SPring-8 NEWS 59号(2011.11月号)
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研究成果 · トピックス
光合成の中核をなす複合体の構造を解明 ~人工光合成への大きな一歩を踏み出した~
光合成あっての私たち
光合成は小学校で習います。「まだ解明されてないことがあるの?」と思われるかもしれませんが、霧におおわれている部分がたくさん残されています。しかも、その未解明の部分には、いま私たちが抱えている環境問題やエネルギー問題を解決するためのヒントが隠れています。
20年以上にわたり、光合成の研究をしてきた岡山大学の沈建仁(しんけんじん)先生は、「光合成が私たちにとってどれだけ大事か、実はあまり知られていません」と言います。地球上の酸素は、すべて植物などの光合成生物によってつくられています。その量は年間約2600億トンです。地球上の大気中の酸素量は、約1200兆トンなので、約4600年で大気中の酸素がすべて循環される計算になります。「進化の歴史からみたら、4600年という時間はそれほど長くありません」と沈先生。地球上の生物は、光合成生物が産生する酸素量と、自分たちが消費する酸素量の微妙なバランスを保ちながら生存しているのです。
また、光合成は、太陽のエネルギーを有機物に変換して生物界に取り込むことができる唯一の玄関口です。植物は光合成によって有機物をつくり、それを養分にして生長します。その植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べます。つまり、こうした食物連鎖の元をたどれば、私たち人間を含む動物は、生きていくために必要なエネルギーを、光合成生物から得ていることになります。石油や石炭などの化石燃料も、元は動物や植物の死がいなので、大昔に光合成によってつくられた有機物が姿を変えたものです。私たちは、地球上の酸素も有機物も、光合成をおこなう生物にすべて依存しているのです。
人工光合成とは
光合成は、太陽のエネルギーを使って、二酸化炭素と水から、有機物の一種である糖質と酸素を産生する反応として知られています。しかし、これは光合成の全過程を1つにまとめたものです。光合成は1つの反応ではなく、多くの反応から構成されています。
その反応は、太陽の光エネルギーを吸収して化学変化がおこる「明反応」と、その産生物をもらって二酸化炭素から糖質を合成する「暗反応」の2つの経路に大別されます(図1)。
明反応の最初のステップでは、光エネルギーを使って、水を分解し、酸素と水素イオンと電子を生成します。酸素が生成するのは、この最初のステップだけです。つまり、このステップで生成する酸素が、大気中に存在する酸素の源になっているわけです。さらに、このとき放出する電子は、順々に次のタンパク質へと受け渡され(電子伝達といいます)、NADPHという物質にたくわえられます(図2)。また、葉緑体の中の膜を隔てて水素イオンの濃度差が生じ、これによってATPという物質を合成するための原動力が生まれます。「もし、最初のステップを人工的に再現して、水から電子を取り出すことができれば、これを電気エネルギーとして使うことができます。光合成生物は、地球に到達する太陽光の0.1%しか使っていません。あり余っている太陽エネルギーを人間が使えるエネルギーに変えることが、私たちが目指している人工光合成です」と沈先生は話します。
図1.光合成の概観図。
明反応では、最初のステップで水の分解により酸素が生じ、次いでATPとNADPHという物質が蓄積される。暗反応は、ATPとNADPHを使って、二酸化炭素から糖質を産生する。
図2.明反応の流れ。
最初のステップでは、光エネルギーを使って、水(H2O)を酸素(O2)と水素イオン(H+)と電子(e-)に分解する。この電子は次々と別のタンパク質に伝達され、最終的にNADPHにたくわえられる。チラコイド膜を隔てた水素イオンの濃度差が、ATP合成の駆動力になる。オレンジ色のものはすべて膜タンパク質だが、それぞれ異なるタンパク質で機能も違う。
長年のボトルネック
