食塩に含まれる塩化物イオンは、甘味受容体に作用し甘味を引き起こす 〜薄い塩水はほんのり甘い〜(プレスリリース)
- 公開日
- 2023年03月01日
- BL41XU(生体高分子結晶解析 I)
2023年3月1日
岡山大学
◆発表のポイント
・食塩に含まれる塩化物イオンが、甘味やうま味の受容体に結合し、糖やアミノ酸などの味物質成分が引き起こすのと同じ作用を示すことを発見しました。
・塩化物イオンは、甘味やうま味の受容体を介して、実際に「おいしい(甘い・うまい)」味として感知されていることがわかりました。
岡山大学大学院医歯薬学総合研究科・薬学部の渥美菜奈子さん、高科百合子さん、伊藤千晶さん(いずれも卒業・修了生)、安井典久准教授、山下敦子教授と東京歯科大学短期大学・安松啓子教授らの研究グループは、食塩を構成する成分の1つである塩化物イオンが、甘味やうま味の受容体に作用して味覚を引き起こすことを発見しました。 論文情報 |
<現状>
私たちは、食べ物に含まれるさまざまな成分を味覚で感知し、甘味・うま味・塩味・苦味・酸味の5つの基本の味に識別して認識しています。私たちの口の中には、これら5つの基本の味ごとに、それぞれの味を引き起こす物質を感知するセンサーである、味覚受容体が存在します。例えば、甘味受容体は砂糖を、塩味受容体は食塩の成分の1つであるナトリウムイオンを感知して、それぞれ甘味または塩味の知覚を引き起こします。この感知の仕組みでは、それぞれの受容体にそれぞれの味を引き起こす味物質がぴったり適合する「鍵穴」のようなポケットが存在し、そこに糖やナトリウムイオンが「鍵」のように結合することで、受容体がそれぞれの味物質を特異的に認識していると考えられています。そして例えば、塩味受容体には糖が結合できるポケットが存在しないため、私たちは糖を塩辛く感じない、という形で、基本5味それぞれの味の識別が行われています。なお、この味覚感知のシステムは、私たちヒトから魚類に至るまで、脊椎動物に共通して存在します。
ところで、食塩が引き起こす味は、不思議な性質を持つことが知られていました。例えば私たちは、味噌汁に含まれる濃度に近い0.8〜1%程度の食塩水は、おいしい塩味として感知します。一方実は、この10〜20分の1程度の薄い食塩水になると、甘く感じる、という現象が、およそ60年前の心理学研究論文でも報告されていました。しかし、なぜこのような現象がおこるのかは、現在まで全くわかっていませんでした。
<研究成果の内容>
味覚受容体における「鍵と鍵穴」の関係を調べる最も優れた方法は、受容体タンパク質の形を原子レベルで調べる立体構造解析です。山下教授ら岡山大の研究グループは、2017年に、味覚受容体として初めて、私たちの持つ甘味やうま味の受容体と同じタイプの受容体として、メダカが持つ味覚受容体T1r2a-T1r3の味物質センサー領域の立体構造を明らかにしており(2017年5月22日プレスリリース「味を感知する受容体のセンサー領域の立体構造を初めて解明」1))、現時点でもこの構造が甘味やうま味の受容体で構造がわかっている唯一の例となっています。
この構造を仔細に調べたところ、メダカの受容体が感知する味物質であるアミノ酸が結合するポケットのすぐそばに、何か別の物質が結合しているポケットが存在することがわかりました。大型放射光施設SPring-8(兵庫県佐用町)とPhoton Factory(つくば市)で解析した結果、ポケットに結合しているのは、塩化物イオンであることがわかりました。この塩化物イオン結合ポケットは、甘味受容体とうま味受容体2)の共通の構成要素であるT1r3にあり、メダカだけでなく、私たちヒトが持つ甘味受容体やうま味受容体も含め、ほとんどの動物の持つ受容体にも存在することがわかりました。
