大型放射光施設 SPring-8

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SPring-8 NEWS 52号(2010.9月号)

目次

研究成果 · トピックス
カルシウムポンプのダイナミックな構造変化を解明

行事報告
高校生のための「サマーサイエンスキャンプ2010」実施
市民公開講座「カルシウム・ポンプ・タンパク質ってどんなもの」開催

SPring-8 Flash
SPring-8を使った研究の受賞情報!
· 日本分析化学会2010年度先端分析技術賞JAIMA機器開発賞
· 日本文化財科学会 第27回大会ポスター賞

お知らせ
SPring-8 特別企画講演会 -夢の光が照らす文化と歴史-

表紙の図
カルシウムポンプの構造変化

カルシウムポンプの反応サイクルの1ステップ。ATPが結合し、Ca2+を膜内に閉じ込めるときの構造変化。グレーで示す中間の構造は計算による。

研究成果 · トピックス

カルシウムポンプのダイナミックな構造変化を解明

注目のイオンポンプ

 生物の営みには、さまざまなイオンがかかわっています。カルシウムイオンも生体になくてはならないイオンの1つで、筋肉の運動をおこします(図1)。筋原繊維の周りにある筋小胞体には、カルシウムイオンが蓄えられていて、これが放出されると筋肉は収縮します。逆に、筋肉を弛緩させるには、筋小胞体がカルシウムイオンを取り込まなければなりません。この筋小胞体への再取り込みを行っているのが、カルシウムポンプと呼ばれる膜タンパク質です。
 物質を取り込むには、“つかんで放す”という動きが伴います。カルシウムポンプも、カルシウムイオンを取り込む過程で、“つかんで放す”に相当する構造変化をおこします。この構造変化を誰よりも早く解明したのが、東京大学分子細胞生物学研究所の豊島近(ちかし)教授です。20年以上にわたる研究成果として、9つの異なった状態のカルシウムポンプの構造を明らかにしました。
 これまでに解明された構造のいくつかは、2000年、2002年、2004年の英国科学雑誌「Nature」に掲載されました。また、この一連の業績により豊島先生は、学術·芸術などの分野で傑出した業績をあげた個人·団体に贈られる「朝日賞」を2009年度に受賞しました。

図1.筋肉の仕組み

図1.筋肉の仕組み

筋原繊維の周りにある筋小胞体からカルシウムイオンが放出されると、筋肉は収縮する。カルシウムイオンが筋小胞体に取り込まれると、筋肉は弛緩する。この取り込みを行うのが、筋小胞体の膜に埋め込まれたカルシウムポンプ。

偶然手に入れたサンプル

 この研究を始めたきっかけは、若手研究者として英国に留学していた20年ほど前にさかのぼります。当時、電子顕微鏡を使ってチャネルタンパク質*1の立体構造を解析していた豊島先生は、チューブ状結晶の構造を解析できる技術を開発しました。この技術の一般性を試すのにいいタンパク質を探したところ、近くのラボにいた研究者が、カルシウムポンプのチューブ状結晶を作ったのです。こうして、チューブ状結晶を作る手近なタンパク質という理由から、カルシウムポンプの立体構造解析は始まりました。そして研究が進むにつれて、より詳しい立体構造を知りたいと、電子顕微鏡からX線結晶構造解析へと解析法を替えていったのです。

常識にとらわれない結晶化法

 タンパク質の立体構造解析には、解析法に適したサイズと均一さ(並び方の正確さ)をもった結晶を用意しなければなりません。しかし、生体膜に埋まった膜タンパク質であるカルシウムポンプは、膜から出てしまうと構造を保つことができないという理由から、通常の結晶化法で結晶を作ることはできませんでした。また、当時は「膜に入った状態でタンパク質を結晶化するのは無理だ」と考えられていました。
 そんな状況の中で、豊島先生は、膜に入った状態のカルシウムポンプの結晶化に成功したのです。最初に、解析の邪魔になるほかのタンパク質を除くために、生体膜からカルシウムポンプを溶かし出し、精製を行いました。その後、溶液の条件をゆっくり変えることで、タンパク質を結晶化させます。このときに脂質を加えてみたのです。すると、脂質でできた二重の膜に、カルシウムポンプが埋め込まれた状態の結晶ができました。当初は、脂質の二重膜が10層くらい積み重なっただけの、とても薄い結晶でしたが、結晶を作る条件を変えることで、SPring-8の強いX線を使えば何とかデータ収集できる厚みにまで成長させることができたのです(図2)。

図2

図2.

