蛍光X線スペクトルの2次元化に成功 ―電子状態に関する情報が格段に増加―(プレスリリース)
- 公開日
- 2023年07月27日
- SACLA
2023年7月27日
理化学研究所
東芝ナノアナリシス株式会社
高輝度光科学研究センター
理化学研究所(理研)放射光科学研究センター理論支援チームの玉作賢治チームリーダー、東芝ナノアナリシス株式会社物理解析技術センター表面・材料分析技術ラボの田口宗孝参事、高輝度光科学研究センターXFEL利用研究推進室実験技術開発チームの犬伏雄一主幹研究員らの共同研究グループは、X線自由電子レーザー(XFEL)[1]施設「SACLA[2]」を用いた新しい非線形分光法[3]を考案し、これまで1次元的にしか測定できなかった蛍光X線[4]スペクトルを2次元に拡張することに成功しました。 論文情報 |
今回明らかになった銅の2次元蛍光X線スペクトル(横軸がKβ線に、縦軸がKα線に対応)
背景
原子がX線などで励起されると、元素ごとに決まった光子エネルギーを持つ蛍光X線が放出されます。これを利用した蛍光X線分光は、非破壊元素分析法として長年幅広く使われてきました。さらに、近年の理論的な研究と実験技術の進展により、蛍光X線のスペクトル形状が原子の電子状態に敏感なことが分かってきました。これを利用して、蛍光X線分光は電子状態の研究にも利用されています。
ところが、蛍光X線を放出させるために原子を励起すると、多数のさまざまな電子状態が出現し、それぞれが強度や位置(光子エネルギー)の異なる蛍光X線を放出します。これらのスペクトル成分が重なって観測されるため、蛍光X線のスペクトル形状を高精度で測定できるようになった現在でも、そこから電子状態を正確に読み取ることは容易ではありません。
この問題を解決するために、共同研究グループは蛍光X線で得られる情報を増やすことを考えました。つまり、本来1次元の蛍光X線スペクトルを2次元に拡張できれば、重なっていた成分を新しい軸方向に分散させられると考えたのです(図1)。
図1 1次元蛍光X線スペクトルを2次元スペクトルへ拡張するイメージ
左では、文字が重なっていて文字が判別できない。これに奥行きの情報を追加して斜め上から見ると、右のように意味が理解できるようになる。
研究手法と成果
共同研究グループは蛍光X線スペクトルを2次元化するために、蛍光X線放出の逆過程の利用を検討しました。蛍光X線は、原子の一番内側の電子軌道[8]にある1s[8]電子を励起すると放出されます。これには大きく分けてKα線とKβ線があります。Kα線は、1s軌道のすぐ外側にある2p[8]電子が励起された1s電子の残した空席(ホール)を埋めるときに放出されます(Kα発光)。一方、Kβ線は、2p電子の外側にある3p[8]電子が励起された1s電子の残したホールを埋めるときに放出されます(Kβ発光)(図2左)。
仮に、X線を照射して1s電子を3p軌道に励起できたとします。この吸収過程はKβ発光の逆過程(Kβ吸収)であることから、Kβ発光と同等の情報が含まれています。その次にKα発光を測定すれば、KβとKαの両方の情報を持った2次元のスペクトルが得られると考えました。なお、「Kβ吸収」は共鳴吸収[7]なので、それに続くKα発光と合わせて、共鳴非弾性X線散乱と呼ばれる散乱過程に分類されます。
ところが、このアイデアには致命的な問題がありました。つまり、測定したい原子の3p軌道は全て埋まっていて、そこに1s電子を励起することが原理的に許されません。これを回避するために、X線の非線形な(出力が入力に比例しない)吸収過程を利用することを思いつきました(図2右)。あらかじめ一つ目のX線光子で3p電子を励起して、3p軌道にホールを作っておきます。この瞬間であれば、二つ目のX線光子を吸収させて1s電子を3p軌道に励起でき、最後に1s軌道のホールを埋めるときにKα発光が起こります。この2光子吸収過程と合わせて、全体として「非線形共鳴非弾性X線散乱」と呼ぶべき新しい非線形光学過程となります。
図2 通常の蛍光X線放出過程と非線形共鳴非弾性X線散乱
(左)通常の蛍光X線放出過程の模式図。X線で1s電子を励起してできたホール(点線の丸)を、3p電子が埋めるときにKβ線が放出される。
(右)非線形共鳴非弾性X線散乱の模式図。1光子目で3p軌道にホールを作る。次に、2光子目で1s電子を3p軌道に励起する。この2光子目の部分が左のKβ発光の逆過程(Kβ吸収)になっている。最後に、1s軌道のホールを2p電子が埋めるときにKα線が放出される。
しかし、このような2光子吸収の実現には、3p軌道のホールが存在できるフェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)以下という非常に短い時間内に、しかも同じ原子に二つ目のX線光子を当てなければいけません。このために、高強度のX線を生成できる「SACLA」のX線自由電子レーザー(XFEL)を利用しました。
こうして銅の蛍光X線スペクトルについて、通常の発光光子エネルギー情報(今の場合Kα線に対応)に励起光子エネルギー情報(Kβ線に対応)を付加して、2次元に拡張することに成功しました。そして、この2次元蛍光X線スペクトル上では、銅の3d[8]軌道の電子状態を反映したKα線とKβ線の両方の特徴が複雑に絡み合っていました。これを解析すると、六つのスペクトル成分に分離できることが分かりました。このうち、共鳴非弾性X線散乱に特有の成分(図3右の斜めの一群、赤三角)を除いた五つの成分は、共同研究グループの採用した配位子場理論[9]で予測されるものとよく一致することも判明しました。通常のKβ線のスペクトル(図3左)では、これら五つの成分を予備知識なしに分離することはできません。こうして、共同研究グループが提唱した非線形共鳴非弾性X線散乱による蛍光X線スペクトルの2次元化が有効であることが示されました。
