SPring-8 NEWS 26号(2006.5月号)
288番目のイソロイシン残基の大きさの変化による発光色の変化
|
研究成果・トピックス
~SPring-8が明かす ホタルが発光するしくみ~
ホタルはなぜ光る
夏の夜、ホタルのオスとメスが黄緑色の光を明滅させてたがいにその存在を知らせ合うさまは、風情ある季節の風物詩として、昔から日本人にたいへん愛されてきました。
なぜ、またどんなしくみでホタルが光るのか。科学者たちも長い間このテーマに魅了され続けてきたのです。
ホタルに代表される昆虫の発光現象が科学の目で解明されるようになったのは、19世紀終わり頃のことでした。すでに「ルシフェリン*」、「ルシフェラーゼ*」が文献に登場し、発光が酵素反応によって生じることが知られるようになっていました。
しかし、この酵素反応の詳しい解明が進み出したのは20世紀も半ばになってからのことです。
多くの研究者の手で少しずつ解明された発光のしくみは、およそ次のようなものでした(図1)。
発光反応の基質であるルシフェリンが酵素であるルシフェラーゼの触媒作用によって、生物の体のなかに広く存在するATP(アデノシン-三リン酸)と反応します。生じた中間体がさらに酸素と反応し、発光体であるオキシルシフェリンが生成します。
オキシルシフェリンはエネルギーの高い状態にあり、安定した状態になるためにエネルギーを光として放出します。
1996年には、アメリカ産ホタルから採取したルシフェラーゼの結晶構造が明らかにされました。
発光色の変化のなぞ
この少し前に、京都大学大学院薬学研究科((独)理化学研究所播磨研究所兼任)の加藤博章教授の研究グループが、ホタルの発光のしくみの解明に本格的に取り組むようになりました。ルシフェラーゼの結晶構造が判明しても、発光のしくみがすみずみまで明らかになるにはまだ程遠い状態だったのです。
一方、80年代から遺伝子を操作することができるようになり、研究は大きく動きだしていました。アメリカ産ホタルや日本産のゲンジボタルからルシフェラーゼの遺伝子がとられ、大腸菌にこの遺伝子を組み込んでルシフェラーゼを大量につくらせることができるようになったのです。
また遺伝子の変異をつくり、ルシフェラーゼの構成部品であるアミノ酸をひとつだけ別の種類のものに置き換えたものをつくらせることもできるようになりました。アミノ酸がひとつ換わったルシフェラーゼでは、光の色が変化するのです。
たとえば、286番目にあるアミノ酸のセリンをアスパラギン酸に置き換えてみましょう。すると、黄緑だった発光色は赤に変わります。
かねて、反応溶液を酸性にしておくと、発光色が黄緑色から赤に劇的に変化することが知られていました。色の変化も多くの研究者が注目してきた不思議な現象です。
こうした研究成果を踏まえて、加藤教授のグループでは、発光のしくみを明かすには、反応している基質と酵素の結合した複合体の立体的な構造を詳しく調べる必要があると考えました。
構造を時間で追う
「刻一刻と変わる酵素反応の様子を追いかけよう」
そのためには、発光したあとの反応物だけではなく、そのすぐ前の段階の中間体の構造を調べることが必要です。京都大学化学研究所の平竹助教授や坂田教授の協力によって、不安定な反応中間体の一部の構造を変えた安定な物質を合成し、これを利用して、研究を進めることにしました。加藤教授たちのこの戦略を支えたのは、大型放射光施設(SPring-8)の理研構造生物学ビームラインI(BL45XU)とII(BL44B2)でした。
SPring-8によるX線解析では、0.13nm (1nm:ナノメートルは10億分の1メートル)というきわめて高い分解能で物質の構造を見極めることができます。発光のしくみを解明するために、加藤教授たちは「速度論的結晶学」を柱として取り組むことにしました。これは、結晶構造を時間とともに追跡し、反応機構を明らかにしようという手法です。原子・分子のレベルで物質の構造の変化を連続写真として撮影していく方法といってもよいでしょう。
加藤教授たちは、反応が始まる前、発光の直前、そして発光した後のルシフェラーゼの立体構造を比較してみました。すると、発光直前の段階で、288番目のアミノ酸であるイソロイシンが、発光体であるオキシルシフェリンのほうに大きく張り出していることがわかりました。この構造の違いに着目したのは中津 亨助教授です(図2参照)。
「ルシフェラーゼの288番目のイソロイシンが何かの働きをしている!」
そこで、今度は
1)野生のゲンジボタルのルシフェラーゼ
2)286番目のアミノ酸をセリンからアスパラギンに変異させた赤く発光するルシフェラーゼの
2種類のルシフェラーゼとで時間を追って構造の変化を調べてみました。
すると、変異体のルシフェラーゼでは、288番目のイソロイシンが発光直前に大きく張り出す現象は認められませんでした。
「野生型では、イソロイシン288がオキシルシフェリンの環状の部分を手で包み込むようにつかまえていますが、286変異型では指先で触れている程度で、オキシルシフェリンが動ける自由度があったのです」と、加藤教授は立体構造の動画を示します。
左図の向きを45度方向変えると右図になる。反応が始まる前(茶色)、(2)発光の直前(黄緑色)、(3)発光した後(紫色)を比較すると、288番目のイソロイシン残基が発光体であるオキシルシフェリンの方に大きく張り出している。
発光機構が判明した
野生型では黄緑色に光るのに、286番目のセリンをアスパラギンに変えた変異型では赤く光る理由も、ここからわかってきました。
