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カルシウムポンプ蛋白質の構造とイオン輸送のメカニズム

東京大学分子細胞生物学研究所
豊島 近・野村 博美

カルシウムは骨や歯になるだけではない

 生体はイオンを非常に巧みに使っています。蛋白質が安定に存在するために、また、酵素反応の触媒のために、亜鉛や鉄、銅イオンが使われます。また、細胞の内と外とで濃度差を作り、それを電気信号として使います。例えば、同じ1価の陽イオンでもNa+ は細胞外に多く、K+は細胞内に多く存在しています。神経が興奮するときは、Na+が外から濃度勾配に従ってチャネル蛋白質を通じて流入し、膜電位が変化します。これが興奮の実態です。つまり、電気信号と化学信号の橋渡しにもイオンが使われているわけです。
 数あるイオンのうち、もっとも広範に使われ重要な働きをするのはカルシウムです。人体には1400グラムのカルシウムがありますが、大部分は骨や歯です。信号の伝達に使われるのは10グラムにも満たないとされますが、その働きは大変重要なものです。たとえば、筋肉の収縮弛緩を例にとって見ると、筋小胞体とよばれる筋繊維を取り囲む袋状の組織があり(図1)、カルシウムの貯めになっています。この貯めからカルシウムが放出されると収縮がおこり、もう一度カルシウムをポンプを使って汲み上げると弛緩が起こります。カルシウムを汲み上げるためには、小胞体内外でのカルシウムの濃度差に関係なく、一万倍の濃度差に打ち勝ってカルシウムを運搬する必要があります。そのためにはエネルギーが必要で、アデノシン三燐酸(ATP)が分解されます。つまり、カルシウムポンプの実体である蛋白質は、小胞体膜に埋まった膜蛋白質であり、ATPを分解する酵素です。(Ca2+-ATPaseと呼ばれます。)このポンプは一個のATPを分解することによって2個のカルシウムを運ぶことができます。筋肉の収縮弛緩を十分な速さで行うために、筋小胞体膜の全膜蛋白質の60%はこのポンプ蛋白質が占めています。従って、量的な問題がなく、構造解析には最も適した膜蛋白質の一つです。濃度勾配に逆らった輸送をするために、カルシウム結合部位の構造を高親和性状態から低親和性状態に変化させてカルシウムを運搬していると考えられています。この蛋白質の仲間には、高等生物ならどの細胞にもあるNa+K+ポンプや、胃のpHを低く保つのに使われるH+K+ポンプ(胃潰瘍の原因にもなります)があります。いずれも、細胞の恒常性を保つのに大変重要なポンプです。

