大型放射光施設 SPring-8

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蛍石の結晶の様子を映し出す

きれいに見えても

  無色透明のきれいな結晶があります(図1)。これは、光学レンズに用いられる蛍石《ほたるいし》(CaF2)の結晶です。無色に見えるということは、光があらゆる波長についてまんべんなく透過しているからで、光学レンズの材料として優秀と言えます。実際、蛍石はカメラの望遠レンズなどですでに使われています。
 しかし、これだけきれいに見える結晶も、中を細かく調べると、欠陥*があったり結晶格子に歪みがあったりと、完全な結晶ではないことがわかります(図2左下参照)。完全な結晶を作るのは非常に困難です。このような欠陥は光を微妙に曲げ、高い精密さを要求されるエレクトロニクスの用途などで問題となります。

図1. 蛍石の結晶

図1. 蛍石の結晶。

左の試料は直径100mm厚さ40mm。右の試料は直径30mm厚さ30mm。

石英ガラスから蛍石へ

 半導体の高集積化にともない、電子部品は日々微細化しています。それらを作る製造装置も、より小さな部品を作ることができるよう改良されてきました。
 例えば半導体露光装置(図3)。これは、回路パターンが描かれたレチクル(原画)にレーザー光を照射し、シリコンウエハ*に電子回路を焼き付ける装置です。装置の要であるレンズは、カメラのレンズに比べて非常に高い精度が必要とされます。このレンズの材料として一般的に広く用いられているのは石英ガラスです。
 これまで、露光装置のレーザー光の波長は、最も短いものでArFエキシマレーザーの193nm(1nm:ナノメートルは10億分の1メートル)。ところが、より細かい回路を焼き付ける手段の一つに、より波長の短いレーザー光を用いる方法があります。
 「石英ガラスは160nmより短い波長の光を吸収してしまうので、レーザー光の波長がそれより短くなるとレンズとして使えなくなります。そこで、130nmまで光を透過できる蛍石が、レンズ材料として重要になります。」と、キヤノン株式会社先端融合研究所の向出大平《むかいで・たいへい》氏は言います。

結晶の完全さと光学特性

 キヤノンでは、露光装置用蛍石レンズの開発が進められています。「私は、結晶の完全性の評価法について研究しています。蛍石の結晶の完全性と光学特性には相関があります。試作で得られた様々な蛍石の結晶を白色X線トポグラフィーにより測定し、結晶にどれくらい欠陥があるかを調べています。欠陥が少ないほど光学特性が良いことになります。」と向出氏。それにより、「どのような条件で作れば、最適な結晶が得られるかがわかるようになります。」
 白色X線トポグラフィーは、試料にX線を当て、その回折像*により試料内部の結晶欠陥を調べる非破壊の試験法です(図4)。「白色」とは、特定の波長のX線(単色X線)ではなく、様々な波長のX線が重ね合わさった、という意味です。

図2

図2.

(a)は検出器に投影された回折像で、回折条件を満たす複数の像が見えている。(b)、(c)、(d)は(a)の回折像の一つに着目して円形に加工した像で、数字は試料の上面からの距離を示している。このようなシート状の像を積み上げて三次元イメージ化したものが(e)である。

白色X線で蛍石の中をのぞく

 白色X線トポグラフィーによる結晶の測定は次のように行われます。融点1418℃の蛍石を約1500℃の炉で溶かして、ゆっくり冷やすことで試料となる蛍石の結晶を作ります。これにはキヤノンのノウハウが蓄積されています。
 その試料にX線を当てるのですが、通常の実験室で使われるX線ではエネルギーが低く強度も足りないため、表面から数ミリ程度の深さまでの情報しか得ることができません。そこで向出氏は、「SPring-8の白色X線回折ビームラインBL28B2で生成される白色X線を使いました。このビームラインから出る白色X線は非常に高いエネルギーまでを含んでおり、高強度で細く絞られているため、30mmの試料も透過して内部の情報を得ることができます。」と語りました。
 試料を透過した白色X線の回折光はデジタル型検出器(注)に入り、図2(a)のように、X線の波長と結晶の向きで回折条件が満たされた楕円形の像がいくつも投影されます。これが、白色X線を用いた効果です。単色X線だと回折条件を完全に一致させなければ像が得られないので条件合わせが大変ですが、白色X線であれば様々な波長のX線を同時に利用できるため容易に像が得られます。
 向出氏は、測定技術の進歩についても語ります。「以前は検出器としてイメージングプレートというカメラフィルムのようなものを使っていました。この場合、一度撮像する度にイメージングプレートを取り出し、別の装置を使って読み取る必要がありました。そのため、測定する度に実験を中断しなければなりませんでした。しかし、高輝度光科学研究センターの梶原堅太郎研究員が検出器の撮像と試料の移動を連動させるソフトウェアを開発してくれたおかげで撮像データを直接コンピュータに取り込めるようになり、実験の効率が格段に上がりました。」

