X線による磁気検出の例外的ケースを理論予測 ~30年間の常識を覆す基礎研究の成果~(プレスリリース)
- 公開日
- 2021年04月17日
- BL25SU(軟X線固体分光)
2021年4月17日
(公財)高輝度光科学研究センター
国立大学法人 東北大学
【本研究成果のポイント】
① これまでX線磁気円二色性(XMCD)効果を観測するには有限の磁化が必要と考えられてきたが、磁化ゼロの状態でもXMCDが観測される例外的磁気秩序があることを示した。
② 上記の磁気秩序モデルに基づき、理論計算によるXMCDスペクトルを示した。
③ 他研究グループにおいても異なる理論的アプローチで磁化ゼロのXMCDの存在を説明しているが、実験で期待されるXMCDスペクトルを直接計算して示した初めての報告である。
公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)と国立大学法人東北大学は、X線磁気円二色性(X-ray Magnetic Circular Dichroism: XMCD)※1と呼ばれる磁気光学効果が、強磁性やフェリ磁性※2など磁化を有する磁性体のみならず、磁化ゼロの状態にあっても特定の磁気秩序を有する反強磁性体※3には観測され得ることを理論的に明らかにしました。XMCDは1987年にドイツのGisela Schütz(ギゼラ シュッツ)博士が放射光を用いて初めて実験的に観測して以来、実験と理論の両面から多くの研究が行われました。さらに、放射光施設の光源性能が飛躍的に向上したことでXMCDによる磁化検出感度や精度が大幅に向上し、現在ではスピントロニクス材料や永久磁石などの磁性研究に不可欠な先端計測技術へと進化しています。これまで研究者の間では、XMCDについて、「磁化した磁性体と円偏光X線の相互作用により観測される磁気光学効果」との説明がされていましたが、今回の理論研究によって磁化を持たない磁性体でもXMCDが観測され得ることが分かり、「例外を除けば..」と追記することが必要になりました。Schütz 博士がXMCDの初観測に成功してから30年以上の歳月を経て、これまでの常識が覆されたといえます。この「例外」は、正三角形の頂点に磁性原子を配置した特殊な反強磁性秩序を仮定し、かつ、その磁気モーメントが扁平に拡がる電子雲のスピンから生じるというモデルを立てて見出しました。このように非常に特殊な状況を仮定する必要がありますが、当研究グループでは、既存物質のなかにも候補となる物質があると考えており、近い将来に実験的に確認されることを期待しています。 【論文情報】 |
【研究の背景】
目で見ることのできる光を「可視光」と呼びますが、その波長を1/100~1/10000に短くした光がX線です。X線は可視光と同様に、振動する電場と磁場が伝搬することで進みます。この電場が振動するときに振動面が螺旋を描いて回転しながら進むX線のことを円偏光X線と呼び、回転方向によって右回り円偏光と左回り円偏光に分類されます。円偏光に関する以上の説明は物理学における古典的描像に相当しますが、量子力学の世界では光子スピンに対応します。つまり、右回り円偏光と左回り円偏光は、それぞれ、光子スピンが+1と-1の状態に相当します。ここで、円偏光X線を磁石(磁化した強磁性体)に照射した場合を考えます。磁石がN極とS極をもつことは良く知られていますが、これは磁石を構成する物質内で上向きの電子スピンと下向きの電子スピンの数に偏りがあることに起因しています。円偏光X線を磁石に照射すると、光子スピンと電子スピンの間で相互作用を生じますが、このとき、互いの向き(符号)の関係によって、相互作用の大きさが異なります。つまり、円偏光X線を磁石に照射したときに、右回り円偏光と左回り円偏光で相互作用の大きさが異なり、X線吸収量などの違いとして実験的に検出されます。この差が本研究の主題であるX線磁気円二色性(XMCD: X-ray Magnetic Circular Dichroism)です。
