大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 NEWS 46号(2009.9月号)

研究成果・トピックス

むし歯予防ガムが効くわけ

むし歯の予防

 最も身近な病気、むし歯。命にかかわることはまずないとはいえ、あの治療はいつまでたっても嫌なものです。これまでは、歯みがきなどの「予防」が積極的に行われてきました。しかし近年、歯の健康維持と増進を助ける特定保健用食品*1の開発が進み、その1つとしてガムが注目されています。
 むし歯は、口の中の細菌が糖質から酸を作り、歯を溶かしてしまう病気です。歯垢(しこう)は目に見えるむし歯の原因で、これは食べ物の残りカス、唾(だ)液、細菌などが付着したものです。歯みがきには、この歯垢を削り取る効果があります。
 歯みがき粉などを使うことによって効果はさらにあがり、中でもフッ素やハイドロキシアパタイト*2を含むものは、歯をコーティングして守る作用があります。なお、歯垢は放っておくと歯石となって歯に付着し、歯みがきなどでは取れなくなります。

ガムでエナメル質を再生する

 2003年、積極的な予防効果が期待されるガムが現れました。このガムは特定保健用食品の認可を受けており、リン酸化オリゴ糖カルシウム(POs - Ca®(ポスカ)江崎グリコ株式会社*3)というハイドロキシアパタイトの原料が含まれています。この物質はジャガイモのでんぷんから得られますが、以前はブドウ糖を生産する際の副産物でしかなかったものです。
 江崎グリコがこの物質に目をつけたのは1995年から。同健康科学研究所マネージャーの釜阪寛さんをリーダーに、リン酸化オリゴ糖カルシウムの原料が最も多く含まれる北海道産のジャガイモを使い、さまざまな性能評価試験を行った結果、歯の健康維持に効果があることがわかりました。
 リン酸化オリゴ糖カルシウムの効果を説明するためには、むし歯についてもう少し知らなければなりません。キーワードは「脱灰(だっかい)」と「再石灰化」です。
 歯は外側から、エナメル質、象牙質、歯髄とあり(図1)、エナメル質は直径約20nm(ナノメートル:1nmは10億分の1m)、長さ約100nmの六角柱のハイドロキシアパタイト微結晶が並んだ状態にあることで強度が保たれています。エナメル質に穴が開き始めた状態をむし歯(専門用語で「う蝕(しょく)」)と言い、これはエナメル質からリン酸カルシウムが溶け出す「脱灰」によって起こります。
 ところが、最初の段階では最表層ではなく内側からミネラルが抜け出し、見た目にはエナメル質の表面に穴(実質欠損)は確認できないものの、歯に透明感がなく白く濁った部分が現れます。これは「初期う蝕」とよばれるむし歯一歩手前の状態。この段階では、唾液などの働きによってリン酸イオンとカルシウムイオンが補充される「再石灰化」により、歯が元に戻る可能性があります。リン酸化オリゴ糖カルシウムには、この再石灰化を助ける働きがあるのです。

図1. 歯の構造(出典:Wikipedia)。図1 . 歯の構造。
1エナメル質、2象牙質、3歯髄、4歯肉、5セメント質。

結晶はどれだけ再生するか

 リン酸化オリゴ糖カルシウムによる再石灰化の様子は、これまでミネラル成分の変化量を測るTMR(Transversal Microradiography)法、電子顕微鏡による形状観察、元素分析などによって調べられてきました(図4左)。しかし、これらの実験でわかるのはミネラルの量だけで、歯の丈夫さを保つ結晶の変化までは詳しくわかりませんでした。
 そこで、江崎グリコ健康科学研究所の田中智子さんが、リン酸化オリゴ糖カルシウムにより再石灰化した歯の結晶性を測定する課題に取り組みました。田中さんは「この測定にSPring-8が使えるかもしれないと思ったのは、2006年末の放射光産業利用セミナーに出たことがきっかけでした」と言います。セミナーのコーディネーターに相談したところ、高輝度光科学研究センターの八木直人主席研究員を紹介され、具体的な検討に入りました。
 試料にはウシの歯を使いました。ヒトの歯は個人差が大きいためです。ウシ歯をブロック状に切り出し、樹脂などで周りを固めます。試料は3等分して、健全・脱灰・再石灰化の各部位を作りました(図2)。
 脱灰部位の厚さは150μm(マイクロメートル:1μmは100万分の1m)しかないので、通常の数十μmのビーム径では大きすぎます。そこでビームラインBL40XUにあるビーム径約6μmの放射光X線を使いました。広角X線散乱によって結晶変化と並び方を、小角X線散乱によって結晶のすき間を測定しました(図3)。「測定では八木先生に多大なご協力をいただきました。先生のご尽力なくして、とてもここまで到達できませんでした」と田中さん。

