非貴金属触媒によるPEM型水電解 -酸化マンガン触媒の安定性を高める仕組みを特定-(プレスリリース)
- 公開日
- 2024年01月17日
- BL14B2(XAFS II)
- BL44B2(理研 物質科学 I)
2024年1月18日
理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チームの孔爽研究員、李愛龍研究員、中村龍平チームリーダーらの国際共同研究グループは、水を電気分解(電解)する水電解触媒[1]として有望な酸化マンガン(MnO2)の安定性を高める仕組みを明らかにしました。 論文情報 |
酸化マンガン(MnO2)を用いた固体高分子(PEM)型水電解装置
背景
水の電気分解(水電解:2H2O → 2H2 + O2)は、二酸化炭素を排出しない環境負荷の低い水素製造技術として注目されています。中でも、PEM型水電解は高いエネルギー効率と水素製造速度を誇り、電圧変動に対しても迅速に応答できるため、次世代の水素製造技術として期待されています。
一方で、PEM型水電解の大きな課題の一つとして、水の電気分解と同時に触媒自体が分解されてしまうことが挙げられます。特に、酸素が発生する陽極[5](2H2O → O2 + 4H+ + 4e-)は、高電圧と強酸性環境にさらされるため、容易に分解されてしまいます。現在運用されているPEM型水電解では、活性と安定性を兼ね備えたイリジウムなどの貴金属触媒[6]が用いられています。しかし、貴金属触媒は希少金属のため資源として乏しく、高価であるためPEM型水電解の普及を妨げる一因となっています。そのため、貴金属触媒に代わる豊富な非貴金属材料の開発が強く求められています。
中村チームリーダーらは、三電極系において酸化マンガン(MnO2)触媒が酸性環境下で10mA/cm2の電流密度で水を安定的に電気分解できることを発見しました注)。しかし、高い電流密度が求められるPEM環境下では酸化マンガン触媒が溶け出すことを抑えられませんでした。そのため、PEM環境下でも分解しない酸化マンガン触媒の開発が強く求められていました。
注)2019年3月19日プレスリリース「水を電気分解し続けるマンガン触媒の動作条件を発見」
https://www.riken.jp/press/2019/20190319_2/index.html
研究手法と成果
国際共同研究グループは、強い酸耐性を持つ酸化マンガン触媒を開発するために、ガンマ型酸化マンガン[7]に注目しました。ガンマ型酸化マンガンには、2種類の酸素原子配置が含まれています。一つは隣接する三つのマンガン原子(Mn)を含む平面に酸素原子が含まれるOpla、もう一つは隣接する三つのマンガン原子(Mn)を含む平面から酸素原子が飛び出たOpyrです(図1A)。
まず、94℃の高温で、Mnイオンを含む水溶液に電圧を印加してガンマ型酸化マンガンを電析[8]しました。そして、電析したガンマ型酸化マンガンをさまざまな温度で焼成しました。この際、焼成温度を変えることにより、OplaとOpyrの割合を制御できることを見いだしました。大型放射光施設「SPring-8」[9]で測定したX線全散乱測定[10](図1B)から、Mn-Mn結合の長さの分布が分かります。辺で隣接したMn-Mn結合構造と点で隣接したMn-Mn結合構造の比率を踏まえ、合成した触媒に含まれるOplaとOpyrの割合を求めました。その結果、焼成温度を150℃から450℃に上げると、Oplaの割合が60%から94%に増加することが分かりました。また、Mn-O結合の長さに着目すると、Oplaが多いほどMn-O結合が短くなることが判明しました。これは、OplaがMn原子と強く結合し、Mn原子の溶出を防ぐ上で有利な構造であることを示唆しています。
図1 合成したガンマ型酸化マンガンの構造
(A)ガンマ型酸化マンガンの結晶構造の模式図。
(B)SPring-8で測定したX線全散乱測定の結果。横軸は原子間距離、縦軸は特定の距離における原子の見いだしやすさを表した還元二体分布関数。
