超高速の分子振動の高精度観測に成功 - 原子レベルの時空間分解能で分子動画を作成 -(プレスリリース)
- 公開日
- 2019年08月09日
- SACLA
2019年8月9日
公益財団法人 高輝度光科学研究センター
国立研究開発法人 理化学研究所
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
高輝度光科学研究センターXFEL利用研究推進室の片山哲夫研究員、理化学研究所ビームライン研究開発グループの矢橋牧名グループディレクター、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所の足立伸一教授、ヨーロピアンXFEL(ドイツ)のクリスチャン・ブレスラーグループリーダー、ポール・シェラー研究所(スイス)のクリストファー・ミルネグループリーダー、ハンガリー科学アカデミー(ハンガリー)のジョージ・バンコ教授、ニューキャッスル大学(イングランド)のトーマス・ペンフォールド教授らによる共同研究グループは、X線自由電子レーザー(XFEL)※1施設SACLA※2を使い、光を吸収した金属錯体分子の核波束振動※3を原子レベルの高い時間・空間分解能で追跡することに成功しました。 論文情報 |
研究の背景
金属錯体が光を吸収すると、通常よりエネルギーの高い状態に励起されます。励起された金属錯体は、ポテンシャルエネルギー面上※6を移動しながら(構造や電子状態を変化させながら)安定化してゆき、場合によっては化学反応が進行します。この緩和の過程には、電荷移動、電子スピンの反転、発光、核波束振動などの基本的かつ重要な物理現象が含まれています。金属錯体を利用して光触媒※7や人工光合成※8を開発し、その光機能性を高めるためには、超高速で進行するこれらの複雑な現象を理解して動作機構を解明することが必要不可欠です。そのためには金属錯体がポテンシャルエネルギー面上でどのような構造変化を起こすのかを時系列に沿って精密に調べなければなりません。金属錯体の光反応中の構造変化は、一般的に10〜100兆分の1秒の極短時間の間に起こり、かつ1000億分の1メートルオーダーの微小なものであるため、超高速かつ高精度に構造を評価することが求められてきました。
研究内容と成果
光増感剤の有力な候補である銅(I)フェナントロリン錯体(英名: [Cu(2,9-dimethyl-1,10-phenanthroline)2]+)は、2つのフェナントロリン配位子間の二面角が直交している正四面体型の形状をしています。この錯体が光を吸収すると、銅原子が酸化されることに伴ってフェナントロリン配位子間の二面角が約70°となり、平面型の構造へ変化することが知られています(図1)。研究グループは、銅(I)フェナントロリン錯体がどのような核波束振動を介してこの構造変化へと至るのかを、XFELを使った時間分解X線吸収分光法により観測しました。100兆分の1秒の時間幅と100億分の1メートルオーダーの波長を併せ持つXFELは、光反応中の金属錯体の構造を時間的にも空間的にもピンぼけすることなく鮮明に捉えることができます。実験では、まず、銅(I)フェナントロリン錯体に可視レーザー光を照射しました。これにより光反応が開始されます。ある程度時間が経った後にXFELを照射し、X線吸収スペクトルを計測しました。2つの光を照射するタイミングを制御しながら計測を続け、結果を2つの光の時間差の順に並べることで「分子動画」を作成しました。その結果、光反応中の銅(I)フェナントロリン錯体には3つのタイプの核波束振動があることが分かりました(図2)。1つは分子中の銅原子と窒素原子間の4つの結合が足並みを揃えて伸縮を繰り返す動き(対称伸縮振動)で、その振幅は1000億分の2メートル程度であると評価しました。残りの2つは、銅原子と窒素原子間の結合の角度が変化する動き(変角振動)でした。観測された変角振動は、銅(I)フェナントロリン錯体の正四面体型から平面型への構造変化が起こる前の約0.2ピコ秒に消失しており、この構造変化に強く関連していることが分かりました。一方で対称伸縮振動は、指数関数に沿った単純な強度の減少を示しており、銅(I)フェナントロリン錯体の正四面体型から平面型への構造変化にあまり強い関連がないことが分かりました。
今後の展開
本研究により、原子レベルの高い時間・空間分解能で光反応中の分子構造を追跡できることが示されました。このような高精度の観測手法は、分子のどのような動きが光反応を駆動しているのかを直接観測して理解することを可能にします。今回の成果を引き金として光反応の機構解明に向けた大きな発展が期待されます。本研究は、文部科学省による科学研究費補助金の助成(JP17H06141, JP19H05782, JP19H04407)を受け、SACLAの利用研究課題として行われました。