ナイロンループにすくい上げ、急速凍結したカルシウムポンプの板状結晶(左)。結晶の幅は300μm、厚さ20μm程度。カルシウムポンプの板状結晶からのX線回折パターン(右)。ビームラインBL41XUを使用。

尽きることのない興味

 この研究の最初の成果として、2000年に発表したのが、カルシウムイオンが2個結合した状態の構造でした(図3左上)。これは、SPring-8のBL41XUとBL44B2の2つのビームラインを使って解析したもので、ポンプがカルシウムイオンを2つつかんでいます。「SPring-8がなかったら、得られなかった構造です」と話す豊島先生は、この成果をきっかけにカルシウムポンプが、どのように動くかを本格的に追いかけることにしました。
 2002年に発表された2つ目の構造は、カルシウムイオンを送り出した後の状態でした(図3左下)。最初に明らかにした構造と比べてみると、3つのドメイン*2が寄り集まり、4番目のへリックス*3(M4へリックス)が手押しポンプのピストンのように下にさがり、カルシウムイオンを押し出したのがわかります。
 そして2004年には、筋肉を動かすエネルギー物質であるATP*4が結合した状態の立体構造が明らかになり、ATPによってカルシウムイオンが閉じ込められている様子が捉えられました。(図3右上)。この年には、さらに中間状態の立体構造が2つも発表され、研究は大きく進展しました。中間状態とは、カルシウムイオンを運搬する反応サイクルの中で、ごく一瞬しか現れない状態です。そのため結晶化では、どのようにしたら中間状態を安定化させられるかという工夫が必要でした。
 「2つのドメインが110度も回転したり、へリックスが10オングストローム(1オングストロームは100億分の1メートル)もずれたりするとは、誰も思っていませんでした。予想以上にダイナミックな構造変化がおこっているのだから、次が知りたくなります」。この気持ちが、難しい研究に次々に向かう原動力になっているのです。

図3.カルシウムポンプの4つの基本状態の模式図

図3.カルシウムポンプの4つの基本状態の模式図

豊島先生が、長い時間をかけて理解してきた構造変化は次の通り。
左下:カルシウムイオンが無い状態では、細胞質側にある3つのドメイン(A, N, P)は寄り集まっている。
左上:カルシウムイオンが結合すると、M5へリックスがまっすぐになり、細胞質側にある3つのドメインは離れる。
右上:2004年に明らかになった、ATPが結合した状態の構造。カルシウムイオンが閉じ込められている。
右下:M4へリックスが手押しポンプのピストンのように下にさがって、カルシウムイオンを押し出す。この結果、カルシウムイオンが筋小胞体内腔に放出される。

研究が向かう先

 「大事なのは、ただ構造を明らかにするのではなく、そこから何を理解するかです。『自然というのは、物理の人が思うよりずっと複雑なんだ(物理学では、原理を追究するために単純化が行われることが多いので、この言葉が出たと思われます)』と、かつて尊敬する大先輩に言われた言葉を、今実感しています」。こうした思いがあったから、物理学出身の豊島先生は、カルシウムポンプがどう機能しているのかを理解するために系統立てて研究できたのでしょう。
 しかし、独自性に富んだこの研究も、デンマークの研究チームが2004年ごろから同じ研究を始め、激しい競争になっています。イオンポンプを専門に研究する研究所が設けられ、構造だけでなく医薬品への応用にまで発展させようとしています。カルシウムポンプ研究も、心筋梗塞やがんの治療に役立つのではないかと盛んに行われています。一方の豊島先生は、「ここまで研究が進むと、誰にでもできるものではありませんから」と落ち着いていて、カルシウムポンプが動き出すきっかけとなる2つの中間状態の構造を明らかにしようと、着々と準備を進めています。
 また、次のターゲットは、ナトリウム·カリウムポンプと決めて、研究をスタートさせています。すでに成果が出はじめており、豊島先生の目が、このポンプをどう捉えるのかも楽しみです。


