ベイズ分光を用いて磁気コンプトン散乱測定時間の短縮に成功 - 従来の測定時間の20分の1で測定可能に -(プレスリリース)
- 公開日
- 2021年08月30日
- BL08W(高エネルギー非弾性散乱)
2021年8月30日
高輝度光科学研究センター
科学技術振興機構
高輝度光科学研究センター(JASRI)は、熊本大学、物質・材料研究機構、東京大学と共同で、磁性材料の基本材料である純鉄の磁気コンプトン散乱スペクトルにベイズ分光を適用し、磁気コンプトン散乱測定時間を20分の1に短縮してもこれまでと同様の精度で磁気モーメントを決定できる新しい解析法の開発に成功しました。 【論文情報】 |
【研究の背景】
磁気コンプトン散乱(*1)は左右円偏光X線(*2)を用いて得られるスペクトル(散乱強度のエネルギー依存性)の差分で定義され、そのスペクトルには磁石の強さを表すものであるスピン磁気モーメント(*3)とそれを構成する3d・4s電子軌道(*4)に関する情報が含まれています。スピン磁気モーメントはスペクトル強度を積分することで得られ、3d・4s電子軌道の形状という情報は、スペクトルを成分分解することで得られます。これらの情報を分析することで磁石などの磁性材料の磁気的な強さがわかり、磁性材料の高性能化が可能となります。磁気コンプトン散乱のシグナルは非常に弱く、上記情報の十分なスペクトルを得るのに非常に時間がかかる測定ですが、試料内部までの電子状態が観測できる唯一無二の方法です。そこで得られる情報の精度を落とさず測定時間を短縮化する方法の開発が望まれていました。
【研究内容と成果】
本研究グループは、今回、大型放射光施設SPring-8(*5)のBL08Wを使って、ベイズ推定(*6)に基づくベイズ分光を、磁気コンプトン散乱スペクトルの解析に適用し、測定者の要請した精度でスピン磁気モーメントの大きさを求めるための測定時間を決定しました。ベイズ推定は、因果律(*7)を遡って現象の原因を評価する手法でデータ駆動科学(*8)における学理構築法です。ベイズ分光はスペクトル分解にベイズ推定を組み込んだ解析法です。
これまでの解析法ではスピン磁気モーメントの精度をデータから直接推定することができず、研究者が磁気コンプトン散乱強度の統計精度から間接的に評価するしか方法がなかったため、スピン磁気モーメントの推定精度に曖昧さが残ってしまうという問題点がありました。ベイズ分光は、求めたいスピン磁気モーメントの事後確率分布(*9)を推定することができるため、スピン磁気モーメントの推定精度の評価が可能です。従って、推定精度が要求される精度に到達すれば、測定を終了するという枠組みの構築が可能となりました。この枠組みを用いることで、スピン磁気モーメントの大きさを小数点第2位の精度で評価するには従来の測定時間の20分の1で十分であることがわかりました(図)。
【今後の展開】
今回構築に成功したベイズ分光を用いた解析法により測定時間を大幅に短縮できるため、様々な条件で作製された多数の材料の測定が可能となります。これにより、材料の作製条件の最適化への指針を得られることから、磁気コンプトン散乱を用いた磁性材料の研究開発が促進されることが期待されます。また、今回の解析方法は測定時間を人に頼らずにコンピュータが自動決定できる手法でもあり、今後自動測定システム開発に重要な役割を果たすと期待されます。
本研究は、JST戦略的創造研究推進事業 CREST 研究領域「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」(研究総括:雨宮 慶幸)における研究課題「データ駆動科学による高次元X線吸収計測の革新」(研究代表者:赤井 一郎)の助成を受け、SPring-8の利用研究課題として行われました。
図:ベイズ分光を用いたスピン磁気モーメントの誤差推定法と必要測定回数の評価法
【用語解説】
*1. 磁気コンプトン散乱
自転(スピン)している電子によって散乱された円偏光X線を検出することにより、原子磁石の性質を調べる実験手法です。スピン磁気モーメントを定量的に測定できます。
*2. 左右円偏光X線
X線は、お互いに直交した電場と磁場が波打ちながら進んでいく電磁波です。X線が進行するにつれて電場が波打つ面が一方向に一定の速さで回転していく場合、このX線を円偏光X線と呼びます。磁石の性質を調べるプローブとして用いられます。電場が波打つ面が回転せず一定の方向を保ったまま進むX線を直線偏光X線と呼びます。
*3. スピン磁気モーメント
一定の速度で自転(スピン)している電子は1個の磁石として働きます。この磁気の大きさがスピン磁気モーメントです。
*4. 電子軌道
電子は原子核を中心に軌道を描いて周回運動しています。この軌道のことを電子軌道と呼びます。
*5. 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援はJASRIが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
*6. ベイズ推定
ベイズの定理を用いた推定法で、データ駆動科学では因果律の原因と結果の間にベイズの定理を適用します。
*7. 因果律
自然現象をつかさどる原理で、結果は原因に基づくものと考える考え方です。
*8. データ駆動科学
計測データを起点とし、ベイズ推定などの機械学習を駆使して新しい科学研究を進める方法です。
*9. 事後確率分布
ベイズ推定で評価できる推定量の誤差分布で、計測データに基づいて評価されます。
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