SPring-8が見つけた誘電体の新しい原理
私たちの暮らしを支える誘電体
携帯電話、テレビや冷蔵庫のような家電、自動車など、今やあらゆる機器に集積回路(ICやLSI)が入っています。集積回路は、電気信号を処理して、機器を環境に合わせてコントロールしたり、他の機器と繋げたりしています。このような働きを担う大本は、電子チップにつくり込まれた微小なトランジスターやコンデンサーや抵抗などです。トランジスターは信号のオンオフを、コンデンサーは信号の反転を、抵抗は信号の制限や電圧の制御などを行い、これらのさまざまな組み合わせで、メモリーや演算などの機能を実現しています。トランジスターは半導体で作りますが、コンデンサーには誘電体が使われています。
誘電体は磁性体によく似ています。鉄などの磁性体を磁場の中に置くと、N極とS極の偏りが生じますが、誘電体を電場の中に置くと、陽極と陰極の偏りが生じます。プラスチックやセラミックス、油や純水などは誘電体で、基本的には絶縁性です。
磁性の源は電子のスピン(角運動量)です。一方、誘電性の源は、陽イオンと陰イオンの並び方にあるとされてきました。陽イオンの並びの重心と陰イオンの並びの重心とがずれていると、微小な領域では正電荷と負電荷の偏りで「電気双極子」(正極と負極からなる微小磁石のようなもの)が生じます(図1)。電場のないときは、いろいろな向きの電気双極子が生じているので、物質全体としては電気的に中性です。しかし、外から電場を与えると、電気双極子の向きが電場に沿うようになり、物質全体として陽極と陰極の偏りが生じます。
図1. 今までの強誘電体の原理
負電荷イオンの重心に対して、正イオン(黄色)の重心が一致しない。正イオン(黄色)が移動することにより電気双極子になる。
RFe2O4の高い誘電率の源は?
昨年、SPring-8を使った共鳴 X線散乱*法の実験で、誘電体の源がイオンの並び方ではなく、電子の並び方によるという新しい現象が見出されました。発見したのは岡山大学理学部物理学科の池田直教授(当時は高輝度光科学研究センター 主幹研究員)、対象となった物質はRFe2O4という化学式で表し、希土類(R)*を含む鉄の酸化物です(図2)。
1970年代の半ばに東京工業大学のグループがつくり出したこの物質では、鉄の2価(Fe2+)と3 価(Fe3+)が入り混じっています。 80年代に磁性体として注目され、当時博士課程にいた池田教授も恩師から磁性体としての研究を勧められました。
「その時、誘電体としてはどうなのだろうか?という疑問が、なぜかふと湧いたのです」。測定してみたところ、なんと比誘電率の値が(真空の誘電率に対する比)10万と非常に高い値を示しました。
「面白い結果でしたが、困りました。陽イオンの鉄と陰イオンの酸素の並び方では、高い誘電率を説明しきれません」
実は、池田教授の頭の中には、 90年代の始めにはすでに、鉄の2価と3価の電子の並び方で誘電体になるというシナリオができていました。しかし、これを確かめる手法が見出せず、学位論文には「新しいタイプの誘電体になる可能性がある」とのみ記しました。その後、ポスドク時代に、村上洋一東北大学教授(当時は高エネルギー加速器研究機構助教授)が開発した、放射光の特徴を利用した共鳴X線散乱で電子の軌道の秩序化や揺らぎを探る実験法を知り、「これが使える!」と確信しました。そして1998年に高輝度光科学研究センターの研究員となった後数年はビームラインの運営に追われていましたが、やがて念願のRFe2O4の電子構造を放射光による共鳴X線散乱法で解析する機会が巡ってきたのです。
図2. RFe2O4の結晶構造
三角格子と呼ばれる結晶構造をもち、原子が三角形に配置した層が積み重なって結晶をつくっている。緑:希土類原子 赤:鉄原子 青:酸素原子
正電荷の多い面と負電荷の多い面
「2価と3価の鉄の電子の並び方によってRFe2O4は誘電体となっている」と仮説を立てた池田教授は、次のような共鳴X線散乱実験を行いました。
物質のなかで原子が規則的に配列している面があるとブラッグ回折*がおこります。RFe2O4でもブラッグ回折が起こりますが、2価と3価の鉄の電子が規則的に配列しているかどうかは、すぐには区別できません。