用語解説

*1 チャネルタンパク質
物質を通しにくい生体膜の中にあって、特定のイオンだけを運ぶタンパク質の一種。イオンポンプがエネルギーを使って濃度の薄い側から濃い側に汲み上げるのに対して、チャネルは濃い側から薄い側に流すゲートの役割をする。

*2 ドメイン
タンパク質の構造の一部で、ひとかたまりとして運動する領域。

*3 へリックス
タンパク質の構造の一部で、バネのようならせんの形をしている。

*4 ATP
アデノシン三リン酸。アデノシンにリン酸が3分子結合したもので、リン酸分子が切り離されるときにエネルギーを放出する。

コラム:必要なものは自分でつくる

豊島教授
手作りの模型を手に。

 「私がつくったカルシウムポンプとチャネルです」と、研究室から模型をもってきた豊島先生は、ものづくりが大好きです。実験に便利だというものを思いつけば、小道具もつくるし、コンピュータープログラムも書いてしまいます。こうして、実験の効率を上げたり、作業をやりやすくしたりしてきました。SPring-8のビームラインにも豊島先生の要望が生かされている部分があるとか。「新しいことをやるには、自分で作らなければならないものがあるものです」。電子顕微鏡の技術開発をおこなっていたころの、開発者の顔がのぞきます。
 大きな研究成果の裏には、実験への細やかな心配りがあるようです。


取材·文:サイテック·コミュニケーションズ 池田 亜希子


この記事は、東京大学分子細胞生物学研究所の豊島近教授にインタビューをして構成しました。

行事報告

高校生のための「サマーサイエンスキャンプ2010」実施

 高校生が、体験実習や研究者との交流を通して、科学技術分野への理解を深め啓発されることを目的としたサマーサイエンスキャンプが8月10~12日に行われました。サイエンスキャンプは今年で13回目となります。昨年までは(財)ひょうご科学技術協会、理研、JASRIの三者主催による兵庫県の高校生のみを対象としていましたが、今年は三者主催と(独)科学技術振興機構主催による兵庫県以外の全国の高校生を対象としたサイエンスキャンプとの同時(合同)開催となりました。その結果、兵庫県14名と兵庫県以外10名の合計24名が参加しました。
 1日目は大阪大学の木下修一先生の「モルフォ蝶、青色の謎」、名古屋大学の秋山修志先生の「生物の不思議~体内時計~」の2つのご講演に続いて、SPring-8の紹介・見学が行われました。2日目は「光通信の仕組みを調べる」「タンパク質のはたらきを調べよう」「環境に優しい新しい光源としてのLED」「X線マイクロアナライザーで見えるミクロの世界」の4つのグループに分かれて朝から夜遅くまで実習とまとめを行い、3日目はまとめとグループごとの発表が行われました。
 高校のレベルを超えた内容に加え、実習とまとめが長時間に及んだことにより、サイエンスキャンプが終わると高校生たちも多少疲れた表情を浮かべていましたが、最後までやり遂げた満足感があったようでした。参加者の一人が最後に「今回はがんばった。今までの人生の中で一番がんばった。帰ってからもまわりに自慢できる。」といっていたのがとても印象に残りました。 (広報室)

