍大きな変化を示しています。ここで、あずき色は水の水素を重水素に変えて計算したときの変化を示し、緑色は水の水素と酸素の距離を変えたときの変化を示しています。このような大きな変化は、カーボンナノチューブ中の水の状態はコップの中にあるバルク水とは大きく異なることを実験的に示しています。図4に二層カーボンナノチューブの結果を示します。単層カーボンナノチューブの結果と異なり、水の電子の速度分布は温度とともに連続的に変化しています。実験の変化の大きさは理論モデルの約60倍になっていて、従来の弱結合分子モデルでは説明できません。また、単層カーボンナノチューブと二層カーボンナノチューブの間で温度変化に違いがありますが、円筒の内径の違いにその原因があるとすると、弱結合分子モデルで説明できません。
今回の実験に先立って、同じ2つのカーボンナノチューブ内の水について、中性子コンプトン散乱法を用いて、陽子(水素の原子核)の速度分布の温度変化を求めました。この温度変化の様子は今回のX線コンプトン散乱で求めた電子の速度分布の温度変化と同じ傾向を示しています。この結果は、水分子を構成する水素原子と酸素原子のうち、カーボンナノチューブ中では、水素原子の状態がバルク水のものとは大きく異なることを示しています。
X線コンプトン散乱と中性子コンプトン散乱の結果を合わせることにより、カーボンナノチューブの中にある水は水分子の集まりとして存在するのではなく、水分子の水素原子はその状態を大きく変えて存在していることがわかりました。すなわち、水素の電子と陽子は独立し、それぞれはカーボンナノチューブ中の水のかたまり全体に広がった波のような状態になっていることがわかりました。
今後の展開 本研究の結果から、カーボンナノチューブの内部にある水の水素原子は波のように振る舞う新しい状態にあることがわかりました。今後、この新しい状態に関するモデルの検証やさらに進化したモデルの提案により、ナノ領域に閉じ込められた水の不思議な現象の理解が深まっていきます。理解が深まることにより、水の挙動を精密に予測するシミュレーション法が発展し、高性能浄水器の開発に必要なカーボンナノチューブ材料の開発指針を与えるだけでなく、ナノ領域に閉じ込められた水が重要になる燃料電池次世代発電システムや医療分野の発展に結び付くものと期待されます。
ここで紹介した研究はSPring-8の利用研究課題として行われました。
参考試料
赤は酸素、白は水素を表す。酸素は負に、水素は正に帯電しているので、静電力により水分子同志は弱く結合して、水分子ネットワーク構造をつくる。
分子動力学計算により求めたもの。
水分子の電子の速度分布の温度変化を示す。黒丸は10Kと170Kの温度間、赤丸では170Kと300Kの温度間、青丸は10Kと300Kの温度間の結果を示す。10Kと170Kの温度間では変化は観測されていないが、170Kと300Kの温度間では大きな変化が観測されている。この変化は、原点近傍で正、1-3近傍で負になっており、温度が上がると高速で動く電子の数が増えていることを示している。この温度変化の様子と温度変化に伴う大きな速度分布の変化は、水分子を構成する水素原子はその状態を大きく変えて、水素原子の電子と陽子がそれぞれ水全体にわたって波のように運動していることを示している。理論モデル1は水の水素を重水素に変えて計算したときの変化を、理論モデル2は水の水素と酸素の距離を変えたときの変化を表している。実験結果はこれらの計算結果より約30倍の大きな変化を示している。
水分子の電子の速度分布の温度変化を示す。赤丸は10Kと170Kの温度間、黒丸は170Kと300Kの温度間、青丸は10Kと300Kの温度間の結果を示す。単層カーボンナノチューブの結果(図3)と異なり、水の電子の速度分布は温度とともに連続的に変化している。実験の変化の大きさは従来の弱結合分子モデルの約60倍になっている。これは、水分子を構成する水素原子はその状態を大きく変えて、水素原子の電子と陽子がそれぞれ水全体にわたって波のように運動していることを示している。理論モデル1は水の水素を重水素に変えて計算したときの変化を、理論モデル2は水の水素と酸素の距離を変えたときの変化を表している。実験結果はこれらの計算結果より約60倍の大きな変化を示している。
用語解説
※1 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その運転管理は高輝度光科学研究センターが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
※2 ポアズイユの法則
細い円筒の内側を流れる流体の量についての法則。単位時間当たりに流れる流体の体積は、円筒の内側の半径の4乗および両端の圧力差に比例し、円筒の長さおよび流体の粘性に反比例するというもの。
※3 コンプトン散乱
光(X線)が粒子であることを示す現象。物質にX線をあてたとき、電子にエネルギーを与えた結果、散乱されて出てくるX線の波長が長くなる現象。X線の波長が長くなることはX線のエネルギーが減少することに対応する。見方を変えて、コンプトン散乱をX線の粒子(光子)1個と電子1個の衝突と見なすことができる。衝突の前後ではエネルギーと運動量(電子の場合、電子が動く速さに比例する)のそれぞれの総和が一定に保たれることから、コンプトン散乱したX線のエネルギーから衝突相手の電子の動く速さを測定できる。
※4 ナノメートル
1ナノメートルは10億分の1メートル。
※5 ゲルマニウム半導体X線検出器
X線の粒子(光子)1個のエネルギーを測定できるX線検出器。
※6 ケルビン
温度の単位のひとつ。0℃は273.15K(ケルビン)で、1Kと1℃の温度差は同等で、各温度計のメモリの幅は同じである。
問い合わせ先 |
- 現在の記事
- カーボンナノチューブに閉じ込められた不思議な水の状態を解明(プレスリリース)