溶液中のヨウ化サマリウム錯体の構造を解明 ―水分子の溶媒和によるヨウ素イオンの脱離を直接観測―(プレスリリース)
- 公開日
- 2023年02月03日
- BL01B1(XAFS I)
2023年2月3日
京都大学
東京大学
九州大学
大同大学
ヨウ化サマリウム(SmI2)は、様々な還元的有機変換反応に用いられる汎用的かつ温和な一電子還元剤です。最近、東京大学の西林教授らの研究グループは、モリブデン錯体触媒を用いてSmI2を還元剤とした常温常圧での窒素分子と水からのアンモニア合成を達成し(Nature, 2019, 568, 536)、その応用展開に注目が集まっていました。これらの反応系では、有機溶媒中のSmI2錯体に水を添加すると反応性が劇的に向上することが知られていましたが、これまでに溶液中の錯体構造は未解明で、メカニズム研究の障害となってきました。 京都大学大学院人間・環境学研究科 山本旭 助教、劉学士 同修士課程学生(研究当時)、吉田寿雄 同教授らの研究グループは、西林仁昭 東京大学教授、荒芝和也 同特任研究員、吉澤一成 九州大学教授、許斐 明日香 同テクニカルスタッフ、田中宏昌 大同大学教授 らとの共同研究により、有機溶媒と水の混合溶液中における不安定なSmI2錯体の構造を大型放射光施設SPring-8でのX線分析により初めて明らかにしました。本成果は、今後用途が広がっていくと予想されるサマリウム錯体の化学の基礎になるものです。 本成果は、2023年2月3日に米国の国際学術誌「Inorganic Chemistry」にオンライン掲載されました。 <論文タイトルと著者> |
背景
ヨウ化サマリウム(SmI2)は汎用的かつ温和な一電子還元剤として知られ、カルボニル化合物やハロゲン化物の還元反応や還元的な炭素-炭素結合形成反応に有効であることが報告されています。この反応系では、プロトン源として水やアルコールを添加すると反応性が大幅に向上することが古くから知られており、その反応機構が検討されてきました。2015年にLehigh大学のFlowers教授らのグループにより、サマリウム錯体と水の混合系では電子とプロトンが同時に移動するプロトン共役電子移動(PCET, *1)機構で還元反応が進行することが報告されました。さらに、2019年には共同研究者の西林 東京大学教授らのグループは、モリブデン分子触媒を用いることによりSmI2を還元剤、水やアルコールをプロトン源とした窒素分子からの常温・常圧でのアンモニア合成反応の開発に成功しています(Nature, 2019, 568, 536)。この系では、モリブデン錯体1分子当たりのアンモニア生成量は4000分子以上に達し、従来報告されていた反応系と比較して10倍以上の性能が得られています(*2)。この発見はSmI2の用途を有機化合物の変換反応だけでなく無機化合物にまで拡張するものであり、更なるSmI2の科学の発展を予感させるものです。一方で、PCET機構の起点となる溶液中のSmI2錯体の構造を分析する手法は限られ、有機溶媒と水の混合溶液という複雑系での現象を理解するうえで大きな障害になっていました。実際に、これまでシミュレーションなどの計算科学的なアプローチが検討されてきましたが、提案されたモデルの妥当性を保証できない状況でした。また、SmI2錯体は水と反応して変化してしまう不安定な化学種であるため、実験面でも課題がありました。そのような背景の中、不安定かつ構造解析が困難なSmI2錯体の溶液構造を解明するために本プロジェクトを開始しました。
研究手法・成果
本プロジェクトでは、溶液中のSmI2錯体の構造を調べるために大型放射光施設SPring-8でのX線吸収分光測定を利用しました。高いエネルギー(約46 keV)のX線は、ガラス容器に入った厚さ2 cm程度のSmI2溶液を透過でき、透過したX線により得られる情報から溶液中のSmの酸化数と配位構造を同時に明らかにできます。本研究では、SmI2錯体の不安定性を考慮し、酸化数から錯体の分解状態を確認しつつ配位構造情報を得ることによりSmI2と水との反応性錯体の構造を明らかにすることができました(図1)。具体的には、SmI2錯体はテトラヒドロフラン中では、Smに対してヨウ素が配位した構造をとっています(図1, H2O/Sm = 0)。そこに水を加えていくと、Smに対して水を8等量以上加えたときにヨウ素イオンとSmの結合が切断され、第一配位圏からヨウ素イオンが離れていく様子が観察できました(H2O/Sm = 8)。X線吸収スペクトルのシミュレーションから得られた構造情報と量子化学計算から、テトラヒドロフラン-水混合溶液中でのSmI2錯体の構造を提案しました。既報の反応条件等を考慮すると、今回観察された錯体を起点としてPCETを伴う物質変換反応が進行すると推察されます。今回明らかにした構造は、今後のメカニズム検討や計算機を用いたシミュレーションのための構造情報を与えるものであり基礎および応用の観点で重要であると考えています。
波及効果、今後の予定
SmI2錯体を用いた有機合成は1977年のParis-Sud大学のKagan教授(当時)らのグループの報告がスタートとされ、化学選択的な有機変換反応に有効な一電子還元剤として知られるようになりました。溶液中のSmI2錯体の構造や反応性に関する議論も精力的になされてきましたが、構造に関する明確な実験結果がないまま45年が経過していました。本研究では、溶液中のSmI2錯体の配位構造に関する重要な実験的証拠を提供できました。今後は、今回の構造データを出発点としてこれまでより具体的な議論が可能になります。本成果は、メカニズムの解明やそれを応用した反応設計の基礎になるという点で今後発展が期待されるサマリウム錯体の科学に資すると期待されます。
研究プロジェクトについて
本研究は、下記の支援を受けて実施されました。
JST・CREST分子触媒を利用した革新的アンモニア合成及び関連反応の開発再生可能エネルギーからのエネルギーキャリアの製造とその利用のための革新的基盤技術の創出(研究代表者 西林仁昭)課題番号JPMJCR1541
<用語解説>
※1 プロトン共役電子移動(PCET)
プロトン(H+)の移動と電子(e−)の移動が、同時に進行する反応機構。光合成や人間の体内で起こる酵素反応などでこの反応機構が重要な役割を果たしていると考えられている。ヨウ化サマリウムとアルコールや水の組み合わせは、電子移動が効率的に行われる PCET(Proton-Coupled Electron Transfer:プロトン共役電子移動)反応を進行させることが知られている。
※2 分子触媒を用いたアンモニア合成反応
アンモニアは肥料や化成品原料として人類に欠くことができない化学物質である。工業的にはハーバー・ボッシュ法によって高温高圧条件で水素と窒素から合成されている。一方で、ハーバー・ボッシュ法とは全く異なるアンモニア合成法として分子触媒を用いた手法が近年注目を集めている。現在、西林教授らのグループにより錯体1分子当たり60000分子のアンモニアを合成可能であることがプレプリントで報告されており、この値が現在(2022年12月19日現在)のワールドレコードである。
<研究者のコメント>
この研究では分析が困難な溶液中の錯体構造を大型放射光施設SPring-8でのX線分析を活用し明らかにしました。錯体化学、理論計算、X線分析の専門家が協力することで達成できたと思います。X線吸収分光の長所を上手く活用できた例でもあると感じています。私自身は固体材料を主に扱っていますが、ここをスタートにその場分析で錯体化学にも貢献していければと思います。(山本旭)
<研究に関するお問い合わせ先> |
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