水に溶けたラジウムの姿を世界で初めて分子レベルで観測 ―キュリー夫妻による発見から124年、ラジウムの分子レベル研究の幕開け―(プレスリリース)
- 公開日
- 2022年09月27日
- BL22XU(JAEA 重元素科学I)
2022年9月27日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
国立大学法人 東京大学 大学院理学系研究科
国立大学法人 大阪大学放射線科学基盤機構
国立大学法人 東京大学 アイソトープ総合センター
【発表のポイント】
● ラジウムはキュリー夫妻により発見された放射性元素として有名です。放射線がん治療や環境中物質の放射年代測定法に利用される他、最近では地下資源の採掘により表出する機会が増えたため、詳しい化学的性質の解明が急務とされています。
● しかし、ラジウムを用いる実験は被ばくの危険を伴うため、分子レベルの実験は発見から100年以上経った今でも皆無であり、化学的性質のほとんどはわかっていません。特に、体内や環境中ではラジウムは水に溶けているため、化学的性質の解明のためには、水に溶けたラジウムの姿の詳細な観測が重要です。
● 本研究では、高濃度ラジウムを安全に扱う実験工程を確立しました。そして、世界最高性能の放射光実験施設の一つであるSPring-8を利用することで、水に溶けたラジウムの分子レベルの観測に世界で初めて成功しました。さらに、スーパーコンピューターを用いたシミュレーションにより、水に溶けたラジウムは生体や環境中物質に取り込まれやすいことが分かりました。
● 本研究によりラジウムの化学的性質を分子レベルで調べる研究手法を確立しました。今後、本手法を基に、放射線がん治療薬の作用メカニズム解明や新薬開発、放射年代測定の精緻化、環境問題への貢献等、社会的に重要な課題の解決が期待されます。
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長:小口正範、以下「原子力機構」という。)システム計算科学センター シミュレーション技術開発室の山口瑛子研究員、奥村雅彦研究主幹、先端基礎研究センター 耐環境性機能材料科学研究グループの田中万也研究主幹、物質科学研究センターの矢板毅副センター長、大阪大学放射線科学基盤機構附属ラジオアイソトープ総合センターの吉村崇教授、及び東京大学大学院理学系研究科/アイソトープ総合センター長の高橋嘉夫教授らは、水溶液中にイオンとして溶けたラジウム(ラジウムイオン: Ra2+)と、その周辺に存在する水分子の構造(水和構造)1)について、分子レベルの観測に世界で初めて成功しました。さらに、シミュレーションを用いて、Ra2+は同族元素に比べて水分子を束縛する力が弱く、水和構造が変化しやすいことを明らかにしました。 放射性元素であるラジウムは1898 年にキュリー夫妻によって発見されました。現在では、ラジウムと同族元素のカルシウムが形成する骨にラジウムが集まる性質を活かし、骨に転移したがんを放射線で治療する薬に使われています。また、ラジウムはウランなどの壊変2)により生成されるため、鉱物の放射年代測定に利用されます。一方で、シェールガス3)などの地下資源の掘削時に環境を汚染する可能性が指摘されています。そのため、ラジウムの化学的性質の解明は急務です。しかし、ラジウム自体が強い放射能を持つだけでなく、ラジウムの壊変により気体の放射性元素ラドンが生成し、内部被ばくの危険性が高まります。これらの危険性から、高濃度ラジウムを必要とする分子レベルの実験はこれまで実施できず、発見から100年以上経ってもラジウムの化学的性質は未解明でした。 本研究では、ラドンの漏洩を防ぐ測定容器を開発し、高濃度ラジウム試料を安全に作製・運搬・測定する手法を確立しました。さらに世界最高性能の放射光実験施設の一つであるSPring-8を用いることで、世界初となるRa2+水和構造の分子レベル測定に成功しました。