実は何十年も前から、多くの研究者がこのような人工光合成の実現に向けて研究をしてきました。しかし、その道のりは険しく、研究者たちは今も挑戦し続けています。
当たり前ですが、水に光を当てるだけでは、水の分解は起こりません。水を分解するには、この反応を手助けする触媒の働きが必要です。光合成では、「光化学系II(PSII)」というタンパク質複合体が触媒の役割をしています。葉緑体の中には、チラコイドという平たい袋状の構造物があり、PSIIはチラコイドの膜に埋め込まれた状態で存在します(図2を参照)。
PSIIには、水分子が入り込む「通路」と、その通路の先に、実際に水を分解する「触媒中心」と呼ばれる部分があります。通路に水分子が入り込むと、PSIIは、光のエネルギーを利用して、触媒中心を含む自分自身の立体構造を変化させ、水を分解します。そして反応を終えたあとは、再びもとの立体構造に戻ります。このときのPSIIの触媒中心の立体構造の変化を詳しく知ることができれば、その構造を模倣して、PSIIの触媒作用をもつ化合物を人工的につくりだすことができるはずです。
しかし、それは簡単なことではありません。まずタンパク質の構造を調べるには、十分な量のタンパク質を調製し、それを精製したのちに、乱れのない結晶にする必要があります。PSIIは、19個のタンパク質からなる巨大なタンパク質複合体で、しかも膜に埋め込まれて存在しています。このような「膜タンパク質複合体」は、扱いが極めて難しく、研究者たちは、PSIIのきれいな結晶をつくることに苦労を重ねていました。
ついに見えたPSIIの立体構造
沈先生は、ラン藻*1の一種からPSIIを取り出し、結晶化についてさまざまな条件を試しました。1999年に最初の結晶を得ることに成功しましたが、そのとき得られた結晶の質はあまり良くなく、PSIIの立体構造を詳細に解明することはできませんでした。それからさらに10年間、結晶の質の改善に取り組み、2009年、ついにPSIIの良質な結晶を得ることに成功しました。SPring-8のX線を使って、この結晶の構造解析をおこなうと、鮮明な立体構造が明らかになりました(図3)。
構造解析をおこなった大阪市立大学の神谷信夫先生は、「これまでのPSIIの結晶では、構造解析をしても分解能が不十分で、ぼんやりとしか構造がわかりませんでした。今回の結晶では、分解能が格段に上がり、原子の配列や原子間の距離を詳細に決めることができたので、PSIIの触媒中心を人工的に合成するための非常に有益な情報になります」と話します。「私たちは約20年前から、PSIIの構造解析に取り組んでいますが、SPring-8ができるまでは、きれいな結晶ができたとしても、鮮明な立体構造はわからなかったと思います。SPring-8ができ、結晶化もうまくいくようになり、両方のタイミングが重なったことも今回の成功の一因です」。
構造解析の結果から、PSIIの触媒中心は、4つのマンガン原子、1つのカルシウム原子、5つの酸素原子、4つの水分子によって構成されていることが明らかになりました(図4)。PSIIの触媒中心について、これほど詳細な立体構造が解明されたのは世界で初めてです。「PSIIの触媒中心は、ゆがんだイスのような形をしています。このような不安定な構造をとっていることで、構造を柔軟に変化させることができ、触媒として働くことができると考えられます」と神谷先生は説明します。
神谷先生の所属する大阪市立大学の研究グループは、メタノール燃料を製造する人工光合成装置を開発し、平成32年までに実用化するという構想を掲げています。「水の分解で生じた電子は、どこかにそのエネルギーを貯めておく必要があります。水分解反応でできた電子と水素イオンを水素にし、この水素と二酸化炭素と酸素からメタノールを合成しようと考えています」と神谷先生。「ただし、多くのメタノールを製造するためには、多くの光を集める必要があります。そこで、海に大きなパネルを浮かべて人工光合成をおこなうようなシステムを構築することも計画中です。まだ乗り越えなければいけない課題はたくさんありますが、私たちは“できる”と信じて進めています」。
