タンパク質は体の中でどのように動いて機能を発揮しているのか SPring-8を用いて1分子の高速運動を明らかにする
タンパク質は体の中でどのように動いて機能を発揮しているのか SPring-8を用いて1分子の高速運動を明らかにする
生命活動を支えるタンパク質の動きをSPring-8でとらえる
人間の体は生命を維持するために、多様な機能をもっています。外の環境に反応して複雑な動きを実行したり、食物を消化してエネルギーに変えたり、体験を記憶したり、体の中に入ってきた病原体と戦ったりと、バラエティに富んだ活動が体の中で行われているのです。これらの複雑な機能を担っているのは、多種多様な無数のタンパク質です。タンパク質は生命活動の維持に欠かせない「精密部品」です。人間社会がさまざまな職業の人たちで成立しているように、人間の体も、さまざまなタンパク質が適切な位置で、適切に動くことで、生命活動が成り立っているのです。
東京大学大学院新領域創成科学研究科の佐々木裕次さんは、1998年にSPring-8のビームラインを使って1つの分子の動きをリアルタイムで計測できる「X線1分子追跡法(DiffractedX-ray Tracking: DXT)」を開発しました。以来、DXTを用いて、タンパク質の機能に関わる動きを次々と明らかにしてきました。1つの分子を観測する方法はこれまでもいくつか存在していましたが、その多くは蛍光ラベルなどを用いた可視光による計測です。可視光より波長が短くSPring-8の高輝度なX線を用いるDXTは、ナノスケールのサイズのものの動きを1秒の100万分の1である1マイクロ秒単位で計測できます。このように小さい分子の素早い動きを観測できると、どういうことがわかるのでしょうか。佐々木さんは次のように説明します。
「タンパク質というのは細胞の中でダイナミックに動き、構造も変化しています。そして構造が変化することで機能を発揮するのです。これまで、タンパク質の結晶構造の解析や、細胞内での分布の研究は行われてきましたが、タンパク質の機能に関わるマイクロ秒オーダーの動きを正確に計測した研究は全くありませんでした。タンパク質が体の中でどのように働いているのか、それを正確に理解するためには動きを知ることが欠かせないのです」
タンパク質の機能が解明されると、生命の神秘がまたひとつ解き明かされます。また、多くの病気はタンパク質がうまく働かないことによって起こるため、働き方を解明できれば、新たな治療法や新薬の開発にもつながります。
金ナノ結晶でタンパク質をラベルする
では、どうやってX線でタンパク質の動きを見るのでしょうか。DXTには2つのポイントがあります。1つ目のポイントは、見たい分子を金ナノ結晶でラベルすることです。X線の波長は短いため原子と原子の間を通り抜けます。ただし、原子核の周りにあるさらに小さい電子には当たって跳ね返ったり散乱したりします。佐々木さんが観測しようとしている溶液中のタンパク質は結晶化しない状態では電子密度が低いため、X線はすり抜けてしまいますが、電子密度が高い金の結晶でラベルしておけば、X線が電子に当たって進む方向を変える「回折」という現象を観察できます。
DXTは、ナノサイズの金結晶を結合させたタンパク質が構造変化を“起こす前”から“起こした後”の回折パターンを比較することで、“どのように”タンパク質が動いたのかを知る方法なのです。
「タンパク質もナノサイズですから、同じくらいの大きさの金ナノ結晶がラベルとしてくっついている状態になりますが、ラベルのせいで動きが変わらないことは、金ナノ結晶のサイズを変えた定量的な実験で確認しています。もちろん、ラベルがない状態で観測できればいいのですが、その場合X線の強度を上げる必要が出てきて、そうするとタンパク質が壊れてしまいます」
実験に用いる金ナノ結晶は、佐々木さんが自ら作製しています。塩化カリウムの単結晶基板に金粒子を付着させ、20-80 nm程度に成長させ、その後、基板から外し、金ナノ結晶同士が溶液中で凝集しないような表面処理を行います。できあがった金ナノ結晶は、アミノ酸のメチオニンもしくはシステインと結合しやすい性質を持っています。そのため、実験するタンパク質の観察したい部位にこれらのアミノ酸があればその場所をラベルできます。なければメチオニンやシステインなどのアミノ酸を人工的に挿入した組換えタンパク質を作って、ラベルします。実験手法は論文に公開していますが、ところどころ細かいコツが必要で、世界でもDXTのラベル用金ナノ結晶を作製できる人は、佐々木さんの他にはいないそうです。
エネルギー幅の広いX線で動態をとらえる
DXTの2つ目のポイントは、SPring-8の高フラックスビームライン・BL40XUを用いることです。BL40XUは分光器を用いず、エネルギー幅の広い高輝度なX線を利用できるビームラインです。タンパク質へのダメージを最小限に抑え、高い精度で測定するためにはSPring-8の利用が欠かせません。