また、スーパーコンピューターを用いて高精度なシミュレーションを行い、実験結果を再現した上で、Ra2+は同族元素よりも周辺の水分子を束縛する力が弱く、水和構造が変化しやすいことも明らかにしました。これらの結果から、Ra2+は同族元素と比べて、水から離れ生体内や環境中に取り込まれやすいことが示唆されました。 本研究により、放射光実験とシミュレーションによるラジウムの分子レベルの化学研究手法を確立しました。今後、本手法を基により複雑な化学反応の研究に応用することで、がん治療薬の作用機序解明や新薬開発、土壌の年代推定法の精緻化、環境問題の解決等、社会的に重要な課題の解決へ繋がることが期待されます。本研究成果は、8月19日付(日本時間)の米国Cell Press社「iScience誌」に掲載されました。 【論文情報】 |
【これまでの背景・経緯】
ラジウムは1898年にキュリー夫妻によって発見された放射性元素で、ラジウムに関連した研究の功績により、1903年にキュリー夫妻にノーベル化学賞、1911年にマリー=キュリーにノーベル物理学賞が与えられました。
ラジウムは、日常生活で身近なカルシウムの同族元素ですが、カルシウムとは違って放射性元素であるため、α線を出して壊変し、気体の放射性元素であるラドンに変わります。最近では、これらの性質をうまく利用して、骨に転移したがんの治療薬に用いられています。この治療薬は、骨のがん細胞が活発にカルシウムを取り入れる性質を利用して、同族元素であるラジウムを骨のがん細胞周辺に集め、ラジウムが壊変の際に放出するα線でがん細胞を攻撃することにより治療効果を発揮します。
また、ラジウムは岩石・鉱物・土壌に微量に含まれる放射性元素のウランやトリウムの壊変によっても生成します。生成したラジウムはさらに壊変し、安定化するまで壊変を続けます。これらの放射性元素は壊変するまでの寿命(半減期)が異なるため、それらの残存量の比を調べることによって、ラジウムを含む鉱物の年代を知ることができます。このような測定手法を放射年代測定と呼び、地球環境の歴史調査等に役立てられています。
一方で、ラジウムはウラン鉱山周辺の環境汚染に深く関係しています。近年では、米国において、人為的影響のない場所でも天然由来のラジウムによって飲料水中の基準値が超過することや、シェールガス開発における掘削によってラジウムが掘り起こされ、環境汚染を引き起こす可能性が指摘されています。
このように、ラジウムの医療や地球科学及び環境科学における応用が進んでいますが、生体内や環境中におけるラジウムの化学反応の詳細については、今もまだほとんど理解されていません。生体内や環境中で起こっている現象を理解するためには、基礎的な化学反応の理解を積み重ね、それらが組み合わさった複雑な化学反応を紐解いていくことが必要です。生体内や環境中における化学反応は主に水の中で進行するため、ラジウムが水にどのように溶けているかを調べることが最も重要となります。しかし、ラジウム自体の放射能が高く、さらに、ラジウムは壊変によって気体の放射性元素であるラドンを生成し、吸引による内部被ばくの危険性を高めるため、実験の実施には高度な安全管理が要求されます。特に、分子レベルでの測定には比較的高濃度のラジウムが必要であるため、安全管理がより難しくなります。こうした背景から、1898年のキュリー夫妻のラジウム発見後100年以上経っても、Ra2+の分子レベルの測定実験は行われていませんでした。
【今回の成果】
本研究では、世界最高性能の放射光実験施設の一つであるSPring-8において広域X線吸収微細構造(Extended X-ray Absorption Fine Structure: EXAFS)法4)を用いて水に溶けたRa2+(水和Ra2+)の分子レベル構造を測定しました。EXAFS法は、X線をRa2+に当ててX線の吸収の様子を測定することで、分子レベルの構造を測定する手法です。Ra2+によるX線の吸収の様子はRa2+の周囲に存在する水分子の配置の影響を強く受けるため、X線の吸収の様子を詳細に調べることでRa2+の水和構造がわかります。