人工光合成が実現すれば、エネルギー問題に貢献するだけでなく、地球温暖化の原因である二酸化炭素をメタノール製造の原料として使うことができるので、環境問題にも貢献します。これまで夢とされていた話が、少しずつ現実味を帯びてきました。
図3.PSIIの全体構造。
19個のタンパク質からなる単量体*2が2つ集まって二量体構造をとっており、真ん中に対称軸があり、2個の赤丸の場所に触媒中心がある。青色のボールは水分子。
図4.PSIIの触媒中心の構造。
ゆがんだイス形構造をしており、4つのマンガン原子(Mn)、1つのカルシウム原子(Ca)、5つの酸素原子(O)、4つの水分子(W)から構成される。
コラム:執念が生み出した結晶
神谷信夫教授(左)と沈建仁教授(右) |
今から20年ほど前、沈先生は初めてPSIIの結晶らしきものをつくることに成功しました。ところが、X線回折データを見た神谷先生は、「どうも結晶ではなさそう」と思ったそうです。「“結晶ではない”と伝えたときの沈先生の顔は今でも覚えています。本当にがっかりしていました。とっさに“いや、少しは可能性があるかも”と出まかせを言ってしまったくらいです」。
結局そのときつくったものは結晶ではありませんでしたが、そのような挫折にもめげず、沈先生はずっとPSIIの結晶化に取り組んできました。「やっているときは、できるかどうかわかりませんが、誰かがやらなくてはいけないことだと思っていました」。沈先生の粘り強さが今回の成果に結びつき、人工光合成への道を切り開いたのですね。
用語解説
*1 ラン藻
細胞に核をもたない原核生物で、シアノバクテリアなどとも呼ばれる。27億年前に出現したと推定され、最古の酸素発生型の光合成生物と考えられている。
*2 単量体
同一のタンパク質が会合して2量体や3量体などの多量体を形成する際の構成単位になるもの。
取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 秦 千里
この記事は、岡山大学大学院 自然科学研究科 沈建仁教授と大阪市立大学 複合先端研究機構 神谷信夫教授にインタビューして構成しました。
次号研究成果・トピックス予告 |
ダイカスト材の疲労破壊の原因「ポア」を解明〜材料開発はもっとスマートになる〜(仮題) |
SPring-8 Flash
SPring-8を使った研究の受賞情報!
第9回ひょうごSPring-8賞
井戸兵庫県知事より賞状を授与される松野信也グループ長(左) |
ひょうごSPring-8賞は、社会全体に対してSPring-8への認識と知名度を高めることを目的として2003年に兵庫県が設置した賞で、SPring-8を利用して産業への応用等社会全般の発展に寄与する研究成果をあげられた方を毎年表彰しています。2011年の受賞者及び受賞テーマは以下のとおりとなりました。
受章者:松野 信也 旭化成株式会社 基盤技術研究所 特級専門職・技術開発グループ長
受賞テーマ:軽量気泡コンクリート建材の材料評価法の開発とその応用
軽量気泡コンクリート(ALC)は、高い断熱性、耐火性、耐久性などの特徴を持つとともに、比重も軽く簡便に施工でき、旭化成株式会社では商標名ヘーベル板として、同社の主力な住宅商品の外壁などに多く用いられています。しかし、近年さらなる強度と耐久性など高品質化が求められており、そのためには主成分であるトバモライト(ALCの骨格をつくる結晶性のケイ酸カルシウム水和物)の合成反応過程の解明が不可欠でした。
松野氏のグループは、透過X線回折用の高温耐圧容器を独自に開発し、これにSPring-8の放射光を照射し観察することにより、これまで追跡が困難であったALCの反応過程を明らかにし、これまで以上に高品質なALCを開発する道を拓きました。
授賞式は2011年8月22日に兵庫県公館にて行われました。(上記の研究の概要は「SPring-8産業利用成果」パンフレットの18ページに掲載されており、SPring-8のホームページでご覧いただけます。) (広報室)
第9回産学官連携功労者表彰
産学官連携功労者表彰は、我が国の産学官連携の更なる進展に寄与することを目的として行われるもので、大学、公的研究機関、企業等の産学官連携活動において大きな成果を収め、また先導的な取組を行う等、産学官連携の推進に多大な貢献をされた方を内閣府等が表彰しています。
