銅酸化物高温超伝導体の電子状態の定説が覆る ~一次元的な動きの重ね合わせをコンプトン散乱で初観測~(プレスリリース)
- 公開日
- 2021年04月13日
- BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
2021年4月13日
国立研究開発法人 物質・材料研究機構
国立大学法人 北海道大学
公益財団法人 高輝度光科学研究センター
国立大学法人 東北大学
1.NIMSは、北海道大学、JASRI、東北大学と共同で、銅酸化物高温超伝導体の電子は二次元的な運動をしているという35年間の定説とは異なり、一次元的な運動が重ね合わさった状態であることを見出しました。高温超伝導を引き起こす電子の運動状態を明らかにした今回の成果は、銅酸化物がなぜ高温で超伝導となるのかの解明につながると期待されます。 2.エネルギー問題解決に向けて、電気抵抗がゼロになる超伝導をいかに高温で発現させるか、世界中で研究が進められています。なかでも銅酸化物超伝導体は、高い転移温度と、銅と酸素からなるCuO2面が層状に積層した特徴的な構造を持つため、その発現機構が注目されています。機構解明に向けて重要なのが、物質中の電子の運動を反映するフェルミ面 1)の観測です。これまで角度分解光電子分光(ARPES)2)によるフェルミ面の観測で、電子はxy平面で二次元的に運動すると認識されていました。ただし、ARPESではフェルミ面の一部のみしか正確には観測できておらず全体の形状は明らかになっていませんでした。一方、近年、理論や他の実験によって電子が一次元的に運動している可能性が示されており、高温超伝導体の電子状態解明に向けて、フェルミ面が本当に二次元的なのか詳細な観測が求められていました。 3.今回、研究チームは、世界的にも大型放射光施設SPring-8 3)でしか実施出来ない、高強度の高エネルギーX線を用いたコンプトン散乱 4)という手法によって、銅酸化物高温超伝導体La2-xSrxCuO4におけるフェルミ面の詳細な観測を行いました。その結果、35年間信じられてきた従来の二次元的なフェルミ面の形状ではなく、一次元的な電子の運動が重なり合った状態であることを実験的に示すことに初めて成功しました。La2-xSrxCuO4は、CuO2面が層状に積層した構造をしていますが、観測データは、各CuO2面で電子がxまたはy方向への指向性を持って運動しており、層方向に沿ってxとyの方向が交互に変化していることを示しています。 4.今後、ARPESなどの他の手法と連携して一次元的な電子の運動の重ね合わせがどのようにして高温超伝導に結びつくのかを突き止め、高温超伝導材料を用いた次世代量子計算機向け量子マテリアル 5)の開発の基盤研究を進めます。さらに今回用いたコンプトン散乱という手法は、広範な物質群において電子状態の詳細な解析を可能にします。特に、水素液化の低コスト化を実現する鍵として期待されている磁気冷凍材料の電子状態を観察し、水素社会実現に向けて電子レベルでの知見を提供することを目指します。 5.本研究は、NIMS国際ナノアーキテクトニクス研究拠点量子物質特性グループの山瀬博之主幹研究員(北海道大学大学院理学院物性物理学専攻客員教授(連携分野教員)兼務)、高輝度光科学研究センターの櫻井吉晴博士、東北大学金属材料研究所の藤田全基教授らにより行われました。なお、本研究は、科研費基盤研究(B)「コンプトン散乱と角度分解光電子分光の相補利用で検証する銅酸化物のフェルミ面」(JP20H01856)やJST未来社会創造事業「磁気冷凍技術による革新的水素液化システムの開発」(JPMJMI18A3)などの支援を受けて行われました。本研究成果は、Nature Communications誌にて英国時間2021年4月13日午前10時(日本時間13日午後7時)にオンライン掲載されました。 掲載論文 |
研究の背景
物質中には膨大な数の電子が存在しますが、一つの量子状態あたり一つの電子しか占有できないために、電子が存在する境に当たる等エネルギー面が運動量空間で存在します。それがフェルミ面であり、金属電子論の基礎的概念です。実際、フェルミ面近傍の電子の振る舞いが物質の電気的磁気的性質を決定し、特にその形状は電子の運動を直接的に反映するため、フェルミ面は電子という微視的なレベルで物質を理解する上で非常に重要なものとして認識されています。
銅酸化物高温超伝導体も金属でありフェルミ面が存在し、高温超伝導機構の解明に向けてフェルミ面の決定は欠くことの出来ないものです。過去35年もの間、膨大な数の角度分解光電子分光(ARPES)による実験が行われ、フェルミ面は二次元的である、という認識が広く浸透していました。高温超伝導は、最適キャリア濃度 6)の周りで実現しますが、二次元的なフェルミ面は、過剰キャリア濃度領域で実験的には疑いのないものです。しかし、高温超伝導の引き金となっていると考えられている電子間の強い相互作用が顕著に現れる過少キャリア濃度領域では、超伝導転移温度よりもはるか高温から「擬ギャップ」7)と言われるギャップ的な振る舞いが電子状態に現れ、フェルミ面の全体の形状が実験的には明らかになった訳ではありませんでした。
