大型放射光施設 SPring-8

コンテンツへジャンプする
» ENGLISH
パーソナルツール
 

らせん状の数珠つなぎになって情報を伝えるタンパク質構造の発見

ウィント(Wnt)シグナル伝達系の仕組みを知る

 私たちの体はタンパク質でできています。しかしタンパク質は体を作るだけでなく、様々な役割を果たしています。なかでも重要なのが、「シグナル伝達」という役割です。細胞のなかでは「栄養状態が悪いから、増殖せずに省エネにつとめよう」とか「となりの細胞と一緒に働こう」といった、生命にとって大切な情報シグナルを、タンパク質が情報をリレーすることで伝えているのです。
 そしてこのシグナル伝達の仕組みに狂いが生じると細胞は暴走してしまい、無限に増え続けます。これが「がん細胞」という状態です。
 数あるシグナル伝達系のなかでも、「ウィント(Wnt)シグナル伝達系」は重要な役割を果たしています。この伝達系の異常は、大腸がんや肝臓がんをひきおこします。これらの病気のメカニズムを知り、治療法を確立するためには、その仕組みを明らかにすることが大切です。
 ウィントシグナル伝達系の重要な部分は、ディシブルドやアキシンというタンパク質によって調節されていることが知られていました。しかし、その具体的な仕組みは、これまで明らかになっていませんでした。このディシブルドの特殊な構造を明らかにしたのが、兵庫県立大学大学院生命理学研究科の樋口芳樹教授、柴田直樹准教授とイギリス医学研究評議会のマリアン・ビエンツ博士たちの研究グループだったのです。

DIX領域結晶化の苦労

 ディシブルドとアキシンは、どちらもアミノ酸配列(アミノ酸の組み合わせのつながり)が良く似た部分を持っています。この共通部分はディシブルド(DIshevelled)とアキシン(aXin)の文字からとって「DIX領域」と名付けられています。研究グループはこのDIX領域がウィントシグナル伝達系で重要な役割を果たしていると考え、その構造を詳しく調べることにしたのです。
 研究グループは、まずディシブルドからDIX領域を取り去ったタンパク質を人工的に作成し、この人工タンパク質が細胞内でどのようなふるまいをするかを調べました。すると、普通のディシブルドは細胞内で結合して、多量体というかたまりをつくったり、また分かれたりする(これを可逆的といいます)のに対し、人工タンパク質は多量体を作ることができず、しかもウィントシグナル伝達系で正常に働かないことがわかりました(図1)。どうやらこの「可逆的に多量体を作る能力」がディシブルドの機能に重要であり、またその能力はDIX領域に依存しているらしいのです。
 そこで研究グループは、DIX領域の構造を詳しく知るため、この部分を切り出して結晶化することにしました。ところが、研究技術の進んだ現在でも、特に難しいのがこのタンパク質の結晶化という作業です。樋口教授と柴田准教授は、一連の実験を振り返って「やはり何よりも難しかったのは、結晶化の段階でした」と語ります。世界のライバルたちも、きれいな結晶を生み出せずにいました。
 しかし研究グループはDIX領域の構造を調べ、結晶化を難しくしている原因を見つけました。DIX領域の内部にはシステインというアミノ酸があります。このシステインのチオール基(-SH基)が結晶化の最中に露出してしまい、このチオール基どうしが反応して結合することが結晶化を妨げているためではないかと見当をつけました。そこで水銀化合物によってこのチオール基の反応をブロックしたところ、見事に結晶化することに成功したのです(図2A)。
 ここまで来ると、あとは結晶をX線回折法*によって解析し、タンパク質の構造を調べるだけです。しかし、実験室のX線回折装置では4.0Å(1Å=0.1ナノメートル)までしか解像度を上げることができませんでした。このレベルではタンパク質構造の細かい部分まで見ることはできません。そこで研究グループは、タンパク質の精製・結晶化方法に改良を加える一方で、SPring-8のBL41XU構造生物学 II ビームラインを用いて解析しました。すると最終的に2.9Åの解像度のX線回折像を得ることができ(図2B)、DIX領域の構造が明らかになったのです(図3B)。

 

図1. ディシブルドの細胞内での様子

図1. ディシブルドの細胞内での様子。

正常なディシブルド(A)は集まって多量体を作っているため小さな粒に見えるが、DIX領域を切り取った変異体(B)は粒状にならずに細胞内全体に散らばっていることがわかる。右写真で中心に黒く見えるのは細胞の核である。

 

 

図2. DIX領域の結晶とX線回折像

図2. DIX領域の結晶とX線回折像。

(A)DIX領域の結晶写真。(B)SPring-8のBL41XU構造生物学 II ビームラインによって得られた結晶のX線回折像。矢印のあたりが2.9Å分解能の反射領域を示す。

 