「実験室にある通常のX線装置だと、数百秒から分程度の遅い運動しか観測できません。SPring-8の場合は、マイクロ秒単位の観測や、うまくやればナノ秒単位の観測も可能です。タンパク質の動きを観測するのに一番面白いのはマイクロ秒レベルの観測です。たとえば、細胞内でタンパク質の形を作る手伝いをするシャペロニンを観測したときは、最初に構造変化が起きたあとに全体をねじるようにしてふたを閉じるという複雑な動きがわかりました」他にも佐々木さんは、細胞同士の情報伝達を担う「アセチルコリンレセプター」が信号を受け取ったときに構造を変える様子も突き止めました。また、タンパク質分子が異常に凝集する現象がどのように起こるのかも世界で初めて観察しました。タンパク質分子の異常凝集は、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経系疾患だけでなく、II型糖尿病などの内分泌疾患など、さまざまな病気の原因になっていることがわかっています。この凝集プロセスを防ぐことができれば、新しい治療戦略となるでしょう。
佐々木さんのもとには他の研究者から共同研究の依頼が続々と来ます。自分の研究しているタンパク質が、細胞内でどう動いているのか、それを見ることができるDXT計測は、研究者にとって非常に魅力的な手法なのです。しかし、1つのタンパク質の動きを解析するのに「長いもので7年かかったこともある」と佐々木さんは話します。
「7年というのは私の中で最長記録です。解析するタンパク質の種類にもよりますし、共同研究者のこだわりでも変わってきます。実験は1つのタンパク質に対して100個ほどサンプルを用意して、6時間かけて測定します。3日間、SPring-8にこもって、5-10種類くらいは測定します。その後、データ解析に1ヵ月かかり、うまくいってなければやり直し。年に5回はSPring-8に通っています」
生きている生物や工学研究にも応用
現在、佐々木さんは、DXTをタンパク質の観測以外にも応用しています。たとえば、培養細胞や、線虫やクマムシなどの生物の体内物質の動きも生きたまま観測可能になりました。また工学系の材料研究にも応用が可能になっています。さらには、実験室レベルのX線装置で計測可能な「Diffracted X-ray Blinking: DXB」という手法も開発しました。SPring-8のビームラインBL40XUのX線は、エネルギー幅が広いため分子の動きを追いかける(=Tracking)ことができますが、実験室レベルのX線装置は、エネルギー幅の狭い単色光のため、狭い隙間から覗き見ることしかできません。つまり、その狭い瞬き(=Blinking)の間の動きを観測する方法です。 「SPring-8の放射光の輝度は実験室の装置の10億倍ですから、それに比べると見えるものは限られています。ですが、動きの方向性と速度は知ることができるので、予備的な実験としては十分に役に立つと考えています。」
DXT誕生から24年。観測対象も観測方法も大きく広がりました。佐々木さんの研究活動の勢いは止まりません。現在は、新型コロナウイルスが細胞内に取り込まれる仕組みについても研究しているそうです。体の中で懸命に働いている小さなタンパク質の姿が見えてきたら、病気や生命に対するイメージも変わってくるかもしれません。
図1 DXTの仕組みの模式図。ラベルしたタンパク質の構造が変わると、金ナノ結晶の角度が変わり、X線の回折パターンが変化する。
図2 DXTで観測したシャペロニンの動き。ATPが結合するとふたの一部が閉まり始め、反時計回りに回転しながら閉じ、時計回りに回転して開く。
佐々木さんとSPring-8はどのようにして出会ったのでしょうか。
「SPring-8が建設された当初、私はSPring-8を利用する気はありませんでした。学生時代に所属していた研究室の教授が、放射光が大嫌いで、『あんなでかい装置を使わないとできない実験はサイエンスじゃない』なんて言っていたのです。若い頃の私は、研究室のX線や電子顕微鏡を使ってできる実験だけを行っていました」
ところが、大学院修了後に就職した日立製作所の基礎研究所で、高エネルギー加速器研究機構(KEK)放射光実験施設Photon Factoryを利用する機会があり、放射光の面白さに目覚めました。1997年にSPring-8の利用が開始されたときは、できたばかりということもあって、佐々木さんは様子をうかがっていました。しかし、佐々木さんの当時の上司は「どうせ実験するなら、『新車』の方がいいに決まってるじゃないか」とSPring-8の利用をさっそく開始したのです。
「私もその上司のあとを追いかけてSPring-8まで来ました」と笑って話す佐々木さんは、その後、高輝度光科学研究センター(JASRI, SPring-8)の研究員になりました。SPring-8を利用して多くの成果を出したのち、大阪大学蛋白質研究所の客員教授などを経て、2008年から現職についています。
今後の展望について尋ねると、佐々木さんは「文章を書くのが好きなので、科学の面白さを伝えることも是非やっていきたいですね」と答えてくれました。高校生に対して行う出前講義も楽しんでいるという佐々木さんから、いったいどんな本が生まれるのか楽しみです。
佐々木さんの研究室がある東京大学柏IIキャンパスにて
(東京大学新領域創成科学研究科 基盤科学研究系物質系専攻 佐々木研究室HPより
https://www.k.u-tokyo.ac.jp/materials/sasaki/index.html)
文:チーム・パスカル 寒竹 泉美
この記事は、東京大学新領域創成科学研究科 基盤科学研究系物質系専攻 佐々木 裕次さんにインタビューして構成しました。