一方、近年、電子間の相互作用によってxまたはy方向に電子の運動が指向性を持つ「電子ネマティック液晶」8)という新奇量子状態が銅酸化物で盛んに議論されています。ところで、本当に電子ネマティック液晶状態が実現しているのであれば、その兆候が過去の膨大な量のARPESのデータの中に確認されて然るべきですが、そのような報告例はありませんでした。
研究内容と成果
今回、研究チームは、2000年に山瀬らが理論的に予言した電子ネマティック液晶状態でのフェルミ面を検討し、ARPESのシグナルが擬ギャップ現象によって著しく抑制された結果、電子ネマティック液晶に起因する信号が検出出来なかった可能性に着目しました。そうであれば、空港での手荷物検査で用いられているコンプトン散乱というX線と電子との散乱過程を活用することで、擬ギャップの背後にあるフェルミ面の形状を捉えられ、結果としてフェルミ面の全体像が明らかに出来るというユニークな着想を得ました。放射光を用いた高強度の高エネルギーX線によるコンプトン散乱実験は、世界的にみても実施可能な施設は我が国の大型放射光施設SPring-8に限られ、日本ならではの優位性を発揮出来る研究です。
図1 コンプトン散乱。
X線を物質に照射すると、物質中の電子によってX線は散乱されます。その散乱X線を測定することで、物質中の電子が持っていた情報を得るのがコンプトン散乱実験です。
山瀬らの理論的研究によれば、電子ネマティック液晶の傾向が最も強く現れるのは、過少キャリア濃度領域のLa系銅酸化物La2-xSrxCuO4です。しかし、過少キャリア濃度領域では、超伝導や擬ギャップ現象以外にも電荷秩序や磁気秩序も観測されていますので、物性は複雑さを極めています。そこで、それらの影響が最も小さいと考えられるキャリア濃度(x=0.08に対応)と温度領域(室温とマイナス123度)を注意深く選択し、高品質の大型単結晶を藤田らが作成することで、櫻井と山瀬でSPring-8のBL08Wにおいて実験・解析を行いました。
その結果、35年間信じられてきた従来の二次元的なフェルミ面の形状(図2)では、観測データ(図3)をうまく説明出来ないことが分かりました。銅酸化物高温超伝導体はCuO2面が層状に積層し、各CuO2面内の電子の振る舞いが高温超伝導の鍵を握っていると考えられています。観測データは、各CuO2面でフェルミ面がxまたはy方向に著しく変形し、その変形の方向が層方向に沿って交互に変化している可能性を示唆していました(図4)。物質全体では全てのCuO2面の効果が平均化されますから、結果的にフェルミ面は、一次元方向に変形したフェルミ面の重ね合わせとして観測されます(図4(b))。つまり、電子の運動は、一次元的な方向指向性を持った量子状態の重ね合わせとして記述されます。このフェルミ面の変形は、高温超伝導を引き起こす各CuO2面内の電子が、電子ネマティック液晶の強い相関を持っていることに起因しています。銅酸化物高温超伝導体における電子ネマティック液晶状態のフェルミ面を世界で初めて観測することに成功すると共に35年間の定説を覆した成果です。
図2 定説である二次元的なフェルミ面。
高温超伝導の原因となる電子はCuO2面に存在しますが、CuO2面は(a)のように層状に積み重なっています。角度分解光電子分光の結果は、各CuO2面では二次元的なフェルミ面が実現している可能性を示唆し、それが銅酸化物高温超伝導の発見以来35年間の定説になっていました。層間にも電子の運動が許されますが、それを考慮してもフェルミ面は(b)のような形状になります。(b)のフェルミ面では、図3のデータをうまく説明できないことを詳しい解析から示すことが出来ます。
図3 コンプトン散乱実験で観測した電子の運動量分布。
強度が強いほどその領域での電子の占有率が大きいことを示しています。フェルミ面は、強度が強い領域と弱い領域の中間に位置し、フェルミ面上に沿って強度はほぼ一定であることが期待されます。
図4 電子ネマティック液晶状態でのフェルミ面。
(a)各CuO2面での電子の運動がxまたはy方向に生じやすくなり、結果としてフェルミ面がxまたはy方向に大きく変形します。ただし、その変形の方向は層方向に沿って交互に変化します。
(b)層間での電子運動を考慮した時のフェルミ面の形状。定説である図2(b)との決定的な違いは、紫で示したフェルミ面だけでなく、内側にも黒で示したフェルミ面が存在する点にあり、図3のコンプトン散乱データを見事に説明できます。このようなフェルミ面の存在は、山瀬らにより2000年に理論的に予言されたものでした。
今後の展開
