原子のシート間にはたらく相互作用の観測に成功 ~層状物質の機能発現に関与する電子分布を可視化する~(プレスリリース)
- 公開日
- 2018年02月13日
- BL02B1(単結晶構造解析)
2018年2月9日
国立大学法人 筑波大学
公益財団法人 高輝度光科学研究センター
研究成果のポイント
1. 原子のシートが積み重なった層状物質内の電子分布を高エネルギー放射光により精密に観測しました。
2. シートを構成する原子間の化学結合の観測値は、理論計算による予測と高い精度で一致しました。
3. またシート間に、これまで予測されていなかった化学結合を示す電子の分布が観測され、これが層状物質の機能発現に関与するものと考えられます。
国立大学法人筑波大学 数理物質系 笠井秀隆助教、オーフス大学(デンマーク) 化学科 Bo B. Iversen教授(筑波大学数理物質系客員教授)らの研究グループは、公益財団法人高輝度光科学研究センターと共同で、原子のシートが積み重なった構造を有する層状物質TiS2(硫化チタン)内の電子の空間分布を、大型放射光施設SPring-8を用いて観測しました。重なっている各シートを構成する原子間の電子密度分布は、密度汎関数理論などの理論計算による高精度な予測が可能で、今回の観測値はこの理論値と非常に良く一致しました。このことから、観測した電子分布の信頼度の高さと、理論予測の正確性が裏付けられました。一方、シートとシートの間を調べたところ、弱い化学結合を示す電子分布が観測されました。シート間の電子分布は理論予測が難しく、複数の方法での計算方法を試みましたが、観測結果を再現することはできませんでした。シート間の電子分布は、層状物質の機能発現に関与していると想定され、今後、この分布を踏まえた層状化合物の実験・理論研究の活性化が期待されます。 本研究の成果は、2018年2月12日付「Nature Materials」で公開されました。 *本研究は、筑波大学国際テニュアトラック制度、筑波大学海外教育研究ユニット招致プログラム(数理物質系 オーフス大学材料結晶学センター研究室)、日本学術振興会の二国間交流事業オープンパートナーシップ共同研究の一環として進められました。大型放射光施設SPring-8の実験は重点研究課題利用者指定型パートナーユーザー課題(“Application of synchrotron radiation in materials crystallography”2014A0078:代表 Bo Iversen.)で実施されました。デンマーク国立研究財団(DNRF93)、デンマーク放射光中性子科学センター(DanScatt)の補助を受けました。 掲載論文 |
研究の背景
近年、炭素原子のシートであるグラフェンに代表されるような、原子のシートやそれらが積み重なった層状物質が注目され、研究が盛んに行われています。これらの物質の重要な性質の一つは、「ファンデルワールス力」と呼ばれる原子のシートとシートの間の弱い相互作用です。この力が弱いために、黒鉛のグラファイトからスコッチテープで1枚の原子からなるシートであるグラフェンをはがすことができます。また、異なる原子のシートを積み重ねたり、原子シートの間に原子や分子を挟んで、様々な機能を発現させることも可能です。そのような材料設計のためには、原子のシート間の相互作用を正確に予測・観測することが重要です。
理論計算は、現代の物質の設計、機能予測に不可欠です。中でも、物質科学において現在広く使われている密度汎関数理論は、基底状態の電子密度の計算によって多くの物質の性質の予測に成功しており、例えば、グラフェンが筒状に丸まったカーボンナノチューブの原子配列によって電気的性質が異なることを、実験より先に予測しています。密度汎関数理論は汎関数の改善によって精度が向上し、実験データ解析に理論計算で得たパラメータを用いるほどになってきています。
しかしながら、現状の理論計算方法は、ファンデルワールス力の予測には適していません。シート状物質においてファンデルワールス力が生じる原因は、電子分布の瞬間的なゆらぎが離れた原子の電子分布の偏りを誘起することが1つ挙げられます。こうした瞬間的なゆらぎによる長距離の電子相関は、安定した電子の分布に基づく理論では予測が難しく、いまだ手法の開発が続けられています。また、開発した手法の成否は、実験による証明が望ましいものの、このような弱い力を原子や電子のスケールで観測した例はまだ報告されておらず、現時点では、シート間の距離や、シートのはがしやすさから推察するにとどまっています。
