市販の熱カソードを用いたコンパクト高性能電子銃 -東北の次世代放射光施設に導入予定-(プレスリリース)
- 公開日
- 2020年06月24日
- 加速器
2020年6月24日
理化学研究所
高輝度光科学研究センター
量子科学技術研究開発機構
理化学研究所(理研)放射光科学研究センターXFEL研究開発部門の田中均部門長、高輝度光科学研究センター光源基盤部門の安積隆夫主幹研究員、量子科学技術研究開発機構(量研)量子ビーム科学部門次世代放射光施設整備開発センター加速器グループの西森信行研究統括らの>共同研究グループ※は、市販のグリッド付き熱カソード[1]を用いて、コンパクトかつ高性能で、高い信頼性を持つ電子銃[2]システムを開発し、その性能を実証しました。 論文情報 |
本研究で開発した市販のグリッド付き熱カソードを組み込んだ電子銃システム
背景
短波長自由電子レーザー(短波長FEL)は、軟X線から硬X線領域のパルスレーザーです。短波長FELでは、高速で動く物質のダイナミクスを原子レベルの高分解能で観測できるなど、これまでにない光源特性が得られることから、その建設が世界中で精力的に検討されています。短波長FELを実現する高品質電子ビームを生成するには、「光カソード高周波電子銃[8]」と「500kV単結晶カソードパルス熱電子銃[9]」の二つの方式があります。
光カソード高周波電子銃では、極端紫外波長領域の短パルス高出力レーザーにより、金属や半導体から短パルスの高輝度電子ビームを叩き出すため、その安定運転と維持・管理にはレーザーの専門家集団の常駐が必要となります。しかし、施設によっては専門家集団を確保できないといった課題がありました。一方、500kV単結晶カソードパルス熱電子銃では、短パルス高出力レーザーを用いない代わりに、制御グリッドならびに空間電荷効果による電子ビーム品質の劣化を抑えるため、非接触の電磁高速シャッター[10]など複雑なシステムが必要となり、その維持管理に課題がありました。
このように、どちらの方式も複雑で、維持管理に多くの人手を要し、製作・維持・管理コストも高く、それが短波長FELを建設する上での一つのハードルになっていました。そこで、共同研究グループは、市販のグリッド付き熱カソードを用いることで、シンプルで信頼性が高く、かつコンパクトで低コストの高性能電子銃システムの開発を目指しました。
研究手法と成果
制御グリッドは、カソード(陰極)表面の直下流に設置されたメッシュ状の電極です。この電極にバイアス電圧[11]を時間的に変調して加えることで、グリッドは短パルス電子ビームを生成するための高速スイッチとして働きます。しかし、カソードから出た電子がメッシュ状電極を通過する際、電子ビームはメッシュのワイヤーとの距離に応じて横方向にキックを受けるため、エミッタンスが低下します。したがってこれまで、グリッド付き熱カソードでは短波長FELを可能にする高輝度低エミッタンス電子ビームを生成できないと考えられてきました。
また、空間電荷効果は電子ビームのエネルギーが低いほど著しくなるため、空間電荷効果を抑制するには、カソードとアノード(陽極)間に加える電圧(電子銃印加電圧)をできるだけ高くした方が良いというのが従来の常識でした。
共同研究グループはまず、高性能コンピューターの計算能力を最大限に活用し、電子ビームがグリッド通過後に進行方向に対して平行にそろう条件を詳細に調べました。その結果、従来の常識とは逆に、電子銃印加電圧を50kVと極端に下げると、グリッド通過時に電子ビームが横方向にキックされない条件が得られることを見いだしました(図1)。この条件は「グリッド透明化」と呼ばれ、グリッドが空間に存在しない状態と等価な状況を意味しています。
図1 シミュレーションによるグリッド前後での電場分布(左)と電子ビームの軌跡(右)
左図のカラーは、青(0 V/m)から赤(1 MV/m)まで強度分布を示す。右図の青線は電子の軌跡を示す。上からグリッド電圧が(a) 80 V、(b) 110 V、(c) 150 V、(d) 240 Vの場合に対応し、150 Vでグリッドを通過した電子が平行に引き出されていることが分かる。
50kVの電子銃印加電圧で生成した電子ビームは50keVと低エネルギーであるため、空間電荷効果により発散し、エミッタンスが容易に低下します。これを避けるため、アノード出口から200mmの位置に高周波加速空洞を設置し、電子ビームを500keVまで一気に加速するシステムを設計しました(図2)。