甘味やうま味の受容体では、センサー領域にアミノ酸などの味物質が結合すると、センサー領域の構造が変化し、この構造変化が引き金となって、味物質情報が生体内に伝えられると考えられています(2016年5月10日プレスリリース「味覚受容の第1段階で起こる味覚受容体の構造変化を解明」3))。そこで、引き続きメダカの受容体タンパク質を使って塩化物イオンの作用を調べた結果、塩化物イオンの結合は、アミノ酸などの味物質と同様の構造変化を受容体のセンサー領域に引き起こすことがわかりました。さらに、この情報が、実際に味覚として生体内で感知されているかどうかを、東京歯科大学短期大学の安松教授がマウスの味神経を使って解析したところ、塩化物イオンは、マウスの甘味受容体を介して、甘味神経応答を引き起こし、味覚として感知されることがわかりました。これらの受容体や味神経に対して塩化物イオンが作用を引き起こす濃度は、塩味受容体が食塩(ナトリウムイオン)を感知する濃度の数分の1程度と低い一方、60年前に報告されていた、ヒトの「甘味」を感じる薄い食塩水の濃度とほぼ一致していました。実際、マウスは何も含まれない水と比較して、薄い塩化物イオンを含む水をより好んで飲むこともわかり、甘味と同様の「好ましい味」として塩化物イオンを知覚していることがわかりました。
なお、塩化物イオンが甘味受容体を介して引き起こす味覚は、ショ糖などが引き起こす味覚と比較し、弱いこともわかりました。食塩濃度が高くなると、塩味受容体が感知する塩味の方を強く感じ、弱い味がマスクされる、味覚の混合抑制と呼ばれる現象が起こり、日頃は食塩の甘さに気づきにくくなっているものと思われます。
<社会的な意義>
食塩は、生命維持に必要な一方、取りすぎると血圧上昇をはじめとする健康リスクを引き起こすため、適量を摂取することが重要です。味覚は、その食品成分を積極的に摂取しようとするか、あるいは避けて摂取しないようにするかに影響を与え、私たちが摂取する成分の門番の役割を果たします。例えば海水などの高濃度の食塩水は、私たちの味覚で「おいしくない味」として感知されるため、海水を好んで飲む人はいませんが、このことは過剰な食塩摂取を避けることに役立っています。一方薄い食塩水は、体に必要なミネラルを補給するために「おいしい味」として感知されます。今回、薄い食塩水において、食塩成分の1つである塩化物イオンの味覚に対する作用がわかったことは、健康維持に重要な食塩の味覚感知を理解する上で、新たな知見を与えるものです。
図.(左)今回の結果の概略図。(右)マウスを使った味覚実験の様子。
■研究資金
本研究は、日本学術振興会・科学研究費補助金(JP18H04621, JP20H03195, JP20H04778, JP21H05524 , JP20H03855, JP20K02415)、公益財団法人三島海雲記念財団、公益財団法人ソルト・サイエンス研究財団(No.2039)、創薬等支援技術基盤プラットフォーム事業(No.1264)の支援を受けて実施しました。
■補足・用語説明
1)岡山大学プレスリリース:
「味を感知する受容体のセンサー領域の立体構造を初めて解明」(2017.05.22)
2)甘味受容体、うま味受容体
甘味受容体とうま味受容体はTaste receptor type 1 (T1r)というタンパク質で構成されており、甘味受容体はT1r2とT1r3、うま味受容体はT1r1とT1r3の2つのタンパク質がペアになることで機能します。細胞外に突き出しているリガンド結合ドメイン(味物質のセンサー領域)で味物質を感知し、その情報を膜貫通領域(情報伝達領域)を介して生体内に伝えるはたらきをします。
注3)岡山大学プレスリリース:
「味覚受容の第1段階で起こる味覚受容体の構造変化を解明」(2016.05.10)
https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id391.html
私たちの口の中で甘味やうま味を感じるセンサーとしてはたらく受容体の解析をしていたところ、本来感知する味物質の近くに、「何か」がくっついているのを見つけたのが、研究のきっかけです。研究室3期生で、いつも笑顔のスゴ腕実験家・渥美さんが、その正体を塩化物イオンと突き止め、実際の結合を証明しました。その後、この塩化物イオンは、甘味やうま味の受容体に対し、通常の味物質と同じ作用を示すことを、研究センス抜群の7期生・高科さんが見つけたことが、今回の発見につながりました。(山下)
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