実際にOplaの割合が異なる4種類のガンマ型酸化マンガン(60%、67%、85%、94%)の活性と安定性を測定した結果を図2に示します。酸化マンガン触媒は、ピンク色の過マンガン酸イオン(MnO4-)が溶液中に溶け出すことで分解します。このため、溶液の色を紫外可視吸収スペクトル[11]で追跡することで、四つの材料の分解しやすさを評価できます。図2の赤色の実線は、触媒に印加した電位と、溶け出たMnO4-の量の関係性を示しています。焼成温度が高く、Oplaの割合が高いほどMnO4-が生成される電位が正にシフトしました。これは、Oplaの割合を高くすることで、ガンマ型酸化マンガン触媒の溶解を抑制し、安定性が向上することを意味しています。一方で、電位を印加した際に得られる酸素発生に由来する電流は四つの材料でほとんど差は見られませんでした(図2青の実線)。つまり、どの材料も同程度の速度で水を電気分解できる一方で、Oplaが多い材料ほど、溶出が抑制されることが分かりました。
図2 合成した触媒の活性と安定性
それぞれのOplaの割合は(A)60%、(B)67%、(C)85%、および(D)94%。横軸は触媒に印加した電位で、右ほど大きい電圧を印加していることに相当する。電圧に対して溶け出たMnO4-の量を赤の実線、電流を青の実線でプロットした。各図の上部には、触媒が溶解しない電位範囲(青)と溶解する電位範囲(赤)を示した。電位は可逆水素電極(RHE)に対して、電流密度は投影面積(geometrical surface area: geo)に対する値である。
引き続き、異なるOplaの割合を持つガンマ型酸化マンガンを電極触媒として用い、PEM電解槽の強酸性環境と近い硫酸水溶液の酸性環境(1 M H2SO4)中で触媒安定性を評価しました。なお、PEM型水電解で使われる多孔質輸送層(PTL)基板[12]に直接電析させたガンマ型酸化マンガンを触媒として用いています。その結果、上で得られた結果から予想される通り、Oplaの割合を60%から94%に増やすことで、触媒の寿命が40倍長くなりました(図3A)。さらに触媒の断面を走査電子顕微鏡[13]で観察すると、電析方法の最適化により、PTL基板の内部までガンマ型酸化マンガンを電析できることが分かりました(図3B)。その結果、より多くの量の触媒を塗布することが可能になり、3,200時間以上も200mA/cm2の電流密度で水の電気分解を維持できることを実証しました。今回開発した酸化マンガン触媒は、2019年に開発した酸化マンガン触媒の20倍も高い電流密度で水を安定的に電気分解したことになります。
図3 合成したガンマ型酸化マンガン触媒の特性と構造
(A)強酸環境(1MH2SO4)における耐久試験の結果。(B)電析方法の最適化前後における電極の断面構造。多孔質輸送層(PTL)を基盤として触媒を電析し、電極を作製した。
以上の結果は、基礎研究で使われる三電極系における知見です。そこで、より実用的な環境でもOplaの導入が活性と安定性の両立につながるかを評価するため、PEM環境でも触媒特性を評価しました(図4A)。その結果、合成した酸化マンガンを用いたPEM型水電解から2Vで2A/cm2の電解電流密度が得られました(図4B)。四つの材料の耐久試験を行った結果、Oplaが60%しか含まれない材料は100時間未満で分解されてしまうのに対し、Oplaが最も多い94%の材料では1,000時間以上、電解を継続することができました(図4C)。一方で、どの材料も1.8Vの印加電圧で450mA/cm2の電流密度が得られたため、活性はほぼ同等でした。これらの結果から、Oplaを導入することで、活性を維持した状態で、安定性を向上できることが分かりました。 この安定性の起源を特定するため、量子化学計算[14]により結晶構造と酸化マンガンの活性および安定性の関係を評価しました。その結果、OpyrやOplaの割合によって活性はほとんど変化しないのに対し、Oplaが多いほど、触媒の溶出が抑制されることが明らかになりました。これらの計算結果は、Oplaが多いほど安定性が増すという実験事実を支持する知見です。
図4 PEM型水電解の構成と触媒活性および耐久性の評価
(A)本研究で使用したPEM型水電解のセットアップ。(B)Oplaを94%含む材料の活性測定の結果。活性の測定にはプロトン交換膜としてNafion115を用いた。(C)耐久性試験の結果。電解は、80℃、200mA/cm2の定電流条件下で行った。電流は水の電気分解速度と相関し、触媒が分解すると、同じ電流を維持するためにより大きな電圧が必要となる。このため、電圧が急激に大きくなった時間が触媒の寿命と考えられる。Oplaの割合が多い材料ほど長時間、水を電気分解することができたため、PEM型水電解においても、Oplaを増やすことは触媒の安定性向上に有効だと考えられる。耐久性の測定にはプロトン交換膜としてNafion212を用いた。