一方、物質内で上向きの電子スピンと下向きの電子スピンの数に偏りがない場合や、試料全体としてN極とS極が明確に定まらない場合には、右回り円偏光X線と左回り円偏光X線に対する吸収量は平均化されてゼロとなりXMCDは観測されません。ここで、図1に代表的な磁性体における原子磁石の配列を示しました。図1Aの強磁性や図1Bのフェリ磁性では磁石と同じようにN極が揃い「磁化」が現れます。1987年にドイツのGisela Schütz(ギゼラ シュッツ)博士が純鉄を試料として、放射光を用いて初めてXMCDの測定に成功したときには、XMCDは純鉄のような強磁性体やフェリ磁性体で観測されると考えられました。図1Cの反強磁性体や図1Dの常磁性体※4では、個々の原子磁石に対するXMCD効果が互いに打ち消し合って試料全体としてはゼロとなるためです。ただし、反強磁性体や常磁性体でも外部から強い磁場を印加すると、わずかながら磁化を持ちます。大型放射光施設SPring-8※5のような高輝度放射光施設が利用できるようになり、XMCDの測定精度が飛躍的に向上すると、磁場下の反強磁性体や常磁性体においてもXMCDが観測できるようになりました。このように強磁性体、フェリ磁性体、反強磁性体、常磁性体などでXMCDを観測するためには「磁化」が必要という点では原理的に一貫しており、専門家の間でもいわば「常識」と考えられてきました。今回の研究は「磁化がなくてもXMCDが観測されることはあるのか?」という素朴な問いから始まりました。
【研究内容と成果】
本研究グループは図2(a)に示すカゴメ格子※6上にFeなどの3d遷移金属イオンを配置して、図2(b)の正三角形単位格子が形成する反強磁性状態をモデルとして、このような物質が示すXMCD効果を電子の全多重項を考慮した理論模型を用いて解析しました。カゴメ格子上で120度ずつ原子磁石のスピンが回転する反強磁性状態では、スピンが時計回りに回転する場合と反時計回りに回転する場合の2種類のスピン配列を考えることができます。スピンが時計回り、反時計回りに回転する場合を、物理の言葉で、それぞれ、プラスカイラリティ※7とマイナスカイラリティと呼びます (図2(c))。図3(a)、図3(b)はそれぞれプラスカイラリティとマイナスカイラリティのFe2+イオンの配置をモデルとして計算したXMCDスペクトルです。本研究では、青、赤、緑で示した各Fe2+イオンが、それぞれ、①、②、③のXMCDスペクトル信号を応答するという結果を得ました。このように理論計算で予測される各Fe2+イオンのXMCDスペクトルは分かったのですが、実験ではどのように観測されるのかということを確認しておくことも重要です。しかし、最新の実験技術を用いても、青、赤、緑の各Fe2+イオンに独立にX線を照射することができないため、実験では①、②、③を区別できず、合算したXMCDスペクトルを観測することになります。今回の研究では、合算したXMCDスペクトルがカイラリティの符号によって異なるという事実が明らかになりました。図3(a)で示したプラスカイラリティの場合は①~③が互いに打ち消しあいXMCD応答がゼロとなりますが、図3(b)で示したマイナスカイラリティの場合にはXMCD応答が残ることが分かります。
この応答を理解するためにはそれぞれのサイトの微視的な電子状態の違いに着目する必要があります。プラスカイラリティの場合はサイトごとのミクロな電子状態が同一と考えられます (図4(a))が、一方で、マイナスカイラリティの場合はそれぞれのサイトで異なる電子状態として考える必要があります(図4(b))。つまり、プラスカイラリティとマイナスカイラリティに由来する電子状態の違いを反映した結果、カイラリティの違いによるカゴメ反強磁性の応答が発現したということになります。この結果は、XMCDがマクロな磁化の違いではとらえきれないミクロな電子状態に敏感に応答することを示しており、また、反強磁性カゴメ格子以外に対してもXMCD応答が期待されることを示しています。なお、このXMCD応答に関する理論予測は異なるアプローチにより既に報告されており、本研究成果に関する論文でもそのことを紹介しています。しかし、本研究では実験で得ることが期待されるXMCDスペクトルを直接計算して示したこと、および、カイラリティに起因するXMCD応答に関する理解を更に深める意味でMn2+イオンを配置した場合(図示は省略)についても示したことなどが高く評価されて論文が採択されました。
【今後の展開】
今後、本研究で理論的に予測した現象がSPring-8のBL25SUなどで実験的に確認され、X線と磁性の相互作用に関する理解がさらに深化することを期待しています。研究グループではSPring-8、および東北大学の青葉山新キャンパスに建設が進む次世代放射光施設における先端計測技術と理論研究を融合し、「Sustainable Development Goals(SDGs):持続可能な開発目標」の実現や、イノベーションにつながる物質材料研究を推進していきたいと抱負しています。
