高エネルギーX線散乱によりリチウム過剰系正極材料に特徴的な アニオンの酸化還元軌道を可視化(プレスリリース)
- 公開日
- 2021年06月10日
- BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
2021年6月10日
国立大学法人群馬大学
公益財団法人高輝度光科学研究センター
国立大学法人横浜国立大学
学校法人立命館
国立大学法人京都大学
成果のポイント
• Ti-Mn系高容量正極材料の電子状態を明らかにし、本物質の酸化・還元軌道が酸素2p軌道であることを実証。
• 高容量化の鍵となる孤立した状態にある酸素2p軌道を可視化。
• コンプトン散乱法がアニオンの電子状態評価法として有用であることを実証。
群馬大学、高輝度光科学研究センター、横浜国立大学、立命館大学、京都大学の研究グループは、ラッペーンランタ大学(フィンランド)、カーネギーメロン大学(アメリカ)、ノースイースタン大学(アメリカ)の理論研究グループとの国際共同研究により、大型放射光施設SPring-8*1の高輝度・高エネルギー放射光X線を用いた散乱実験と理論計算との併用から、リチウム過剰系正極材料の電子状態を明らかにし、高容量化の鍵となる特徴的な酸素(O)アニオンの酸化・還元軌道*2の可視化に成功しました。 今回の研究成果は、英国科学誌「Nature」に(6月10日(日本時間0:00時))オンライン掲載されました。 発表雑誌: |
<研究の背景>
現在、自動車をはじめとした輸送機器の電動化が世界中で進んでいます。その中でも大型輸送車や航空機の電動化には現在のリチウムイオン電池をはるかに凌ぐ高いエネルギー密度を持つリチウムイオン電池の開発が必要です。リチウム過剰系材料は、200 mAh/g以上の大きな容量(これは、従来の正極材料に比べ2倍以上)を持つことから次世代の高容量正極材料として注目を集めています。その中でも、リチウム原子と遷移金属原子が不規則に配列(カチオンディスオーダ)した岩塩構造(図1)を持つ酸化物群では、酸化物イオンが特徴的な状態で存在することで酸素アニオンが酸化・還元反応を担い高容量化することが、これまでの様々な研究から指摘されています。しかし、その電子状態、特に酸素の電子状態を直接観測することは難しいため、酸化・還元反応のメカニズムについては十分に理解されていませんでした。
高エネルギー放射光X線を用いるコンプトン散乱法は電子運動量分布*5を精密に計測できるという特長があるため電子状態を定量的に評価できます。さらに電子運動量分布は電子軌道の実空間分布と同じ対称性を持つので、コンプトン散乱X線は電子軌道の空間分布に関する情報を直接的含んでいます。すなわち、コンプトン散乱実験と理論計算が連携することにより、電子軌道を可視化することができます。
<研究手段と成果>
コンプトン散乱実験はSPring-8の高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)で行いました。115 keVの高エネルギーX線を試料にあてて、約95 keVを中心にして、ある一定のエネルギー幅をもって分布しているコンプトン散乱X線エネルギースペクトルを測定しました。試料はメタチタン酸リチウム(Li2TiO3)とマンガン酸リチウム(LiMnO2)から合成される二元系化合物LixTi0.4Mn0.4O2 (リチウム量x=0.4, 0.8)です。LixTi0.4Mn0.4O2は、母材に希少金属を含まない正極材料としても注目されています。
図2(a)は、リチウム量x = 0.8と0.4から得られたLixTi0.4Mn0.4O2の差分コンプトンプロファイルです。実測された差分コンプトンプロファイルの形状は、O 2p軌道のコンプトンプロファイルの形状に近いことからリチウム量が0.4から0.8に増えることでもたらされる電子は、Oサイトを占有することがわかりました。また、リチウムの挿入によって、Mn 3d軌道が変形することを示唆する特徴も見られました。