一方、鉄の原子核の周りを回る電子は約7keVのエネルギーを吸収して外側の軌道へ移ります(共鳴遷移)。しかし、鉄の2価と3価では共鳴するエネルギーがわずかに違います。そこで、照射するX 線のエネルギーを少しずつ変えていきました。同時に、結晶の方向も少しずつずらし、ブラッグ回折の強度変化を調べていきました。その結果、7.113keVと7.120keV でブラック回折強度の異常な変化が生じたのです。
ブラッグ回折強度が2つの共鳴遷移のエネルギーで変化したということは、鉄の2価と3価は混ざっているのではなく、それぞれが規則的に配列し面をつくっていることを示しています。ブラッグ回折のデータを、RFe2O4の結晶構造に投影すると、3個の鉄からなる三角格子を単位とする面が2つあり、片方は鉄の3価の多い面(電子の薄い面)、もう片方は2価の多い面(電子の濃い面)となり、両面の間で電気双極子を生じていることが分かりました(図3)。
こうしてイオンではなく、電子の並び方によるという誘電体の新しい原理が確認され、2005年8 月25日付けのNatureにも掲載されました。「X線のエネルギーを連続的に細かく変えられる SPring-8あってこその成果」という池田教授は、今年4月に岡山大学に移った後もSPring-8を使って、さらに研究を進めたいと考えています。
図3. 今回判明した誘電体の新しい原理
Fe原子中の電子が移動(上図ではA面からB面)することにより電気双極子になる。
自己組織化は21世紀物性研究の要
今後の課題の一つは、新原理をもつ誘電体の応用面の研究です。集積回路中のコンデンサーはイオンが動くことで、信号を反転させていますが、これを電子が動く原理に変えれば、より小さい、より応答性の速い、より消費電力の低い、より耐久性のあるコンデンサーができると考えられます。
また、誘電体を使ったメモリー素子もいろいろと考えられていますが、小さくできないところが問題でした。小さくするとイオンが動きにくくなり、機能が十分に発揮できなくなるのです。電子が動く誘電材料にかえれば、この問題も解決でき、いずれはトランジスターを使ったDRAMやフラッシュメモリーなどに取ってかわるかもしれません。
課題のもう1つは、物性研究の新しい視点の追究です。誘電体の新原理は、2価あるいは3価の鉄原子1個から生じるものではなく、6個くらいの2価と3価の鉄原子が集まって生じます。
「電子でいえば何十個、何百個の電子が集まり、相互作用により電子の濃いところと薄いところという規則構造をつくり、誘電性という機能を生じています。つまり、電子の『自己組織化』によって機能が生まれています。そういう自己組織化のからくりを探るのが、今後の物性研究の重要な課題になると思っています」
約50年前に半導体を起点として新たな物性研究が始まったように、今、誘電体を起点とした21 世紀の物性研究が始まろうとしているようです。
取材・文:サイテック・コミュニケーションズ
用語解説
●共鳴X線散乱
放射光X線による回折実験手法の一つ。原子がもつ固有の共鳴エネルギーに一致するX線を入射し、原子を励起状態に保ちながら回折線の強度を調べる方法。これにより、その回折線の起源となる電子が規則配列を起こしているかどうかを調べることができる。
●希土類
スカンジウム(Sc)、イットリウム(Y)、ランタノイド(La〜Lu)の17元素を合わせて希土類元素(Rare earth elements)という。希土類元素は様々に応用され、特にネオジム(Nd:希土類元素の1つ)系磁石やレーザー材料、光通信装置などに用いられている。
●ブラッグ回折
X線が結晶の格子面にある角度で入射したときだけ、各格子面で散乱した光が干渉して強め合い結晶の特定の方位に強い信号が現れる事を回折という。この回折を生じる条件をブラッグ条件と呼び、結晶からの回折をブラッグ回折と呼ぶことがある。
この記事は、岡山大学理学部物理学科教授の池田直教授(成果発表当時、(財)高輝度光科学研究センター主幹研究員)にインタビューをして構成しました。