極紫外自由電子レーザーによる非線形内殻二重空孔状態の観測に成功(プレスリリース)
- 公開日
- 2020年05月20日
- SACLA BL1
2020年5月20日
名古屋大学
富山大学
理化学研究所
高輝度光科学研究センター
ポイント:
・2光子吸収による内殻二重空孔状態の生成と観測に成功
・電子とイオンを同時測定することで、微弱な非線形信号を抽出する手法を開発
・分子内の原子配置に敏感な新たな局所化学分析法の基盤技術として期待
名古屋大学大学院理学研究科(研究科長:阿波賀邦夫)の伏谷 瑞穂准教授、菱川 明栄教授、富山大学教養教育院の彦坂 泰正教授、理化学研究所と高輝度光科学研究センターの共同研究チームはX線自由電子レーザー施設SACLA※1から得られる強いレーザー光を利用して、2光子※2吸収による内殻二重空孔状態※3に由来する電子スペクトルの観測に成功しました。 発表雑誌: |
【研究の背景】
極紫外やX線領域における物質の非線形光学応答は、高強度超短パルス自由電子レーザー(FEL)のさまざまな応用において重要な役割を果たすことから、これまで大きな注目を集めてきました。特に原子や分子はその基礎過程を明らかにするためのベンチマークとして研究が進められ、典型的な非線形応答として多光子吸収に伴う多重イオン化を示すことがわかってきました。
このような内殻電子が関与する多重イオン化過程では、内殻正孔の崩壊に伴うオージェ電子※8の放出過程と多光子吸収過程とが競合するため、イオン化経路に応じて様々な価数のイオンおよび多数の電子が放出されます。こうした複数の経路が関与する多重イオン化機構を詳細に理解するためには、各イオン化過程で経由する電子状態を明らかにすることが必要となります。イオン化に伴って放出された電子のエネルギーを調べる電子分光法はこの目的に対して有力な手法ですが、従来のやり方では様々な経路からの電子がスペクトル上で重なって計測されるため、多光子過程に由来する微弱な電子を分離して捉えることは容易ではありませんでした。
【研究手法と成果】
今回研究グループは、光吸収により生成した電子だけではなく、同時に生成するイオンも測定する、多電子−イオンコインシデンス計測法を導入することで、非線形過程に由来する電子スペクトルの観測に成功しました。一般に、物質が極紫外光やX線を吸収すればするほど、より多くの電子が生成し、飛び出した電子の分だけイオンの価数(正電荷の量)は大きくなります。研究グループはこの非線形イオン化過程で生じる多価イオンに着目し、イオンの価数による電子信号のタグ付けによって、幅広い1光子過程の信号に埋もれている微弱な非線形信号を取り出す測定手法を確立しました。
図1:磁気ボトル型電子-イオンコインシデンス分光装置の概念図。
電子-イオンコインシデンス計測によって検出したイオン情報を用いることで、イオン種で選別した電子スペクトルが得られる。
研究グループは理化学研究所のX線自由電子レーザー施設SACLAにて、極紫外域やX線領域における非線形光学応答を調べる際のベンチマークとして用いられるキセノン(Xe)原子を標的として実証実験を行いました。ここでは特に、SACLAの軟X線ビームライン(BL1)から放出される高強度なレーザー光(~90 eV)をXe原子に照射し、この光吸収で生じた電子およびイオンを独自に開発した磁気ボトル型電子・イオン分析装置を用いて検出しました(図1)。今回の多電子−イオンコインシデンス計測では、1光子吸収で生じる1価から3価のXeイオンと2光子吸収によってのみ生じる4価のXeイオンを「標識」として用い、それぞれのイオンと相関した電子スペクトルを調べました(図2)。
図2:Xe原子のエネルギー準位図。
2光子吸収によりXe4d内殻二重空孔状態(4d-2)が生成すると4価のXeイオン(Xe4+)が生成する。この4価イオンと電子を同時計測することで、Xe4d内殻二重空孔状態に起因する電子信号の測定が可能となる。