図2. SPring-8での測定試料調製。 図2 . SPring-8での測定試料調製。
試料にゲルを載せ、その上から酸を加える。
この脱灰に2週間。POs - Caによる再石灰化は12時間以上を目安に行う。
図3. ウシ歯試料をセッティングする田中さん。 図3 . ウシ歯試料をセッティングする田中さん。
右からX線が照射され、左の検出器で測定する。

むし歯にガムができること

 測定の結果、大きく2つのことがわかりました。まず、脱灰は原子単位だけでなく、結晶単位として失われていました。また再石灰化では、結晶単位で再生し、健全な歯と同じように結晶の向きが並んでいました(図4右)。SPring-8で得られたこれらの結果から、田中さんは、リン酸化オリゴ糖カルシウムによる再石灰化が図5のように行われているのではないかと推測しています。
 このガムは発売後も改良が続けられ、2008年8月にはスタイルを一新して再デビューしました(図6)。香料の配合比率を変えるなどして味持ちを著しく改善、また粒の大きさなどの形態やパッケージの装いも新たに、通常の食品として拡大普及をめざします。
 次の研究課題として「臨床応用をめざし、ヒトのデータを集めること。消費者に対してわかりやすく商品の価値を伝えられるようなデータを集めること」の2点をあげる田中さん。リン酸化オリゴ糖カルシウム(POs - Ca® )、そしてデンタルガムの新たな可能性を模索し続けます。

図4. POs - Caによる再石灰化(左)と再結晶化効果(右)。 図4 . POs - Caによる再石灰化(左)と再結晶化効果(右)。
左:TMR法で得られたデータ。ミネラル成分が、脱灰により表層付近で低下しているが(青)、再石灰化によりミネラル量が回復している(橙)。
右:SPring-8で得られたデータ。健全(赤)な状態から脱灰(青)で失われたハイドロキシアパタイト結晶は、POs - Caにより結晶性とともに再生する(緑)ことがわかる。
図5. 推測されるPOs - Caによる再石灰化。 図5 . 推測されるPOs - Caによる再石灰化。
Aのようにエナメル質の成分がばらばらに再生するのではなく、Bのように結晶性も再生する。
図6. 新製品「ポスカ<フラットスタイル>」 図6 . 新製品「ポスカ<フラットスタイル>」

コラム:宝くじで車3台買います

コラム

 田中さんは「宝くじで3億円当たったら車を3台買います!」と言う大の車好き。1台いくらをイメージしているかわかりませんが、自身の結婚披露宴でレゴ・フェラーリをプレゼントされて大感激するほど。あり得る値段なのかもしれません。週末に時間ができると、愛車を乗り回し、もうひとつの趣味であるテニスへ出かけます。
 仕事では、「グリコさんですよね?何でウシの歯なんか…」と言われつつも目的のものを買い付けに行く。趣味と同様、目的に向かってまい進する姿が光ります。一方、「エナメル質の再結晶化が起こることはわかっても、その詳しいメカニズムはまだわかっていません。個人的にはぜひ追究したいですね」と科学に対する情熱も持ち合わせています。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 吉戸智明

用語解説

*1 特定保健用食品
 実験データに基づいて審査を受け、効能を表示することを厚生労働省から認可された食品。「トクホ」の名で知られる。

*2 ハイドロキシアパタイト
 歯や骨を構成する主成分。人工骨など外科医療にも利用されている。構造式はCa5(PO4)3(OH)。

*3 リン酸化オリゴ糖カルシウム(POs - Ca®)
 常温での溶解度が70%以上と水溶性が高く、唾液によく溶ける。田中さんによると味は「にがしょっぱい」。


この記事は、江崎グリコ株式会社健康科学研究所の田中智子さんにインタビューをして構成しました。

SPring-8 Flash

平成21年度科学技術分野の文部科学大臣表彰を3名が受賞

科学技術賞

研究部門:我が国の科学技術の発展等に寄与する可能性の高い独創的な研究又は開発を行った者を対象としています。

受賞者:藤井 保彦 (独)日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究部門 部門長
受賞内容:中性子・放射光X線散乱による構造物性の研究

