新しいナノサイエンス ─ 酸素分子を一列に並べる ─
京都大学大学院工学研究科 合成・生物化学専攻
博士後期課程 松田 亮太郎
教授 北川 進
1.多孔性配位高分子とは
「配位高分子」とは、遷移金属イオン(周期表の3族から12族までの約30種の金属元素)と、それを連結する有機配位子(金属カチオンと結合する有機分子)によって構成される結晶性の固体です(図1)。一般に、配位高分子を合成することは簡単で、多くの場合は、室温・常圧下で(水熱合成等の例外もあります)金属カチオン(金属原子が電子を失って陽イオンとなったもの)と配位子の溶液を“まぜるだけ”でできてしまいます(自己集合現象)。一方、その合成の単純さに対して、できてくるものは多彩で、金属イオンと有機配位子との種類及び組み合わせを適当に選択することで、望みの骨格構造を設計することができ、また結晶性の固体であることからその骨格構造は非常に均一です。(1)合成のたやすさ、(2)骨格構造の設計性の高さ、(3)骨格構造の均一さ、という優れた特徴を有する配位高分子は近年大きな注目を集めつつあります。特に骨格中にナノサイズの空間を持っているものは「多孔性配位高分子」とよばれ、超臨界ガスであるメタン大量貯蔵など、ナノ空間の持つ機能性に注目が集まるようになってきました。今回は、このナノサイズチャンネルを持つ多孔性配位高分子を用いて、酸素分子のような小分子を一次元に一気にボトムアップ構築できた成果を報告します。[3]
2.ナノ空間の特異性
酸素分子は磁性を示すもっとも小さい安定分子の一つであり、それを思いのままに配列させ集合構造を形成させることができれば、磁気物性研究に大きな進歩をもたらすと考えられます。しかし弱いファンデルワールス力(不対電子を持たない中性分子間ではたらく引力)のみが働く単純な酸素分子を配列させることが難しいことは容易に想像できます。そこで私達が注目した方法は、多孔性配位高分子のナノ空間に酸素分子を導入する方法です。多孔性配位高分子の作るナノ孔は分子サイズの数倍程度の大きさであり、その中に入った分子はすぐそばにある壁から強い相互作用を受けることになります。ファンデルワールス力は、数kcal/mol程度であり、共有結合やイオン結合に比べ格段に弱い相互作用ではありますが、ナノ孔中では、相対する細孔壁のポテンシャルが重なり合い、ファンデルワールス力であっても熱エネルギーに対して無視できない大きさとなります。このようなナノ孔中に酸素分子を導入すれば、酸素分子を特異的に凝集させ、配列させられると期待しました。
3.どうやって構造を決めたのか?
私達が今回用いたのは、図2に示した均一な4x6Å(オングストローム:1000万分の1mm)の1次元細孔を持つ多孔性配位高分子で、CPL-1と呼ばれる物質です([Cu2(pzdc)2pyz]n,pzdc:pyrazine-2,3-dicarboxylate, pyz:pyrazine)。[4]
一般に、構造解析は単結晶を用いて行われることが多く、粉末結晶による構造解析は単純な無機物などに限られていました。しかし、粉末X線回折は、(1)試料の合成が単結晶よりも容易、(2)高温、高圧等の単結晶が壊れてしまうような条件でも測定が可能、(3)吸収および消衰効果の影響を受けにくい、などの独自の利点を有しています。今回、SPring-8(BL02B2)の高輝度で指向性の強い光を用いて粉末X線回折測定を行いました。図3に、約80kPa(キロパスカル:圧力単位で、約10万Paが1気圧)の酸素圧下においたCPL-1を冷却しながら粉末X線回析パターンの測定を行った結果を示します。130K(ケルビン:絶対温度の単位)まで冷却した際に、酸素分子の吸着による回折パターンの変化が観測され、この回折パターンを解析し、吸着した酸素分子の構造を決定しました。
4.酸素分子の構造と性質
表紙図に90Kにおける吸着した酸素分子の結晶構造を示します。酸素は、細孔中に2分子並行に配列しており、それらが細孔方向に沿って1次元に整列して均一な1次元ラダー構造を形成していることが明らかとなりました。また、130Kにおいても解析を行い、吸着した酸素分子が同様の1次元ラダー構造をとっていることもわかりました。このように酸素分子の位置をきちんと決めることができたことは何を意味するのでしょうか?これは“酸素分子が細孔中で固体に近い状態をとっている”ということに他なりません。バルクの酸素は常圧下において、54.4Kで初めて固体となりますが、ナノ空間中ではそれよりも低い圧力(80kPa)で、さらに80K近くも高温で固体に近い状態をとっているということは驚くべきことです。また、酸素分子がホストの周期性にあうようにはまりこんで吸着していることも、固体様の状態を取っている事の重要なポイントです。
次にCPL-1に吸着した酸素分子の性質について示します。表紙図に示したように、CPL-1に吸着した酸素分子は、平行に配列した酸素2分子が細孔方向に整列した1次元ラダー(はしご)構造をとっています。最近接の酸素分子間の距離は、平行に配列した酸素分子同士であり、距離が約3.2Åと非常に近くなっています。このため、この酸素分子ラダ−の基底状態は非磁性となり、反強磁性ダイマーの形成を強く示唆する結果でありました(図4)。また、吸着した酸素分子の伸縮振動のラマン散乱は、1561cm-1付近にピークが見られ、固体バルク酸素(1552cm-1)よりも高波数側にシフトしていることが明らかとなりました。この値は2万気圧下における固体バルク酸素(80K)と同程度の値であり、このラダ−構造は1気圧以下で生成させたことを考えると驚異的な値です。
5.気体集積のサイエンス
この様に、ナノ孔中に取り込まれた酸素分子は、バルク状態では決して安定に存在することができない特異的集合構造を形成し、かつバルクとは異なった磁気的、分光学的性質を示すことが明らかとなりました。今後、種々様々な骨格構造を持つ多孔性配位高分子のナノ空間を分子凝集場として利用することによって、気体分子を核とした新たな材料群の創製にもつながる可能性があります。SPring-8の施設が材料科学の発展に大いに貢献する分野で、私達はこの学問分野を「気体集積科学」と命名し「新しいナノサイエンス」としての発展を期待しています。
用語解説
●ボトムアップ構築
構成単位である分子、イオンを自己集合の現象を利用して、エネルギー的に一番安定な構造体にくみ上げる手法。
●ホストの周期性
ゲスト分子を収容するホスト構造体は一定の大きさの容器が規則正しく繰り返しならべられたような構造(これを結晶構造という)をしています。この繰り返し単位を周期といいます。
●固体バルク酸素
酸素分子を冷やして固体としたもの。約−220°Cから固体となります。ただし、冷やしていくにつれて3つの構造の異なる状態をとります。
参考文献 |