図2 電子銃とRF空洞を最短で結合したシステム配置の断面図
電子ビームが受ける空間電荷効果を抑制するため、50kVの電子銃のアノード出口から高周波加速空洞(RF空洞)の加速ギャップの中央までを200mmの長さに短縮した。これを可能にするため、磁気レンズを空洞内部に組み込む、加速ギャップを形成するノーズ部を非対称にするなどの工学的な工夫を施した。
このシステム設計に基づきプロトタイプ機を製作し、性能を検証するための系統的な実験を実施しました。その結果、0.6ナノクーロン(nC、1nCは10億分の1クーロン)の有効電荷[12]において、1.7mm mrad(ミリラジアン)の規格化エミッタンス[13]が得られました(図3)。得られたエミッタンスは、軟X線波長領域のFEL増幅には十分な性能であり、今回開発した電子銃システムが、短波長FELへ適用可能であることが実証されました。
図3 実験的に得られた電子ビームの水平位相空間分布
図は縦軸が水平面の電子の角度、横軸が水平面の電子の変位を表している。この空間に占める面積がエミッタンスに対応し、低エミッタンス(面積が小さい)になれば電子ビームの輝度は増大する。
今後の期待
今回の成果は、短波長FELの電子銃システムに対して、従来の2方式(光カソード高周波方式と単結晶熱カソード方式)とは別の第3の方式を提案するものです。本電子銃システムは、従来に比べて、信頼性が高い、シンプルで頑丈、運転維持が容易、低コストといった優れた特長があり、通常の電子ビーム入射器の使用にも適しています。
本システムは、大型放射光施設「SPring-8」[14]内にある兵庫県のニュースバル放射光施設[15]の新型入射器に導入されます。さらに、現在東北大学の青葉山新キャンパスに建設中の次世代放射光施設でも本システムの導入が決定されました。3GeV(Gは10億)入射器の下流には、将来の拡張エリアが確保されており、本システムによる軟X線FELへの高輝度低エミッタンス電子ビームの供給も可能になります。その他、タイ国で建設予定の3GeVの放射光施設[16]からも導入の打診があり、今後世界中で建設される放射光施設や短波長FEL施設に、今回開発したシステムが広く普及していくものと期待できます。
補足説明
[1]グリッド付き熱カソード
昔の真空管と同様の原理で、熱カソード(陰極)から電子を発生させて使用する装置。グリッドとは、陰極と陽極の間に設置するメッシュ状の電極のこと。グリッドに加える電圧により、発生する電流を制御する。本研究では、CPI社のY-845というカタログ製品を使用した。
[2]電子銃
固体中の電子を高熱や高電界、光照射により空間に放出させ、これを電界により加速するとともに、収束系によりビーム状にして引き出す装置。
[3]短波長自由電子レーザー(短波長FEL)
近年の加速器技術の発展によって実現した、軟X線から硬X線領域のパルスレーザー。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中をほぼ光速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はなく、短波長領域で使用できるレーザー。FELはfree-electron laserの略。
[4]次世代放射光施設
高輝度3GeV(Gは10億)級の放射光源を用いた放射光施設。国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構を国の主体とし、一般財団法人光科学イノベーションセンターを代表機関とする民間・地域パートナーが連携して、東北大学の青葉山新キャンパスに建設が進められている。2019年度から5カ年で建設し、2024年4月からユーザー運転開始の予定。
[5]高周波加速空洞
周期的に位相が変化する高周波(電磁波)を、高周波の周波数と共鳴する構造の銅製の空洞内部に蓄積し、電子ビームのタイミングに蓄積した高周波の加速位相を同期させ、電子ビームを加速する装置。
[6]空間電荷効果
電子が集団で運動する際、発生するクーロン反発力やローレンツ力で電子集団の分布が発散し広がることをいう。電子のエネルギーが大きくなり、その運動量が増せば、相対的に空間電荷効果は小さくなる。
[7]エミッタンス