図1:銅(I)フェナントロリン錯体の構造変化。
(a) 光が照射される前の正四面体型の構造。
(b) 光が照射された後の平面型の構造。光を吸収すると2つのフェナントロリン配位子間の二面角が90°から約70°へと小さくなる。
(c) 光を吸収した銅(I)フェナントロリン錯体が振動しながら構造を変化させていく様子を描いたポテンシャルエネルギー面の模式図。
図2:光反応中の銅(I)フェナントロリン錯体の核波束振動。
それぞれ(a) 8979.5 eVと(b) 8985.0 eVの入射X線エネルギーで観測した振動の様子を示す。時間は可視レーザー光が錯体分子に照射されたタイミングをゼロとしている。ピコ秒(ps)とは1兆分の1秒のこと。(c,d) フーリエ解析※9のマップ。光反応中のどのタイミングでどのような核波束振動があるのかを色で示す。(e,f) 0から0.4 psまでのフーリエ変換マップを積算したもの。(c,e) 8979.5 eVでは3つの振動が観測されているのに対し、(d,f) 8985.0 eVでは1つの振動が観測されている。~100 cm-1の振動は伸縮振動であり、~180 cm-1と~280 cm-1の振動は変角振動にあたる。(c)を見ると変角振動が伸縮振動に比べて早く、0.2 ps程度のタイミングで消失している。これにより、2つの変角振動は、銅(I)フェナントロリン錯体の構造変化へ大きな寄与があることが分かる。
用語解説
※1.X線自由電子レーザー(XFEL:X-ray free-electron laser)
近年の加速器技術の発展によって実現したX線領域のパルスレーザー。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はない。SPring-8などの従来の放射光源と比較して、10億倍もの高輝度のX線がフェムト秒(1,000兆分の1秒)の時間幅を持つパルス光として出射される。この高い輝度を活かしてナノメートルサイズの小さな結晶を用いたタンパク質の原子分解能の構造解析やX線領域の非線形光学現象の解明などの用途に用いられている。
※2.SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。第3期科学技術基本計画における5つの国家基幹技術の一つで、2006年度から5年間の計画で建設・整備された。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用を開始した。0.1ナノメートル以下という世界最短波長のX線レーザーを発振する能力を持つ。
※3.核波束振動
波長の異なる波を複数重ね合わせると、波の山や谷が重なり合った部分が強調され、打ち消しあう部分は弱められる。その結果、振幅の大きい部分が時間的もしくは空間的に局在化した波(波束)ができる。物質の振動波動関数の重ね合わせで生じる波束のことを核波束振動と呼ぶ。
※4.光増感剤
光を吸収し、そのエネルギーを他の物質に渡すことで化学反応のプロセスを補助する物質のこと。
※5.時間分解X線吸収分光法
X線を照射すると、試料に含まれる元素に固有なエネルギーのX線が吸収される。X線吸収分光法は、照射するX線のエネルギーを変えながら物質による吸光度を測定する実験方法で、注目した原子周辺の局所的な構造や化学状態を知ることができる。時間分解X線吸収分光法は、短時間だけ発生するX線パルス光(XFEL)と可視レーザー光を使い、2つの光を試料に照射するタイミングを変えることで、高速現象の時間発展を調べる手法。
※6.ポテンシャルエネルギー面
物質(ここでは金属錯体)の構造変化とエネルギー変化の対応関係を示すもの。対象となる物質の自由度に応じて複雑な多次元超曲面になる。
※7.光触媒
光を吸収して、化学反応を促進する物質のこと。通常では、起きにくい化学反応の速度を速め、自身は反応前後で変化しない。
※8.人工光合成
自然界で行われている光合成(太陽光などの光エネルギーを化学エネルギーへと変換)を人工的に行う技術。
※9.フーリエ解析
ある波形に含まれている周期的な成分を抽出する解析手法。波形の中に特定の周波数(振動数)が含まれているとピークがあらわれる。本研究ではこの解析により、光反応中の金属錯体がどのような振動をしているのかを明らかにした。
《問い合わせ先》 矢橋 牧名(ヤバシ マキナ) 足立 伸一(アダチ シンイチ) (SPring-8 / SACLAに関すること) |
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