高精度ミラーと計算を組み合わせた軟X線顕微鏡を開発 ―ラベルフリーで細胞内の微細構造を50 nmの分解能で可視化―(プレスリリース)
- 公開日
- 2022年07月12日
- BL07LSU(東京大学放射光アウトステーション物質科学)
2022年7月12日
東京大学
高輝度光科学研究センター
理化学研究所
発表のポイント:
◆新たな軟X線顕微鏡の開発に成功し、さまざまな波長の軟X線で哺乳類細胞内部の微細構造を50 nmの分解能で捉えることに成功しました。
◆これまで軟X線顕微鏡で課題となっていた、色収差や光学素子の精度といった問題を、全反射現象を利用したウォルターミラーとタイコグラフィ法を導入することで解決しました。
◆今後、軟X線の分光分析技術などと組み合わせることにより、生物・材料・デバイスなど、幅広い領域の研究や技術開発に力を発揮するものと期待されます。
東京大学物性研究所の木村隆志准教授(兼 理化学研究所 放射光科学研究センター 客員研究員)、竹尾陽子助教(兼 高輝度光科学研究センター ビームライン技術推進室、兼 理化学研究所 放射光科学研究センター 客員研究員)らの研究グループは、ウォルターミラー(注1)を導入した新たな軟X線顕微鏡の開発に成功し、哺乳類細胞の内部微細構造をさまざまな波長の軟X線で捉えることに成功しました。 発表雑誌: |
① 研究の背景
高い分解能とさまざまな物性分析技術を持つX線顕微イメージングは、生物学や材料科学など幅広い領域において応用が行われています。可視光と比較して2~3桁程度短い波長を持つ軟X線は、物質に含まれる電子の状態を調べるのに特に適しており、材料やデバイス、細胞などの構成元素や化学状態を詳細に調べることが可能です。
一方で、軟X線はその極端に短い波長のため、可視光と同じようなレンズを用いた顕微鏡を構築することが困難です。そのため、これまではゾーンプレート(注4)と言われる微細パターンを利用した特殊な光学素子による軟X線顕微鏡の開発が広く行われてきました。しかし、ゾーンプレートは波長に依存して焦点距離が変わる色収差という性質を持っており、物質の持つさまざまな元素に対応した軟X線のイメージングを行うには大きな困難が伴っていました。また、波長が短いということは、それだけ光学素子に求められる作製精度も高くなることを意味しており、この作製精度も軟X線顕微鏡の大きな問題として存在していました。
② 研究内容
本研究グループは、ウォルターミラーと呼ばれる高精度な光学素子を導入した新たな軟X線顕微鏡の開発に成功しました。今回導入したウォルターミラーは、東京大学と夏目光学株式会社が共同で研究開発を行い、実用化に至ったものです。このウォルターミラーは軟X線の全反射現象を利用するため、従来問題となっていた色収差が原理的に存在しません。
加えて、研究グループではこのウォルターミラーを導入した軟X線顕微鏡に、タイコグラフィ法と呼ばれる新たなイメージング技術を組み合わせることで、光学素子の作製精度に影響されない高い分解能の実現を目指しました。タイコグラフィ法は近年研究がめざましく進展している新しいイメージング技術で、レーザーのような干渉性の高い光を試料に当てた時に得られる回折パターンを計算機により解析することで、非常に高い分解能と感度を実現することができます。
図1に開発した軟X線顕微鏡の写真とその概略図を示します。本顕微鏡は大型放射光施設SPring-8(注5)の東京大学物質科学ビームラインBL07LSUに構築しています。このビームラインでは、波長5.0 nm~0.62 nmの軟X線を利用可能です。写真中オレンジ色の筒状の部品が今回軟X線顕微鏡用に新たに開発した200 mm長のウォルターミラーです。開発した顕微鏡の分解能をテストパターンにより評価したところ、軟X線の波長をさまざまに変化させても、50 nm 程度の分解能で同様の観察が可能であることを確認しました。
本顕微鏡の応用例を示すために、複数波長の軟X線での細胞試料の計測を行いました。試料には、チャイニーズハムスター卵巣がん細胞を200 nmの窒化ケイ素薄膜上で培養した後に、パラホルムアルデヒドで化学固定処理を行ったものを利用しました。細胞の厚さはおよそ5 μmであり、電子顕微鏡によって内部の透過観察を行うことが一般的に困難な厚さです。軟X線は物質と程よく相互作用するため、こうした分厚い試料を薄片化せずそのまま観察することができます。
