考古美術品の失われた過去をSPring-8で取り戻す バイメタル剣から見えた鉄器時代移行期の鉄利用
考古美術品の失われた過去をSPring-8で取り戻す バイメタル剣から見えた鉄器時代移行期の鉄利用
青銅剣の中から発見された鉄の意味とは
岡山市立オリエント美術館の学芸員である四角隆二さんは、理化学分析を積極的に取り入れて考古美術品を用いた研究を行っています。その中のひとつが、柄の部分に鉄芯が埋め込まれた「鉄芯青銅剣」の研究です。研究の始まりは、2001年に、同館の学芸員が青銅剣に茶色の錆が付着しているのを発見したことです。不審に思って磁石を近づけてみると中に鉄が入っていることが判明しました。さらに磁石を使って調べてみると、鉄芯の入った青銅剣は他の機関の所蔵品からも複数見つかりました。
「当時、この発見は非常に話題になりました。これらの剣は人類史における鉄利用先進地域の一つと考えられているイラン北部出土と伝えられていました。考古学では2種類の異種金属を組み合わせた金属製品を『バイメタル』と呼びますが、この鉄の刃と青銅柄が組み合せられた『バイメタル剣』(図1上)は半世紀以上前から知られており、金属器生産技術が青銅器時代から鉄器時代へ移り変わる様子を反映していると考えられるからです。しかしながら、『鉄芯青銅剣』(図1下)については、新たに普及しはじめた鉄をなぜ青銅でくるんで隠したのか、研究者の間でも謎でした。金属利用の転換期にあって、新たに実用化された鉄を入手できるのは権力者の証です。赤銅色の銅剣とは異なる銀色に輝く鉄剣は目立ちますから、威信財にもとめられる視覚的効果は抜群のはず。あるいは、刃物には向かないやわらかい鉄だった可能性もあります」
四角さんが説明するように学術的に非常に興味深い遺物であるにもかかわらず、研究はなかなか進んでいませんでした。イラン北部由来と伝えられる古物は、大英博物館やルーブル美術館など、世界中の博物館に所蔵されていますが、そのほとんどは「誰がどこでどのような状態で発掘したのか」という考古学情報を失った“考古美術品”であり、“考古資料”ではありません。そのため、「人類の鉄利用開始の謎を紐解く鍵になるのではないか」と期待されながら、研究は放置されてきたのです。
破壊して内部構造を見ることができたら、製作技法や成分などの新たな情報を得られるかもしれません。しかし、収蔵品に変化を与えず後世に伝えるのが、博物館や美術館の務めです。X線を用いれば非破壊で内部を見ることはできますが、美術品は厚みも大きさもあり、特に銅は比重が大きいため、通常のX線では内部の鮮明な画像を撮ることができません。
そこで四角さんは、「SPring-8の高エネルギー放射光を用いれば、破壊することなくバイメタル剣の内部構造を調べられるのではないか」と考えました。すでにSPring-8の放射光を用いて来歴を失った古代ガラスの化学組成を分析する研究を行っていた四角さんは、SPring-8を活用すれば、考古美術品の新たな情報を得られるという確信がありました。
図1 イラン北部出土のバイメタル剣(上、大原美術館所)と
岡山市立オリエント美術館で見つかった「鉄芯青銅剣」(下)
SPring-8で得られた世界初のバイメタル剣の鮮明画像
まず四角さんは、オリエント美術館収蔵の剣の2次元の透過像を撮りました。用いたビームラインはBL08Wです(図2)。次に、ビームラインBL28B2を用い、200 keVという高エネルギーのX線と0.015 mmの分解能で資料の三次元CT撮影を行いました(図3)。形も長さも1つ1つ違う美術品を測定するには時間がかかり、最初の頃は長さ15センチの柄の撮影に20時間もかかっていました。四角さんはイラン以外で所蔵される唯一の考古資料バイメタル剣(東京大学総合研究博物館所蔵)を含め、約50振の剣を5年がかりで測定し続けました。これだけの年月が必要だった理由としては、参照すべき先行研究が全くないことや、製作技法に個体差が大きく考古学的な解釈に手間取ったことが挙げられます。
図2 岡山市立オリエント美術館所蔵のバイメタル剣(上)とBL08Wで測定した柄の部分の2次元画像(下)。
柄の部分は3つの層が見えるが、中央の層が鉄。鍔の部分にも鉄が及んでいることがわかる。
図3 SPring-8 BL28B2での測定の様子。資料を180度回転させながらCT画像を取得し、
1800枚の画像をソフトで3次元に再構成する。
なぜ、鉄剣に青銅の柄を取り付ける必要があったのか。その理由を四角さんは次のように説明します。
「新たに普及し始めた鉄の所持は、集団の中での優位性を誇示する威信財として機能したと考えられます。当時の鉄の成形には、金属をたたくことによって成形する『鍛造』技術が用いられていましたが、鍛造では強靭な刃は作れても装飾性の高い柄を作るのは困難です。一方、旧来の青銅は型に流し込む『鋳造』で加工されており、優美な造形が可能です。それまで骨製や木製だった柄の形状を模倣するには、鉄ではなく青銅で作る必要があったのでしょう」
四角さんの研究結果は、鉄芯青銅剣の存在を否定する結果になりました。ただし、そこで終わりではありません。SPring-8で鮮明な画像を得られたことで、興味深い発見がありました。青銅器時代から鉄器時代移行期の冶金技術の変遷が見えてきたのです。