図3 非線形共鳴非弾性X線散乱による銅の2次元蛍光X線スペクトル
(左)通常の銅のKβ線のスペクトル。
(右)共鳴非弾性X線散乱で測定した2次元蛍光X線スペクトルの解析結果。横軸はKβ線に対応する励起光子エネルギーを示し、縦軸がKα線に対応する発光光子エネルギーである。同じ記号は類似の電子状態からのスペクトル成分と考えられる。白抜きの記号は3d軌道が全て埋まっている状態の成分で、塗りつぶした記号は3d軌道に一つホールがある状態の成分である。
今後の期待
Kβ線のスペクトル形状は原子の酸化状態[5]やスピン状態[5]といった電子状態に敏感なため、物理・化学・生物に広がるさまざまな分野に応用されています。この中には、光合成に関わる光化学系II内のマンガンカルシウムクラスター[10]でのマンガンの電子状態の研究もあります。しかし、反応過程でのスペクトル変化が小さいため、はっきりとした結論は出せていません。
本研究で測定可能になった2次元の蛍光X線スペクトルにより、1次元のKβスペクトルでは判別できなかった微細な変化を読み取れるようになり、原子の電子状態の正確な理解に役立つと期待できます。
補足説明
[1] X線自由電子レーザー(XFEL)
X線領域におけるレーザーのこと。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はない。また、数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)の超短パルスを出力する。XFELはX-ray Free Electron Laserの略。
[2] SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。コンパクトな施設の規模にもかかわらず、0.1ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)以下という世界最短波長クラスのレーザーの生成能力を持つ。
[3] 非線形分光法、非線形光学過程
非線形とは、出力(応答)が入力に比例しないことを指す。本研究の場合、観測されるKα線強度は、照射するX線強度の2乗で増えていく。これが非線形光学過程であり、非線形分光法はこの過程を利用した分光法である。
[4] 蛍光X線
物質に一定以上のエネルギーを持つ光や荷電粒子を照射すると、その物質を構成する元素(原子)の内殻の電子が励起・電離される。そのとき生じたホール(空孔)に外殻の電子が遷移する際に放出される特性X線のことを蛍光X線という。蛍光X線は元素固有のエネルギーを持つため、観察対象となる物質を構成する元素の分析が可能である。
[5] 電子状態、酸化状態、スピン状態
物質中では電子は動き回っていたり、特定の原子に留まっていたりとさまざまな電子状態をとる。酸化状態は、物質中での原子の価数に関係する。スピン状態は電子の持つスピンの状態で、磁気的な性質に関係する。
[6] 光子
光の粒子。光は波と粒子の2面性を持つ。
[7] 共鳴非弾性X線散乱、共鳴吸収
X線の光子エネルギーが原子の二つの状態間のエネルギー差に一致する場合を特に共鳴吸収と呼ぶ。共鳴吸収の後に、異なる光子エネルギーのX線が放出される場合を共鳴非弾性X線散乱と呼ぶ。
[8] 電子軌道、1s、2p、3p、3d
電子は、惑星が太陽の周りを回るように、いくつかの軌道に分かれて原子核の周りを回っている。この軌道を電子軌道と呼び、数字は原子核から近い順に付ける。2以上の数字が指す軌道には、性質の異なる複数の軌道が含まれており、それらは英字で区別される。それぞれの電子軌道に入ることのできる電子の最大数は決まっている。特に3d軌道は、チタン(Ti)から銅(Cu)までの応用上重要な金属元素の性質に強く関係している。
[9] 配位子場理論
金属原子のd軌道の分裂を、固体の持つ対称性に合わせて配置した配位子(本研究の場合は周辺原子)の作る分子軌道と金属原子の軌道間の相互作用によって説明する理論。
[10] 光化学系II内のマンガンカルシウムクラスター
光化学系IIにおける光化学反応では、Mn4CaO5クラスターで水が酸化されて水素と酸素に分解すると考えられている。
共同研究グループ
理化学研究所 | ||||
放射光科学研究センター SACLAビームライン基盤グループ | ||||
グループディレクター | 矢橋牧名 | (ヤバシ・マキナ) | ||
理論支援チーム | ||||
チームリーダー | 玉作賢治 | (タマサク・ケンジ) | ||
ビームライン開発チーム | ||||
研究員 | 井上伊知郎 | (イノウエ・イチロウ) | ||
研究員 | 大坂泰斗 | (オオサカ・タイト) | ||
放射光科学研究センター | ||||
センター長 | 石川哲也 | (イシカワ・テツヤ) | ||
東芝ナノアナリシス株式会社 | ||||
物理解析技術センター 表面・材料分析技術ラボ | ||||
参事 | 田口宗孝 | (タグチ・ムネタカ) | ||
高輝度光科学研究センター | ||||
XFEL利用研究推進室 先端光源利用研究グループ 実験技術開発チーム | ||||
主幹研究員 | 犬伏雄一 | (イヌブシ・ユウイチ) |
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「非線形な共鳴非弾性X線散乱の研究(研究代表者:玉作賢治)」による助成を受けて行われました。
発表者・機関窓口 |
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