今後の期待
本研究では、豊富に存在する酸化マンガンを用いた水電解触媒において、安定性を向上させる仕組みを明らかにしました。これにより、触媒の活性を維持しつつ、PEM型水電解を用いた水素製造反応の安定性を向上させることができました。
本研究は水電解による大規模なグリーン水素製造を促進し、国際連合が定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[15]」のうち「7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに」に貢献する成果です。
補足説明
[1] 水電解触媒
水の電気分解によって水素と酸素が発生する。この化学反応を起こしやすくする触媒を水電解触媒という。大量の水素を作ろうとすると一般に2V以上の電圧が必要となるが、水の電気分解は理論上、1.23Vの電圧で進行し、電圧の差はエネルギーロスとなる。この電圧ロスを抑制し、エネルギー効率を上げるためには、反応を効率化するための触媒が必要である。水の電気分解は水電解と略されることも多い。
[2] 固体高分子(PEM)型水電解
工業的な水の電気分解を行う方法の一つ。液体状態の水を電気分解するのではなく、固体高分子と呼ばれる膜に水をしみ込ませ、その水を分解することが特徴である。膜の両側に電極触媒を塗布することで電極同士を極限まで近づける。これにより、電気抵抗が抑制されるだけでなく、反応物の供給も促進され、水素製造効率が上がる。PEMはPolymer Electrolyte Membraneの略。
[3] 三電極系
本来、正極と負極の二つの電極があれば水電解を行うことは可能である。一方、触媒反応のメカニズムを解析するためには電圧の精密測定が不可欠であり、このため三つ目の電極として参照電極が活用される。参照電極を含めた電極系を三電極系という。一般に、二電極系は工業プロセスで、三電極系は基礎研究で活用されることが多い。
[4] 結晶構造
「MnO2」とは、マンガン原子(Mn)と酸素原子(O)が1:2で含まれる構造を指す。しかし、元素の比率(組成比)が同じでも、原子の並び方が異なる材料が存在する。この元素の並び方まで区別するため、結晶構造という考え方がある。結晶構造が異なる身近な例として、ダイアモンドと黒鉛(グラファイト)などが挙げられる。
[5] 陽極
正の電圧がかかっている電極を陽極、負の電圧がかかっている電極を陰極と呼ぶ。水の電気分解では、陽極で酸素が、陰極で水素がそれぞれ発生する。
[6] 貴金属触媒
白金やイリジウムなど、地球上に少ししか存在しない貴金属元素を含む触媒。貴金属触媒を使えば、水を効率よく電気分解することが可能である。しかし、埋蔵量や価格の問題があるため、水の電気分解を社会全体に普及させるには、より豊富な材料を用いることが必要である。
[7] ガンマ型酸化マンガン
酸化マンガン(MnO2)の構造の一つ。一般に酸化マンガンは、材料の中に四角形の空洞があり、このトンネル構造により触媒活性が変化する。トンネルの大きさは一つの辺に含まれるマンガン原子の数で表し、ガンマ型は1×1と1×2の2種類のトンネルを持つ。他にも2×2のトンネルのみを持つアルファ型や、1×1のみを持つベータ型酸化マンガンなども存在する。ガンマ型酸化マンガンの特徴として、OplaとOpyrの両方が結晶格子中に含まれる。このことを活用して、本研究ではOplaの含有割合に伴う触媒特性の変化を評価できた。
[8] 電析
電圧を印加することで固体材料を析出させる手法。今回はMnイオンを含む水溶液に電圧を印加することで、ガンマ型酸化マンガンを析出させた。
[9] 大型放射光施設「SPring-8」
兵庫県播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理研の実験施設。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来する。放射光(シンクロトロン放射)とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する細くて強力な電磁波のこと。SPring-8では、遠赤外線から可視光線、軟X線を経て硬X線に至る幅広い波長域で放射光が得られるため、原子核の研究からナノテクノロジー、バイオテクノロジー、産業利用や科学捜査まで幅広い研究が行われている。