発光前のエネルギーの高い状態から安定な状態に変化するとき、その差が大きいと放出するエネルギーが大きく、発光は波長の短い黄緑色になります。しかし、変異型ではオキシルシフェリンが動く自由度があるために、エネルギーの一部が光ではなく熱(振動)として無駄使いされる結果、発光色は波長の長い赤色になるのです。
加藤グループはこの考えを裏付けるため、さらに実験を重ねました。
遺伝子改変によって、288イソロイシンからメチル基を外して小さくしたバリンをもつルシフェラーゼ、さらにもうふたつメチル基を外したアラニンをもつ変異体のルシフェラーゼをつくりました。イソロイシンより小ぶりな構造をもつこれらの酵素は、オキシルシフェリンをしっかり包み込むことができないので、放出エネルギー差は小さくなり、発光色は赤味がかると予想したのです。
結果はそのとおりでした。バリン型ではオレンジ色に、アラニン型では赤く発光することを確認できました(図3)。
ホタルをはじめとする光る昆虫たちは、発光酵素のアミノ酸配列のわずかな違いで発光色の違いを演出しているのです。
ホタルの発光は効率がきわめて高く(エネルギーが光に変換される効率は88%に達します)、蛍光灯でようやく20%であるのに比べても抜群のエネルギー効率のよさが魅力的です。
この発光系を利用した基礎研究のほかダイオキシンの測定や食品衛生検査などの各種分析の手法が開発されているほか、癌の転移のメカニズムをルシフェラーゼを導入したガン細胞の発光現象を利用してリアルタイムで観察する研究も進んでいます。
残基の大きさが小さくなるにつれ、黄緑色、橙色、赤色に変化した。
取材・文:サイテック・コミュニケーションズ
用語解説
●ルシフェリン
ルシフェラーゼによって酸化されて発光する様々な基質の総称。
●ルシフェラーゼ
発光バクテリアやホタルなどの生物発光において、発光物質が光を放つ化学反応を触媒する作用を持つ酵素の総称。発光酵素とも呼ばれる。
この記事は、京都大学大学院薬学研究科教授の加藤 博章氏(成果発表当時、(独)理化学研究所播磨研究所兼任)、助教授の中津亨氏(同)にインタビューをして構成しました。
行事報告
SPring-8 ワークショップ<燃料電池と放射光利用>
2月6日に東京・丸ビルコンファレンス スクエア8階Room4において、SPring-8 ワークショップ<燃料電池と放射光利用>が開催されました。SPring-8利用の普及活動の一環としてSPring-8の産業利用推進室により主催されました。今回は、55名(企業関係者:32名、大学・公的機関関係者:23名)の方々に参加頂きました。
近年、家庭用や自動車用、また携帯情報機器用の電源として燃料電池への関心が高まっています。SPring-8においてもここ2、3年、産官学を問わず燃料電池に関する研究が盛んに行われています。その理由はSPring-8の高輝度X線を利用した新しい分析・解析ツールが開発され、原子・分子レベルでの構造解析・現象解析およびイメージング観察が可能になったためです。
ワークショップでは最新の研究成果が発表されました。最近の燃料電池材料研究の概論をはじめ、金属ナノ粒子における水素機能、燃料となる水素の貯蔵材料に作用する触媒、固体高分子形燃料電池内部の水の観察、固体酸化物形燃料電池セルの残留応力測定など従来の分析・解析手法では得られない貴重な研究成果が紹介されました。聴講者と講演者との間で熱心な質疑応答がなされ、多方面から次回ワークショップ開催への期待の声が寄せられています。
「SPring-8メディカルバイオロジーワークショップ:放射光による高解像度画像解析―骨と血管―」開催報告
財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)では、医・生物学領域におけるSPring-8利用研究の推進を目的として平成17年4月にメディカルバイオ推進室を設置しました。
本推進室は、SPring-8との接点が少ない同領域研究者によるSPring-8のより一層の活用と高い研究成果の創出に対する支援を意図しており、その普及活動の一環として、表記ワークショップが、2月16日神戸大学医学部神緑会館で開催されました。なお、本ワークショップは、神戸大学大学院医学系研究科放射光医学講座(連携講座)の教育プログラムに位置づけられており学生の参加に配慮して、会場を神戸大学構内としました。セッションでは、高解像度X線CTによる骨の解析ならびに高解像度微小血管造影に関する手法の紹介と利用研究成果に関する話題提供があり、参加者40名による活発な討論がなされました。今回のワークショップを通じて、医・生物学領域におけるSPring-8の利用価値が再認識されたと同時に、同分野の利用者の期待に応えるための更なる体制整備が必要であると感じられました。
最後に、神戸大学関係者はじめ、本ワークショップ開催にご協力いただいた方々に、あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。
実施した行事
● 第14回SPring-8施設公開~科学探検!スプリングエイト!開催
第14回SPring-8施設公開が4月23日(日)に科学技術週間参加行事として開催されました。あいにくの曇り空ではありましたが、2,900名近くもの多くの方にご来場いただきました。
施設公開では、加速器設備、実験ホールなどの研究所各施設の公開・見学、放射光に関する展示や科学実験、工作などの催しものの他、X線レーザーや科学捜査に関する科学講演会が行われました。また“夢の光”として話題を集めている「X線自由電子レーザー(XFEL)試験加速器」も一般の方に初公開されました。
SPring-8 Flash
第3回ひょうごSPring-8賞受賞者決定!
