ファンデルワールス力の機構を分子レベルで解明 ─ 環境に敏感な生体適合性材料のデザインに新たな機軸を提供 ─(プレスリリース)
- 公開日
- 2022年12月06日
- BL43IR(赤外物性)
2022年12月6日
国立大学法人東北大学大学院理学研究科
公益財団法人高輝度光科学研究センター
【発表のポイント】
● 高輝度放射光(注1)とテラヘルツ光(注2)を用いてファンデルワールス極限(注3)のごく弱い水素結合による疎水性水和(注4)の調節を観測しました。
● 多方面ですでに実用化されている生体適合性材料について分子内構造をもとにファンデルワールス相互作用の影響を分子レベルで解明しました。
● 非晶質材料の複雑な振動吸収スペクトルを、高精度第一原理計算(注5)を駆使して的確に解析しました。
ファンデルワールス相互作用は弱く柔軟で、ヤモリが壁に貼りつく力、虫が葉にとまる力などのもととなり、自然界では多くの場面で観ることができます。その発生要因は、電荷分布の時間的揺らぎに起因する純粋に量子物理学起源の力によるものですが、近年ようやく分子レベルでの理論的取り扱いが可能となってきました。 【論文情報】 |
研究の背景
ファンデルワールス相互作用は、生物学的機能の柔軟な調節機構を調べる上で鍵となる重要な相互作用です。中性分子間に働く引力として1873年にオランダの物理学者J.D.ファンデルワールスにより提唱され、その発生要因は、電荷分布の時間的揺らぎに起因する純粋に量子物理学起源の力によるものです。エネルギー領域は室温と同程度で、ファンデルワールス極限の水素結合は、室温でついたり離れたりしています。
MPCモノマーはメタクリロイル基とホスホリルコリン基からなる化合物です(図2)。メタクリロイル基はモノマーどうしをつなぐ鎖の役目をします。MPCモノマーの親水性成分であるホスホリルコリン基は、細胞膜の外層を覆うリン脂質の主成分と同じであるため生体に馴染みやすく、生体内で拒否反応を起こしにくいという特徴を持っています。MPCモノマーを重合したMPCポリマーは、タンパク質や血球等の付着が著しく少なく(生体不活性(注7))、医療用として人工肺や人工股関節に、また身近では、コンタクトレンズ、化粧品、繊維加工剤など多方面に実用化されています。MPCの生体不活性の特性は、メチル基、メチレン基に由来する疎水性水和と親水性分子内塩構造(図1)とのバランスからなる水和構造と関連していると考えられています。しかし、その分子レベルでの作用機構は明らかになっていませんでした。
研究内容
東北大学大学院理学研究科の高橋まさえ研究員と松井広志准教授らの研究グループはMPCモノマーを極低温にして熱運動を抑制し、微量試料の測定に有効な大型放射光施設SPring-8(注8)のBL43IRにおける高輝度放射光と、弱い水素結合の検出に有用なテラヘルツ光を用いて、ファンデルワールス極限の弱い分子内水素結合の形成を観測しました(図3)。さらに、高精度第一原理計算による理論解析で、温度上昇により切断される弱い水素結合を特定することに成功しました。本研究は島根大学学術研究院機能強化推進学系の森本展行教授、高輝度光科学研究センターの池本夕佳主幹研究員との共同研究の成果です。
解析の結果、MPCモノマーは、極低温で側鎖が折りたたまれた形をとり、温度を室温まであげると、側鎖の末端をつないでいるファンデルワールス極限の弱い水素結合が切断され開放された形になることが明らかになりました。また、この水素結合は重合に関与するメタクリロイル基と結合を形成しておらずポリマー形成による影響を受けないと予想され、この現象はMPCポリマーの特徴を示していると考えられます。
今後の展望
今回の研究は、ファンデルワールス相互作用により引き起こされる生体適合性材料の分子内構造変化を分子レベルで明らかにすることができ、医療現場を中心に実用化されている生体適合性材料の作用機序についての理解を深め、環境に敏感な生体適合性材料のデザインに新たな機軸を提供するものです。高輝度放射光では微量試料の測定が可能であり、環境に敏感な生体適合性材料や非晶質の生体試料の測定に適しており、高精度第一原理計算と組み合わせることで、自然界のいたるところで重要な働きをしているファンデルワールス相互作用の分子レベルでの理解を大きく広げると期待されます。東北大学で建設が進んでいる 3 GeVの高輝度放射光施設(次世代放射光施設NanoTerasu)が完成すると、高輝度放射光を利用する本研究は多様な手法を適用することで更に加速し、今後、これらの材料における革新的な機能の理解や開拓につながることが期待されます。
本研究は JSPS 科研費(JP17K05825, JP19H05717, JP22H03969, JP22H05394)、宇部興産学術振興財団、東北大学MASAMUNE-IMR(課題番号: 202012-SCKXX-0201, 202112-SCKXX-0204)、JASRI(課題番号:2018A1198, 2021A1143)の支援により実施されました。
図1. MPCポリマーの分子内塩構造と疎水性水和
N+とO−が分子内塩を作り(青矢印)、極性の小さいメチル基やメチレン基が疎水性水和に寄与します。
図2. 2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)
MPCは末端にそれぞれメタクリロイル基とホスホリルコリン基をもっています。
図3. MPCの赤外顕微分光スペクトル
4 Kの5本のピーク(青矢印)は、温度を上げるとファンデルワールス極限の弱い水素結合が切断され、3本(赤矢印)に変化します。
【用語説明】
(注1)放射光
電子を光速に近い速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な光。
(注2)テラヘルツ光
周波数が1×1012 Hz (テラヘルツ)周辺の電波と光波の中間の電磁波。適切な光源や検出器がなく、この領域は長く光の暗黒帯と呼ばれていました。近年の光源と検出器の進歩により、テラヘルツ光を利用した研究は急速な進歩を遂げています。
(注3)ファンデルワールス極限
ファンデルワールス力は中性分子間に働く引力で、最初に提唱したファンデルワールスの名前がつけられています。水素結合の範囲は広く、よく知られている水分子どうしの水素結合を中心として、今回観測したごく弱いファンデルワールス極限から、強い共有結合極限まであります。弱い水素結合に主に寄与する力が電荷分布の時間的揺らぎに起因する分散力(主としてファンデルワールス力)であることから、弱い水素結合の極限はファンデルワールス極限といわれています。
(注4)疎水性水和
非極性溶質が水に溶けること(図1参照)。
(注5)第一原理計算
物質の電子状態を計算する方法。実験パラメータを使わない計算で、電子状態、最適構造、物性などを、実験とは独立に予測できます。
(注6)MPC
物質名2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリンの略(図2参照)。MPCのポリマーは生体膜(細胞膜)の構成成分であるリン脂質極性基を導入した高分子で、タンパク質や血球等が極めて付着しづらくすることができます。
(注7)生体不活性
生体不活性の定義は厳密にはまだ意見が統一されていませんが,ここでは生体との相互関係が少ないという意味で生体不活性という言葉を用いています。
(注8)大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する、播磨科学公園都市(兵庫県)にある世界最高性能の放射光を生み出すことができる大型放射光施設。JASRIが利用者支援などを行う。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来し、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
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