図2に軟X線で観察した細胞の画像の代表例を示します。タイコグラフィ法では試料のX線に対する吸収率だけでなく、位相のシフト量も定量的に求めることができます。こうした吸収や位相のイメージングによって、核小体やミトコンドリア、小胞体と想定されるさまざまな細胞内の構造を高分解能に捉えることに成功しました。また、軟X線の各波長でのイメージング結果に、透過像と位相像に大きな違いがあることが分かりました。X線領域において位相像は感度の高い計測を行うことができるため、細胞のような透過性の高い試料を計測する場合の本軟X線顕微鏡の大きな長所になります。また試料を回転可能な本装置は、トモグラフィ計測(注6)への応用も可能であり、細胞試料を±45°傾けて計測することによって、細胞核膜近傍の微細構造の盛り上がりを詳細に捉えることもできました(図3)。
③ 社会的意義・今後の予定
今回の細胞試料のイメージングは、炭素や窒素、酸素とよく反応する軟X線の波長域を跨いで計測を行っており、今後細胞中の元素分布だけでなく、タンパク質や脂質、核酸、糖といったさまざまな分子の分布をラベルフリーで捉えることが可能になります。こうした元素選択的な高分解能イメージング技術は、現在広く利用されている可視光蛍光顕微鏡では捉えることの難しい低分子などの分析に力を発揮するものと期待されます。
また、軟X線顕微鏡は物質中の電子状態を調べることによって物性研究にも力を発揮します。今後、装置の改良による10 nm分解能の実現も目指しており、本軟X線顕微鏡の特性と合わせて、スピントロニクスなどを活用した次世代デバイスの動作環境下で評価などにも取り組んでいく計画です。
本研究は、JSPS科研費(20H04451, 21K20394)、JSTさきがけ(JPMJPR1772)、東京大学卓越研究員制度の支援を受けて行われました。
図1 開発した軟X線顕微鏡の配置(上)と計測装置の内部写真(下)。写真中でのオレンジ色の筒型部品が新たに開発した軟X線用のウォルターミラーです。
図2 2.1 nmの波長の軟X線で計測した細胞像。下段左が軟X線の吸収率、下段右が位相シフトによるイメージング結果を示しています。軟X線吸収像中の点線で囲った領域(a,b,c)を、下部にそれぞれ拡大して示しています。
図3 細胞試料を-45°傾けた際の軟X線位相像の比較。点線で囲った領域(d)を右に拡大して示しています。試料を傾けて計測することで、拡大図で示した矢印の領域の盛り上がりが強調されて確認できます。
【用語解説】
(注1)ウォルターミラー
レンズのように光を集光するためのミラーの一種で、収差を抑えるために楕円面と双曲面を組み合わせた非球面形状をしている。X線領域で使用するためには、可視光領域のミラーと比較して格段に高い加工精度が要求される。
(注2)色収差
レンズなどで光を集光する際に、波長(≒色)に応じてズレが生じる現象。鏡面反射を利用するミラー光学系を用いることで、原理的に色収差を生じない理想的な顕微鏡を構築することができる。
(注3)タイコグラフィ法
X線を用いた顕微イメージング手法の一つ。試料にレーザーのような干渉性の高い光を入れた際に計測される回折パターンを元に、計算機によって試料の構造を求める。光学素子の誤差の影響を除いて試料像を求めることができるため、特に高い分解能と感度を実現できる。
(注4)ゾーンプレート
同心円状の微細パターンを利用して集光を行う光学素子。比較的容易に精度の高い集光が行えるため、軟X線領域では顕微鏡応用も含めて広く利用されている。反面、X線の回折現象を利用するため、波長に応じた色収差が存在するという課題も存在する。
(注5)大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVの略。放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
(注6)トモグラフィ計測
さまざまな角度から試料の画像を取得し、計算機により試料内部を含めた三次元構造を求める手法。Computed tomographyの略でCTと呼ばれることも多い。本顕微鏡を活用することで人体に対するX線CTのように、細胞中やデバイス内部の構造を高分解能に三次元解析することも可能になる。
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