受賞者:小溝 裕一 大阪大学 接合科学研究所 教授
受賞内容:不均質核生成による高強度溶接鋼管溶接メタラジーの研究

若手科学者賞

萌芽的な研究、独創的視点に立った研究等、高度な研究開発能力を示す顕著な研究業績をあげた40歳未満の若手研究者を対象としています。

受賞者:山下 敦子 (独)理化学研究所 放射光科学総合研究センター チームリーダー
受賞内容:生体膜二次輸送体蛋白質の作動機構の研究

行事報告

第9回SPring-8夏の学校

第9回SPring-8夏の学校

 (財)高輝度光科学研究センター・兵庫県立大学共催の「第9回SPring-8夏の学校」は、7月10日~13日の日程で、北海道から九州にわたって全国の大学から35名の大学院生および学部生の参加を得て開校されました。初日には3つの基礎講座、二日目と三日目にSPring-8とニュースバルの8本のビームラインを使った実習、四日目に4つの応用講座がカリキュラムとして組まれました。実験ホール・ニュースバル・SCSSの見学も行いました。実習では希望が集中したためにやや混雑したビームラインもありましたが、一日の実習が終わる頃にはビームラインの環境や機械の操作にも慣れて、積極的に測定や解析を行っていました。また、大学や専門分野を越えた交流は、参加者にとって貴重な経験だったようです。この経験を生かして、参加者の中から次世代の放射光科学を担う研究者が育つことを期待します。

第5回X線自由電子レーザーシンポジウムのご案内

 (独)理化学研究所と(財)高輝度光科学研究センターではSPring-8サイト内に、国家基幹技術・X線自由電子レーザー(XFEL)施設の建設を進めています。また、先行して建設したXFELプロトタイプ機は、安定かつ強力な極紫外レーザーとして利用を開始しています。そこで、XFEL施設や装置の整備状況やXFELを使ったサイエンスへの期待などを報告する場としてシンポジウムを開催します。今回はパネルや装置模型などを展示し、現場スタッフと直接お話できる機会を設ける予定です。ぜひご参加ください!

2010年度完成予定のX線自由電子レーザー施設
2010年度完成予定のX線自由電子レーザー施設

月 日:2009年11月27日(金)10:00~17:00
※時間は変更になる可能性もありますがご了承ください
場 所:品川インターシティホール(東京都港区港南2-15-2)
主 催:文部科学省、独立行政法人理化学研究所、財団法人高輝度光科学研究センター
後 援:兵庫県、日本加速器学会、レーザー学会、日本放射光学会、日本物理学会(予定)
参加費:無料
詳細・お申し込みはX線自由電子レーザー計画のホームページをご覧ください。

(財)高輝度光科学研究センター(JASRI)理事長就任・退任の挨拶

(財)高輝度光科学研究センター 理事長
(財)高輝度光科学研究センター
理事長
白 川 哲 久

 6月18日から吉良前理事長の後を受けてJASRIの理事長に就任いたしました。
 JASRIは私にとってこれが二度目の勤務で、前回は平成5年から平成7年にかけて2年3ヶ月ほど企画調査部長として勤務しておりました。当時JASRIはまだ設立間もない草創期で、事務所も神戸のポートアイランドにありました。その当時SPring-8の建設を進めていた理研・原研共同チームや大型共用施設の利用促進の枠組みを検討中であった科学技術庁のご担当と、JASRIの制度設計について喧々諤々と議論をしていたことを思い出します。
 今回、14年ぶりにJASRIへ帰ってきて大変嬉しく思いましたのは、SPring-8の業務が順調に拡大しており、その活動が高く評価されて来ている、ということです。新たな研究施設等が立派に整備されている様子を見るにつけ、これまでのご関係の方々のご努力に頭の下がる思いがいたしますとともに、その後を受け継ぐ理事長として責務の重大さを感じております。
 皆さまのいっそうのご支援、ご協力をお願いいたしまして、就任のご挨拶にかえさせて頂きます。

 

前(財)高輝度光科学研究センター 理事長
前(財)高輝度光科学研究センター
理事長
吉 良  爽

 JASRIの研究所長、理事長として8年間無事勤めを全うすることができました。無事とか大過なくなどというのは私の目指した所ではありませんが、この間に起きたことを振り返ると、無事、という言葉がいつになく重く響いてきます。これも、多くの方のご支持とご支援の賜物と深く感謝しております。慌しくSPring-8を去る結果となり、多くの方、特に地元の方にご挨拶が十分できなかったことを、この場を借りてお詫びいたします。これまでSPring-8を、運営・利用の中心である研究者だけに閉じたものにしないで、利用においては産業界の参入を援助し、もっと一般的には、社会の理解と支持を得るため努力してまいりました。お陰様で、国の評価や地元の評判は少し良くなりましたが、施設利用成果における世界との競争という本質的な問題はこれからもずっと続きます。
 世界にとどろく高い業績によって、国内の学術、産業関係者の評判をあげ、それを通して社会一般の関心を喚起する必要を感じます。社会が興味を持つような話題がいつもSPring-8にあって、それをこのSPring-8 Newsが解説するような日が来ることを願っています。

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