[10] X線全散乱測定
波長の短い高いエネルギーX線を試料に照射し、試料からのX線散乱強度を広範囲の散乱角領域で計測する手法。試料からの散乱X線には、試料を構成する原子の並び方やその乱れに関する情報が含まれており、原子レベルで試料の構造を調べることができる。
[11] 紫外可視吸収スペクトル
どのような光を吸収するかは物質によって異なり、吸収される光の違いをわれわれは「色」として認識している。紫外可視吸収スペクトルとは、どの程度紫外線や可視光(目に見える光)が吸収されたかを表し、人間よりも10倍から100倍高感度で「色」を見分けることが可能である。このことを生かし、わずかな量でも、ピンク色のMnO4-を検出することができる。
[12] 多孔質輸送層(PTL)基板
PEM型水電解では、水を供給し、発生した水素や酸素の泡を排出する必要がある。PTLはこれらの物質輸送を促進する役割を有している。物質輸送が滞ると電気抵抗が増大し、エネルギー効率が低下したり、触媒の分解が促進されたりするため、PTLの性能向上に向けた研究開発も行われている。PTLはPorous Transport Layerの略。
[13] 走査電子顕微鏡
電子顕微鏡技術の一つ。特に、特性X線を分析することにより、どこにどのような元素が存在するかが分かるため、材料の均一性や塗布した材料の厚みを評価するために使われている。
[14] 量子化学計算
化学反応のシミュレーション手法の一つ。実験結果の背景にある原因を推定するために広く活用されている。また、シミュレーションを実験よりも先に行い、高効率な材料を探す研究も活発に行われている。
[15] 持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴールから構成され、地球上の誰一人として取り残さないことを誓っている。SDGsは発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に推進している。
国際共同研究グループ
理化学研究所
環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村龍平 (ナカムラ・リュウヘイ)
(東京工業大学 地球生命研究所 教授)
研究員 孔 爽 (コウ・ソウ)
研究員 李 愛龍 (リ・アイロン)
人材派遣 伏見和奈 (フシミ・カズナ)
研究員 大岡英史 (オオオカ・ヒデシ)
創発物性科学研究センター 物質評価支援チーム
チームリーダー 橋爪大輔 (ハシヅメ・ダイスケ)
テクニカルスタッフI 足立精宏 (アダチ・キヨヒロ)
大連化学物理研究所(中国) Dalian National Laboratory for Clean Energy
教授 肖 建平 (ジャンピン・シャオ)
研究員 龍 軍 (ロン・ジュン)
西湖大学(中国) 物質科学共用施設センター
技術員 蒋 斉可 (チケ・ジャン)
研究支援
本研究は、新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)の委託業務「水素利用等先導研究開発事業(研究代表者:和田智之、JPNP14021)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(A)「触媒反応ネットワークの制御による持続的酸素発生触媒の創生(研究代表者:中村龍平、22H00339)」、中国国家重点研究開発事業(研究代表者:肖建平、2021YFA1500702)、中国国家自然科学基金(研究代表者:肖建平、22172156)、中国科学院クリーンエネルギーイノベーション研究所協力基金(研究代表者:肖建平、DNL202003)による助成を受けて行われました。
材料構造は大型放射光施設「SPring-8」のビームラインBL14B2、BL44B2で評価しました(高輝度光科学研究センター2021A1664、2022B1667、2022A1045、および理化学研究所20210064、20220057、20230043)。測定の際には、高輝度光科学研究センターの大渕博宣博士、理化学研究所の加藤健一専任研究員、日本技術センターの繁田和也氏の技術支援を受けました。
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