そこで本研究グループは、世界最高性能の放射光を発生することができるSPring-8の放射光により、原子のシート間にはたらく相互作用の観測に挑戦しました。
研究内容と成果
大型放射光施設SPring-8注1)の単結晶構造解析ビームラインBL02B1の大型湾曲イメージングプレートカメラを用いて、波長0.248 Åの高エネルギーX線により、層状物質TiS2(図1)の単結晶X線回折注2)データを測定しました。さらに多極子展開解析注3)を用いてTiS2全体の電子密度分布を観測し、トポロジカル解析注4)などの解析手法により化学結合を評価しました。また、観測値を検証するために、理論計算でもTiS2の電子密度分布を求め、観測値と同じ手法で解析しました。
図2 に(a)実験と(b)理論計算で観測されたシートを構成するTi原子とS原子の電子の分布を示します。Ti原子からS原子の方向に電子のピークがあり、S原子からTi原子の方向にも電子のピークがあります。このピークは実験と理論の両方で存在します。ピークとピークの間の原子間の鞍点の電子密度の値は観測値が0.429 e/Å3で理論計算が0.421 e/Å3であり、高い精度で一致しました。このことから、観測した電子の分布が0.1立方ナノメートルの空間中に電子1個の精度であることと、理論予測の正確性が裏付けられました。
図2 に(c)実験と(d)理論計算で観測されたシート間の電子分布を示します。実験にはシート間のS原子の間に電子のピークがあります。一方、理論ではシート間のS原子の間から少しずれたところにピークがあります。原子間の鞍点の電子密度の値は観測値が0.086 e/Å3で理論計算が0.058 e/Å3であり、その差は0.03 e/Å3です。実験の方が理論よりもシート間のS原子同士の電子のつながりが強いことがわかります。また、トポロジカル解析からはS原子の電荷の偏りが10倍異なることも観測されました。
このように本研究は、理論計算が難しい、原子のシート間の弱い相互作用を精密に観測することに成功しました。ファンデルワールス力などの弱い相互作用を予測する計算方法は、これまで、計算結果を検証するための実験データが存在しなかったために、開発が進みませんでした。今回観測した電子分布は、そのような理論計算法の検証に有用な実験データとなります。
今後の展開
本研究グループは、さらに類似の層状物質についてもSPring-8での精密な電子密度観測を進め、シート間の弱い相互作用の普遍性を調べています。それに基づき、様々な種類の原子シートの組み合わせによる、層状物質の自在な機能制御の実現に向けて、構成元素の組成、発現する機能、シート間の相互作用の関連について系統的な解明を目指します。
青丸はTi、黄丸はSを表す。これらの原子からなるシートが、相互作用によって積み重なっている。
(a,b) (a)実験と(b)密度汎関数理論のシート内の結合。等高線の間隔は0.05 e/Å3。
(c,d) (c)実験と(d)密度汎関数理論のシート間の結合。等高線の間隔は0.01 e/Å3。
赤線が正、黒色のダッシュが負の値で電子密度の増減を表す。挿入図は切断面を示す。
【用語説明】
注1)大型放射光施設SPring-8
SPring-8はSuper Photon ring-8 GeVに由来する施設の愛称。兵庫県の播磨科学公園都市にあり、理化学研究所が所有する。世界最高性能の放射光を発生することができ、1997年より大学、研究機関や企業などによる利用が開始された。放射光とは、光とほぼ等しい速度まで加速した電子が強力な磁石により曲げられたときに発生する電磁波のことである。SPring-8では、赤外線から軟X線、硬X線に至る幅広いエネルギー領域において非常に強力な放射光を利用することができる。
注2)X線回折
X線が電子によって散乱され干渉することで起こる現象。電子密度分布を観測することができる。
注3)多極子展開解析
P. Coppensらによって確立された電子密度解析法。原子の電子を内殻電子と外殻電子に分け、化学結合による最外殻電子の変形を動径関数と球面調和関数で表す。
注4)トポロジカル解析
電子密度分布から化学結合を定量的に評価する手法。R.F.W. Baderによって確立されたQuantum Theory of Atoms in Molecules (QTAIM)に基づく。
【問合わせ先】 西堀 英治(にしぼり えいじ) (SPring-8 / SACLAに関すること) |
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