今後、この成果に基づいて、学術研究および応用を見据えた基礎研究という2つの異なる視点から、コンプトン散乱による物質中の電子状態解析を進めていきます。前者に対しては、今回得られた新しい知見をもとに、電子ネマティック液晶状態がどのようにして高温超伝導に結びつくのか、温度依存性やキャリア濃度依存性をより詳細に研究することで明らかにしていきます。高温超伝導に結びつく電子状態の微視的な理解が得られれば、高温超伝導材料を用いた次世代量子計算機向け量子マテリアル開発の学術的知見の蓄積に繋がります。後者に関しては、コンプトン散乱の手法が適応可能である物質群は多岐に渡ることに基づいています。特に、角度分解光電子分光などの従来手法では電子状態解析が難しい、高温領域や磁場などの外場が存在する場合、さらには、清浄表面が得られにくい状況などにコンプトン散乱を適用します。最初のターゲットとして、水素液化の低コスト化を実現する鍵として期待されている磁気冷凍材料を取り上げ、その電子状態を磁場下でその場観察する道を切り拓き、水素社会実現に向けて電子レベルでの知見を提供していきたいと考えています。
用語解説
(1) フェルミ面
物質中には膨大な数の電子が存在するが、一つの量子状態あたり一つの電子しか占有できない。その結果、運動量空間にてエネルギーがより低い量子状態から順に全ての電子を埋めていくことを考えると、電子が存在する領域と存在しない領域の境界が現れる。その境界面をフェルミ面と呼び、金属電子論の基礎的概念として認識されている。「概要」で示した図はスケッチであり、電子の二次元的な運動は二次元的なフェルミ面の形状で(図2(a))、一方、電子の一次元的な運動は一方向に歪んだ一次元的なフェルミ面の形状(図4(a))で表現するのが普通である。
(2) 角度分解光電子分光(ARPES)
物質に光を照射した時に放出される光電子を測定することで、物質中の電子のエネルギーと運動量の関係を得る手法。したがって、フェルミ面の形状も決定することが出来る。
(3) 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設。高輝度光科学研究センターが利用者支援等を行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来する。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことであり、SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
(4) コンプトン散乱
図1に示したように、電子によってX線が散乱され、X線の波長が長くなる現象。コンプトン散乱は光の粒子性の直接的な証拠であり、A.H. Comptonはこの発見で1927年のノーベル物理学賞を受けた。空港の手荷物検査では、通常の透過X線画像以外にもコンプトン散乱光のX線画像も用いられており、爆薬や麻薬、樹脂などの検出で威力を発揮する。非破壊検査の一つとして社会に普及しており、意外に身近なものである。研究では、単色の高強度の高エネルギーX線を用いることから、世界的にみても実験が実施可能なのは我が国のSPring-8に限られる。そのため、コンプトン散乱を用いた研究例は、他の手法に比べると圧倒的に少ない。しかし、今回の成果に見られるように、ARPESなどの他の手法と相補的に利用することで、今まで観測出来なかったことが観えるようになることがあるので、今後、様々な研究分野での活用が期待される。
(5) 量子マテリアル
物質中の量子状態に着目して、その制御を通じて新たな機能を発現する材料。政府が2020年に策定した量子技術の研究開発などの方針を示す「量子技術イノベーション戦略」の中で、量子マテリアルは主要技術領域の一つに位置付けられている。
(6) キャリア濃度
銅酸化物高温超伝導体は、キャリアを注入することで超伝導が発現し、転移温度はドーム型を示す。ドームの中央にあたる超伝導転移温度が最大になる組成を最適キャリア濃度と言う。それよりキャリア数が多いと、過剰キャリア濃度領域、逆に少ないと過少キャリア濃度領域と言う。擬ギャップや電子ネマティック液晶状態は、過少キャリア濃度領域で特に顕著に現れる。
(7) 擬ギャップ
超伝導状態では、電子状態にエネルギーギャップが生じる。ところが、銅酸化物高温超伝導体では、超伝導転移温度よりもはるか高温から、電子状態にギャップ的な振る舞いが観測される。それを擬ギャップと呼び、その起源は35年間の研究を経ても未だに謎である。
(8) 電子ネマティック液晶
通常、電子の運動は結晶構造の対称性を反映する。しかし、電子間の相互作用によって、電子の運動の対称性が4回対称性から2回対称性に低下して、電子が自発的に方向指向性を持つことがある。この状態は、ネマティック液晶と同じ対称性を有することから、電子ネマティック液晶と呼ばれている。
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