高校生のための「サマーサイエンスキャンプ2010」実施

市民公開講座「カルシウム・ポンプ・タンパク質ってどんなもの」開催

市民公開講座「カルシウム・ポンプ・タンパク質ってどんなもの」開催

 去る8月4日に姫路市文化センターにて、「カルシウム・ポンプ・タンパク質ってどんなもの~放射光が解きあかすナノ機械の精緻なしくみ~」と題して市民公開講座が開催されました。これは、日本加速器学会が、加速器がさまざまな場面で活躍していることを市民の方々に知っていただくために、毎年開催される年会にあわせて開催しているものです。今回は姫路市文化センターで開催された第7回加速器学会年会にあわせたもので、兵庫県内外から215名の方にご参加いただきました。
 講師にはSPring-8を利用してカルシウム・ポンプ作動機構を解明し2009年度朝日賞を受賞された豊島近東京大学分子細胞生物学研究所教授をお招きしました。
 膜タンパク質の基本構造から説き起こし、膜タンパク質の一種であるカルシウム・ポンプ・タンパク質のカルシウムを取り込む各ステップでの結晶化のお話、および、それぞれの結晶構造をX線結晶構造解析により順次解明し、それをつなぎ合わせて動画としてカルシウムを取り込む際にタンパク質が大きく構造を変化させる様子をわかりやすく紹介していただきました。
 講演後は参加された方々から活発な質問をいただき、一般市民の方の関心の高さがうかがえました。これからもいろいろな機会をとらえてSPring-8が活躍している様子をより多くの方々に知っていただくよう努めていきたいと考えています。(加速器部門)

SPring-8 Flash

SPring-8を使った研究の受賞情報!

日本分析化学会 2010年度先端分析技術賞 JAIMA機器開発賞

日本分析化学会は、先端的分析技術開発(機器開発、分析・評価技術開発、分析用新規物質の開発、など)や実用化において、優秀なる業績と展開性を示した個人あるいはグループに、(社)日本分析機器工業会(JAIMA)のスポンサーシップによる先端分析技術賞JAIMA機器開発賞を贈呈しています。

受賞者:菊間  淳 旭化成(株)基盤技術研究所 主幹研究員
松野 信也 旭化成(株)基盤技術研究所 主席研究員
松井久仁雄 旭化成建材(株)建材研究所 主席研究員
小川 晃博 旭化成建材(株)建材研究所 主幹研究員

業績:水熱反応過程の in-situ X線計測技術の開発

日本文化財科学会 第27回大会ポスター賞

日本文化財科学会大会において、優秀なポスター発表を行った発表者にポスター賞が授与されます。

受賞者:杉山 淳司 京都大学生存圏研究所 教授
水野寿弥子 京都大学生存圏研究所

業績:シンクロトロン放射光X線トモグラフィーを用いた神像、木彫像の樹種識別調査

お知らせ

SPring-8 特別企画講演会 -夢の光が照らす文化と歴史-

SPring-8 特別企画講演会 -夢の光が照らす文化と歴史-

SPring-8の放射光は「夢の光」と言われ、学術分野の研究や産業分野の開発研究に広く利用されていますが、文化財の研究分野でも積極的な利用が始まっています。SPring-8が文化・産業・芸術・宗教と深くかかわっている現状を理解していただくために、古都奈良において特別講演会を開催します。文化財や考古学に興味をお持ちのみなさん、ぜひご参集ください。

日  時:2010年11月20日(土)13:00~16:30(12:00開場)
会  場:奈良県新公会堂 能楽ホール
講演内容:アートとサイエンスの融合/宮正明(東京藝術大学)
ひとかけらの木材からわかること、知りたいこと/杉山淳司(京都大学)
放射光赤外分析で探る古代の絹織物/佐藤昌憲(奈良文化財研究所)
X線で古代エジプトを探る/中井 泉(東京理科大学)
科学の力で歴史の謎を解く/吉村作治(早稲田大学)
定  員:450名(参加無料・事前申込が必要・9月30日消印有効)
申込方法等の詳細はこちらをご覧ください。
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/events/nara2010


最終変更日 2019-11-21 17:15