図1 代表的な磁性体における原子磁石の並び方の例。
上段は磁場を印加しない場合の (A)強磁性体、(B)フェリ磁性体、(C)反強磁性体、(D)常磁性体の例。たとえば、常温で純鉄は強磁性体、フェライト磁石はフェリ磁性体、酸化マンガンは反強磁性体、アルミニウムは常磁性体である。
下段は磁場を印加した場合の原子磁石の並び方。磁性体の種類によって、磁化が異なる様子を示している。
図2 結晶構造とカイラリティの概念図: (a)カゴメ格子―丸い部分は元素。 (b)カゴメ格子の反強磁性状態―赤、青、緑の原子はそれぞれ異なるスピンの向きをもつ。(c) ―(b)において点線で囲んだ正三角形に注目したものであり、矢印は電子のスピンを表す。プラスカイラリティ(左)、マイナスカイラリティ(右)では、それぞれ、スピンが時計回り、反時計回りに格子上に配置される。
図3 XMCD応答: (a)プラスカイラリティ、(b)マイナスカイラティ―赤、青、緑のスペクトルはそれぞれのサイトからの応答(実験では観測されない)、黒色のスペクトルは赤、青、緑のスペクトルの合算(実験で観測される)。
(a)において、①と③の強度と符号は互いに等しく、スペクトル形状は②と相似であって、かつ、強度は②の1/2となる。その結果、①+②+③=0が成立し、XMCDは観測されない。
一方、(b)では ①、③のスペクトル形状が②と相似でないため、①+②+③≠0となってXMCDが観測される。
図4 正三角格子のカイラリティと電子状態の関係: (a)プラスカイラリティ、(b)マイナスカイラリティ。格子上の軌道は同じ向きに回転(時計向き)しているが、スピンに注目すると(a)では時計回転し、(b)では反時計回転している。この結果、プラス(マイナス)カイラリティでは電子状態としては同一(異なる)電子状態となる。
【用語解説】
※1. X線磁気円二色性(X-ray Magnetic Circular Dichroism: XMCD)
X線磁気円二色性とは、磁性体を透過する円偏光X線の吸収係数が左回り円偏光と右回り円偏光X線で差を生じる現象です。従来はXMCDの発現には物質全体で有限の磁化を持つ状態が必要と考えられてきました。この原理に基づき、様々な磁性体の電子状態を明らかにする強力な手法として広く活用されています。
※2. フェリ磁性
磁気モーメントが互いに反平行に配列しているが、隣り合うモーメントの大きさが異なるため全体としては打ち消しあいが完全ではなく正味の磁化を持つ磁気秩序状態。典型例としては異なる元素に由来する磁気モーメントが反平行に配列した物質があげられます。
※3. 反強磁性体
各原子サイトのスピンの向きが互いに打ち消しあい、正味の磁化を持たない磁気的状態。図1Dに示した隣同士のサイトで磁化が打ち消しあう配置の他にも、本研究で対象とした、三角形の頂点に位置するスピンが互いに120度の角度をなして配列した場合も反強磁性の一種に分類されます。
※4. 常磁性体
それぞれのスピンの向きが温度によるゆらぎのために定まらず、全体として磁化を持たない状態。強磁性や反強磁性でも、磁気転移温度(強磁性体ではキュリー温度、反強磁性ではネール温度と呼ばれる)以上の高温では、常磁性として振る舞います。
※5. 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援などはJASRIが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
※6. カゴメ格子
物質の結晶構造に現れる代表的な原子配置の一つです。図2(a)に示すように、各原子位置が籠(カゴ)の目の交点に対応することから籠目(カゴメ)格子と呼ばれるようになりました。カゴメ格子を持つ磁性体は珍しい性質を示す例が多く知られており、物性物理学の分野で精力的に研究が行われています。
※7. カイラリティ
例えば右巻きと左巻きのらせんのように、ある対象を鏡に写した時に元の構造と重ねることができない性質をカイラリティと呼びます。らせん構造に代表されるようにこの性質は回転と強く結びついており、今回のようにスピンの回転方向の違いや、左右の円偏光の違いもカイラリティの一種と考えられます。
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