この測定を行うには50 µg程度のラジウムが必要で、これを放射能に換算すると2 MBqとなります。この放射性試料を安全に作製、運搬、測定するために、本研究では、原子力機構、大阪大学放射線科学基盤機構、東京大学、SPring-8が連携して知見を共有し、綿密な実験計画を立案しました。本研究の工程において最も気をつけなければならないのは、ラジウムの壊変によって生成されるラドンの漏洩でした。これは、ラドンが気体の放射性元素であるため、吸引による内部被ばくを引き起こす恐れがあるためです。そこで、ラジウムやラドンを完全に密封し、かつ、効率的に測定ができる試料容器の作成を目指して、試料容器の形状や材質について検討を重ねました。検討の結果、万が一の漏洩を防ぐために一般的な密封方法よりも厳重な4重密封とすることを決め、試料容器を作成しました。作成した試料容器については、水没テストを実施し、漏洩が起こらないことを確認しました。さらに、安全性を高めるため、試料容器を格納し放射線を遮へいする容器も作成しました(図1)。作成においては、放射線防護に充分な鉛の厚みをラジウムの放射能から計算しました。そして、これらの厳重な安全管理のもと、SPring-8にある原子力機構専用ビームラインBL22XUにて世界初となる水和Ra2+のEXAFS測定を成功させました。
図1. (a) 試料容器および(b)放射線遮へい容器の写真。
ラジウムのEXAFS測定の結果を図1(青線)に示します。得られたグラフを理論式(赤破線)と合わせて解析することにより、周辺水分子との平均距離とその平均個数が分かります。解析の結果、Ra2+の周辺水分子との平均距離が2.87±0.06Å(オングストローム)5)(平均2.87Å、誤差0.06Å)、Ra2+の周辺に存在する水分子の平均個数(配位数)が9.2±1.9個(平均9.2個、誤差1.9個)であることがわかりました。
図2. 水和Ra2+のEXAFS測定結果(青線)。赤破線は理論式による解析結果を示します。解析の結果、Ra2+の周辺水分子との平均距離及びRa2+の周辺に存在する水分子の平均個数(配位数)がわかりました(表1を参照)。
一方シミュレーションでは、物質中の電子を量子力学的に扱う精度の高い第一原理分子動力学法6)を採用し、原子力機構のスーパーコンピューターを用いて水和Ra2+の動きを計算しました。実施したシミュレーションのスナップショットを図3(a)に示します。このシミュレーションにより、Ra2+の周りの水分子の分布(動径分布関数)が得られました(図3(b))。この図において、2つのピークの存在が確認でき、それらの領域に水分子が多く存在することを示しています。例えば、Ra2+からの距離が近い方のピークの周辺領域に注目すると、2.6〜3.6Åの間に水分子が多く存在し、平均距離2.88Åに最も多く水分子が存在することがわかります。この領域(距離2.6〜3.6Å)を「第一水和圏」と呼び、第一水和圏に含まれる水分子の平均個数(配位数)を求めたところ、8.4個であることがわかりました(図3(b)を参照)。
図3. (a) シミュレーションのスナップショットと(b) シミュレーションによって得られた水分子の分布(動径分布関数)。この結果を解析することにより、Ra2+の周辺水分子との平均距離及びRa2+の周辺に存在する水分子の平均個数(配位数)がわかりました(表1を参照)。
XAFS測定とシミュレーションの結果を表1にまとめました。Ra2+から水分子までの平均距離について、EXAFS測定とシミュレーションの結果が非常に良い精度で一致していることがわかります。また、配位数についても、シミュレーションの結果はEXAFS測定の結果の誤差の範囲内に収まっていることがわかります。これらの比較より、独立に行った実験研究とシミュレーション研究の結果が整合していることが確認できました。これは、実験結果とシミュレーション結果のどちらも信頼できることを意味しますし、今後は、シミュレーションで様々な実験の結果を予測し、最小限の実験でそれを確認することで研究の大幅な効率化が期待できます。