DIX領域は非常に珍しい構造を持っている

 こうして得られたDIX領域のX線回折像からは、面白い事実が次々に浮かび上がりました。
 まず、DIX領域は、多量体を作ることで知られている「ユビキチン」というタンパク質(図3A)に良く似たβシート構造*を持っていました(図3B)。タンパク質が古くなって壊れてくると、折りたたまれていたタンパク質の内部が外側に露出してきます。この露出した部分に、ユビキチンが繰り返し結合して、「数珠つなぎ」になります。この数珠つなぎのユビキチンがついたタンパク質は「不用品」と判断され、細胞内で廃棄あるいはリサイクルにまわされます。
 DIX領域がこの多量体を作るユビキチンに似た構造を持っていることは、DIX領域を持つタンパク質が多量体を作っているという観察結果に一致します。ところが、DIX領域はユビキチンとは大きく異なる、今まで知られていなかった形式で、隣り合うタンパク質と結合していることも明らかになりました。
 DIX領域は、β1から5まで、5個のβストランドを持ち全体で1枚のねじれたシートを作ります。タンパク質が複雑に折りたたまれるなかで、このβストランドは4-3-5-1-2の順番で並びます(図3C)。ある方向から見るとβ4ストランドからβ2ストランドまでが、ちょうど「らせん階段」を上から見たように配列しているのです(図3C)。さらに隣り合うタンパク質のDIX領域は、それぞれ60°ずつ回転しながら(図4AとB)、同じ方向を向いて並びます(head-to-tail)。すると前側のDIX領域のβ4ストランドと後側のDIX領域のβ2ストランドが同じ向きにつながります(図3C)。これもまた、タンパク質6個で一周するらせん階段状の構造です。つまり全体として、「DIX領域内部のβストランドが、らせん状につながり、そしてDIX領域を含むタンパク質そのものも、らせん状につながる」という美しい構造が見いだされたのです(図4AとB)。研究グループは、この結合の仕組みを「分子間β2−β4相互作用による『head-to-tail型構造』」と名付けました。
 これが、DIX領域が可逆的な多量体を作るときの構造であると考えられます。そこで研究グループは、β2とβ4ストランドの一部を人工的に別のアミノ酸に置き換えたタンパク質を作って、細胞のなかでの様子を調べました。すると予想どおり、この人工タンパク質は、細胞内で多量体をつくることも、正常な機能を発揮することもできなかったのです。
 これらの実験によって、ウィントシグナル伝達系で重要な役割を果たしているタンパク質の機能が、DIX領域の特殊な結合システムに依存していることが明らかになりました。

 

図3. X線回折の結果を解析して描いたDIX領域のコンピュータグラフィック像

図3. X線回折の結果を解析して描いたDIX領域のコンピュータグラフィック像。

(A)ユビキチンの構造。(B)結晶中で並んだふたつのDIX領域の構造。ユビキチン構造と良く似ていることがわかる。(C)βストランド(β1−β5)やαヘリックス(α1)を模式的に描いたDIX領域。同じ方向を向いたβ2とβ4のあいだで結合が起こる。5つのβストランドがらせん階段状に並んでいることがわかる。

 

 

図4. DIX領域の形成する多量体の模式図

図4. DIX領域の形成する多量体の模式図。

ひとつひとつのDIX分子を色違いで示してある。(A)DIX領域は60度ずれてつながるため、6つで一周する構造を取る。(B)Aを横から見ると、らせん状構造につながっていることがわかる。

 

DIX領域の特長と普遍性

 研究グループの実験成果は、驚きをもって迎えられました。ウィントシグナル伝達系の最初で起こる情報伝達の仕組みは、それまで考えられていたように「あるタンパク質が次のタンパク質に情報をリレーしていく」というよりは、まずDIX領域を持ったディシブルドなどのタンパク質が、らせん状につながった数珠繋ぎの構造を取ることが始まりになっていたのです。ここから先の仕組みは、まだこれからの研究を待たなければなりませんが、おそらくこのディシブルドの数珠つなぎの構造が作られると、アキシンがそこに引き寄せられ、それまでアキシンにつかまえられていた別のタンパク質(β-カテニン)が何らかの作用で自由になって細胞の核に移動していき、遺伝子の制御をおこなうと考えられています。
 さらにその後、研究グループがDIX領域を取り出したもととなったディシブルド以外にも、DIX領域に似た構造を持ち、多量体化するタンパク質が見つかり始めています。「このhead-to-tail型の多量体化の仕組みは、情報伝達だけではなく、生物がさまざまな機能に用いている、普遍的な仕組みとなっている可能性があります」と、いきいきと語る樋口教授。こうした研究の積み重ねによって、私たちは生物の仕組みに関して理解を深めていくことができます。仕組みが明らかになれば、その仕組みに作用する薬を開発し、病気の治療方法を考え出すことも可能になるのです。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ

用語解説

X線回折法
X線を結晶に照射すると結晶内で規則正しく配列した原子によって、X線の回折がおきます。得られた回折線の位置や強度(回折像)を回折することによって、結晶構造に関する情報が得られます。

βシート構造
βストランドというコイル状の特殊なアミノ酸配列が連続することにより、タンパク質の一部がシート状になる構造のこと。


この記事は、兵庫県立大学大学院生命理学研究科の樋口芳樹教授と、柴田直樹准教授にインタビューをして構成しました。