理論計算では、高精度の電子状態計算により、LixTi0.4Mn0.4O2(x = 0.4, 0.8)のコンプトン散乱X線エネルギー分布、状態密度、酸化・還元軌道の空間分布を求めました。計算で求めたコンプトン散乱X線のエネルギー分布は実験結果と直接的に比較できるので、コンプトン散乱実験の結果から酸化・還元軌道の空間分布や電子状態を定量的に導き出すことができます。実験から得られた差分コンプトンプロファイルを 理論計算で得られた差分コンプトンプロファイルと比較したところ、実験結果と理論計算結果はよく一致することがわかりました(図2(a))。そこで、LixTi0.4Mn0.4O2(x = 0.4, 0.8)の部分状態密度を求めた結果、図2(b)と(c)に示すように高容量正極材料に特徴的な孤立状態にある酸素の状態が得られました。実験結果と理論計算との比較から、この酸素の孤立状態は、リチウムの挿入によりMn 3d電子とO 2p電子との間でクーロン反発が起こり、Mn 3d軌道が局在化することでMn 3d軌道とO 2p軌道との結合が弱まるために生じます。さらに、図3(a)に示すように、リチウム量が0.4から0.8に変化した時のLixTi0.4Mn0.4O2の酸化・還元軌道の状態分布から孤立状態にあるO 2p軌道(アニオンの酸化還元軌道)を可視化することに成功しました。
<今後の展開>
コンプトン散乱法は高エネルギーX線を利用しています。高エネルギーX線は、物質に対する透過能が高いため、物質表面の状態に依らず物質内部の状態を測定することができます。この特徴は電気化学反応セルの内部や電池製品の内部の材料挙動を観察するうえで有力なプローブです。既に、コンプトン散乱法を利用して、リチウムイオン実電池内部の反応をオペランドで測定することに成功しています。本研究の成果は、リチウム過剰系正極材料の高容量発現メカニズムの基礎的な理解を深め、酸化・還元軌道の状態分布を識別子とした高容量正極材料の設計指針を与えると共に、コンプトン散乱がアニオンの電子状態評価法として有用です。今後、コンプトン散乱法と理論計算を組み合わせることにより、蓄電池の設計や正極材料の開発に資することが期待されます。
図1.Li原子と遷移金属原子(Mn原子とTi原子)が不規則に配列したLi1.2Ti0.4Mn0.4O2の構造と本物質の酸素原子周囲の構造、ならびに分子軌道モデルから予想される状態密度の模式図。
(結晶構造の作図はVESTAを利用しました)
図2.(a) リチウム量x=0.8とx=0.4のLixTi0.4Mn0.4O2から得られた差分コンンプトンプロファイル。図の赤線は理論計算から得られた差分コンプトンプロファイル。挿絵は原子モデル計算から得られたMn 3d軌道とO 2p軌道のコンプトンプロファイル。
(b) Li0.4Ti0.4Mn0.4O2の部分状態密度(c) Li0.8Ti0.4Mn0.4O2の部分状態密度
図3.(a) リチウム量xが0.4から0.8に変化した時のLixTi0.4Mn0.4O2の酸化・還元軌道、(b)O 2p軌道とMn 3d t2g軌道の模式図。O 2p軌道とMn 3d t2g軌道の間にはπ結合が生じる
用語解説
*1 大型放射光施設SPring-8:
兵庫県の播磨研究学園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、利用者支援などは高輝度光科学研究センターが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
*2 酸化・還元軌道:
化学反応のうち、原子やイオンまたは物質間で電子の授受がある反応のことを酸化還元反応といいます。この酸化還元反応において、原子やイオンまたは物質が電子の授受を行う際に、電子を受け入れる電子軌道のことを酸化還元軌道といいます。
*3 コンプトン散乱:
光(X線)は粒子としての性質を持ち、光子とも呼びます。X線光子と電子とがビリヤードの球のように衝突したときに、光子は電子によって散乱され、電子も弾き飛ばされてしまいます。衝突後の光子のエネルギーは衝突前に比べて低くなって観測されます。このような散乱現象をコンプトン散乱と呼びます。多くの教科書的な書物において、コンプトン散乱は、静止した電子とX線光子との弾性衝突として説明されていますが、現実の物質中の電子は常に運動しています。そのため、コンプトン散乱されたX線光子は、電子の運動量を反映して(ドップラー効果)、エネルギー分布を示します。エネルギーに対するX線の散乱強度を測定したものをコンプトンプロファイルと呼び、これが物質中の電子の運動量を反映していることを利用して、物質の電子状態が調べられています。
*4 クーロン反発:
クーロンの法則から荷電粒子間には電荷の積に比例し、荷電粒子間の距離の二乗に反比例する力が働きます。荷電粒子間の力は、同極性の場合は斥力になり、異極性の場合は引力になります。
*5 電子運動量分布:
運動量は物体の運動の状態を表す量で、質量と速度の積で定義されます。電子運動量分布は、物質中で運動している電子の速度分布とみなすことができます。
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