その結果、4価のXeイオンと相関した電子スペクトルにおいて、Xe内殻4d軌道の二重空孔状態を経由して生じた電子信号を見出しました(図3)。さらに、この二重空孔状態を生成する確率はこれまで考えられていた値よりも最大で3倍近い値をもつことがわかりました。この結果はこれまで数多く調べられてきたXe原子においてさえも、予想もしなかった非線形光学応答が見出されたことを意味しています。
図3:(a)極紫外自由電子レーザー(90 eV, 1.6×1012 W/cm2)の照射によって生成した
2価のXeイオンと同時に観測された2つの電子の運動エネルギー相関マップ。
オージェ過程(A1,A1’)による鋭いピークが現れ、光電子(P1)と共に生成していることがわかる。(b)同じ条件で4価のXeイオンについて観測された電子相関マップ。(a)でみられた鋭いピークがほぼ消失し、内殻二重空孔状態に起因する電子信号が現れている。
【今後の期待】
今回研究グループが導入した多電子−イオンコインシデンス計測法は、多電子放出を伴うイオン化機構を精密に調べる強力な手段となることを示しています。この計測手法は原子だけでなく、より複雑な分子への応用も可能となります。特に、分子の異なる原子サイトに生じた内殻二重空孔状態は分子内の局所環境を鋭敏に反映した電子スペクトルを示すことが理論予測されており、今回の計測手法はこの内殻二重空孔状態に由来する電子信号を1光子過程で生じる大多数の光電子やオージェ電子信号から分離して観測する優れた手段となりえます。今後は様々な分子における二重空孔状態の性質を解明し、極紫外・X線域における非線形現象の基礎的理解を深めるとともに、分子内の原子配置に敏感な新たな非線形局所化学分析法の基盤技術として応用されることが期待されます。
【用語説明】
※1 SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本のXFEL(X-ray Free- Electron Laser)施設。2006年度から5年間の計画で建設・整備を進めた国家基幹技術の1つ。2011年3月に完成し、SPring-8 Angstrom Compact free-electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用運転が開始された。SPring-8の10億倍明るいX線を、10フェムト秒未満のパルス時間内で提供する。
※2 光子
粒子性を表す光の呼称。光子1個のもつエネルギーは、光の周波数をν、プランク定数をhとしてhνと表される。
※3 内殻二重空孔状態
電子が詰まっている状態の内殻軌道からイオン化などによって電子が失われた状態を内殻空孔状態とよび、特に電子が2つ抜けている場合を内殻二重空孔状態という。
※4 内殻電子
原子核を層状に取り巻く電子軌道の集まり(殻)のうち、内側の層にある電子のこと。一番外側の層にある電子は価電子と呼ぶ。
※5 多光子多重イオン化過程
常の光吸収過程では光子1個のみが吸収・放出されるが、光が強くなると複数の光子が吸収・放出されることがある。これを多光子過程という。多光子吸収により複数の電子が放出され、2価以上のイオンが生成する過程を多光子多重イオン化過程とよぶ。
※6 磁気ボトル型光電子分光器
磁気ミラー効果を利用した光電子エネルギー分析器。円錐型の強力な永久磁石とソレノイドコイルによって発生させた磁場を用いて、微小な観測領域から放出された全ての電子を捕集し、そのエネルギーを計測することができる。
※7 多電子−イオンコインシデンス計測
光吸収などで生じた電子とイオンを同時に計測する手法。他の原子から生じた電子とイオンと区別するためにはレーザーショットあたりの検出数を充分低く抑える必要がある。
※8 オージェ電子
外側の軌道上の電子が内殻軌道の空孔を埋めた際に放出される電子を指す。フランスの物理学者Pierre Victor Augerの名前から。
本件に関する問い合わせ先: 菱川 明栄(ひしかわ あきよし) 彦坂 泰正(ひこさか やすまさ) 報道対応: 富山大学総務部総務・広報課 理化学研究所広報室報道担当 (SPring-8/SACLAに関すること) |
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