図3

図3. 半導体露光装置。

光源、レンズ群、レチクルステージ、ウエハステージにより構成されている。レチクルステージとウエハステージを同期し、高速に移動させながら光源からの光を集光させウエハ上にパターニングする。要となるのは直径約30cmの巨大なレンズ(レンズの写真はキヤノンオプトロン株式会社提供)。

スライスして積み上げる

 では、どのように蛍石の内部の状態を調べるのでしょうか。「CCD検出器の場合、白色X線を高さ100μm(1μm:マイクロメートルは100万分の1メートル)のシート状に整形し、高さ方向に試料を移動させながら照射して試料全体を細かく測定しました。」「高さは薄いほどより細かく観察できるのですが、あまり薄すぎると全体を見るのに測定回数が膨大になり、試料を透過して検出されるX線の強度も弱くなります。1回の測定時間は検出するX線の強度によるので、全体の測定時間などを考えて、高さを100μmにしました。」と向出氏。「X線を薄く整形でき、それでも測定に十分な強度を得ることができる。それがSPring-8のすばらしいところです。」そしてスライスした1つ1つの結晶構造を積み上げた3次元イメージが、図2左下です。図1と比べてみて下さい。あれだけきれいに見えた蛍石の結晶も実はかなり不均質であることがわかります。
 結晶の不均質の要因はいくつもありますが、その中の1つが「粒界」です。蛍石はガラスと異なり原子が規則正しく並んだ結晶構造をもっています。結晶は、溶けた蛍石が固まる時にCa(カルシウム)原子とF(フッ素)原子が規則正しく並んで積み重なっていくことでできていくわけですが、積み上がる方向が異なる結晶同士の境界では原子の並びが乱れてしまいます。この、「結晶同士の境界」を粒界と呼んでいます。図2で鱗のように見える部分が粒界です。図1のように、肉眼ではまったく均質な蛍石の場合、ほとんどの結晶の積み上がる方向の違いは10分の1度未満ですが、数度を超えるような極端に悪い粒界は肉眼でも確認できる場合があります。
 また、一つ一つの結晶は比較的完全性の高いものですが、それでも原子の並びに乱れが残っていることがあり、この乱れが多いほど不均質になります。「レンズの仕様に応じ、半導体露光装置のように精密さが必要とされるものほど均質なものにしなければなりません。」と向出氏。

図4. 白色X線トポグラフィー装置

図4. 白色X線トポグラフィー装置。

左から白色X線が入射し、蛍石の試料を透過、右の検出器で回折光撮像する。

証拠をそろえて技術開発に生かす

 こうして、白色X線により蛍石の結晶の完全性を評価し、高精度レンズ材料の光学特性を調べることができるようになりました。「私の仕事は、レンズ開発の裏付けとなるデータを示すことです。」と向出氏は言います。
「なんとなく失敗した。よくわからないけど良い物ができた。」ではなく、証拠をそろえ、成功と失敗の理由を明らかにして、今の、そしてこれからの開発に生かす。その姿勢が先端技術を支えているのでしょう。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ

用語解説

●欠陥
規則正しい結晶格子の中にある配列の乱れや不純物原子の混在。格子欠陥。

●シリコンウエハ
ICチップの製造に使われるケイ素の結晶でできた薄い基板。

●回折像
X線などを結晶などに当てて得られる像。回折像から結晶構造の解析を行うことができる。


この記事は、キャノン株式会社 先端技術研究本部先端融合研究所 先端解析研究部先端解析第一研究室の向出大平氏にインタビューをして構成しました。