ビームの断面積と広がりを掛けた値で、電子ビームの性質を表す指標の一つ。エミッタンスが大きいと、全体として広がりやすい電子ビーム、小さいとシャープで良質な電子ビームといえる。
[8]光カソード高周波電子銃
レーザーによる光電効果を用いて、空洞内部に位置するカソード(陰極)から電子を発生させ、空洞内の高周波加速電場によりすぐに加速する電子銃。熱電子銃に比べて、空間電荷効果によるエミッタンスの増大を抑制しやすい。
[9]500kV単結晶カソードパルス熱電子銃
六ホウ化セリウム(CeB6)単結晶カソードに500kVの高電圧を60 Hzで繰り返し印加し、空間電荷効果を抑制しつつ、1マイクロ秒(100万分の1秒)の低エミッタンスロングパルスを生成する。生成したロングパルスの中央付近の均質な部分である、全電荷の0.1%程度に相当する1ナノ秒(10億分の1秒)のみを電磁チョッパーシステムで切り出し、自由電子レーザーの増幅に使用する。西播磨にある日本のX線自由電子レーザー施設SACLAに使用するために2004年に開発され、現在も安定に稼働している。
[10]非接触の電磁高速シャッター
制御グリッドは通常、エミッタンスを悪化させることから、制御グリッドの代替として開発された高速スイッチ。通常、静磁場が通過する電子ビームを鋭く下方に蹴ってビームダンプ(電子の捨て場)に導き、スイッチは閉状態となる。電子が通過する一瞬、パルス電場を供給し、電場により磁場の下向きに蹴る力を相殺し、スイッチを開状態とし、電子ビームを切り出す。制御グリッドに比べて複雑で、特に高速パルス電源の維持管理に手間がかかる。
[11]バイアス電圧
制御グリッドを高速スイッチとして動かすために、グリッド電極に流すオフセット電圧のこと。カソードからの電子放出を阻止するためには、マイナス40V以下の阻止電圧が必要である。逆に電流を引き出すには、そのオフセット電圧レベルをプラス側に高速で変調する。電圧変調の時間幅により引き出す電流のパルス幅が決まる。
[12]有効電荷
電子銃のカソードから引き出された電荷のうち、電子ビームの空間分布の中央付近、電子密度の高い芯に当たる部分。この部分が加速されて、最終的にレーザー増幅を担う。
[13]規格化エミッタンス
線型加速器で加速される電子ビームのエミッタンスは、加速されてエネルギーが増加するにつれて小さくなる。これは、加速により進行方向の運動量が相対的に大きくなるためである。規格化エミッタンスとは、このようなエネルギー依存性をなくすように、力学エネルギーゼロの極限へ外挿したエミッタンスのこと。
[14]大型放射光施設「SPring-8」
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その利用者支援などは高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する強力な電磁波のこと。SPring-8では、遠赤外から可視光線、軟X線を経て硬X線に至る幅広い波長域で放射光を得ることができるため、原子核の研究からナノテクノロジー、バイオテクノロジー、産業利用や科学捜査まで幅広い研究が行われている。
[15]ニュースバル放射光施設
兵庫県がSPring-8の敷地内に設置し、兵庫県立大学高度産業科学技術研究所が運営している小型放射光施設。SPring-8が硬X線の超高輝度放射光に特徴があるのに対し、ニュースバルは極端紫外光から軟X線領域の放射光を発生することから、SPring-8と相補的な利用が可能である。
[16]3GeVの放射光施設(タイ国)
タイ国のSLRI(Synchrotron Light Research Institute)が、次世代のMBA(Multi Bend Achromat)を用いた次世代リング型高輝度光源を現在の場所とは別のバンコクより南の海岸に近いエリアに建設する計画。リングの入射器はSACLAで実績のあるC-band常伝導高勾配加速器を使用し、将来計画として軟X線FELを併設する予定。
発表者・機関窓口 高輝度光科学研究センター 量子科学技術研究開発機構 量子ビーム科学部門次世代放射光施設整備開発センター <機関窓口> 量子科学技術研究開発機構 経営企画部広報課 (SPring-8 / SACLAに関すること) |
- 現在の記事
- 市販の熱カソードを用いたコンパクト高性能電子銃 -東北の次世代放射光施設に導入予定-(プレスリリース)