図1. 筋収縮はカルシウムによって制御されている。カルシウムは筋小胞体に貯蔵されている。

図1. 筋収縮はカルシウムによって制御されている。カルシウムは筋小胞体に貯蔵されている。

ポンプ蛋白質は極微手押しポンプ

 カルシウムポンプに関し、私たちはカルシウムを結合した状態の構造を2.6Å分解能で決定し3年前に報告しました(Nature 405:647-655, 2000)。これは、陽イオンのポンプとして初めての構造であり、広範な分野で注目を集めました。さらに私たちは、カルシウム非存在下での結晶を作ることに成功し、3.1Å分解能で構造を決定することができました( Nature418:605-611, 2002)。この結晶は座布団状の結晶でしたが、c軸方向(脂質二重膜が積み重なる方向で座布団の厚さの方向)の格子の長さが600Å近くあって実験室でのデータ収集は不可能なので、最新鋭の光源と大きな検出器を備えたSPring-8生体超分子複合体構造解析ビームライン(BL44XU、大阪大学蛋白質研究所)での測定が必須でした。
 筋小胞体カルシウムポンプは、994個のアミノ酸残基がつらなった分子量約110kの一本のポリペプチド鎖によって構成されており、細胞質領域の3つのドメイン(A,NおよびP)と10本の膜貫通αヘリックス(M1-M10)より成っています(表紙図)。細胞質領域には、反応の途中で燐酸化が起こるPドメイン、ATPのアデニン環部分が結合するNドメイン、カルシウムの通路のゲートの開け閉めのレバーとなるAドメインがありますが、カルシウム結合時にはこの三つのドメインは広く離れており、カルシウムがないときには寄り集まって一つの固まりになります。カルシウム有り無しの二つの構造を比較すると、細胞質ドメインだけでなく、分子全体にわたって非常に大きな違いがあることが分かります(表紙図)。カルシウムが結合する場所は膜貫通へリックス(図では円柱)M4,M5,M6,M8で囲まれた領域ですが、驚いたことには、M4へリックスはカルシウムをはずしたときには小胞体内腔側(図では下側)にへリックス一巻き分(5.5Å)下がっていることが分かりました(図2)。つまり、このへリックスが手押しポンプのピストンのように上がったり下がったりして、カルシウムを結合したり押し出したりしているわけです。一方、M6へリックスは部分的に90°近く回転していることも分かりました。これはM5へリックスの傾斜運動と結びついており、M5へリックス自体はPドメインと一体となって動きます。Pドメインは他のへリックスとも連動していますから、分子全体の大きな動きが起こっているわけです。これは、Pドメインが燐酸化による制御を受け、Aドメインを介してゲートの開け閉めに関与していることを考えると、なるほどつじつまがあっています。
 立体構造を原子レベルで決める為には分子が整然と並んだ結晶が必要です。しかし、蛋白質はじっとしているわけではなく、普通の温度でもふらふら動いています。これを熱運動といい、温度が高くなれば動きも大きくなります。これは熱によるエネルギー(熱エネルギー)が大きくなるためです。イオンポンプは、このような熱エネルギーを巧みに使って、エネルギー効率をあげています。このことは同時に、蛋白質が普通の温度でも大きく動くことを意味しており、実際、カルシウムなしの状態ではカルシウムポンプは不安定で、強力な阻害剤であるタプシガーギンを加えないと急速に失活してしまいます。カルシウムがあるときには、結合したカルシウムが膜貫通へリックスを固定するため、安定になります。本質的には、熱運動でここに紹介したような大きな運動が起こるわけです。従って、せっかく運んだカルシウムが漏れ出さないように、また膜貫通へリックスが飛び出さないようにするために、細胞質ドメインが寄り集まって運動を制限しているのでしょう。また、無駄にATPを消費しないように、つまり、分解反応が起こらないように反応サイトから離しておくために、寄り集まって動かないようにしているとも考えられます。

図2. 膜貫通部分に関し、カルシウムの結合時(紫色)と非結合時(緑色)の構造を重ね合わせたもの。

図2. 膜貫通部分に関し、カルシウムの結合時(紫色)と非結合時(緑色)の構造を重ね合わせたもの。

表紙図とは反対の向きから見ています。へリックスには番号をつけてあり、カルシウムが外れるときの運動の向きを点線の矢印で示しています。二重丸はM5へリックスの傾斜運動の支点となっている部分を示しています。

ポンプ蛋白質の構造決定と将来

 このように、二つの状態の立体構造を比較することにより、ポンプ蛋白質が極微スケール(大きさ14ナノメートル)の手押しポンプのようにしてカルシウムイオンを運搬していることが分かった(図3)のですが、同時にこのポンプの強力な阻害剤であるタプシガーギンの結合様式が判明し、膜蛋白質を標的とする薬物のデザインに関して重要な指針が得られました。さらに本研究で得られた構造から、心筋でこのポンプを調節しているフォスフォランバンの結合様式も予測できたため、ある種の心筋梗塞の治療薬の開発に結びつく可能性も出てきました。私たちは、すでに発表した二つの状態以外の状態の結晶化にも成功しているので、イオンポンプの輸送機構の全貌を原子構造に基づいて解明できるのは近い将来のことと考えています。

図3. カルシウム結合部位の構造変化

図3. カルシウム結合部位の構造変化


用語解説

カルシウムポンプ
カルシウムイオンを濃度勾配に逆らってATP(アデノシン三燐酸)のエネルギーを使って運搬するポンプ蛋白質。

ポンプ蛋白質
光エネルギーや化学エネルギーを使い、生体膜を横切るイオンの能動輸送をおこなう酵素(膜蛋白質)の総称。これらの酵素がつくるイオン勾配は、共輸送や対向輸送などによって二次的に使用されるので、一次性能動輸送系とも呼ばれます。

アデノシン三燐酸(ATP)
人の身体運動は、全て骨格筋の活動によります。筋活動の為のエネルギーは筋中に蓄えられているアデノシン三燐酸が利用され、これが分解してADP(アデノシン二燐酸)と燐酸に分解される時に放出される大きなエネルギーが筋肉を動かします。

膜蛋白質
生体膜に存在する蛋白質の総称。特に、生体膜の表面に付着しているものを膜表在性蛋白質、内部に埋もれているものを膜内在性蛋白質と呼びます。内在性蛋白質では疎水性アミノ酸の含有率が高く、界面活性剤で可溶化されます。

フォスフォランバン
52のアミノ酸残基からなる膜貫通蛋白質。主に心筋に存在し、心筋小胞体のカルシウムポンプを制御。心臓疾患のターゲット分子として注目されています。