ひょうごSPring-8賞は、SPring-8の認識と知名度を高める目的で、兵庫県が平成15年度より設置した賞です。社会経済全般の発展に寄与することが期待される研究成果をあげた研究者に顕彰されます。
「X線結晶解析による細菌べん毛軸構造の動作機構の解明」
受賞者 Fadel A. Samatey 大阪大学大学院生命機能研究科 招聘助教授
今田 勝巳 大阪大学大学院生命機能研究科 助教授
べん毛はエネルギー変換効率ほぼ100%の高効率モーターであり、細菌はらせん型プロペラであるべん毛繊維をスクリューの様に回転させて水中を泳ぎ回っています。両氏は、SPring-8の高輝度放射光を使ってサルモネラ菌のべん毛繊維タンパク質フラジェリンの極薄板状結晶から立体構造を決定して、推進方向を逆転できるべん毛繊維のスイッチ機構を明らかにしました。さらに、べん毛繊維と回転モーターをつなぐ分子自在継ぎ手であるべん毛フックの分子機構も解明し、柔軟でかつ高精度に働くタンパク質ナノマシン・べん毛の仕組みを原子レベルで明らかにしています。
「自動車排ガス浄化用助触媒の開発と機能解明」
受賞者 長井 康貴 (株)豊田中央研究所 研究員
ガソリン自動車から排出される窒素酸化物、一酸化炭素、炭化水素などの有害ガスは触媒表面の雰囲気が酸素過剰でも不足でもない化学量論比(中和的雰囲気)のときにほぼ100%無害化されます。助触媒CZは酸素が不足のときは酸素を供給し、過剰のときは酸素を貯蔵して触媒表面の雰囲気を化学量論比に保持する新しい材料です。長井氏はSPring-8の高輝度放射光を使って、CZ中のセリアとジルコニアが固体同士で溶け合い、かつセリウムとジルコニウムが規則的に配列するほど酸素貯蔵・放出能が大きくなることを原子レベルで明らかにされました。これらの成果は大量酸素貯蔵材料CZを含む自動車触媒の実用化に大きく貢献しています。
宇宙から持ち帰られた彗星塵試料を高輝度放射光で解析する~NASAのStardust計画とSPring-8~
NASA(アメリカ航空宇宙局)のStardust計画で宇宙から持ち帰られた彗星塵試料の解析の一端を、SPring-8が担うことになりました。ほとんどの彗星塵試料の大きさは直径10ミクロン以下、質量はナノ(10億分の1)グラム程度と非常に小さく、X線を用いて分析するには、SPring-8のような放射光施設を用いるしかありません。SPring-8では九州大学、大阪大学、高エネルギー加速器研究機構のユーザーにより、彗星塵試料の蛍光X線分析、X線CT撮影、X線回折実験が行われています。
彗星はその構成物質や形態に、太陽系最古の情報を保持していると考えられています。太陽の熱にあまりさらされておらず、地球環境の汚染を受けていない彗星塵試料を分析することにより、太陽系を作った原材料や、それがどのような変化を経て現在に至ったのかなどについて、新しい情報が得られる事が期待されています。
今後の行事予定
● 5月28日~6月3日 SRI2006(第9回放射光装置技術国際会議) (韓国)
● 6月23日 ナノテクノロジー総合支援プロジェクト 平成17年度放射光グループ研究成果報告会「放射光利用ナノテク最前線2006」(東京)