大型放射光施設 SPring-8

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精子に取り込まれたごく微量の“環境ホルモン※”を見つける~微量スズの検出に世界で初めて成功~

放射線医学総合研究所
武田 志乃

はじめに

 環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)とは、生体の恒常性の維持、生殖、発生、あるいは行動に関する種々の生体内ホルモンの合成、貯蔵、分泌、生体内輸送、結合、そしてそのホルモン作用そのものなどの諸過程を阻害する性質を持つ外来性の物質をいいます(内分泌障害性化学物質に関するスミソニアン・ワークショップでの定義)。近年、船底塗料や魚網防汚剤に混ぜたトリブチルスズやトリフェニルスズなどの有機スズ化合物による海洋汚染が世界的に広まり、汚染食品を介しての摂取やその環境ホルモン様作用に社会的関心が集まっています。ところがスズは一般的な分析法では感度の高い分析が困難な元素であります。そのため、これまで生殖器におけるスズの挙動に関する研究はほとんどなされておらず、詳細なしくみは不明のまま残されていました。我々は、SPring-8の放射光を使った蛍光X線分析が新たな研究戦術になるのでは、と考え、組織中の微量スズ(数百 ppb〜数 ppm(ppb:10億分の1、ppm:百万分の1))の分析に取り組みました。

微小ビーム蛍光X線分析

 SPring-8が発する高輝度でシャープなビーム(ビーム径:数マイクロメートル(1/100 mm))を試料に当て発生する蛍光X線を検出・解析することにより、試料を破壊することなく組織の状態のまま個々の細胞の元素情報を得ることができます。これまで微小ビーム蛍光X線分析*は20 keV以下のエネルギー領域を主体に整備が進められてきました。この領域内でK線*あるいはL線*の蛍光X線を検出すれば大部分の元素分析をカバーできるという立場からです。しかしながら低いエネルギーのX線では、スズなどの元素は生体中に多量に存在するカリウムやカルシウムなどの影響に埋没してしまうため測定できません。これを克服するために、高いエネルギーのX線を用いたK線の蛍光X線分析が望まれてきました。
 昨年、SPring-8の分光分析ビームライン(BL37XU)が整備されたことで、微小ビームで、かつスズのK線を利用した蛍光X線分析が可能となりました。
 精巣は複数の種類の細胞から構成される精細管が集合した複雑な構造をしています(図1)。精細管上皮には外側から精原細胞、精母細胞、精子細胞が配列し(図2)、系統だった分裂・分化を経て精子形成が行われています。生殖細胞の種類や成長段階によりストレスに対する感受性が異なることから、精巣内でのスズの挙動を把握するためには、精子に照準を合わせて微小ビームを照射してスズのK線を測定することが不可欠でした。

図1. 精巣の構造

図1. 精巣の構造

精巣は精細管の集合体で、図の断面図で1つ1つの大きな固まりが精細管である。精細管上皮には生殖細胞が系統だって配列している。

図2. 細胞選択的測定

図2. 細胞選択的測定

精細管をドーナツにたとえると、ちょうど中央の穴の縁の部分に精子が配列している(上記の図では、精細管の外側から精原細胞(長楕円)、精母細胞(丸、大小)、精子細胞(小楕円)、そして黒っぽくおたまじゃくしの形をしたのが精子)。微小ビームを精子に照射し、発生するスズの蛍光X線(Kα)を検出。

精子細胞にだけ照射して測定する方法

 精巣内での精子形成最終段階の精細管(図2)は、中央に完成した精子が凝集して筋のように見えます。この精子に正確に照準を合わせる手法を確立して、ラット精巣における細胞選択的な測定を行いました。すなわち、精子には亜鉛が濃集していることを利用し、亜鉛の分布図から正確に精子の位置を割り出し、この部分の精子にビームを照射してスズの検出をしました。これによりトリブチルスズの投与後4日目にはスズが精子に移行していることが明らかとなりました。

図3. ラット精子中スズの検出

図3. ラット精子中スズの検出

精巣切片測定試料(A)の狙った精子(矢印)にビームを照射した時の蛍光X線スペクトル(B)。

今後の展開

 このような成果が有機スズ化合物の継世代影響や生殖毒性、予防研究の手立てとなることを期待します。また、同じエネルギー領域に含まれる元素(ウラン、セシウム、カドミウム、モリブデン等)にも応用し、これまで不明瞭であった組織・細胞内挙動の解明につなげたいと思います。

参考文献

Homma-Takeda S., Nishimura Y., Terada Y., Ueno S., Watanabe Y.,Yukawa M., “Tin accumulation in spermatozoa of the rats exposed to tributyltinchloride by synchrotron radiation X-ray fluorescence (SR-XRF)analysis with microprobe”, Nuclear Instruments and Methods in PhysicsResearch B 231, 333-337 (2005).

用語解説

K線、L線、特性X線
原子核の周りを運動する電子の軌道は内側からK、L、M、N殻と名付けられ、内側ほどエネルギー準位は低い。物質にX線を照射して内側軌道の電子がはじき出され、その空の軌道に外側の軌道から電子が移ってくると、両軌道のエネルギー差に相当する蛍光X線が放出される。K殻の空軌道に起因した蛍光X線をK線、L殻によるものをL線と呼び、いずれも元素に固有のエネルギーを持つため、これらを特性(固有)X線と呼ぶ。

蛍光X線分析
上記のような原理から、物質から生じた蛍光X線のエネルギー(波長)と強度を測定することにより、物質に含まれる元素の種類と量を知ることができる。


※「環境ホルモン」の表記について
学術的には「内分泌かく乱化学物質」とよばれていますが、日本では一般に「環境ホルモン」として知られていることもあり、今回の記事では「環境ホルモン」という表現を使用しています。