「これらのバイメタル剣は2種類の金属製品をただ差し込んで組み合わせたのではなく、溶かした青銅で鉄をくるむ『鋳ぐるみ』という、より高度な技術で作られたことがわかりました。鋳ぐるみを行うためには、柄の内部を貫く剣の尻尾のような部位が必要になります。この尻尾を茎(なかご)と呼びますが、短い茎に別の鉄棒を取り付け延長された例もありました。さらに、柄を装飾する『柄頭』(図4左)を先に作って鉄刃に固定し、型の中に青銅を流しこんで柄を作る世界最古の『インサートキャスティング』といえる方法が用いられていることもわかりました」
図4 世界最古のインサートキャスティングの事例と思われる耳形柄頭剣(左上)の作り方の模式図(左下)、
BL28B2で測定した柄の内部の3次元構築画像(右)。左下図で示した緑色の部分が柄頭。
「私たちが遺物として見ることができるのは、モノの最後の状態だけです。副葬されたモノはまさに『最終段階』の使われ方です。途中で違う状態で使われていたかもしれないと考えると、鉄剣の茎が延長されていることも説明できます。実際、短茎の剣には剣を木の柄に固定する目釘穴が穿孔されていたことから、青銅柄ではない時期があったことが示唆されます」
鉄器が普及し始める直前の紀元前15世紀頃には、青銅剣の柄を青銅で鋳ぐるみ加工していたと考えられています。鉄器移行期の人々は、剣の部分を青銅から鉄に置き換えることで、新たに入ってきた鉄を従来の青銅剣製作技術の中に取り込んでいったのでしょう。すでに確立された技術を応用できたことが、イラン北部におけるバイメタル剣の急速な出現と拡散につながったと四角さんは考えています。
SPring-8で解明した製作技法から当時の社会を知る
「博物館はいつ来ても同じものが同じ解説で並んでいると思っている人もいるかもしれませんが、資料固有の考古学情報が失われている例も多く、仕方がない面があります。しかし、そのような考古美術品の来歴を解き明かすことができれば、美術品としてだけでなく考古学的資料としての新たな価値が創出されます。また、考古学的にも貴重な情報を得ることができ、人類の歴史を描く地図の新たなピースが埋まります。このように考古学資料と美術品の間を結び付ける橋渡し研究をするのが学芸員の仕事だと考えています」
さらに、SPring-8によって鉄剣の製作技法を明らかにできたことは、考古学研究においても非常に意味があることだと四角さんは説明します。鉄がどこで使われ始めて、どのように広まっていったのかを考える重要な手がかりになるからです。
「目に見える手掛かりだけでは、だまされる可能性もあります。デザインだけを模倣して作ることもありますし、後世の人が手を加えることもあるからです。その点、製作技法というのは、人と人が接触しないと伝わりません。地理的な範囲も限られます。SPring-8の鮮明な画像によって製作技法が見えてくると、技法の系統や職人グループの分類なども可能になり、従来の型式学研究の成果と合わせて考古遺物の来歴もより追いかけやすくなるでしょう」
私たちは今、鉄器時代の最終段階に生きています。鉄は様々な形で生活を支え、文化を築いてきました。その鉄器時代がどのようにして始まったのかを知ることは、私たちの今を知り、未来を見据えるために非常に重要だと四角さんは考えています。
「私たちがどこから来てどこへ行こうとしているのか。それを知るためには2つの点が必要です。過去を知ることで未来に対する不安が払拭され、指針が見えてきます。今のような大きな変化がある時代にこそ、考古学はますます重要な研究だと考えています。今回確立したバイメタル剣の高分解能画像解析法を応用して、これからも科学の目で貴重な文化財を調べていきたいですね」
考古学というと文系の学問のイメージがありますが、四角さんはSPring-8を用いた分析を研究に取り入れるようになって、まさに求めていた研究ができるようになったと話します。
「昔から、目に見えるものよりも、何がそれを成立させているのかという背後にある仕組みや内部の構造に興味がありました。ねじ式の時計を見ると分解して中身を確かめたくなる子どもでした」
考古学遺物を高精度で内部の情報を分析できる現在の手法は、そんな四角さんにぴったりだといえます。このような研究ができることを、講演などで積極的に伝えているのも、考古学の可能性や魅力を幅広い人に届けたいからです。理系に進みたいけれど考古学にも興味があるため進路に悩んでいたという女子生徒が、四角さんの講演を聞いて、安心して理系のコースに進めるという感想をくれることもありました。
「私にはひとつ目標があります。それは、オリエント美術館を訪れたことを契機として学芸員や考古学者となる後進を生み出すこと。25年前、シリアでの発掘調査に参加した私に雷が落ちたかのような感動を覚えて研究者を志したように、参加者の心を動かすような教育普及活動をやっていきたいです」
オリエント美術館は現在、大規模改修工事中です。リニューアルオープンした美術館がどんな展示で出迎えてくれるのか、今からその日が楽しみです。
20代の頃、初めて調査に参加した四角さん(写真中央)
文:チーム・パスカル 寒竹 泉美
この記事は、岡山市立オリエント美術館 副主査学芸員 四角 隆二さんにインタビューして構成しました。