堀勝教授 |
科学技術政策担当大臣賞
受章者:堀 勝 名古屋大学大学院工学研究科 教授
後藤 俊夫 名古屋大学大学院工学研究科 名誉教授
西澤 典彦 名古屋大学大学院工学研究科 准教授
業 績:「ラジカル計測・制御及び広帯域超短パルス光」の開発
堀教授らのグループは、超コンパクトラジカルモニタリング装置、自律型プラズマナノ製造装置などを開発しました。堀教授は、その開発のための材料の基礎研究をSPring-8で行いました。
高原淳教授 |
経済産業大臣賞
受賞者:青木 孝司 株式会社デンソー 材料技術部 機能複合材料室 課長
高原 淳 九州大学先導物質化学研究所 主幹教授・副所長
業 績:自動車の軽量化に貢献するエンジニアプラスチック接着技術
高原教授らのグループは、自動車部品の接着信頼性を向上するため、SPring-8を用いて樹脂接着の接着強度および接着寿命向上の課題を分子レベルで解析を行い、接着強度低下のメカニズムを世界で初めて明らかにし、その結果、接着の信頼性が飛躍的に向上しました。(上記受賞者中、高原教授がSPring-8のユーザーです。) (広報室)
行事報告
第8回SPring-8産業利用報告会
9月8、9日に臨床研究情報センター(神戸市)において、(財)高輝度光科学研究センター(JASRI)、産業用専用ビームライン建設利用共同体(サンビーム・BL16XU、BL16B2)、兵庫県(BL08B2、BL24XU)、(株)豊田中央研究所(BL33XU)の主催、及びSPring-8利用推進協議会の共催、蛋白質構造解析コンソーシアム(BL32B2)、フロンティアソフトマター開発専用ビームライン産学連合体(BL03XU)の協賛で第8回SPring-8産業利用報告会が開催されました。8日の午後にサンビームの研究成果5件、重点産業利用課題報告(JASRI)6件、9日の午前に豊田中央研究所より2件、兵庫県より5件の講演が行われました。両日とも講演中は200人収容の会場は聴講者でほぼ一杯になり活発な質疑が行われました。9日午後は計74件のポスター発表が行われ、終了時刻まで会場のあちらこちらで活発な議論が行われました。産業利用報告会は“雨天開催が恒例”ですが今回は両日とも晴天に恵まれ250名が参加して無事に終了しました。 (産業利用推進室)
第5回放射光科学アジアオセアニアフォーラム ケイロンスクール2011
アジア及びオセアニア地域の大学院生や若手の研究員・技術者に放射光科学の基礎を学んでもらうことを目的としたケイロンスクール(Cheiron School)2011を、放射光科学アジアオセアニアフォーラム(AOFSRR)、理化学研究所、JASRI、KEKの主催で9月26日から10月5日の10日間の日程で開催しました。このケイロンスクールは今年で5回目を数え、オーストラリア、タイ、中国、韓国、台湾、インド、シンガポール、ニュージーランド、ベトナム、マレーシア及び日本の11ヵ国から65名の参加がありました。
このスクールでは、米国Advanced Light SourceのDavid Attwood教授、University of California, San DiegoのSunny Sinha教授をはじめとする7ヵ国22名の講師陣による講義、SPring-8及びSACLAの施設見学、21本のビームラインに分かれての実験実習やSPring-8スタッフなどの放射光分野の専門家との討論会などを行いました。それに加えて、茶会の開催をはじめとして日本文化に触れる機会を設け、講師と参加者との交流はもちろん、アジアオセアニア地区の若手研究者同士の交流を深める場を提供しました。参加者からは「非常に有意義な10日間であった」との声が多く聞かれました。近い将来、今回の参加者が各地の放射光施設で活躍しすばらしい成果を出すとともに、次代の放射光科学を牽引してくれることを期待しております。
お知らせ
光のひろば 最新の研究者インタビュー動画を公開!
エネルギー・環境問題の解決に繋がる水素などの特定物質を分離、貯蔵、変換する新
規機能性材料を開発されている北川進先生(京都大学)にお話を伺います。
光のひろば:研究者インタビュー