最後に、Ra2+の第一水和圏に存在する水分子について、詳細な構造と水分子の動きをシミュレーションにより調べ、同族元素であるBa2+との比較を行いました。その結果、水和Ra2+の周りの水分子は水和Ba2+の周りの水分子よりも動きやすいことがわかりました。このことは、Ra2+の周りの水分子がBa2+の周りの水分子よりも弱く束縛されていることを示します。以上の結果から、Ba2+に比べて、Ra2+が水分子から離れて、生体内や環境内に存在する物質に強く吸着しやすいことが示唆されました。
表1. 実験とシミュレーションから得られた、水分子との距離の平均と配位数。実験とシミュレーションの結果がよく一致しています。
【今後の展望】
本研究では、EXAFS測定及びシミュレーションにより、水に溶けたRa2+の周りを取り巻く水分子の構造と動き方を分子レベルで解明することに成功しました。特にEXAFS測定については、ラジウムを高濃度に含む放射性試料を安全に作製、運搬し、SPring-8で分子レベル構造を測定する技術を確立し、高濃度ラジウム試料の作製・運搬・測定における安全な取扱方法を確立しました。
今後は、本研究で確立した手法を天然環境や生体内で進行するより複雑な化学反応に適用し、その生成物中のラジウムの構造を分子レベルで解明していきます。例えば、骨に吸着したRa2+の構造を詳しく調べることにより、骨のがんの放射線がん治療薬の作用メカニズム解明や新薬開発を進めることができると期待されます。また、環境中では、ウランなどの壊変により生成したラジウムが水に溶け、環境中物質への吸脱着を繰り返して環境中を移動する可能性があります。そのため、環境中物質に吸着したRa2+の構造を理解することにより、ラジウムの環境移動の様子を詳細に知ることが可能になり、放射年代測定の精緻化が可能になると期待されます。さらに、ラジウムの環境移動の様子を予測、制御可能になれば、ウラン鉱山周辺や米国のシェールガス開発での掘削による環境汚染の対策にも貢献することが可能になります。このように、今後、幅広い分野における発展や社会的に重要な問題の解決に貢献していくことが期待されます。
【各機関の役割】
<原子力機構 システム計算科学センター>
山口瑛子(研究員): 実験、解析、理論計算、考察
小林恵太(研究員)、奥村雅彦(研究主幹): 理論計算、考察
<原子力機構 先端基礎研究センター>
田中万也(研究主幹): 実験、考察
<原子力機構 物質科学研究センター>
小林徹(研究副主幹)、谷田肇(技術副主幹)、下条晃司郎(研究主幹)、関口哲弘(研究主幹)、金田結衣(主査)、松田晶平(研究員): 実験、考察
横山啓一(研究主幹)、矢板毅(副センター長): 指導監修
<大阪大学放射線科学基盤機構>
永田光知郎助教、吉村崇教授: 実験、指導監修
<東京大学>
高橋嘉夫教授: 指導監修
【助成金の情報】
本研究は科研費 スタート支援「実験とシミュレーションによるラジウムの粘土鉱物への吸着構造の解明」及び原子力機構 萌芽研究開発制度「ラジウムの電子状態評価による粘土鉱物への微視的吸着構造の精密決定」の助成を受けたものです。
【用語の説明】
1)水和構造
水溶液中に溶けたイオンとそのイオンを取り囲む水分子の構造。
2)壊変
不安定な原子核がエネルギーを放出し、より安定な原子核に変化すること。
3)シェールガス
堆積岩の一つであるシェール(けつ岩)に含まれる天然ガス。
4)広域X線吸収微細構造(extended X-ray absorption fine structure; EXAFS)法
物質にX線を照射し、X線の吸収の仕方の違いによって原子配置などを測定する実験手法。
5)Å(オングストローム)
長さの単位。1Å=100億分の1 m。
6)第一原理分子動力学法
量子論に基づいて原子の動きを計算する手法。
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